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3日目 剣に呑まれぬ目

 翌日。

 王城の一室に呼び出されたウルガルドは、磨き込まれた石床に膝を折っていた。

 列席しているのは重臣や騎士団の長たち、そして正面に座すのは威厳を放つ人物――グラン公家当主、父 ハロルド・ラッセル・グランである。


「ウルガルド」


 低く響く声に、彼は深く頭を垂れた。


「我らグランの役目は変わらん。半魔を討ち、王家を守ることだ」


 それ以上は語らない。だがその一言で十分だった。

 亜獣化症に罹った者が半魔と呼ばれる存在へ変じること、そして彼らが長く人々を脅かしてきたことは、誰もが知っている。

 グラン公家はその宿命を担い続けてきた。魔素を持たぬ血ゆえに魔剣を振るい、半魔に立ち向かう王家の剣として。


「先日の決闘での剣技、私も見ていた。……お前の剣は確かだ。そこでだ」


 ハロルドは一拍置き、真っ直ぐに息子を見据える。


「次の討伐隊、その隊長をお前に任せたい」


 室内にざわめきが広がった。

 討伐隊――王家の守護を担う精鋭中の精鋭。その隊長を務めるのは、常にグラン公家の後継者であった。

 本来ならば、次期当主であるアルバートが率いるべき役目だ。

 列席する貴族たちも互いに顔を見交わし、困惑を隠そうともしなかった。


「父上!」


 押し殺したような声が響く。

 アルバートは席を蹴るように立ち上がり、憤怒に染まった瞳をウルガルドへと向けた。


「その任は私のものです! 正統なる後継であるこの私を差し置いて、なぜ出来損ないに!」

「黙れ」


 短い一言で、広間の空気が凍り付く。

 ハロルドの声には、説明も譲歩もなかった。


「お前は力に溺れすぎる。剣は鋭いが、それだけでは王家を守ることはできん」

「っ……!」


 アルバートの顔に屈辱が走る。

 だがハロルドは息子の怒りを受け止めることもなく、視線をウルガルドへ戻した。


「お前には、剣に呑まれぬ目がある」


 父の評価は冷静さにあった。力に頼らず、状況を見極め、余計な血を流さぬ剣――それを備えているのは、次期当主アルバートではなく、出来損ないと呼ばれた次男ウルガルドだという事実。


