別れの記憶
この別れは、どれほど前から決まっていたんだろう。
もう十一月だが、今日はなんだか暖かい。特にこの勉強机は、ちょうど日が当たってぽかぽかしていた。私の心とは、正反対。
『もう、冷めちゃった?』
三十分考えて、結局この一言に行き着いた。相手の気持ちも確かめずにいろいろぶつけるわけにもいかないと思った。思い切って送信ボタンを押す。
しばらくスマホの画面を見ていたけれど、すぐに既読がつくはずもない。
彼に連絡するのは一ヵ月ぶりだ。付き合い始めてからは半年が過ぎていた。
私たちはひたすらに恋に不器用だった。付き合う前はあんなに話していたのに、付き合い始めた途端まともに話せなくなってしまった。二人きりになると、ぎこちなくなって会話が続かない。
それでも私は、彼と一緒にいられることが幸せだった。いつかもっと気楽に話せるようになると思っていた。
でもそれは、私だけだったようだ。
付き合い始めて四か月が経った頃、彼の方から連絡が来ることはなくなった。こちらから連絡しても、返信は素っ気なかった。冷められている。それなりに早く気づいていた。でも知らないふりをした。いつか彼の気持ちが戻ってくると信じていた。
二週間経っても、彼の態度は変わらなかった。だからと言って、別れを切り出されることもなかった。そんな状況に、私は疲れてしまった。そして連絡は途切れ、何も変わらないまま過ぎ去った一ヵ月だった。
このまま放置していてもよかった。もしかしたら、向こうはもう終わったつもりだったのかもしれない。
それならそれでいいと、中学生の恋愛なんてそんなもんだと、そう思える性格なら良かった。だけど私はそうじゃない。このままじゃ、私の気持ちはずっと、宙ぶらりん。
スマホを端っこに置いて教科書とノートを開くが、シャーペンを握る手は動かない。気が気でなくて、勉強なんかできやしない。
結局、寝れもしないのに突っ伏して目を瞑っていた。
どれくらい経ったのだろう。机が震えた。スマホを手に取る。
浮かび上がったのは、たったの五文字だった。
『ごめんね』
分かっていた。ずっと分かっていて、きちんと覚悟を決めて連絡した。
けれどその文字を見た瞬間、怒りとか戸惑いとか悲しみとか恨みとか、いろんな負の感情が込み上げてきて止まらない。
期待は抱かないようにしていた。気持ちに整理はつけていた。
もう、諦めていたはずなのに。
景色が滲みかけてぐっとこらえる。ここで泣いたら、負けだ。できるだけ重くならないように、一つも傷ついていないように、言葉を並べる。
『そっか。じゃあ、しょうがないね』
既読はすぐについた。返事はない。次の言葉を打つ。あとは送信ボタンを押すだけ。指が、震える。
――私から言わなきゃ、だめなのかな。
今さら、どうすることもできないのに。
ひんやりと涙が頬を伝う。画面に落ちる。私は、画面の水滴をぬぐうようにして、送信ボタンを押した。
『今までありがとう、さようなら』
既読がついたのを見て、画面を閉じた。もう返信は来ないかもしれないと思った。そのまま机に突っ伏した。怒り狂うことも泣きわめくこともせず、ただただ静かに、突っ伏していた。本当は言いたいことがたくさんあった。
どうして私を避け始めたの? 急に素っ気なくなったの? 何も言ってくれなかったの?
最初から、私だけだったの?
あんなに話したがったくせに。じっと見つめたくせに。……照れながら手を振ったくせに。
勝手に、心奪ったくせに。
どれも言葉にならなかった。私には言う資格もなかった。私が彼の心を取り戻せなかったのは、事実だから。諦めることを選んでしまったから。
このまま忘れてしまおうと思った。そうするしかないと思った。
急に机が震えて驚いた。おそるおそるスマホを手に取る。また文字が浮かび上がっていた。
『美咲は悪くないから』
遅れてもう一つ、跳ねるような音とともに浮かび上がる。
『だから、気にしないで』
急に何かが溢れ出した。溢れて、溢れて、止まらなかった。
私が、もっと積極的になれていたなら。もっと彼を分かろうとしていれば。もっとちゃんと、気持ちを伝えていれば……こうは、ならなかったかもしれなくて。
私が悪くないわけがなかった。気にしないわけもなかった。
こんなあっけなく終わる関係だったんだという虚しさと、そんな言い方は無責任だという気持ちがあった。
でも同時に私には、その言葉が彼なりの慰めなのだと、優しさなのだと、分かってしまった。
胸が痛くて、苦しくて。息ができなくて。
いっそ散々に罵ってくれたなら。冷たく突き放してくれたなら。あのまま無視してくれたなら。私は、私は……こんなに苦しくはならなかったのに。
いっそのこと、大嫌いになってしまいたかったのに。
私は、そのトーク画面を開かなかった。彼との思い出があふれ出てきてしまいそうで、怖かった。
いつの間にか空は暗くなっていて、部屋の陽だまりは失われた。
窓を開けると、空が今にも泣き出しそうな、湿っぽいあの匂いがした。