第7話 B フェイクなジャスティス!
「いや~……参っちゃったよね。お店のアカウントに大量のクレームが届いちゃってさ」
いなか蕎麦“風車”の店主は浮かない顔だ。
あの炎上から間も無く、アカウントのコメント欄がクレームで埋め尽くされ、レビューサイトやらのポイントも異様に低いものが連発されているらしい。
本人曰く、趣味の店なので損害という程でもないが、やはり悪辣な言葉を大量に送り付けられるのは堪えるという。
「どうにも蕎麦のメニューを考える気力もなくってね……。今週は休業かなぁ」
「残念ですが、仕方ないですよね……。全くろくでもない連中だ……」
「まあ希海くん。罪を憎んで人を憎まずというやつだ。彼らも日常で溜まった正義欲の発散場所を求めているんだよ。もうしばらくしたら、流石にアカウントのトップに表示してある説明文に目を通してくれる人も増えるだろうしね」
温厚な店主のこと。
この炎上沙汰においても、怒るでもなく、冷静に対処している。
ただそれとは裏腹に希海の腹の内では、店主をこのような目に遭わせる者たちへの怒りが沸々と加熱していた。
「まあ、とりあえず嫌がらせとか受けるようなら警察に早めの相談してくださいね」
希海はそう言って、蕎麦屋の暖簾をくぐった。
すると突然フラッシュのような光が照射され、希海はその向こうに二つの人影を捉える。
「あの! 蕎麦屋の店主の方ですか! 蕎麦ざるがカビてたんですか!!」
撮影用のLEDライトを煌々と光らせた配信者風のコンビが、スマホとライトを希海に向けながら、非常に不愉快なトーンでインタビューしてくる。
希海は色々と込み上げるものをグッとこらえ、「いえいえ、常連ですよ。デマで大騒ぎになって悲しいですね」と、冷静に答えた。
だが、その配信者コンビは希海が目当ての人ではないと知ると、今度は「臨時休業」の札がかかる風車の引き戸を開けようと、激しくノックを始めた。
流石にカチンと来た希海が、彼らを制止しようと手を伸ばした瞬間、あの黄色い生き物が彼の前に飛び込んできた。
驚き、手を引っ込める希海。
黄色い生き物は、サメ騒動の時よりももう一回り大きくなっており、目つきも歯並びも鋭くなっていた。
その生き物は希海を一瞥すると、配信者達目がけて大口を開け、電脳空間の情報流を急激に吸い込み始めた。
「あれ!? 配信止まってる! ちょっとアカウント消えてるんだけど何でだよ!! ふざけんなよ!!」
突然悲鳴のような声を上げる配信者。
彼のスマホが激しく明滅したかと思うと、その配信が停止し、そして、彼のアカウントやスマホ内のデータがごっそりと消滅したのだ。
その生き物に食われているかのように……。
「あいつ……やっぱりデータを食って……」
希海の眼前で、風車に降りかかる悪辣な情報が、黄色い生き物の腹の中へと消えていく。
スマホを見ると、風車のアカウントに付いていたコメントの殆どが消滅している。
配信者は首をかしげながら、小走りでどこかへ去っていった。
「君……風車を助けようとしてくれたのか! ありがとう!」
希海は触れることが出来ないことも忘れ、その生き物を抱き上げようとした。
直後、彼の全身を異様な悪寒が襲う。
「タブン……ワルイ……セイサイ……」
振り返った黄色い生物は、恐ろしい形相をして、希海を睨みつけてきた。
流石の彼も、そのあまりにも激しい重圧に、怪訝そうな顔をする。
「どうした……? 具合でも悪いのか……?」
「ワルイウワサ……セイサイ……セイサイ…………アリガトウ……アリガトウ」
そう言いながら、その生き物は苦しそうに体を揺すりながら、狭い路地裏へ転がっていった。
「あんなタチの悪い情報食って腹でも壊したのか……? なんか……悪いことしたな……」
