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ジャックの豆の木

作者: kaoru

***ジャック***


北風の吹く市場はどこか浮き立っている。

新年のご馳走を準備する買い物客の財布のひもはゆるい。

つられるようにオレの足も軽くなる。

どこからかジャムを煮る甘い匂いが漂ってきた。

寒そうに肩を窄める人々の中を胸を張って歩く。

オレにも帰る場所と待つ人がいる。

そうおもうと、腹の中がくすぐったくなった。


北風が葉の落ちた樹々の枝を鳴らす。

大急ぎで走っても町まで行って帰ってくるのは時間がかかる。

霜が足の下でじゃりじゃりと崩れる。

静まりかえった林を抜けると、古ぼけた屋敷が現れた。

鍵のかかっていない軋む扉を開ける。


火の消えた暖炉の前に、ランプに照らされ白いものが蹲っていた。

心構えなしにみたら化け物だと腰を抜かすだろう。

かつてキラキラと輝いていた髪は納屋につまれた藁みたいにくすんでいる。

熱中するとろくに食べないせいで頬はやせてしまった。

まるで殉教者の像みたいで心配になる。

「暖炉が消える前に薪を足せよな」

オレの声が聞こえないかのように、オリビエは板間にならべたタイルに夢中だ。

寒かったんだろう、何枚も毛布を背負ってまるでヤドカリだ。

「炭も買ってくりゃよかった」

ひとりごとのようにいいながら、オレは灰が残るだけの暖炉に薪を組んで火をつけた。

火吹き筒で上手に炎を育てる。

炎が揺れるたびにまわりで影がちらちらと躍った。

「これで外よりはマシになる」

だけどオリビエはオレを睨んで口を尖らせた。

「炎の揺れるのがうっとおしい」

「へーへー」

オレは肩を竦めた。

ひどい言い草だが、オリビエの言いがかりには慣れっこだった。


オリビエをおいて厨房に行って湯を沸かす。

市場で買った甘いジャムを深皿に入れ、沸いた湯を玉杓子でかける。

それを木さじで混ぜると温かい湯気が立った。

「そら」

深皿をさしだすと、オリビエは当然みたいに受け取った。

背中をまるめふうふうと椀に息を吹きかけている。

威厳もなにもない、腹を減らした子どもみたいな姿だ。

オレは細めた目をそらした。

彼の邪魔をするつもりはなかった。


葉の落ちた木々を風が悲し気な音を立てて吹き抜けていた。


**オリビエ**


全員に暇を出したとき、ジャックが残るかもしれないという予感はあった。

期待じゃない、ただの予感だ。

残らなかったからといってなんとも思いはしない。

見捨てられたなんておもわない。

飯を食え、もっとあったかくしろ、髪を梳かせとうるさくいうのが自分の仕事だという顔をしていた。


やせっぽちの子どもだったのに、いつのまにか厳つく育っていた。

庭師の手伝いとして雇いたいと言ったのは、ばあやだった。

褐色の肌に赤みがかった金髪、青い瞳の南方に多い外見だ。

南の人間は人がいい、そんな眉唾な話が思い出される。

なにもかも私とは正反対だ。

道楽のために爵位さえ手放した私に構ったってなにもでやしないのに。


論文の内容なんてぜんぜん理解していないのに、ただただ私を褒めたたえていたばあやを思い出す。

おもえば、彼女が老衰で死んだのが爵位を手放すきっかけだった。

それまでは上っ面だけとはいえ、貴族の体面を保っていたのだ。

ばあやを悲しませる心配がなくなって、私はすべてを売り払って金に換えた。

残ったのは屋敷だけだ。

庭も屋敷も不要だったが、集めた書物や発掘品を置くには広い場所が必要だった。

私は金に糸目をつけず大規模な発掘や調査を行った。

金持ちの道楽と言われても、羨ましいだろうと鼻で笑った。

かつて地上を支配していた巨人族は実在していた。

本当のことだ。

それを証明したいという意地だけが、私の心を熱くする。

生きていると感じられる。


私は何かを見つけ出そうと、バラバラになったタイルをならべた。

この丸いのは巨人で、こっちは盾を持つ騎士だ。

羽のある馬に乗っている。

物語であっても、なにかしらの根拠はあるはずだ。

過去にはべつの大陸との交流があったと考えている。

この大陸にはない文明を感じさせるものが、ある程度よりも古い遺跡から見つかるのだ。

今回回収したものはそこまで古くないけれど、巨人や羽の生えた蛇などが描かれている。


いつの間にかもう暗い。

かじかんだ手でランプをつける。

薪をとりに行くのが億劫で、毛布をかぶった。



「そら」

いつの間にかジャックがいて、私に深皿を差し出していた。

