無敵の国のマーマレード~アトランティス帝国第一皇女はマーマレード片手に客人を待つ~
無敵の国と呼ばれたアトランティス帝国。
その第一皇女であるミューズは今日も城を抜け出し、追いかけてくるメイドを声を振り切って市街地へ繰り出す。
平日の昼間だと言うのに、酒場には酔っぱらいどもが飲めよ食えよと騒いでいる。
その内のひとりが歌を歌えば、手拍子と冷やかしをいれつつ最後にはビール片手に肩を組んで歌い出す。
――――我らが故郷アトランティス。海の都アトランティス。無敵の帝国アトランティス。
「ふむ。まさに隆盛極まりアトランティスだな。さてここまでこれば、あのメイドも追っては来れぬだろう。これも民のため、市場調査というやつじゃ」
今はいないメイドに言い訳をしつつ、彼女は市場を回ることにした。
栄えあるアトランティス帝国のお膝元である市場は、海の上にあり、貿易の中心としてありとあらゆる物が集まる。
ここにないのならば、それはこの世界どこを探してもないと言わしめるほどの大市場。
アトランティスの民をはじめ、ありとあらゆる生まれの民がこの地に集う。
商人を目指す者なら誰もが憧れる場所、それがこの海上市場。
一番の特徴はやはりその形態だろう。
我がアトランティス帝国の商船を中心に、船が集まることによって市場の体をなしている。
アトランティス帝国の商船は場所を提供するため、甲板は大きく円形状をなしており、食料、雑貨、武器、宝石類など船ごとに区画が決められており、場所代は取られるが衛兵もいるため比較的安全だ。売買の中心でもある。
大きな商船は基本同じような形で回しており、それ以外にも小舟が集まってできた市場もある。
それらを全部合わせて海上市場なのだ。
移動は基本的に小舟で行う。それは皇女でも変わらない。
「出でよメレテー!!」
彼女の呼び声に呼応するように、水しぶきをあげながら小舟が彼女のもとへ馳せ参じる。
メレテーと名付けられたそれは、七歳の誕生日の時に父からミューズに与えた魔法道具で彼女も愛用している。
言葉で船を意のままに操りながら、彼女は海を駆け抜ける。
帝国船を横切り、着いた先は果物屋の看板をぶら下げた小舟。よぼよぼの老婆が店番をしていた。
「いつものを頼む。それと甘いものが欲しいから、適当に包んでくれ」
紙袋を受け取った彼女は満足げにその場を後にした。
人がごった返す海路などお構い無し、スピードをあげながら彼女は自分の城へと戻る。
「三時のおやつなのだ。門を開けろ!!」
無論、待ち伏せられた専属メイドに叱責が城内に響く。
そんな些細なことすら彼女には大切であたたかい思い出だった。
今は亡き母から教えてもらったマーマレードを作るのがミューズの習慣となっていた。
紙袋から取り出したオレンジで作ったマーマレードの瓶詰めを眺めながら、縦長テーブルにひとり、退屈で足をぶらぶらさせていた。
「客人は今日も来ないか」
彼女は自分で作ったマーマレードを食べる。
アトランティス帝国では客人にマーマレードを出す風習がある。各家庭ごとに微妙に味が違い、それは母から子へと受け継がれてきた。
それとは別に母は彼女によくマーマレードの妖精の話をする。それは母がまだ幼いときの頃、マーマレードの妖精によって命を救われたという話だ。
彼女の母は良くも悪くも純粋で人を疑わない性格に天然のゆえ、よく色んな人にからかわれていたとメイド長に聞いたことがある。
マーマレードの妖精もその悪戯の類いだろう。
けれど、もし本当にいるのだとしたら会ってみたいものだと彼女は思う。
「うむ。にがあまじゃ」
彼女は満足げに頷く。
それは間違いなく母のマーマレードの味だから。
マーマレードを平らげた彼女は食卓を後にして、自室に戻る。
天蓋付きベットが中央にあり、可愛らしい小物が棚に保管している。
