泳ぐ雲
――キーン、コーン、カーン、コーン……
昼休みのチャイムが鳴って、わたしはいつものようにベランダに出る。真っ青な空に、もくもくと雲が浮かんでいる。
昨日は、幸大くんに変なことを聞いてしまった。いつもこうだ。余計なことを言って、自分の首を絞めてしまう。
あの切ない顔が思い出される。
――本当に、涼太のことが好きなんだな。
「美咲ちゃーん!」
振り向くと、教室からクラスメイトが顔を出していた。
「なんか、爽やかイケメンが呼んでるよ」
窓からのぞくと、教室の入口で涼太がキョロキョロとしていた。
「ほんとだ。ありがとう」
目が合った瞬間、涼太の顔がパッと明るくなる。彼は笑顔でこちらへと歩いてきた。
その笑顔を見るたびに実感する。涼太も、本当にわたしのことが好きなのだと。
――涼太のこと、好きになれたらよかったのに。
「美咲、今週末に書店行かない?」
「書店?」
「美咲が好きって言ってた作家の新作が出たんだよ。評判いいし、一緒に買いに行こうと思って」
好きな作家の名前、一度言っただけなのによく覚えてる。新作も、ちょうど最近気になっていた。
さすがだ。わたしのこと、ちゃんと見てくれている。
「それ言うために、わざわざ来たの?」
「えっと……うん、そうだね」
「メッセージでよかったのに」
「でも、最近会えてなかったからさ。雨、全然降らないし」
当たり前だ。好きな人には会いたくなる。
そして、きっと今この瞬間も、幸大くんは涼太が来ないことにヤキモキしているに違いない。
「ごめん、今週末は予定があって」
「……そっか」
「また今度ね。誘ってくれてありがとう」
涼太は、少し不安そうな顔をしていた。避けられていると、気づいているのかもしれない。
「最近、幸大と帰ってるんだってね」
思わず息を呑んだ。幸大くん、そんな話までしているのか。
「たまたまだよ。偶然、電車が一緒なだけ」
「そっか。……まあ、色々あっても仲よさそうで、よかった」
涼太は鼻を触りながら、そう言った。
「みーちゃーん!」
四組のベランダの方から、甲高い声が聞こえた。紗月ちゃんが、大きく手を振りながらこちらに駆けてくる。
「紗月ちゃん、今日も元気だね」
彼女は照れたように、ふふっと笑った。
「あ、飛田くんもいる」
「久しぶりだね、五十嵐さん」
「ごめん、お取込み中だった?」
涼太がわたしの顔を見る。その視線に、心がざわつく。
――そんな顔で見ないで。
どうしたらいいか、分からなくなる。
「ううん、大丈夫。お昼、食べよっか」
「うん! あ、飛田くんも一緒に食べる?」
「え?」
涼太は驚いた顔をして、少し考えるような仕草をした。わたしは慌てて口を開く。
「涼太は、幸大くんのとこ行かなきゃでしょ」
「そうなの?」
紗月ちゃんが小首をかしげる。
「行かなきゃってわけじゃないよ」
「でも、行ったほうがいいよ。幸大くん、待ってると思うし」
涼太はしばらくわたしを見つめて、それから息をついて目を逸らした。
「……そうだね。行ってくるよ」
「うん。じゃあね」
「バイバイ、飛田くん」
「またね」
涼太の背中は、どこか寂しげに見えた。
「飛田くんと、何かあったの?」
……鋭い。紗月ちゃんは、いつもぼんやりしてるようで、大事なところは見逃さない。
「何もないよ」
「ふーん、そっか」
それ以上、彼女は聞いてこなかった。
「飛田くん、元気になるといいね」
そう呟く紗月ちゃんの横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
『これを持ってたら、困ったときいつでも僕が助けに行く。これは、僕が友達として、美咲を守るためのお守り』
小学生の頃の、涼太の言葉が蘇る。
『僕が美咲を守ってあげる』
あのとき、嬉しかった。あの言葉が、宝物みたいで。この関係を大切にしたいと思った。ずっとずっと、友達でいたいと思った。
でも、今は――
この関係は、本当にあの頃と同じなのだろうか。わたしたちは、ちゃんと”友達”でいられているのだろうか。
わたしの、失いたくない”何か”は、守れているのだろうか。
ベランダを風が吹き抜けていく。もくもくとしていた雲は、いつの間にか薄くなって、空をゆっくりと泳いでいた。
まるで、金魚みたいだ。
そういえば――あの金魚の指輪は、どこへ行ってしまったのだろう。