受け取ったものをろくに見もせずに、口をつける。

それくらいには信用していた。

うん。

温かくて甘い。

ほんの数口で飲み干す。

「たりない」

忘れていた空腹も思い出してしまえば押し寄せる。

一椀の湯では焼け石に水だ。

催促の言葉に、ジャックは苦笑して皿に追加をたした。

私は胸が温かくなるように感じた。

いや、これは物理的に腹が温かいんだ。

心は関係ない。

ありがとう、の言葉が喉につっかえる。

チーズとハムを挟んだパンを渡されて、私は黙ってかぶりついた。


おそらく残り少ないだろう資産はジャックに預けている。

使い込まれても気が付かないが、それどころか自分用にまともな報酬を引き出しているかどうかもあやしい。

庭の一角を畑にしたと言っていた。

罠でうさぎを獲ったとも聞いた。

だけど私はそれを受け入れてしまっている。

無学な移民の若者の人の好さにつけこんで便利につかっている。

なけなしの良心の呵責に比べれば、彼がパーマー様ではなく、オリビエと馴れ馴れしく呼ぶことも気にならなかった。


「ああ!そのタイルか」

私の手元を覗きこんでジャックが嬉しそうに言った。

夏の海底遺跡の調査でこれを引き上げてきたのはジャックだ。

ジャックは図体も声も大きいけれど、意外と器用だ。

暑さ寒さにも強く、秋になって水温が下がっても平然と海に潜った。

わかりやすい金貨じゃなく、ちゃんと学術的な価値のあるものを回収していた。

私の望みを理解して、資料になりそうなものを優先してくれたのはジャックぐらいだった。

金貨をちょろまかそうとした人足を締め上げたのも、研究費の足しに売りはらうのも、ジャックがやってくれた。

ジャックがいなければ、私はとうに無一文で野垂れ死んでいただろう。

そんなことを伝えたことはないけれど。

私は無言でパンを食べきった。



季節は進み雪のちらつく日も増えた。

ジャックは隙間風の入る壁に泥とボロ布を詰めた。

屋敷中の毛布を集め、不要な家具を壊して薪にした。

冬を越すには十分だろう。


いよいよ新年も近いある日のことだった。

ジャックが買い出しから帰ってきた。

年越しの準備だといって張り切って出かけた割には荷物は少ない。

そんな疑問が顔に出たのだろうか。

「酒も買いたかったけど、金が足りなくなっちまって」

私は責められたような気がして目をそらした。

頼んでいないとはいえ、ただで世話を焼いてもらっているうしろめたさがあった。


「いいもん売ってたんだ」

ジャックは首に下げた金袋から、クルミほどの大きさの一粒の豆だした。

「異国のすごい植物の種だって。スゲーだろ?」

絶対オリビエが喜ぶと思ったんだ、とジャックは鼻高々にいった。

「は?まさか、金払ったのかこれに?」

「おう!剣とあり金全部でやっと手に入れたんだ!商人の先祖が巨人から手にいれたらしいぜ!」

怪しい行商人から、とびきり珍しいものだと言われて買ったのだという。

「おまえは……」

どうみてもそれは干からびた大きめのソラマメでしかない。

騙されたんだ。

相棒と呼んでいた剣まで、こんなマメひとつと交換するなんてじつに愚かだ。

けれど私はその言葉をのみこんだ。

ジャックは買った豆を私の掌に握らせた。

掌の硬い力強い手はただただ優しい。

異国の珍しいもので巨人とつけば、私が喜ぶと思ったのだ。

毎日大切そうに手入れしていた剣を、私のために失ってしまった。


ありがとう、なんて言えない。

かわりに、「馬鹿だろ」とだけ小さく呟いた。

こんなものを貰っても困るだけだ。

それでも、私は豆を握りしめていた。

ジャックは嬉しそうに頷いて、厨房へ向かった。

後悔なんて微塵もない大きな背中に私は唇を噛んだ。



それからしばらくタイルの判読を続けようとしたけれど、ぜんぜん集中できない。

もう寝てしまおう。

私の寝床は暖炉に近いベッドだ。

寝室をわけるのは薪の無駄だ。

ジャックも自分の寝床を運んできて、そこに古びた毛布を集めて眠っている。


ベッドに入る前に、私は裏のドアから身を乗り出し、さっきの豆を投げ捨てた。

ジャックの馬鹿な買い物を笑い飛ばせなかった自分に腹が立っていた。

こんなものうっかりもっていたら、調子は狂ったままだ。

枯れた豆はどこかに落ち、みえなくなった。


次の瞬間、何かが立ちあがった。

西に消えようとしていた細い月に届くほどの大きなものが、真っすぐ夜空へ伸びている。

「なんだ?これは?」

そういいながらも、答えはわかっている。

豆の木だ。

投げ捨てた豆のせいか?