彼女の趣味とは少し外れているが、案外気に入っている。母が自分のために内装から家具まで一から考えてくれた、それ以上の理由は必要ない。
うるさい家庭教師や小言の多いメイド長はいない。
特段やりたいことがないため、自室でボーッとしていると歌声が聞こえてくる。
その声は美しく聞き慣れたものだった。
「アオイデーか。ふむ、いつ聞いても良いものだな。だがラブソングだけだというのはちといただけんのう。まぁ、ないよりマシか」
メイドの歌を聞きながらミューズは眠りに落ちる。
どんなに高い山だろうと登りきった先に待ち受けるのは下り坂だ。
それは古今東西あらゆる場所で起きてきた必然。栄枯盛衰、始まりがあれば終わりがあるように誉れ高きアトランティス帝国もまたその運命から逃れることはできない。
アトランティス帝国最後の皇女ミューズ・アトランティスはその終わりを見届ける義務がある。
ただ、それだけの話。
「絶景なのだ、これがアトランティス帝国よ。お主もそう思うだろ、なぁ門番」
城壁に登り辺りを一望しながらミューズはそう言う。
紅の髪を風になびかせながら、夕焼けに染まるアトランティス帝国は美しく心打たれるものがある。
アトランティス帝国の国旗に描かれる真っ赤なドラゴンはかつてこの地を治めていた竜であり、その末裔である自分にも同じく気高き血が流れている。
赤とは言わば帝国の象徴なのだ。
故に彼女は自分の髪が好きだ。母と同じ色だから。
「それにしてもお主も無口じゃな。何度顔を合わせても『あいことばは?』とばかり。門番ゆえ不問にしているが、たまには私の協力もしていいと思うのだが。主に私が抜け出した後とか。ああ見えてアオイデーは恐ろしいのだ、代々受け継がれる専属メイドの拳骨は痛いのだ。お主はどう思う?」
隣に立っている鎧を着た門番の返事はない。
ミューズは気にした素振りを見せず、ただ雄大な海と帝国を眺める。
「本当にこのままでいいのかな……」
「あいことばは?」
相槌にしては質が悪いと思いながらミューズは高笑いする。
「あはははははは、どこまで行っても仕事熱心だなお主は。気に入ったのだ、お主のことはしかと覚えたのじゃ。忘れはせぬからな」
彼女はその場を立ち上がり、体を伸ばすと大きく息を吐く。
彼女は市場調査と称して城を抜け出すことにした。
久しぶりの市街地、今はどうなっているのか見る必要がある。そう判断したのだ。
彼女の脱出を妨げるのは専属メイドのアオイデーひとり。衛兵は居眠りでもしているのだろうか、まったく嘆かわしい限りとミューズは思う。
その髪は絹のような美しい金髪。年の頃は18で、たわわなお胸を持っている。いつもメイド服を着てて、休日があるのか心配していた時期もミューズにはあった。自分のことを妹のように大切にしてくれて、小さい頃はよく一緒に脱走してた。その記憶に偽りはない。
「サファイアのような綺麗な瞳。ブロンドの髪。黒を貴重としたメイド服。私がプレゼントした手作りのブレスレット」
アオイデーの特徴を声に出す。
目の前にいるのは自分の専属メイドであるアオイデー。そう分かるとミューズは笑みを溢して、颯爽と城を抜け出すのであった。
後ろからはいつものようにメイドの声が聞こえる。
「うむ。これでいいのだ」
市街地に出た彼女は馴染み深い酒場へと足を運ぶ。
平日だろうと休日だろうと酔っぱらいどもが集う喧しい場所だ。
父である皇帝から世間を知れという命令のとき、訪れた酒場。店長は元千人隊長として活躍した軍人で父との交流もある信頼できる人物。
お忍びの際は、一瞬で皇女だと看破されたという話もある。
店先にいても聞こえる酔っぱらいどもの歌。
ミューズが適当に歌ったのが切っ掛けで広まったアトランティス帝国の讃美歌。