いつか綺麗なデータを食べさせてやらないとな……と呟き、希海は美来の家へと引き返していった。
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「希海。お蕎麦屋さん大丈夫だった?」
「ああ、黄色いのが助けてくれたよ。なんか炎上してたデータを全部食い尽くしちゃってさ」
「本当!? サメの一件もそうだけど、すごいねその子。でもさ……なんかちょっと危なくない?」
美来がモニターから目線を移し、希海の方を向く。
彼は「え?」と首を傾げた。
「だって、情報を食べちゃうんでしょ? それ、悪い情報だけ食べてる分にはいいかもしれないけど、重要なデータとか食べ漁り始めたら個人も、企業も、下手したら国も大迷惑だよ?」
「……。確かに言われてみれば……」
「正直、私はバズラスに近い存在だって思ってる」
「いやそんなことは……」
「無いって言いきれる? 希海は可愛い可愛いって言ってたけど、見た目に騙されて甘い判断してない? もしかしたら凄い悪い奴かもしれないよ?」
美来の言い分は、ド正論もいいところである。
実際、以前の触手バズラスの一件では、情報の喪失で多くの企業が損失を被っている。
それに、一見意思疎通が取れそうな雰囲気こそあるものの、相手の考えが分かった試しはない。
希海は何らかの反論を考えるが、あの生物が振り返った時に見せた、睨みつけるような表情が脳裏をよぎった。
確かに、愛らしい見た目が無ければ、友好的な挙動が無ければ、怪人の一種とされても不思議ではない生態をしている。
しかし、それでも希海は信じたかった。
あの生物の行動に見えた、虐げられる者を救おうとする意志を。
「まあ私には見えないから、よく分からないけどね。それに、希海が信じるって言うのなら、私もその子を信じるよ。今のところは私たちも助けられてるし」
美来はそう言うと、二人分の麦茶を注ぎ、グッと飲み干した後、座椅子を倒してもたれかかった。
「はぁ~! なんか疲れちゃったよね。軽く寝とく? 丁度情報流も収まったことだし」
「ああ、お先にどうぞ。俺は君の後に仮眠とる」
「いや、先に希海が寝てよ。昨日から一睡もしてないじゃん」
美来はそう言って、母親が希海用に準備した敷布団を準備する。
決して広くはない美来の部屋の床を大きく占拠し、セミダブルサイズの彼の寝床が敷かれた。
どうぞどうぞと勧められるまま、希海はそこへ横になる。
レディーファーストを気取ってはいたものの、体は正直なもので、彼の意識はあっさりと夢の中へ引き込まれていった。
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『なあ、希海』
暗闇の中、希海の名を誰かが呼ぶ。
希海が振り返ると、彼より一回り小さな少年が立っていた。
金髪にピアスなどを付けた不良風な外見をしているが、その顔立ちは、希海によく似ている。
「なんだ?」
希海が応える。
その口調は、少しばかり冷たいように感じられる。
金髪の少年は、一瞬視線を下に向け、弱々しい声で話を続けた。
『人って、死んだらどうなるんだろうな』
「さあね」
『俺は……死んだらまた俺として生まれて、俺の、別の人生を歩む、みたいなのが……ロマンがあっていいと思うんだ』
「同じような人生を繰り返し続けるのは、そう面白いことじゃなさそうだけどな」
『ははは……兄貴らしいな』
「そうか?」
『俺とはやっぱり、違うんだな』
そう言うと金髪少年は寂しそうに笑い、暗い背景に溶け込むように、彼の姿がフェードアウトしていく。
(追え!!!)
突然、希海の脳内に激しい怒号が飛んだ。
(何をしてる!! 追え!! 早く!!)