はたして、どこまで伸びているのか。

『巨人から手に入れたそうだ』

まさか、本当なのか?



「いってみよう」


しばらくぼんやりと見つめていた私は、躊躇いなく豆の木に手をかけた。

雲のなかに島があって、天空の巨人が住むという。

その伝説は私の探す失われた巨人文明とも関連があるはずだ。

万一存在を確認できれば大発見だ。

それに、きっとこれは夢だ。

高揚しつつも冷静な部分がそう囁いていた。


木登りなんて経験はないが、葉や蔓のおかげで手足をかけるところはたくさんある。

不思議なことに揺れもしないどころか、取りついている私も風を感じない。

なにか不思議な力が働いているようだ。

私はぶるりと身震いし、気を引き締めた。

それでも引き返すことは考えられない。


そうしてどんどん登っていくと、周りは明るくなってくる。

夜が明けたのか?

頭上には白く光る雲が見えた。

豆の木はその雲にあいた穴へと続いている。


こつん。


雲に触れると硬い音がした。

「雲は靄みたいなもののはずだが」

色こそ白いものの、鉄や石みたいに硬くてつるつるしている。

「まあ、夢だからな」

私は狭いトンネルを登った。

トンネルを抜けると、そこはごく普通の土の地面があった。

そして豆の木は背丈ほどの先を穴からだして行き止まりだ。

遠目でみれば普通に生えているようにしかみえないだろう。

そこは原っぱのような場所だった。

遠くには野原とその向こうに青々とした大きな森が見える。

太陽の光が降り注いでいる。

春先のような明るい陽射しだった。

私は今の場所を忘れないように見回してから、歩き始めた。


澄んだ水の流れる小川がある。

色とりどりの花も咲いている。

「大きすぎる」

そう、なにもかもが大きい。

スミレみたいな花は私の頭の倍はある。

幸い、今のところ凶暴な生き物にはであっていない。

用心深くすすみながらも、私は準備不足を痛感していた。

こんな未知の場所で武器もないとは、心細い。

ジャックを起こしてついてきてもらえばよかった。

あいつがいたら心強いのに、という思い付きを頭を振って払う。

返せるものもないのに当たり前みたいに頼りにするのは、よくないことだった。


「森はやめておこう」

森を右手にみながら野原を進んで行くと、立派な屋敷がみえた。

武器が手に入るかもしれない。


それに、巨人がいるかもしれない。


私はそこを目指すことにした。



***ジャック***


「へっくしょん!」

冷たい隙間風と自分のくしゃみで目が覚めた。

暖炉はまだ残り火で暖かい。

外はまだ夜、そしてオリビエがいない。

オレは寝床を抜け出して、探しに出た。

消えかけの細い月を遮るように、高く高くそびえるなにか。


駆け寄るとそれは冬には不似合いなつやつやした緑色をしていた。

丈夫そうな太い幹からひょろりと蔓やら葉っぱやらが生えている。

「すげえ」

オリビエにやった豆だ。

きっと朝を待ちきれずに植えたのだ。

行くなら呼んでくれればいいのに。

まだ上にいるに違いない。

オレは急いで登り始めた。



***オリビエ***


屋敷に近づいたが窓は高くのぞき込むことはできない。

ぎいと音を立てて扉が開く。

私はすぐ側の丸く刈り込まれた植木の影に入った。

「でかけてくるわね、あなたァ」

その太った大女が人間ではないのは一目瞭然だった。

顔の真ん中には一つだけ大きな目がある。

その体の大きいこと、決して小柄ではない私も女の膝ぐらいだ。

大人と赤ん坊ほどの違いだった。

異国風の布のたっぷりした服装で堂々と歩く姿は小山のようだ。

「さあさあ、お昼はなんにしようかねぇ」

歌うように独り言をいいながら、大きな籠を下げてどすどすと音を立てて出かけていく。

昼食の食材を探しに行くのか。

どこかに店があるんだろうか。

私は息をひそめて、大女が通り過ぎるのを待った。