――――我らが故郷アトランティス。海の都アトランティス。無敵の帝国アトランティス。
「私ながらいい歌なのだ。それにしても小汚ない店だの、名誉ある千人隊長の店とは到底思えぬ」
酒場を少し覗くと、顔馴染みであるバカ五人組が肩を組んで楽しそうに歌っているが、他の客はいないようだ。
がらーんとした店内で元千人隊長である店長がコップを磨く音が響く。
「うむ……」
彼女はそっとその場を去った。
彼女の背中を押すように讃美歌が市街地に木霊する。
ミューズは思慮深い少女だ。齢14歳ながら城からの脱走を繰り返すが、アトランティス帝国の皇女として必要とされる技術があるのなら寝る間も惜しんで習得する。
アトランティス帝国始まって以来の才女として彼女は周囲の期待に応えてきた。その度に幼い彼女の心の内にしこりが溜まっていた。
そんな彼女を母は優しく受け止め、愛情を注いでいた。ミューズにとって母との時間が何よりの癒しだった。
その母も失ったあと、彼女の心を支えたのは専属メイドであるアオイデー。それと帝国の民であった。
アトランティス帝国は彼女にとって宝そのもの。
守るべきものなのだ。
「出でよメレテー!! 行き先は無論、いつもの店なのじゃ」
海上市場にある果物屋。
死にかけのよぼよぼの老婆が経営するそこは、母がこよなく愛した店だ。母のそのまた母の代から小舟一隻看板ひとつの果物屋として商売を続けている。
その名物と言えば死にそうで死なない老婆だ。
母が子どもの頃から年老いた婆さんが店番をしているらしい。
巷では不死身の老婆と呼ばれているが、実際のところは魔法で姿を偽装しているのだろう。
帝国の商船の横を抜け、海路を進む。往来する船はまばらで、あるとしても少人数で見覚えのある帝国民であった。
商船の数も明らかに少なくなっている。
ミューズは口を強く結びながら船で移動する。目的地は老婆の果物屋。
凪ぎの海を進み、空を見上げると朧気な形をしていた。
青海にポツリと漂っている小舟に乗り込む。
看板の果物屋という文字は潰れて読めたもんじゃない。
「いつもの頼む。それと……適当に包んでくれ…………」
老婆の姿はない。
果物を乗せて放置された小舟。返事などない。
それでも彼女はいつも通り振る舞い、彼女がいつも頼む商品が入った紙袋を待ってその場を立ち去る。
毎度あり。そう聞こえたが、彼女は振り返ることなく前へ進む。
「うむなのだ……」
ミューズは帝国の商船に立ち寄ると、おもむろに辺りを見渡す。
懐かしき光景。足の踏み場がないほど人が集まり、海に落ちる客がいる始末で、商人は商人で場所の取り合いで殴り合いになっていたあの日々。
それは今も過去、彼女の歩きを邪魔する者はいない。
しかし雑踏だけは本物であり、目を瞑ればそこは栄えあるアトランティス帝国の海上市場に他ならない。
「家に帰る。メレテー頼むのだ」
彼女は紙袋を強く抱き締める。
柑橘系の酸っぱいにおいが彼女の心を落ち着かせるのであった。
何年が経ったのだろう。
それは彼女の預かり知らぬものだ。
ただ彼女がわかることは、まだアトランティス帝国は終わっていないということだけだ。
例え、皇女一人になろうとも。
「客人は今日も来ないか」
そう言ってミューズは瓶詰めされたマーマレードをせっせと食べる。
ミューズの姿は14歳の時のまま、時間が止まってしまった。
老化せず、食事も必要とせず、ただ無限にも等しい時間が彼女を襲う。
彼女は気づいていた。
もうアトランティス帝国を立ち直すことが不可能なことも、これから続くであろう孤独も。しかし彼女は諦めることができなかった。
なぜなら彼女は、ミューズ・アトランティスという女性は生粋なアトランティス帝国民なのだから。
無敵の国に敗北はない。
あるとすればそれは、自分自身が諦めたときだけだ。
