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第九話 勉強会

 夜十時。ご飯もお風呂も済ませて、勉強をする気にもなれず布団にもぐった。

 なんとなくスマホをいじる。SNSを眺めていると、スマホが震えて通知が来た。


『今週の日曜空いてる?』


 涼太だった。少し喜んでいる自分がいて、これではいけないと頭を振る。


『空いてるよ』


『じゃあ一緒に勉強しよう。期末テスト近いし』


 迷った。断るのは簡単だ。けれど、涼太と勉強できたら楽しいだろうな、と思ってしまった。

 小学生の頃のように、ここが違う、そこが違うと笑い合いたかった。


 しばらく考えた結果、ある方法を思いついた。紗月ちゃんのトークルームを開く。


『日曜、空いてる?』


 すぐに返信が来た。


『空いてるよ』


 それを確認すると、私は涼太のトークルームへ戻った。


『いいよ』


 送信する。涼太はすぐに既読をつけた。

 



 日曜日、晴れ。日差しが強く、いよいよ夏という感じだ。道中のひまわりもいくつか顔を上げていた。


 ピーンポーン。


 インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。勢いよく出てきたのは涼太のお母さんだ。


「いらっしゃい。美咲ちゃん、久しぶりね」

「お久しぶりです。お邪魔します」

「どうぞ上がって上がって。五十嵐さんもどうぞ」


 紗月ちゃんはお辞儀をしながら、お邪魔します、と言う。お母さんに案内されるまま二階の部屋に入ると、涼太がノートを開いて座っていた。


「いらっしゃい。その辺、座って」


 私と紗月ちゃんは、言われたままに座った。

 涼太の家に来るのは初めてだが、さすがお金持ち、この部屋一つとってもすごく広い。紗月ちゃんもキョロキョロしていた。


「涼太。そういえばもう一人男子を誘うって言ってたけど」

「うん。だって、女子二人に男子一人はバランスが悪いでしょ」

「まあ、そうね。で、もう一人は?」

「来てからのお楽しみ。二人とも知ってる人だから、安心して」


 それから私たちは軽く雑談を交わしていた。紗月ちゃんと涼太はこの前よりも打ち解けているようで、私は安心した。そこへ涼太のお母さんが顔を出す。


「お友達いらしたわよ」

「こんにちは」

「……え?」


 後ろから顔を出した彼を見て、私と紗月ちゃんは声をそろえた。――幸大くんだった。

 幸大くんは当然のように涼太の隣に座り、当然のように雑談に混じった。私たちはよく分からないまま、流れのままに話をして、流れのままに勉強を始めた。


 みんなで勉強をするのは楽しい。みんなで教え合えば、一人で勉強していては気づけないことも知れる。基本的にはいいことづくしだ。

 ただ一つ問題があった。幸大くんのことが気になってあまり集中できないということ。


 彼はなぜ来たのだろう。そもそも私が来るのを知っていたのだろうか?

 分からない。分からない。


「美咲、これ教えて」


 涼太に話しかけられ、ふと我に返る。


「ああ、これはね……」


 最近、いつもこうだ。他のことに意識がいき心ここにあらずな私を、涼太が現実に引き戻してくれる。


「なるほど、さすが美咲」


 涼太は屈託なく笑う。その笑顔は眩しくて、でもどこか安心する。


「これぐらいできなきゃダメだよ」


 私も思わず笑う。小学生の頃を思い出す。私はずっと、この笑顔に救われてきたのだ。


 ――ダンッ。


 机が揺れた。隣を見ると、紗月ちゃんが立ちあがっている。


「コンビニでおやつ買って来る」


 その顔は少し険しかった。間違った。涼太と仲良くしすぎた。これは、嫉妬の顔だ。


「あ、じゃあ涼太一緒に行ってあげてよ」


 私は慌ててそう言った。こうするしかない。紗月ちゃんに、嫌われたくない。


「ほら、紗月ちゃん迷子になっちゃったら困るし」

「ああ、そうだね」


 涼太はゆっくり立ち上がった。


「行こっか」


 紗月ちゃんは頷く。涼太に続いて部屋を出るとき、くるりと振り向いた。


「みーちゃんの好きな茎ワカメ、買って来るね」


 彼女は満面の笑みを見せて出て行った。なんとかなった、ということだろうか。


「茎ワカメ、好きなの?」


 低い声に話しかけられて、唐突にこの状況を把握した。午後三時。斜め前に幸大くん。二人きり。私は頭が真っ白になって、ぎこちなく頷くことしかできなかった。


 沈黙が続く。彼は数学の問題を解き始めた。私も勉強をするフリをした。チラチラと時計を見るけれど、思いのほか時間が進まない。


 ――早く、帰ってきて。


「ごめん。気まずいよね、俺がいると」


 急に話しかけられ、思わず彼を見た。彼はシャーペンを置いて、申し訳なさそうにこっちを見ている。


「あ、うん」


 素っ気ない返事になって、それからまた沈黙になる。

 何か言わなきゃ。これじゃ、ただの態度の悪い女だ。


「でも、あの……全然、嫌じゃないよ」


 彼はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。


「そっか。ならよかった」


 ああ、ますます分からない。私にどう思われたっていいじゃないか。

 私は無意識に、ずっと抱えていた疑問を口にした。


「幸大くん、今日なんで来たの?」


 しまった。また感じの悪い聞き方をしてしまった。


「なんでって?」


 首をかしげる彼は、たぶん気にしていない。よかった。


「だって幸大くん、女子と話すのあんまり得意じゃなかったし」

「今も苦手だよ、女子と話すの。でも、塚田さんは平気。五十嵐さんとはほとんど話したことないけど、でも、塚田さんと涼太がいれば大丈夫かなって」


 ――私がいれば……?