小さいが煮込み料理にちょうどいいと思われては、困る。

たとえ夢だとしても、食われるのはごめんだ。


ゆっくりと閉まろうとしている扉の隙間に私は飛び込んだ。


この屋敷にはあの女があなたと言っていた男がいるんだろう。

大きいと見えた屋敷だが、体の大きさを考えると小ぢんまりしているといってもいい。

使用人はいないようだ。

扉に鍵もない。

そっとすすんでいくと調理場があった。

料理包丁を見つけたが、私の身長ほどの長さのうえ刃は斧のように厚く重い。

持ち歩くことはできそうにない。

しかたなく料理用の金串をとる。

攻撃力は心もとないが、ちくりと刺すことはできるだろう。

「どこを探そうか」

さっきから妙な音が聞こえている。

調理場の先にある広い部屋からだ。


大きな安楽椅子に座っていびきをかいているのは、これまた山のような巨人だった。

やはり目はひとつきりだ。

細かい模様の絨毯のうえに、何のかわからない毛皮が敷かれている。

私は興奮に胸が高鳴っていた。

想像だと思われていたディセロウスの記述、巨人や奇妙な生き物のでてくる旅行記の古典、あれは事実だった。

火の入っていない暖炉のうえにはいかにも珍しそうなものが飾られている。

あれも欲しい、これも見たい。

たくさんの飾り棚を下から見上げていると、扉のほうで大きな声がした。

「あなたァ、大変よ!すごいの!」

出かけたばかりのはずの女の声だ。

男のいびきがやむ。

私は金串を放り出し、空の花瓶に飛び込んだ。


「みて、この子!こんなに小さいのに大人なんですって!」

耳をそばだてていた私は嫌な予感がした。

「おう、まあな」

場違いに得意げな聞き覚えのある声がする。


(やっぱりジャックだ)


「だが、赤ん坊みたいに小さいぞ。そいつは。話に聞く人間なんじゃないのか?」

「やめてよ。人間は強欲で同族殺しをするんでしょ。こんなふうに仲良く話せないわ」

女は興奮した口調で話す。

森に果物をとりにいくと、声が聞こえたのだと。

「おりびえー、おりびえーってね」

警戒もせずに呼び歩く姿は容易に想像できた。

(ばか!)


「仲間を探してるって言ってんだろ」

「おまえみたいに小さいんだろう?森のネズミに食われたんじゃないか」

(どうやら森を避けたのは正解だったようだ)


「はぁ?小さくねえし!てめぇらがでかすぎなんだ」

「まあまあ、このあたりには私たちしか住んでいないよ。ここでまってれば訪ねてくるさ」

(……もういる)


だけどここでノコノコと花瓶から出ていく気にはなれない。

天空の巨人は人食いと書かれていた。

(ジャックに危険を伝えないと)

私はもどかしい思いで三人の声を聴いていた。

どうせ夢だろうなんて余裕はもうなくなっていた。


「ほら、あれがあったろ。カリッと揚げたアレ。ワインにあう」

「ああ!でもこの子は小さいし、酒はダメ。チーズにしなさいな」

「ガキじゃねえよ!でも、うまいなこれ」

人食い巨人と同族殺しの人間なのに、なんだか和気あいあいとしている。

ジャックはチーズの欠片をもらって食べているようだ。

カリッと揚げて喰われるかもしれないのに、のんきなものだ。


私はそっと花瓶から頭をのぞかせた。

ごうごうと燃え盛る暖炉。

ワイングラスを持った安楽椅子の巨人の男、テーブルのそばの椅子に座った小山のような女。

そしてテーブルの上で行儀悪くあぐらをかいたジャックの後ろ姿。

ぽやぽやした金髪が暖炉の火に照らされている。


「それで、そのオリビエってのはなぜここに来てるんだ?」

「オレが贈ったタネを喜んで育ててくれたんだ」

(育ててない。投げ捨てたら勝手に生えたんだ)

「ここまで来れるようなタネ、よく手に入ったわねえ」

「ああ、高かったけどな。オリビエはあんたみたいなでかいのが好きなんだ」

ジャックは誇らしげに答えた。

「まあ嬉しい。だけど私には夫がいるのごめんねえ」

(そういう意味じゃない)

