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第十六話 叶わない恋

 彼を初めて見たのは、まだかろうじて桜が残っていた頃だった。


「初めての朝練、中断になっちまったな」


 廊下の窓から外を眺めながら、山本はそう言った。俺は窓に寄りかかって、そっと耳をすませる。


「俺は別にいいけどな。雨、嫌いじゃないし」

「まじかよ。俺はジメジメしててきらーい」


 少し開いた窓。目を閉じれば、控えめな雨音が鮮明に聞こえてくる。


「なあ、寺坂。あいつ知ってる?」

「どいつ?」

「聞くならこっち向けよ。せめて目開けろ。ほら、あの細身の色白男」


 俺は身体を捻って窓の外を見た。山本が指す先には、細身で背の高い男が歩いていた。が、青い傘のせいで顔が見えず、色白かなんて分からない。


「知らない」

「だろうな。寺坂って他人に興味なさそうだもんな」

「じゃあ聞くなよ」

「いや、まあ有名だからさ。おまえでも知ってるかもなって」

「誰?」

「飛田涼太だよ。ピアノに乗馬、ゴルフに茶道。いろんな習い事してて、教養ぜんぶ身に付けてますって感じ。おまけに顔よしスタイルよし。

スペックの高さは認めざるを得ないけど、なんか気に食わねえよな。性格くらい悪くあれって思うわ」

「最低だな」

「なんだよ。おまえだって少しくらいそう思うだろ?」

「別に」


 強がるなよ、と肩を組まれる。それから、やっぱ男は筋肉だよな、と冗談交じりに撫でまわしてくる。こういうところがこいつの悪癖だ。

 俺は、山本の両手をペシッとはたき落とした。


 顔を知らない他クラスのヤツなんてどうでもいい。俺に関わる人、関わろうとしてくれる人。俺はそういう人にしか、興味がない。


 ホームルームが終わり教室を出た俺は、廊下の窓から外を眺める。朝から雨は降りっぱなしで、色とりどりな傘が咲いている。

 今日は水曜で放課後の部活がない。このあと何をしよう。久しぶりにゲームでもしようか。

 そんなことを考えながら、のんびりと階段を降りる。そういえば、友達と話していた山本を置いてきてしまった。まあいいか。


 駅へ向かう道は、やはり人が多い。帰る時間をずらせばよかったと、少しだけ後悔した。


 前を歩く背の高い男は、俺と同じく一人だった。その青い傘に見覚えがあって、誰だったかなと思う。

 一瞬考えて、諦めた。思い出せない。



『空が泣いている』


 彼女は、ふざけて言ったに違いなかった。それでも、俺はその変な表現を妙に気に入ってしまって、雨が降るたび自分の言葉のようにつぶやいてしまう。

 空がどんな理由で、どんなに激しく泣いていようが、俺の知ったことじゃない。でも、その涙で蘇る思い出があること。それは俺にとって特別なことだった。



 いつのまにか、前を歩く男は傘を閉じていた。空を見上げると、雨はもう止んでいる。

 男は急に小走りになった。彼の駆けていく先には、傘を差しっぱなしのお年寄りが歩いている。


「雨、止みましたよ。傘とお荷物、持ちましょうか」


 かがみこんで、お年寄りに優しく語りかける。その横顔はとても綺麗で、透明感というのだろうか、向こうの景色まで見えそうなほど透き通っていた。


 こいつ、今朝、山本が言ってたヤツだ。唐突に思い出した。容姿のよさといい傘の色といい、そうに違いないと思った。


 ――性格もいいのか。


 哀れな山本。思わず笑ってしまう。


「何一人で笑ってんだよ」


 いつ現れたのだろう。山本が左隣を歩いていた。


「別に」

「っていうか置いてくなよ。寺坂、そういうとこあるよな」


 そのまま、飛田とお年寄りの横を通り過ぎていく。あれほど彼を妬んでいた山本は、全く気づいていなかった。




 それからしばらくして、彼の存在も忘れていたころ、廊下で急に話しかけられた。

 聞いたことのある、優しい声だと思った。顔をあげると、色白の美青年が申し訳なさそうに立っている。

 今度は思い出せた。名前は覚えていないけれど、アイツだ。


「あの。その教科書、貸してもらえないかな」

「ああ」


 数学の教科書。これから使おうと思って取り出したところだった。まあいいか。今日は雨だから、もともと先生の話を聞く気なんてない。


「いいよ。はい」


 彼は表情をパッと明るくした。素直なヤツだ。


「ありがとう。ほんとありがとう」


 彼は笑った。満面の笑みだった。

 一瞬、時が止まったような気がした。


 ――ドキッ。


 なんだ、これ。苦しい。苦しいのに、どこかワクワクしている自分もいて。


 ――ああ、ダメだ。


 これ以上踏み込んではいけない。そう本能が言っていた。それなのに、その笑顔が頭から離れない。


 教室に戻っても、チャイムが鳴っても、頭の中で彼が笑っている。先生の声も雨の音も聞こえなくて、ただ彼の優しい声だけが響いている。


 もう戻れない。俺はまた、叶わない恋に一歩踏み出してしまったのだ。

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