その声に導かれるまま、希海は暗闇の先へとゆっくり、ゆっくりと歩み出る。
直後、視界が激しく明転し、その光の中で、力なく宙に浮く、その少年のシルエットが見えた。
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「希海!!」
彼の意識は、美来の叫びで引き戻された。
彼女は心配そうな表情で、希海の顔を除き込んでいる。
「泣いてる」
「え!? あ、マジだ。うーわ……カッコ悪い」
「大丈夫? 辛いこととかあったの?」
「いやいや。変な夢見てただけだよ。あはは……」
希海は胡麻化そうとするが、美来は至って真剣だ。
彼の頬に指を伸ばし、そこを伝っていた涙のしずくをぬぐう。
「私……希海に無理させてない? 大丈夫?」
「いや。それは全然思ってないよ」
「それなら……いいんだけど……」
美来は、一瞬俯き、「弟さんの夢……?」と弱々しく尋ねた。
希海は無言でコクンと頷き、美来は「そっか……」と、短く応え、気まずそうにPCモニタへ向き直る。
その背中は、どこか寂し気に見えた。
希海が窓の外を見ると、日は暮れ、町は逢魔が時に沈んでいる。
随分長く寝てしまったと思い、彼は目線をスマホ画面に移した。
幸い、バズラスに関わるような臨時速報はない。
やはり、あの黄色い生物がその元になりそうなデータ流を食べてくれたおかげだろうか。
もしかすると、今もあの子はこの町のどこかでバズラスの元退治をしてくれているのかもしれないな……などと、夢現のぼやけた頭で思考を巡らせる希海。
だが、けたたましいサイレンを鳴らしながら通り過ぎたパトカーに、希海の脳は完全に覚醒した。
「なんだ!?」と、二人が窓の外に身を乗り出すと、どこからともなく、人の悲鳴や、多数の怒号が聞こえてくる。
希海と美来は顔を見合わせて頷きあい、希海は窓の外へ、美来はPCモニタの中へと飛んだ。
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「君たち!! なにをしている!!」
「うるせーーーー!! こいつが! こいつが悪いんだよ!!」
「こんな悪人生かしておくわけにはいかねぇんだよ!!」
パトカーのサイレンを追い、辿り着いた神城市の繁華街。
既に現場には数台のパトカーと救急車が到着していた。
駆け付けた希海の目に、真っ先にとまったもの。
それは……。
額から血を流し、ぐったりとしている風車の店主が担架に乗せられているところであった。
運ばれる彼に、さらに追い打ちをかけようと、金属バットを持った暴漢が、救急隊員達のもとへ殴り込もうとするのを、警察官が懸命に抑えつけている。
「なんで……なんでこんな!!」
希海は事態が全く理解できない。
だが、店主を襲った暴漢たちのなかに、日中見かけた配信者二人が居るのを見つけ、この騒動があのデマ炎上と地続きであることに気がついた。
そして、彼らの目に宿る妖光にも……。
「美来……。バズラスの仕業だ……」
『希海……?』
「頼む。一刻も早くバズラスを撃破してくれ……。でないと……怪我人の1人2人では・・・・・収まらないかもしれない……」
『分かった……。私が戻るまで、絶対無茶したら駄目だからね! フォームチェンジングコール! スパーク!』
「スパークフォーム……! プットオン……!」
美来は火花を散らすスマホの中でスパークフォームを身にまとい、それが砕け散る直前に電脳世界へと飛び立った。
その視界を、茶色い影が横切る。
「スパークショット!!」
影が纏う、バズラスの気配に、すかさず電撃弾を打ち込む美来。
放たれた雷の弾丸は狙い違わず、その影に命中した。
「シッテル?」
伸縮する棒を回転させながら、電撃の炸裂を裂いて現れたのは、金の輪を頭に嵌めた金毛の猿。
西遊記の孫悟空を思わせる格好をしたそれは、牙をむきながら、如意棒を美来めがけて突き伸ばす。
「ソンゴクウノモデルハ キンシコウ!!!」
「くっ! ふぅっ! てやぁ!!」
高速で突き出される棒術を次々に躱しながら、美来は再び2撃、3撃と電撃弾を放った。
2発は回転する如意棒によって弾かれたが、その隙に背後へと回り込んだ1発が、敵の背中に命中する。
しかし、ボフン!という白煙と共に、猿の姿は消え、今度は無数の豆が独特の臭気と共に美来めがけて飛んできた。
彼女は豆の間を軽々と回避し、敵を捉えようとするが、不意に、その速度が著しく低下する。
豆の間に張り巡らされていた粘性のある糸が、彼女の体に纏わりついていたのだ。
「これ……納豆……うっ!!」
納豆のネバネバによって拘束された美来の周りに、藁の束が出現し、納豆諸共彼女を包み込んだ。
「ナットウッテ クサッテデキルカラ サイショハ トウフ ダッタンダッテ」
「サイバーサンダー!!」
電撃を放射し、サイバー藁納豆から脱出する美来。
「な……何なのこいつ!! 訳分からない!! はっ!?」