名誉にかけて叫びたかったが、私は隠れていることしかできなかった。

あれほど巨人族に執着してしいたのに、情けないことだった。

(ちがう。ジャックが怖いもの知らずなんだ)


「貢げばいいってもんじゃないぞ、若いの」

面白そうな巨人の声に空気がびりびりと震える。

「そんなんじゃねーよ」

「おやおや、片思いなのかい」

「そんなじゃねぇよ。オリビエは男だ。誰にも認められなくてもひとりで頑張っているのを尊敬っていうか」

「で、あたしとどっちが美人?」

「オリビエに決まってるだろ!」

むきになるジャックを、一つ目夫婦が揶揄っている。

人付き合いの壊滅的な私と、異形とさえ親しくなれるジャックはまさに正反対だった。


私は花瓶の中でうなだれていた。

ジャックが私のことを不当に高く評価していることは気づいていた。

だけど、賢いとか頑張っているとか見当違いに褒められたり、それを他人に冷やかされているのはいたたまれない。

さっきとは別の意味で、ぜったい見つかりたくないと私は膝を抱えた。


「いいものをみせてやろう、若いの」

酔いの回った巨人が機嫌よく言った。

ギシギシと椅子を軋ませて立ち上がる。

巨人の姿が花瓶の口から見えて私はごくりと唾を飲んだ。

ゴトンゴトンと重い音がします。

「値打ちものだぞ。ミスリルの板だ」

「へえ」

「分けてやろう。甲斐性のあるところをみせれば惚れるかもしれないぞ」

私は思わず花瓶の中か飛び出しそうになった。

言い伝えに名前だけが残る伝説の金属だった。

それ自体への興味もあり、売れば一生分の発掘費用は安泰だ。

「こんなピカピカしているだけの板じゃあ、オリビエは喜ばない」

ジャックはきっぱり断ってしまった。

(喜ぶにきまってるだろ!)

「オリビエは珍しい模様の描かれた木片とか、タイルを喜ぶんだ」

(ミスリルを売ればいくらでも買えるんだ!それが!)

「変わった子だねぇ、でも欲のないいい子じゃないか」

大女が感心したようにいう。

(もう30近いんだ、いい子は勘弁してくれ)


誤解だといいたいけれど、人食い巨人の前に飛び出す勇気はない。

不法侵入と盗み聞きがバレたらカラッと揚げたワインのつまみにされてしまうかもしれない。


「ふむ。珍しいものがいいのか?なら、にわとりはどうだ?」

「にわとり?」

「そうだ、金の卵を産むめんどりだぞ」

「それは中身まで全部金なのか?」

「ああ、もちろんだ」

(欲しい!)

「いらねェ。オリビエは茹でた卵を煮たのが好きなんだ。白身も黄身もないんじゃ食えねェ」

(断るなー!!)

私は怒鳴りつけたいのを耐え、髪をかきむしった。

「オリビエはさ、美味いとちょっと目を細めてこっそり喜ぶんだ」

そんなこと自分ではわからない。

母親でも知らないだろう。

だけど、ジャックが嘘をつく理由もない。

ばあやは気づいていただろうか。


「あははは、そうだね。せいぜい煮卵を作っておやり」

「おう」

「貧乏もまた楽しだ、若いの」

「寒いところで飯も食わずに読んだり書いたりしててさ、放っておけねェだろ」


私はがっくりとうなだれた。

もう何も聞きたくなかった。

手に入らない宝の話と痛々しい自慢話を聞かされて、すごくつらい。

(もう、はやく終わってくれ)

そんな願いもむなしく、三人は楽しく食べたり飲んだりしゃべったりを続けている。



やがて、 大きないびきがふたつ。

小さないびきがひとつ。

頭を出して、みんな酔いつぶれているのを確認し、私はやっと花瓶をでた。

そしてテーブルからおりて床に転がっているジャックを蹴飛ばす。

「あっ、おりび」

大声をだす口を片手で抑えて言った。

「声をだすな、逃げるぞ」

眠気の吹き飛んだ顔でジャックはなんどもうなずいた。


「なあ、オレこのでかい夫婦になにか礼がしたいんだ」

「飯と酒の礼か」

「それもあるけど、いろいろ話を聞いてもらって助けてくれようとしたんだ」

(素直に助けられれば大儲けだったのに)

