二匹の金魚②
美咲に「お守り」をあげてから、一週間も経たなかったと思う。
その日は雨で、僕は昇降口で美咲が来るのを待っていた。けれどいつまで経っても美咲は来なくて、先に帰ってしまったのだろうかと不安に思っていた。
そんなとき、美咲と同じクラスの女子三人組がやって来た。そして、その先頭の女子の左指に、光る金魚が見えた。
状況を理解した途端、ふつふつと何かが湧き上がってきた。
「あ、涼太くん!」
彼女はこっちの気も知らず、のこのことこっちへ向かってきた。
「なんで、君がつけてるの?」
「ん? 何が?」
「指輪だよ」
「ああ。なんかね、落ちてたの。可愛いからつけちゃった」
彼女は満足げに笑った。その笑顔が腹立たしくて、気持ち悪くて、我慢ならなかった。
「本当のこと言えよ」
「え?」
「嘘ついてんじゃねえぞ」
いつもとは違う強い口調に、彼女は少したじろいだ。
「だって……だって、あいつうざいんだもん。いつも涼太くんにくっついてばっかりで」
「返せ。それは美咲のだ」
「あいつが悪いんだよ。涼太くんに近づくなって何回も注意したのに、今度は指輪なんかつけてきちゃって」
そのとき、初めて気づいた。
美咲が最近、よく鉛筆を失くしていたこと。上履きが不自然に汚れていたこと。朝から雨が降っていたのに、放課後になって傘を忘れたと言ったこと。
全部全部――僕のせいだった。
「返せよ」
僕は彼女の指から無理やり指輪を取った。
「痛いよお」
彼女はわざとらしく泣き真似をしたけれど、どうでもよかった。
「美咲はどこだ」
「……なんで、あんなやつなんか。涼太くん、騙されてるんだよ」
「は?」
「あいつは涼太くんのこと、好きなんかじゃないんだよ? なのに思わせぶりばっかで」
「美咲はどこだって聞いてるんだよ!」
声を荒げるとさすがに怖くなったのか、彼女は本気で泣き出した。
その右隣の女子を睨みつけると、彼女は怯えた顔、震える声で、二階のトイレだと言った。僕は急いで二階へ向かった。
階段を駆け上って女子トイレへ駆け込むと、美咲が床に四つん這いになって、一生懸命に何かを探していた。
「美咲!」
美咲は振り向くと、涙をボロボロこぼした。
「涼太、どうしよう。お守り、失くしちゃった。流されちゃったのかも」
彼女は、また指輪を探し始める。
「ごめん。僕が、あんなものあげたから」
「違う、違うよ。わたしがお守り失くしちゃったから。だから涼太、助けに来れなかったんだよね」
美咲の震える声に、僕まで涙が込み上げてきた。
「ごめんね、せっかくくれたのに。ごめんね」
美咲は泣きながら、何度も何度も謝っていた。
彼女の笑顔が見たかった。彼女の特別な存在になりたかった。ただ、それだけだったのに。
「もういいよ、美咲。大丈夫だよ」
僕は美咲を抱きしめた。
「……涼太。私、思わせぶりしてた? 傷つけちゃった? 涼太は……私と友達、やめたかった?」
美咲は僕の腕の中で泣きじゃくる。
いつもは迷いなく突き進む、たくましい彼女。そんな美咲も、その瞬間は今にも消えてしまいそうな、儚くて弱弱しい少女だった。
「そんなことないよ」
顔を上げた美咲の目は涙の粒でいっぱいで、次から次へと溢れ出してくる。
「美咲の好きはそういう好きじゃないって、美咲と僕は友達だって、ちゃんと分かってるよ。僕も美咲と友達でいたいって、ずっと思ってるよ」
「……ほんと?」
「ほんとだよ。僕らはずっと、友達だよ」
「……うん。ありがとう」
彼女は僕の胸に顔を埋め、安心したように息をついた。
結局、僕は美咲に指輪を返さなかった。返せなかった。あれがある限り、僕の好きを押し付けるたび、美咲は不幸になる。
だから僕は、あの日のふたりを閉じ込めるように、二つの指輪を――二匹の金魚を、そっと引き出しの奥底にしまったのだ。