困惑する美来の視界に、今度は無数のサイバー蜂が現れた。
美来は銃撃で叩き落としにかかったが、その全てを落としきることは出来ない。
高速で走り、その攻撃を避けながら戦う美来だったが、背後から出現した蜂の新手に複数の刺突を受けてしまう。
「あっ……ぐ……あぁ!!」
全身を瞬く間に蝕むサイバー蜂毒に、もだえ苦しむ美来。
上空から巨大な爪楊枝が飛来し、彼女の四肢を的確に貫くと、電脳の地面にその体をX字の形で磔にしてしまった。
「ああああああああ!!」
毒と、体を貫く激痛に悲鳴を上げる美来。
その頭上に、タヌキの置物が姿を現した。
「ツマヨウジノアタマハ オッテ ツマヨウジオキニスルタメ」
その声と同時に、美来を拘束する爪楊枝の頭がポキポキと折れていく。
一つが額に当たり、彼女の意識が一瞬揺らぐ。
ぼやけた視界の先で、タヌキの置物が再びしゃべり始めた。
「ハチニササレタトキハ…… オシッコガキク!」
「い……嫌っ! !! あああああああああああ!!」
タヌキの置物の下腹部から放たれた液体が、美来の全身に降り注ぐ。
それは、尿などという生ぬるいものではなく、強烈なサイバー硫酸であった。
美来のスーツが、煙を立てて溶解していく。
彼女は咄嗟に希海の名前を叫びそうになったが、歯を食いしばり、その言葉を飲み込んだ。
彼も辛いことを抱えて生きている。
それに自分がもっと重荷をかけてはいけない。
その想いが、美来の体に力を蘇らせた。
「私も……! 助けられてばっかりじゃ……ないんだから!! サイバースパーク!!」
全身からあふれ出した電流が、彼女を打ち付けるサイバー硫酸を凄まじい速度で駆け上っていく。
タヌキの置物型バズラスは、それを止めようとしたが、間に合わず感電。
激しい閃光と共に火花を散らして落下していく。
「はあああああ!! サイバー……シューティング!!」
2丁銃から放たれた眩い光球が、敵を前後から挟むように誘導し、超高圧の電撃弾に挟み込まれたバズラスは、やがて「ウソダアアアアアア!!」と叫んで爆発四散した。
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「「すみませんでした!!」」
病室。
2人の青年が、地面に頭を擦りつけて土下座する。
美来が電脳世界に飛んだ後、暴徒たちは風車の店舗を破壊しようと、大挙して店の前に押し寄せた。
それを希海は小一時間にわたり、けが人の1人も出すことなく押し返しきったのであった。
そして、この土下座している2人こそ、その先頭で暴れていた配信者コンビである。
右腕を骨折した店主の見舞いに来ていた希海は、複雑な心境で彼らを見下ろしていた。
「本当に……あの店が風車さんだと思ったんです」
「それで取材してたら、突然心に歯止めが利かなくなって……」
「「すみませんでした!!」」
彼らは暴れてはいたものの、店主や店に対して直接の危害は加えていない。
しかし、だからと言って、デマをもとに人に嫌がらせじみた行為を働くのは、絶対に正義ではない。
店主はしばらく彼らを見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「許す!!!」
「えぇ!?」
希海は驚くほど間抜けな声を上げてしまった。
店主は文句の一つでも言おうとする希海を制し、続ける。
「君たちはあくまでもデマに騙され、その上で君たちなりの正義を敢行した。そして最終的に君たちは間違いを認め、反省し、謝りに来た。それを僕は悪だと言いたくはないね」
店主はそう言うと、彼らに励ましの言葉を送り、優しく彼らを帰らせた。
「人間は誰しも間違えるものさ。そこに正義の御旗があれば尚更だ。大切なのは、自分の信じた正義が嘘だったと知った時、それを否定し、反省できるかどうかだよ」
納得がいかないと食い下がる希海に、店主はそう言って笑って見せたのだった。
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「はぁ……。当分蕎麦が食えないのかぁ……」
希海は風車の出入り口に貼られた「病気療養がてら、具材を探す旅に出ます」と書かれた張り紙を見てため息をつく。
『なに落ち込んでるのよ。私の作るお蕎麦じゃ不満だっていうの?』
「不満はないけど、やっぱりちょっと次元が違うんだよここのは。生だし、何から何まで手作りだし」
『む~……』
「納得いかないなら再開したとき食ってみろって」
『で……出前があるなら』
「ないわ! それまでに引きこもり卒業しとけ!」
『できたらするよ。できたらね』
「そうやってる間に3年たつぞ……」
そんな会話をしながら歩き去る二人の背後。
風車横の路地から、件の黄色い生き物が這い出してきた。
頬はこけ、ゲッソリとした顔で、「ワルイコト コワス ニンゲン ワルイコト スル」と、どこか不穏なフレーズを吐きながら、その生き物は繁華街の方へと這って行った。