そう思ったけれど、むず痒くなるような話を聞いていたことは言いたくないので黙って頷いた。

だが礼と言ってもなにも持っていない。

私は上着とベストを脱いだ。

「オリビエ?」

上着はもうボロだが、ベストはばあやが用意してくれた上等の品でまだきれいだ。

一見黒一色だが光沢のある刺繍が複雑な模様を描いている。

「人形の服ぐらいにはなるだろ」

この家に人形があるかどうかはしらないけれど。

小さな服というのは面白いはずだ。

シャツの上に上着を着なおしながら答えると、ジャックがぱっと顔を輝かせた。

「よせ。お前の服じゃあ、雑巾にもならない」


「ありがとな、オリビエ」

「べつに。ゴミと間違えて捨てられるかもしれないがな」

そんなことを言いながら、私たちは屋敷を抜け出した。


すごい体験だった。

宝物もあったのに、ジャックは断ってしまった。

だけど、もう不思議と怒りはない。

生活力がなくてほうっておけないと思われていることに腹をたてるべきなのに、くすぐったいだけだ。

「まあ、第一どれもこれも大きすぎて重すぎる」

ネズミに食われるのにニワトリの世話なんてできっこない。

だから惜しくない。

私は自分への言い訳のように言った。

「なにが?」

嬉しそうに隣を歩くジャックが尋ねた。

「ちょうどいい土産がないってことだ」

「ああ。やっぱり自分で選んだものがいいよな」

私は黙っていた。

人に選んでもらうのも悪くはない。

自分では思いつかないようなものもある。

たとえば、巨人の国へ行くタネとか。

そんなことを心の中で考えていると、ジャックが言葉を継いだ。


「でもまた、オリビエがびっくりするようなものを贈る」

ジャックが笑みを含んだ青い瞳を向けたので、私は溜息をついた。

「もうもらった。巨人をこの目で見られるなんて思わなかった」

正直に言うと、ジャックはぱっと顔を輝かせた。

「えっ、じゃあ」

ジャックが勢い込んで口を開いたが、私は別のことに気づいた。

地面に突き出した豆の木が茶色くしおれている。

どうみても枯れてる。



「まずい、急げ!」

全速力の私にあわせてゆっくり走るジャックに苛立つ。

「先に行け!」

そう怒鳴ると、ジャックは私の手を握った。

置いて行く気はないのだとしめすように。

それ以上声を張り上げる余裕もなく私は懸命に走った。


豆の木は茶色くなり、カサカサと頼りない音を立てている。

どうしよう。

いろんな可能性が脳内をまわる。

ここに取り残されてもすぐには命の危険はない。

だけどここで一生を過ごすのはごめんだ。

夢かもしれない。

でも夢じゃなかったら?

