第十七話 しょうもない世界
中三の十月、交際五か月記念日の朝、塚田さんからメッセージが来た。
『これからもよろしくね』
彼女はよく笑う、明るくて素敵な恋人だった。彼女と過ごす時間は楽しかった。ただただ、楽しかった。
その日、家庭科の授業で性的マイノリティに関するビデオを見た。
画面には、手を繋ぐ男性同士のカップルが映っていた。教室に笑いが漏れる。俺はなぜか目を逸らしたくなった。
どうしてこんな授業があるのだろうと思った。
授業のあと他クラスの友達数人と話していると、あのビデオの話になった。その話題に入るのは気が引けて、俺は黙ってその会話を聞いていた。
「正直さ、男が男を好きとか、やっぱちょっと引くよな」
「だよなあ。桜木、おまえどう思う?」
思わず顔を伏せた。桜木がなんて言うか、聞くのが怖かった。
「僕は、全然いいと思うよ。そういう人もいると思う」
その言葉を聞いて、心の底からほっとした。
その瞬間、俺は初めて自分の気持ちに気がついた。俺が好きなのは、塚田さんじゃない。男である、桜木だった。
それから一か月ほどして、塚田さんから別れを切り出された。申し訳ないことをした。罪悪感でいっぱいだった。
それでもやっぱり桜木のことが好きで、その好きは自覚した途端に次々と溢れ出していった。
嬉しくて、苦しくて、楽しくて、切ない。これが恋なのかと思った。人を好きになるって、こういうことだったのか、と。
「寺坂くん、塚田さんと付き合ってたって本当?」
卒業間近、桜木は突然そう尋ねてきた。胸がキュッと締め付けられた。
「……うん。本当だよ」
「そうなんだ」
そう言う彼はどこか切なげで、そんな表情も好きだと思ってしまう。
「かっこいいもんね、寺坂くん。筋肉質で、男らしくて」
鼓動が速くなる。こんな一言で、簡単に舞い上がってしまう。
「俺は、桜木の知的な感じもいいと思うよ」
「でもやっぱり僕は、寺坂くんみたいになりたいよ」
「……そう?」
その時の俺は真っ赤だったに違いなかった。恥ずかしくて、嬉しくて、たまらなかった。
桜木は、ふっと笑って言った。
「僕が女の子だったら、きっと寺坂くんを好きになってた」
――ああ、そういうことか。
胸が張り裂けそうだった。彼は、とても残酷だった。
彼の目に、俺が魅力的に映っているのは間違いなかった。そのうえで、俺は彼の恋愛対象には入っていないのだ。
どうして俺を好きになるために、彼は女でなくちゃいけないのだろう。男は女を好きになって、女は男を好きになる。それが普通? それが当たり前?
――そんな観念、くそくらえだ。
「俺は男だけど、桜木のことが好きだよ」
「……え? あ、友達として?」
「違う。恋愛として、好き」
桜木は顔を曇らせた。それから言葉を探すように目を泳がせて、それからまともに俺の顔も見ずに言った。
「……勘違いさせちゃったなら、ごめん。僕は、そういう系統の人じゃないんだよ」
「……そういう系統ってなんだよ」
「僕は女の子が好きだし、そういうの困るっていうか……正直、気持ち悪い……っていうか。ほら、男同士でキスとかスキンシップとか、ほんと……無理だから」
視界が暗くなった。世界が暗くなった。苦しかった。辛かった。泣きたくなった。
でもこの気持ちはちゃんと伝えたいと、届けたいと思った。
「でも好きなんだ……桜木のことが」
「……悪いけど、ほか当たって」
彼はそう言い残して、逃げるように去っていった。
――ほかってなんだよ。
誰でもいいわけじゃない。付き合えるとも思ってない。ただこの気持ちを伝えたくて、受け止めてほしくて……それだけだったのに。
俺が女だったらよかったのか。そうしたら、せめて”告白されてもいい相手”になれたのだろうか。この気持ちを、認めてもらえたのだろうか。
しょうもない。たかが性別が違うだけで、こんなにも苦しくて切ない思いをしなければいけないだなんて。
――本当に、しょうもない世界だ。