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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【幸大 side ②】
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好きの種類

 九月とはいえ、夏休みは明けたばかりでまだ暑い。

 プールの冷たい水も、それをかき分ける腕の感触も、とても気持ちがいい。


「休憩!」


 監督の声が響く。俺はプールサイドの水筒に手を伸ばし、ゴクリと喉を潤した。


「っぷはあ」


 隣の山本も美味しそうにドリンクを飲んでいる。


「ビール飲むおっさんかよ」

「カッコいいだろう」

「どこがだよ」


 山本は水筒を置き、プールに肩まで浸かって空を見上げた。


「そういえばさ、寺坂って彼女とかいたことあんの?」

「なんだよ、急に」

「まあ、ねえよな。おまえ、ぜんっぜん女の子と話さないし」

「……あるよ」

「……ええ?!」


 山本は水しぶきを立てながら目を丸くした。水が目に入って痛い。


「あの女子と話さないで有名な幸大が!」


 山本のおおげさに驚く声が聞こえる。俺は目をこすりながら、ゆっくり目を開けた。


「なんかムカつくな、その言い方」

「どんな子?」

「変な人」

「なんだそれ」

「変だけど、楽しい人」

「ふうん。なんで別れちまったんだよ」


 なんで別れたか――俺が話すべきなのはそこじゃない。

 なんで付き合ったのか。自分から別れを切り出さなかったのか。それが俺の語るべきこと。

 彼女が、知りたがっていること。


『だったら……だったら、わたしとなんか付き合わなければよかったじゃん』


 いつか、彼女に言われた言葉がよみがえる。

 その通りだ。付き合わなければよかった。付き合うべきではなかった。分かっている。

 だけど俺にとって、当時の俺にとっては、あの告白が希望だったんだ。




 塚田さんに告白された日。あの日も雨だった。帰り道を一人で歩いていると、誰かが走って来る音がした。


「空が、泣いてますね」


 聞き覚えのある声。横を見ると、塚田さんが嬉しそうにこちらを見ている。

 俺は一年前の会話を思い出した。彼女が初めて話しかけてきた、あの日を。


「本日も結構な泣き具合ですね」

「また失恋かな?」


 塚田さんはわざとらしく首をかしげる。


「あはは、そうかもしれない」


 そのまま彼女は隣を歩き続けた。教室でそうしていたように、俺たちはたわいもない、くだらない話をして笑いあった。


 クラスが離れてから、塚田さんと話したのはこの日が初めてだった。それでも、俺たちのこの空間は変わらないように感じた。彼女といると、気が楽で、心が落ち着く感じがした。

 彼女といつまでもこういう関係でいられたら、どれほど楽しいだろうと思った。


 信号待ちをしていると、視線を感じた。横を見ると彼女はまっすぐに俺を見ていた。


「どうした?」


 綺麗な瞳だった。出会った頃と変わらない、優しい目。


「好きだ」


 一瞬、耳が現実を拒んだ。音は届いていたのに、意味が追いつかなかった。


――今、なんて?


 彼女は大きく息を吸って、また口を開いた。


「わたし、幸大くんが好きだ」


 彼女はさっきよりも大きな声で、またまっすぐに見つめて言った。

 今度はその声が体中に響いた気がした。目を逸らさずにはいられなかった。


 俯く。顔が熱い。体中が熱い。鼓動が速い。ドキドキしている。

 そうか。これが恋に違いない。これが"好き"なんだ。

 俺は顔を上げかけて、またすぐに俯いてしまった。


「俺も好きだよ」


 そう言った瞬間、胸の奥に何かが灯った気がした。初めて、ちゃんと女の子を好きになれた。そう思った。

 トラウマから解き放たれたような、救われたような気がして、涙が出そうだった。


――俺は、おかしくなかったんだ。


 そう、思えたから。




 今思えば、あれは決して恋ではなかった。

 彼女を人として好いていたこと、緊張から胸がドキドキしていたこと。

 恋を知らなかった俺は、これが恋だと思い込んでしまったのだ。


「おーい、寺坂。何か言えよ。そんなにまずい理由だったのかよ」


 山本は俺の目の前で手をひらひらさせた。


「別れたのは……俺のせいだよ」

「おまえ、恋愛とか下手そうだもんな」

「そういうおまえは付き合ったことあんのかよ」

「それは……そんなことはどうでもいいだろう」

「ないんだな」

「うるせえ!」


 山本は水しぶきをあげて暴れ出した。本当に面白いやつだ。こいつといると、飽きることがない。

 塚田さんもそうだった。塚田さんとも、こういう関係になりたかった。


『それでも、幸大くんには届かないんだね』


 祭りの夜、そう言った彼女は本当に辛そうだった。

 全部俺のせいだ。俺から別れを切り出すべきだった。彼女と付き合うべきではなかった。そうすれば、彼女がここまで苦しむことはなかった。


 あの時告白を断れていたら、塚田さんと友達のままでいられたのだろうか。俺から別れを切り出せたら、また友達に戻れたのだろうか。

 あの頃の楽しい日々を、今でも過ごせていたのだろうか。


――最低だ。


 どこまでも自分のことばかり。自分が「普通」であるために、普通である彼女を犠牲にしてしまった。知らなくてよかったはずの苦しみで、彼女をいっぱいにしてしまった。


 俺は確かに彼女のことが好きだった。彼女と一緒にいたいと思っていた。彼女が隣にいる日々を願っていた。

 ただ俺のこの"好き"は、彼女の"好き"とは違う。たったそれだけのことなのに。"好き"の種類が違うだけなのに。

 それだけで、俺たちはもう――あの楽しい日々には、戻れないのだ。

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