「先に降りてくれ」

降りるのはジャックのほうが早いとお互いわかっていた。

水分を失った葉がもろく崩れていく。

なんとか幹は持ちこたえていて、ひとりなら支えられそうだ。

もうひとりを支え切れるだろうか。

ジャックの姿が見えなくなるぐらい距離をあけて、私はなるべく揺らさないよう幹に取りついた。


そっとそっと降りていく。

汗が目に入るが、拭う余裕もない。

時折ぐらぐらと振動が伝わるたびに、幹が折れたのかと身が縮む。

そして、それは突然だった。

しがみつく脚の間の幹が静かに砕けた。

バランスを崩した私はとっさにまだ崩れていない幹へと手を伸ばそうとして、やめた。

ここで乱暴にしがみついたら、もうこの木はもたないだろう。

そうなればジャックも巻き添えだ。

私は枯れた葉を突き破りながら落ちていった。


ジャックが上から落ちてくる私に気づいて必死で手を伸ばす。

「離せ!」

「離すか!」

豆の幹はジャックの下でもぽっきり折れた。

私とそれを必死で抱きしめるジャックは真っ逆さまに落ちていく。

雲に届くようなものすごい高さからだ。

地面に激突して砕けて死ぬだろう。

硬い筋肉に顔をぎゅうぎゅう押し付けられて、息もしにくいほどだ。

ジャックは少しでもかばおうとするように私の頭を胸に抱え込んでいる。

数秒か数十秒なのに、永遠のように感じる。

叩きつけられる恐怖よりジャックへの申し訳なさが先にたった。

彼はもっと有意義な人生があったはずだ。

世捨て人みたいな変人の面倒をみるよりマシな人生が。


もっと優しくすればよかった。

その気遣いが嬉しかったのに、まともに礼も言わなかった。

私は、本当に愚かで傲慢だ。

滲んだ涙は強風に消えた。



ふっと空気が変わった。

そしてドスンと地面に落ちた。

衝撃はあったけれど、ベッドから落ちた程度だ。

ジャックを下敷きにした私は怪我一つない。

私はあわてて起き上がり、ジャックを見下ろした。

最後まで私を抱えこんだまま、頭から落ちたのだ。

「ジャック!」

気を失っているけれど、特に苦しそうではない。

気持よく眠っているようにみえる。

私はほっとした。

気が抜けると同時に、急に寒さを感じて身を震わせた。

「起きろ、ジャック。こんなところで寝ていたら凍死するぞ」

ジャックはうーんと呻きながら背中を丸めるだけだった。

豆の木は欠片もなく、すべては夢だったかのようだ。



必死に屋内に引っ張り込んだものの、ベッドに乗せることはできず、そのまま毛布を掛けた。

冷たく澄んだ冬空は青く晴れわたり、眩しい朝日が差し込んでいた。

「そういえば、巨人の国は昼間だった」

それに春のように暖かかった。

雲の上にある国というより、もうべつの世界なのかもしれない。

生きて戻れたのは幸運だった。

夢だったのかとも思ったけれど、着ていたはずのベストは無くなっていた。


「ジャックのおかげだ」


いつもジャックがしていたように厨房に行き、鍋に湯を沸かす。

そこに干し肉とパンをいれる。

干し肉は硬いままで、パンはドロドロに溶けた。

ひどい見た目だった。

「食べられるものしか使っていないんだ。問題ない」

そうつぶやいた声は我ながら不安げだ。

ジャックもそう思ってくれればいいんだけれど。


私は仰向けで毛布に埋もれているジャックのひたいに手を当てた。

熱は上がっていない。

呼吸は穏やかだ。

「なら、どうして起きないんだ」

自分でも驚くほど、力のない声だった。

いつの間にか、外はすっかり暮れていた。

ランプに照らされた顔はただ眠っているだけに見える。


ひとりで先に食べたパンがゆらしきものは不味かった。

収集品の分析もする気になれず、私はジャックの寝顔を覗き込んでいた。

ぴくりと眉が動いた。

息をつめて見守っていると、ゆっくりと瞼が上がった。

思わず笑みがこぼれる。


「やっと起きたのか、まったく世話が焼ける。重かったんだぞ」

涙の出そうな安堵を誤魔化して、ぶっきらぼうに告げた。


一生をかけるはずだった夢があっさりかなってしまった。

相対する勇気のない自分の情けなさも。

私はこれからなにをすればいいんだろうか。



***ジャック***


あれ?オレは?

瞼が重い。

目を閉じたまま、ぼんやりとした頭で考える。


オリビエを追いかけて木に登ったこと。

巨人の夫婦に気に入られて食べたり飲んだりしたこと。

高価で珍しい宝をくれるというのを断ったこと。

オリビエが迎えに来てくれたこと。

そして、登ってきた木が枯れていて、オリビエと一緒に落ちたこと。


死んだのか?オリビエは?


ぱっと目を開けると、オリビエが覗き込んでいた。

伸ばしっぱなしの髪は後ろに束ねられ、賢そうな額と美しい琥珀色の瞳が見えた。

「やっと起きたのか、まったく世話が焼ける。重かったんだぞ」

体を起こすと、見覚えのある毛布がばさばさと落ちた。

どこも痛くもなんともない。

雲に届くような高さから落ちて平気なはずがない。

「夢か?」

いや、もしかしてもう死んでるのか?


「えーと、オレ死んだっけ?」

恐る恐る尋ねると、オリビエは少しだけ目を細めた。

オレはまた驚いた。

本当にうれしいときの、めったにみられない、その表情だった。

「なあ、これってやっぱり夢か?」

「さっきからおかしいぞ、寝ぼけてるのか」

「だって」

オリビエがオレを見て嬉しそうって夢みたいだろ、というのは悲しい。

オレはもう一つの理由を口にした。

「豆の木が折れておっこちたよな?」

「へえ」

「いっしょに巨人の国にいったよな?」

「さあ」

「豆から芽が出て」

「冬に?」

オレは混乱した。。

舌には巨人夫婦と飲みすぎた酒の味が残っている。

落ちるオリビエに必死で手を伸ばした感触も、夢とはおもえない。

だけど、あれが本当だったという証もない。

こんなことなら、金の鶏でも勝手に鳴るハープでも貰ってくればよかった。

「面白い夢をみたんだな」

「夢か」

オリビエが夢だというのならそうなのか?

