第10話 C 後悔と贖いの親ガチャ
「う……うう……」
燃え盛る炎の中、嗚咽を洩らしながら重機の山を押し上げて立ち上がるシルエット。
その人影は消防隊員の「君!? 大丈夫か!?」という問いに、「大丈夫です。逃げ遅れた人はいません」と答え、植え込みに突き刺さったスマホを手に取る。
唖然とする人々を尻目に、サイバーグラスを外し、目元を腕で拭う。
「希海!? 大丈夫なの!?」
「ああ……。みっともないよな……」
「いやみっともないというか……。どっちかっていうと見苦しいっていうか……」
「ああ……ごめん」
希海はボロ布になったYシャツを腰に巻き、むき出しになっていた下半身を隠す。
「どうしたの希海……? そんなに痛かったの?」
「いや、それは大したことなかったんだけど……あの子……母親を恨んでなんかいない……」
「どういうこと!?」
「見ればきっと分かる。美来。あの女の人を追うぞ……! どさくさに紛れて逃げ出してる!」
希海が指さす先、高速で走り去っていく車が見えた。
希海は最寄りのスポーツショップで買ったジャージに着替え、美来がピンを指した女のスマホをサイバーグラスで捉えると、追跡を開始する。
「希海! あの車高速に乗ってる! 行先は……はぁ!? 神ヶ崎!? ていうかヤバい! あの人……自殺スポットとか検索してる!!」
「くっ……距離がなかなか縮められない!」
「高速道路走れば!?」
「ダメだ! 高速道路は自動車専用道路だ! 生身で走ってはいけない!」
交通ルールを順守しながら、道路を挟むように建つビル群の間を飛び渡る希海。
眼下に見える車は、どんどん加速し、明らかに速度超過だ。
しかし、検索内容を見るに、そんなことなど、もうどうでもいいことなのだろう。
女の車の後ろから、黄色い生物と赤子の霊が乗った電気自動車が追いかけていく。
おそらくどこかのディーラーに置かれていたものを操っているのだ。
その証拠に、「無人の試乗車が暴走、行方不明」というニュースが電脳を流れている。
だが、電気自動車は加速力こそ素晴らしいものの、馬力の頭打ちは早い。
やや型落ちながらも、大排気量エンジンを搭載した女の車の方が、優速を維持している。
その2台のカーチェイスは、つかず離れずのまま、小一時間続いた。
そしてとうとう、女の車は神ヶ崎へ至る最寄りの降り口に差し掛かってしまう。
「希海! 料金所のバーを止めるから、その隙に女の人の車を止めて!」
「了解!」
スパークフォームを纏った美来が、サイバーショットで料金所のシステムを一時的に麻痺させる。
だが、女は迷わずアクセルを踏み抜き、バーをへし折って一般道へ降りてきた。
そして、混乱する料金所を、電気自動車が高速で通過していく。
どうやらセーフティシステムは切られているようだ。
女の車、電気自動車、そして希海の順で海沿いの道を走り抜けていく。
街のように、飛び渡れる構造物がない分だけ、希海は不利だ。
「見えた! あの断崖がナビの行先になってる!」
「いかにも自殺の名所って感じのロケーションじゃないか! よし……ここは先回りするしかないな!!」
「えっ!? 近道ってまさかっ!?」
湾状になった海岸線を挟んで伸びる小規模な半島。
それこそが、女の目的地、神ヶ崎であった。
希海はその地形を見て、奇策を講じた。
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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地元の高校で幅を利かせていた不良グループのリーダー格。
そして、リーダーのオンナとして、高校の女子カーストトップにいたのが、渦中の女であった。
地元では知らぬものはいなかったし、文字通り負け知らずだった。
だが、周りの皆が大学進学や就職を始めたあたりから、歯車が狂い始めた。
リーダー格の青年は、ビッグになると嘯き上京、無論、自分も両親の反対を無視して、都会へと上ってきた。
きっと、そこではこれまで以上のサクセスストーリーが待っていると、自分も、彼も信じて疑わなかった。
しかし、現実は甘くはなかった。
地元では間違いなく敵なしだった彼も、都会の悪人たちの前では木っ端もいいところだった。
危険ドラッグの売人としてこき使われる彼と、それを支えるため、風俗店で働く自分。
自分が子供を授かったときには、既に青年の心は荒みきり、「金がかかる」「堕ろせ」「邪魔になる」等と、散々に罵られた。
そして、激しい口論の末、飛び出していった彼は、そのまま、敵対する組織との抗争に巻き込まれ、あえなく帰らぬ人となった。
その死によって、公安に踏み込まれた組織は両陣営とも壊滅した。
恋人も、働き口も失った自分は、ようやく入居できた公営住宅で独り出産。
ほんのひと時の安寧を得られたが、子育ては、一人で出来るものではなかった。
僅かな金にしかならない内職をしつつ、食費も、水道電気も、睡眠時間も切り詰め、貯金を切り崩して生きていたが、ある激しい雷雨の日、いつまでも泣き止まない赤ちゃんに思わず手を上げ……。
最後に残った恋人の車で、深夜のロータリーに赴き、赤ちゃんの亡骸をコインロッカーに収め、私は車内に残っていた彼の商品に手を付けた……。
「私は……私は何も悪くない!! 悪いのは……あいつと……こんな世の中なんだ!!!」
私は絶景の名所とされる観光地の駐車場を踏み越え、逃げ惑う観光客を横目に見ながら、岬の突端へと車を走らせる。
そして、ついにその先の断崖が見えた時、ほんの一瞬、我が子の顔が脳裏をよぎった。
「待てえええええええええ!!」