 出来損ないと蔑まれ続けた自分に、最も重い責務が託されようとしている。

 重責と誇りの狭間で、ウルガルドは喉を詰まらせた。


「……謹んでお受けいたします」


 かすかに震える声で答えると、ハロルドは小さく頷いた。


 重い言葉が響く中、アルバートは奥歯を噛み締め、手にした拳を震わせていた。

 その眼差しは、氷の刃となってウルガルドの背へ突き刺さる。



 重臣たちが散り、静まり返った石造りの廊下を歩いていたウルガルドの耳に、荒々しい足音が響いた。


「……待て、ウルガルド!」


 振り返る間もなく、肩を乱暴に掴まれる。

 振り向いた先には、憤怒に顔を歪めたアルバートが立っていた。


「兄上……」

「よくも、父上の前で恥をかかせてくれたな!」


 怒鳴り声が廊下に反響する。

 その瞳は血走り、今にも抜刀しかねぬほどに荒んでいた。


「俺は……父上の目に映るためだけに剣を振ってきた! 血を吐くほど鍛え、誰よりも剣に身を捧げてきた! それなのに……父上は出来損ないのお前を選ぶのか!」


 吐き出された言葉は、怒りだけではなかった。

 長年積み重ねてきた努力が報われぬ焦燥、そして弟への嫉妬が、歪んだ響きとなって滲み出ていた。


「俺から全てを奪って……それで満足か! ウルガルド、お前さえいなければ!」

「奪ったつもりはありません。父上のご下命に従っただけです」

「言い訳をするな!」


 掴んだ手に力がこもり、ウルガルドの襟首が締め付けられる。

 だが彼は抵抗せず、真っ直ぐに兄を見返した。


「兄上……私は、ただ与えられた任務を果たすだけです」

「その冷めた目……俺を見下しているのか!」


 アルバートは吐き捨てるように言い、拳を振り上げた。

 だが、その拳はウルガルドの頬を打つ寸前で止まる。

 自分でも制御できないほどの憤りを、辛うじて押し留めたのだろう。


「覚えておけ……」


 低く唸るように言い残し、アルバートは乱暴に肩を押しやって背を向けた。

 その足音が遠ざかるまで、ウルガルドは黙したまま立ち尽くしていた。


 兄の残した言葉は短かったが、その背中からは憎悪と屈辱が痛いほど滲んでいた。




 ===




 ウルガルドが討伐隊隊長に任じられたという知らせは、セシルの部屋にもすぐ届いた。

 扉を開けて飛び込んでくる侍女から報せを聞いた瞬間、セシルは思わず立ち上がっていた。


「それ、本当!?」

「ええ、おめでたいですね」


 侍女はセシルの喜びように相槌を打って微笑む。


 胸の奥が熱くなる。

 昨日まで「出来損ない」と蔑まれていた彼が、今や王国の守りの要を任される存在に選ばれたのだ。

 自分のことのように嬉しかった。


 報せを持ってきた侍女が下がるや否や、セシルは部屋の中をうろうろと歩き回る。

 めでたい知らせだ。ならお祝いが必要。彼はどんなことをしたら喜んでくれるだろうか。

 いつになく真剣な表情をして考え込んでいると、自室のドアがノックされた。


「セシル様、いらっしゃいますか?」


 聞こえた声にすぐさまドアを開けると、そこにはいつもの見知った姿があった。


「ウル! 聞いたよ、隊長になったんだって!」

「はい……父上より仰せつかりました」

「これはとってもおめでたい! うん、お祝いしなきゃね」


 嬉しさを抑えきれず、セシルはぱんと手を打った。

 ふと視線を泳がせ、窓から見える夜空を見てひらめく。


「そうだ、花火! 魔法で綺麗な花火を出してあげる!」

「花火……?」


 ウルガルドは一瞬首を傾げたが、セシルはもう聞いちゃいなかった。

 両手を広げ、意気揚々と魔力を練り上げる。


「よーく見ててよ、きっと綺麗だから!」


 次の瞬間、窓の外に光の粒が走った。

 それは夜空に向かって昇り、ぱあっと弾け……るはずだった。


「え、あれ?」


 光は軌道を外れて部屋の天井に炸裂した。

 眩い閃光と共に、ぱらぱらと火花が降り注ぐ。

 絨毯に、机に、書類の山に――!


「あ、やば――」

「セシル様、下がってください!」


 慌てるセシルの前に、すかさずウルガルドが飛び出す。

 外套を翻し、床に落ちた火花を叩き消し、燃え移る前に靴で踏みつけていく。

 素早く、的確に。


 やがて光は収まり、部屋に残ったのは焦げ臭い匂いと、呆然と立ち尽くすセシルだけだった。


「あああ……」


 あわや大惨事を免れたと思えば、セシルは頭を抱えて蹲っていた。どこか怪我でもしたのかと心配していると、そんなウルガルドの傍で顔を上げたセシルは少し涙目だった。


「やっぱりぶっつけ本番はダメかぁ……なんでこうなっちゃうかなあ」


 肩を落とす彼女に、ウルガルドは苦笑を浮かべた。


「お怪我はありませんか?」

「……心の傷が深いみたい。慰めて」


 手を差し伸べると、セシルはそれを掴んで立ち上がる。恥ずかしさも相まってか、いつもとは違って目を逸らす彼女に、ウルガルドは優しく笑みを浮かべた。


「お気持ちだけで十分です。肝が冷えましたが……おかげで良い訓練になりました」

「それ、慰めてる?」

「……一応。おかしかったですか?」

「ううん。ありがとう」


 セシルは思わず笑みを零し、彼を見上げた。

 彼の真剣な眼差しに、胸がじんわりと熱くなる。


 窓の外に広がる夜空は静かだった。

 本当の花火は見られなかったけれど、夜空いっぱいの星が祝福しているように輝いていた。

 セシルはそっと微笑み、これも悪くないなと思った。



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