「え、私がいるけど来たんじゃなくて?」

「ん? 塚田さんがいるから来たんだよ」


 ――ああ、本当になんなんだ、この人。


 私は何と言えばいいかと考えこむ。そこに、ドアが開く音がした。


「ただいま! はい、みーちゃん」


 飛び込んできた紗月ちゃんが、大量の茎ワカメを差し出す。助かった。


「ありがとう、紗月ちゃん」


 二人が戻ってきてからは、またにぎやかな勉強会が再開された。




 時間はあっという間に過ぎて、気づけば六時になっていた。そろそろ帰ろうという話になり、みんなで外に出る。

 空はまだ十分明るくて、いくつか綿のような雲が浮かんでいた。


「私、あの雲が好き」


 紗月ちゃんがはしゃぐように、一番大きな雲を指さしながら言った。


「僕はあれがいいな」


 涼太も大きめの雲を指さした。


「俺はあれ、涼太の隣のやつ」


 幸大くんまでそう言うので、私も小さめの雲を指さした。


「じゃあ、私はあれでいいや」


 私たちが選んだ雲はゆっくり同じ方向に流れながら、でも確実に近づいていく。そしてそのまま交わった。


「ああ、私のどれか分からなくなっちゃった」

「僕のはたぶんあれ」

「違うよ、あれたぶん私の」


 紗月ちゃんと涼太が何やら言い合っている。その様子を、幸大くんが優しい目で見ていた。

 その瞬間、中学時代の記憶が脳裏をよぎった。私はあの目を知っている。あの日と、同じ目をしている。


 なんだ、幸大くんが来たのは私がいるからじゃない。私はただのおまけに過ぎない。やっぱり私は幸大くんには届かない。

 何度この事実を突きつけられれば、諦められるんだろう。この好きを、辞められるんだろう。


「今日は三人とも遠くからありがとう」


 涼太は爽やかな笑顔で手を振った。私たちも手を振り返し、三人で駅の方へ歩き始めた。


「また勉強会しようね」


 涼太は見えなくなるまで手を振り続けてくれた。


 三人は、四人でいるときよりも少し話しにくい。

 紗月ちゃんと幸大くんはまだ完全には打ち解けてはいなかったから、私が仲介役のような立場になっていた。けれど、幸大くんと二人よりはずっといい。三人なら、それほど気にせずに幸大くんとも話せる。


「私、そこのおばあちゃん家寄って行くから、ここで」


 途中の分かれ道で、紗月ちゃんは立ち止まり言った。


「え、聞いてないけど」

「うん。言ってないもん」


 紗月ちゃんは当たり前のようにそう言った。


「さっきママから、おばあちゃん家でご飯食べてきてって連絡来たの」

「え、あ、そうなんだ」

「うん。だからじゃあね」


 彼女はにこやかに手を振って、小走りで行ってしまった。私は立ち尽くすほかなかった。


「行こう」


 幸大くんに言われ、私はどうしたものかと思いながら、彼と歩き始めた。

 また、二人になってしまった。何か話すべきだろうか。何を話したらいいのだろうか。


「俺もあの歌、好きだよ」

「え?」


 幸大くんは、前を向いたまま話し続ける。


「塚田さんがさっき涼太の家で、BGMにって流してくれたやつ。あれ、俺が一番好きな歌」


 ――知ってる。分かってる。だってあれは、あの歌は、いつも幸大くんが口ずさんでいた歌だから。


「塚田さんも、ああいうの好きなんだね」


 もともと、好きじゃなかった。――幸大くんが好きだから、好きになっただけ。


 ああ、どうしてなのだろう。彼のことを考えると、彼といると、こんなにも胸が苦しくてたまらない。

 それなのに、会いたいと、側にいたいと願ってしまう。この想いを抑えられなくなってしまう。


 風が少し吹いて、並んで歩く彼の茶髪が揺れた


「……好きなんだね」

「え、うん。だから、一番好きな歌だって」

「そうじゃなくて」


 私は幸大くんを見つめる。


「好きなんだね、涼太のこと」


 彼は唐突な話題転換に、目を丸くした。


「やっとこっち向いた」


 私は笑いながら、また前を向く。


「桜木くんとは、少しタイプが違うみたいだけど」


 あの時のクラスメイトの桜木くんは、もう少し大人しくて友達が少ないタイプだった。


「やっぱり気づいてたんだね、あの時」

「そりゃ分かるよ。あんな顔してたら」


 ずっと、見てたんだから。


「言っとくけど、私、まだ好きだから」


 幸大くんを見る。彼は案の定、ポカンとしていた。

 相変わらず吸い込まれそうな瞳だ。でも今日は、今日こそは逸らさない。


 私は息を大きく吸い、声が震えないように、はっきりと言った。


「幸大くんのこと、今でも好きだから」

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