次の瞬間、私は激しい衝撃に見舞われた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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「間に合ったか!!」
断崖寸前。
崖の下から飛び上がってきた希海は、女の車を受け止めることに成功した。
そう。
彼は湾内を泳ぎ、最短距離でここまで辿り着いていたのだ。
エアバッグに顔を打ち付け、うめき声を上げている女を車外へ出し、傷の確認をする希海。
幸いにも、胸を打った程度で済んだようだった。
「ゲホッ……エホッ……何を……何をして……!」
「それはこっちのセリフだ! 自らの子を殺め、明らかに合法ではない薬物に酔い、高速道路では速度超過、一般道ではそれ以上の速度超過だ! 危険運転極まりない! 一体何がしたいんだ!」
「殺した……あの子が私を殺そうと追いかけてくるの……もうどうやっても逃げられやしないのに……! もう……死ぬしかないのに!!」
「違う!!!」
尚も這って崖へ向かおうとする女に、希海が叫ぶ。
滴る海水か、涙か分からないくらい、彼の顔はびしょびしょのグシャグシャだ。
そこへ、本来ならバッテリーが切れているレベルの高速かつ長時間運転を乗り越えた電気自動車が滑り込んできたかと思うと、モーター部から火柱を上げて燃え上がった。
黄色い生き物から供給される過剰な電力に晒され続けていたのだ。
無理もない。
「いやああああああ!! 来る! 殺しに……!!」
燃え上がった車内から飛び出した黄色い生物。
そして、その上に乗った赤子の幽霊。
幽霊はキラキラとした光の粒子を振りまきながら、ヨチヨチと女のもとへ這ってくる。
恐怖に慄く女。
やがて、その霊は、女の胸元まで這いあがると、そっとその頭を、彼女の胸に埋めた。
困惑する女に、希海が嗚咽交じりに語り出す。
「その子は……最後にもう一回……アンタに抱きしめてもらいたかったんだ……。暗いロッカーの中で……アンタが抱き上げに来てくれるのをずっと待ってたから……」
「え……!」
目を見開く女。
焦点の定まっていなかった目に、僅かな光が宿る。
「それを不憫に思った者が、この子の魂をロッカーから連れ出したんだ……。そして、その後、この子はずっと大好きなお母さんを追いかけ続けた……。魂が現世から離れる前に、会いたかったんだよ……」
『マ……マ……』
キラキラと光る粒子になって、足から消えゆく赤子の霊。
その顔は、怒りでも、悲しみでもなく、笑っていた。
いつか、初めて目を開けたその子が、母の顔を見て笑ったのと同じように……。
「あ……あぁ……あああああああ!! ごめんね!! ごめんねええええ!!」
強くその体を抱きしめる女。
不思議なことに、その一瞬だけは、赤子の霊体と女の肌は、間違いなく触れ合っていた。
やがて、安堵の表情を浮かべた霊は、ゆっくりと消えていく。
「ああああ……!! 嫌!! 行かないで……!! 私が間違ってたから!! もう……あんなことしないから!!!」
『マ……マ……』
そして霊は、安らかに、天へと召されていった。
放心状態で天を仰ぐ女。
「あの子は、母親の死を、望んでなんかいない」
希海は女を抱き起すと、美来に警察と救急に連絡するように促した。
ほどなくして、数台のサイレンが、鳴り響いた。
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「あんなロクデナシでも、あの子からすればいつでも傍にいてくれて、守ってくれる大好きなお母さんだった。ってわけか……。悲しい事件だった……」
「希海が覗き見た警察の人の調査書類データが本当なら、あの女の人も結構辛い境遇だったんだね……」
「だな。まあ本人が選んだ道だから情状酌量とはいかないが……。せめて親なり友人なり支援団体なり、誰かに助けを求めることが出来たら、赤ちゃんの顛末も違ったかもな……」
「あの赤ちゃん、もしかしたらお母さんを守ろうとして、警察の人失神させたのかもね」
「ああ……それに多分、アイツが母親の炎上を妨げてたのは、赤ちゃんの願いを叶えようとしてたんだろうな……」
全てが終わり、夕日に照らされる断崖に倒れ伏す黄色い生き物を見つめて希海が言う。
「やっぱり……悪い存在じゃないのかも」
「俺ひき殺そうとしてきたけどな……。円滑な意思疎通をしたり、身柄を確保するような手段があれば、共存出来なくもないと思うんだけど」
希海は、サイバーグラスに映るその生物に手を触れてみるが、やはり、何の感触もない。
美来からも、情報の塊がうっすら見える程度らしい。
2人はスマホをかざしてみたり、写真を撮ってみたりするが、触れることも、姿を捉えることも出来なかった。
そして、その異変は突然起きた。
「ウ……ウボェェェェェ!!!」
大口を開けたその生き物から、どす黒い濁流が吐き出されたのだ。
その濁流は現実世界と電脳世界の垣根を通過し、電脳世界側へ流れ込んでいく。
観光地に設置された数少ない電子機器である、音声案内掲示板の電脳へ移動したそれは、徐々に、人型を形成していく。
同時に、美来が怒声を上げた。
『サイバー・サンダー!!!』
『アアアアアアアア!!』
誕生間もないバズラスは、美来の咄嗟の一撃により、一切の被害を出すことなく消滅した。
「ヒト……クルシメル……ヒトヲ……。ネット……ヒトヲ……キズツケル……」
獣の威嚇音のような声を上げ、黄色い生き物が立ち上がる。
その顔は、激しい怒りに歪んでいた。
「おいおい……嘘だろ……」
唖然とする希海。
それに応えるように、生き物は吠えた。
「ダイジナヒト……ネット……キズツケル……!! ニンゲン……ネット……ツカワナイ!!!」
直後、ほんの一瞬、辺り一帯の通信がダウンした。
黄色い生物は苦悶の表情を浮かべつつ、街の方へと転がっていった。