狐につままれた気分で、オレは頷いた。


オリビエが作ったというパンがゆはやたら不味かった。



オリビエは変わった。

たまにだけど髪も洗うし、毎日きちんと梳かす。

今まで見向きもしなかった食料の買い出しにもついてくる。

オリビエはオレに預けっぱなしだった資金を自分で管理すると言った。

そして、未払い分の給料だと大半を渡してきた。

「いくらなんでも多すぎる」

「なら新しい剣を買ってくれ。護衛が丸腰じゃあ安心して歩けない」


そしてまだ金に余裕があることを確認して、仕立て屋へ行こうと言い出した。

オレは耳を疑った。

今までだったら、服を買うぐらいなら次の発掘調査に回すと言っただろうに。

「どうしたんだ?」

あんなに巨人のことを調べるのに必死だったのに。

「私だって成長するんだ」

オリビエはそういって胸を張ったが、オレはさびしかった。

あのがむしゃらな情熱はもう失われたのだろうか。


移民としてこの国に来て、親と死に別れた。

同情したばあやさんの口利きで庭師の下働きになれた。

オリビエは若い当主で馴れ馴れしくできる相手じゃなかった。

だけど、オレと5歳ほどしか違わないのに貴族らしく堂々と振舞う姿に憧れた。

だけど、オリビエは本当は貴族で居たかったわけじゃなかった。

ばあやさんが死んでしばらくして、爵位と領地を手放した。

使用人には退職金と紹介状を持たせた。

本当にやりたいことをするのだと、これまでの淡々とした姿が嘘のように目を輝かせていた。


オレは残った。

勝手に世話を焼かれるのをオリビエは拒まなかった。

家族みたいな気分でいた。

見返りを度外視した彼の夢を応援するのは楽しかった。


オリビエは自分のぶんだけじゃなく、オレの服も仕立てていた。

新しい靴と剣も合わせて新年の贈り物だと渡されてオレは絶句した。

「ええと、これは、クビってことか?」

動揺して訳が分からないことが口をつく。

金の計算も身の回りのことも全部自分でできるなら、オレはいらないのか?

オリビエは目をまるくした。

「なぜそうなる?今までただ働きさせてたのを反省したんだ。待遇を改善するから辞めないでほしい」

オレは安堵にへたりこんだ。


***


それから何度目かの冬だった。

オレは暖炉に薪をくべた。

オリビエは暖炉の側に持ってきた書き物机に向かっている。



オリビエは町役場で働きだした。

オレは家令兼護衛兼庭師の同居人らしい。

庭に作った畑や果樹の面倒もみるし、新しく買った馬の世話もする。

食事と掃除、洗濯なんかは通いの家政婦ふたりが手分けしている。

屋敷も庭もだいぶみられるようになった。

オリビエのコレクションは広間に丁寧に飾られ、しばしば見学者もやってくる。


もちろん役場の給与だけでは足りない。

だけどオリビエは作家としても名を上げていた。

処女作『ジャックの豆の木』を読んだとき、オレは驚き過ぎて声がかれるほど叫んだ。

「夢じゃなかったのかよ!!」

あやしい商人から豆をかった少年が、あっという間に雲に届いた木に登り巨人と出会う冒険物語だ。

なにもかもが大きな雲の上の国に、人食い巨人が住んでいる。

恐ろしい巨人にも物おじせず人懐っこく話しかけ、すっかり仲良くなった少年は高価なお土産を断わってご馳走のお礼にベストを置いて帰るのだ。


オリビエが巨人族の研究者として(変人として)知られていたことや、やけに詳細な描写もあって、実話なのかという問い合わせもある。

うちまで見学にやってくるのは特に熱心なファンだ。



オリビエがペンを置いて伸びをした。

「そろそろ休憩したらどうだ?」

「でも海中の国でジャックがピンチなんだ」

大真面目に答えるオリビエに苦笑する。

せめて名前を変えてくれればよかったのに、褐色の肌で金髪だから見学に来たファンは大興奮だ。

実話ではないと言い切れないのが悩ましい。


あれ以来あの商人には会えていない。

もしまた巨人の夫婦にあえたら、おかげで楽しく暮らしていると伝えたい。

オリビエの書いた、あんたたちのでてくる話が人間のあいだで大人気なんだぞと。


「今年もよろしく、オリビエ」

「私のほうこそよろしく頼む」


オレたちは新年のご馳走を前に、ワインで乾杯した。

来年もその次も、こんなふうにすごせればいいと思う。


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