皇女としてではなく、帝国民として彼女は自分の運命と抗うことを決心した。
「みんなに託されたのだ。例えアトランティス帝国の復権が叶わぬとも忘れさせぬ。人々の胸の中に刻み込んでやるのだ。そのために客人が必要なのだ」
人は忘れる生き物だ。
それは決して間違いではないのだろう。
色んなものを抱え込むには、人はあまりにも脆く繊細な生き物なんだ。
きっと忘れてしまわなければ、押し潰されてしまう。
私がそうだった。
思い出にしがみつき、ありもなしない幻影を追い求めていた。もう一人の自分を作り上げ、客観的に状況を理解しようとした。
でも無理だった。
私は私。彼女、ミューズと言った物語の登場人物ではなく私自身なのだ。
これから始まるのは戦いだ。長く苦しい道のりなだ。
それでも私は逃げることはしないのだ。
「今まで見ていたのは幻想、私の心の弱さが産み出した偽物なのだ。暖かく優しい思い出で作った理想郷。この世界に私以外の人間はいない。神も死んだ、残っているのは私と死にかけの世界。滅ぶのは必須。いまもこうして残っているのは奇跡なのだ。炭と化した薪の残り火。放っておけばすぐに消えてしまう明かり。でも繋がった。可能性の火はまだ消えてないのじゃ」
そう、全てが失われたあの日。
自分以外の全ての人間が消えたあの日。
ひとりぼっちになった私は、温もりを求めたのだ。魔法の才によって作り上げられた、思い出を依り代とした歪な大魔術。
忘れられた者から消えて行く残酷な世界。
「私にはもう自分のものと呼べる記憶などないのだ。自分が記した日記からでしか、過去のことを認識することができない。だけど、これはきっととても大切なモノなのだ。伝えなければならぬ」
この世界には未来がない。
ならばこことは違う別の世界の民――異世界からの客人を待つ他ない。
それがたとえ細くどこにも繋がっていない糸だとしても、信じて手繰り寄せるしか方法がないのなら、私は全力で行動するまでなのだ。
何十年、何百年、この世界が終わろうとも。
「私は客人を待とう。それが私の選択なのだ」
世界が崩壊する。
底の見えない闇の中に消えていく。残るはアトランティス帝国を中心とする僅かな場所。
私は城壁からアトランティス帝国を一望する。
「待ち人来ずか。うむ、なんと美しい景色なのだろうか。さすが隆盛極まりアトランティス帝国なのだ、綺麗だなほんと。こうしてみると、あの歌を歌いたくなるな」
私は苦笑しながら姿勢を正す。
この調子なら私の死期もすぐだろう。一年後になるか、はたまた数十年後になるかわからないが恐らく希望を持たぬ方がよい時期かもしれない。
それでも誇りだけは渡さない。私はミューズ・アトランティス第一皇女。そして誇り高きアトランティス帝国民として戦うのだ。
「我らが故郷アトランティス。海の都アトランティス。無敵の帝国アトランティス」
「まぁ、自分以外に人がいなければ無敵だよな。ある意味」
男の声。いつもの意味のない空耳ではなく、会話となっていた。
その声の出所はというと、私が持ち歩いている瓶詰めのマーマレードからだ。
私は母の話を思い出した。
「マーマレードの妖精か。お主は」
「なんだそれ。面白そうだからそれでいいよ、俺はマーマレードの妖精田中だ。ミューズ・アトランティスの話を聞きに未来から来た変わり者さ」
私は涙ぐみそうなのを真一文字に口を結び必死で我慢しながら、震える声で答える。
「ああ話してやるのだ。世界が終わるまで止まらぬからの、覚悟するのじゃ」
恋愛かどうか微妙なところですが、恋愛とさせていただきます。
たぶん恋愛です。
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読んでくれてありがとうございます。