8話 約束の舞台
それから3週間、特に僕と彼女に目立った動きはなかった。
というのも、僕は直前に迫った最後の大会に向けて、毎日、日が暮れるまで練習に励んでいたからだ。
時より彼女は僕の練習や練習試合に顔を出して、僕と僕の新品のグラブを見比べては、ニヤニヤしていた。
僕らが通っている高校は、スポーツに力を入れているため、その中で断トツで弱いともっぱらの噂である軟式野球部の応援は、いつも他部活が優先となり閑古鳥が鳴いている。
そんな中で、毎回黄色い声援を我らに与えてくれる彼女は、僕だけでなくチーム全体の士気を漲らせていた。
そうは言っても僕の今回の大会にかける思いは誰にも負けていない自信があった。
今回の大会で活躍して、彼女に告白する、僕の頭の中でその光景が、大会が近づくにつれて益々リピートされるのであった。
そんなこんなであっという間に大会の日はやってきた。
夏も近づいており、少し汗ばむような天候だったが、運動をするにはちょうど良い気温だった。
前日に彼女から届いた応援のメッセージを何度も見返した僕は、彼女から貰ったグラブをクラブバッグの一番上に入れ、大会の会場へと向かった。
僕が会場となる街外れのグラウンドに着いた時には、彼女は待ちくたびれたように応援用のベンチに腰をかけていた。
試合前の練習が始まるまで少しだけ時間があったので、彼女の元へ向かい話をした。
なんと彼女は1時間も前からこの場所を取っていたらしい。
僕らの試合は朝の10時から始まるため、9時にはここに着いていた僕だが、その1時間前とは。
僕にとって今日は特別な日であるのは間違いないが、彼女にとっても同じように特別な日なのだ。
僕は彼女と話した後、冷やかしてくるチームメートを無視して、彼女から貰ったグラブをはめ、力強く右手でグラブの腹を叩いて気合を入れた。
うちの部活は、いわゆる体育会系の雰囲気は薄く、顧問兼監督を務める英語教師の中嶋先生は、大切な大会の前だというのに呑気に応援に来た保護者たちのところへ挨拶に向かってしまった。
保護者一人一人に挨拶をした中嶋先生は、最後に彼女の元へと向かった。
なにやら真面目な顔をして話している。
1、2分ほど話して練習をしている僕らの元に帰ってきた先生は、まっすぐ僕の元へやってきて、僕を手招きして呼んだ。
僕はちょうど外野ノックを受けていたが、監督兼顧問が向かってきたため、そこを抜け出した。
「どうだ、調子は?」
「体の調子はバッチリです」
「そうか、いや、柏木がな、お前の足の運びがいつもよりぎこちない感じがすると伝えてきたから、どこか怪我でもしてるのかと思って呼んだんだ。大丈夫ならいいんだ。呼び止めて悪かったな」
僕はハッとした。確かに、昨日の練習の際に若干腰に違和感を覚え、昨晩は念入りにストレッチをした。
そのおかげで今日は特に問題なく練習をこなしているつもりだった。
が、何年も僕を見続けてきた彼女はそのわずかな違和感に気づいていたのだ。
「大丈夫です。ちょっと緊張してるから動きが固くなってしまったのかもしれないですね。試合までには調整しておきます!」
僕は本当のことを伝えなかった。
もしここで怪我のことを話してしまったら、レギュラーを外されてしまうかもしれない。
そんなことがあっては今までの頑張りが水の泡だ。
それに体は全く痛みも違和感も感じていない。
僕は先生や彼女に余計な心配をかけまいとその後の練習はいつもよりも気合を入れて行った。
10時ちょうどになると審判に促され、試合が始まった。
僕は、1番センターで出場が決まっていたため、真っ先にバッターボックスへと向かった。
一礼をしてバッターボックスへと入ると、僕はちらっと観客席の方に目をやった。
彼女は、胸の前で両手を合わせて祈るようなポーズをしていた。
気合を入れ直し、サインを出す監督の方へ目をやると、セーフティバントの指示が出ていた。
脚力には自信があった。だから、僕は驚きよりもやってやるぞという気持ちになっていた。
野球では何もホームランを打つことだけが活躍の全てではない。
こういった地道なプレーにだって良さがある。
恐らく何年も観てきた彼女もそんなことは分かっているだろう。
相手投手がおおきく振りかぶってこの試合第1球目を投げてきた。
真ん中まっすぐ、打ちごろだ。僕はさっとバットを引いてバントの姿勢を作ると、三塁線のギリギリのラインにボールを転がした。
慌ててボールめがけて突っ込んできた三塁手にチラッと目をやり、僕は一塁ベースへと全力疾走した。
際どいタイミングだった。無我夢中で走っている僕にはセーフなのかアウトなのかわからなかったが、その答えは審判の声よりも先に応援している観客の歓声でわかった。
ギリギリのタイミングだったらしいが、審判の手は「セーフ」という大声とともに横に大きく広げられた。
僕は彼女の方を見た。彼女はさっきまで合わせていた両手を天に向け、軽く跳ねながら喜んでいた。
僕はそんな彼女の方へ軽くポーズをした。彼女はそれに気づいて同じようにポーズした。
その後のバッターが凡退してしまい得点を取ることはできなかったが、僕にとって幸先の良いスタートとなった。はずだった。
違和感を覚えたのは第2打席だった。僕の打ったボールはショートの方へと転がった。
際どいタイミングだと思い、全力で1塁ベースへと向かった。
その時、腰に痺れを感じ、最後まで走りきることができなくなった。異変に気づいた監督が駆け寄ってきたが、僕は軽く足をつっただけだと嘘をついた。
現に、少し休むとその異変は嘘のように和らいだ。
が、再び守備に着こうと軽く駆け足すると、またさっきと同じ感覚が襲ってきた。
このままだと交代になってしまう。そうなったら応援に来ている彼女に心配をかけてしまう。
パッとそのことが頭をよぎった僕は、痺れる足腰を庇い、ポジションに着いた。
幸いにもその後、僕の元へとボールは飛んでこなかった。
高校軟式野球の規定である最終回の7回表の敵チームの攻撃を迎えた。
0―1の息詰まる展開で、負けている我がチームにとってここでの失点は非常に重たくなる。
円陣を組んで臨んだ僕らだったが、2アウトを取ってから、2連打で大ピンチを迎えた。
僕は痺れる足腰を庇いながら、マウンドに向けて大きな声を出した。
あと、1アウト、ここを抑えればまだ逆転のチャンスは十分に残っている。
僕は腰をパンッと強く叩いた。
と次の瞬間、ボールが僕の方をめがけて飛んで来た。
正確には、僕の頭を越すような鋭い当たりだ。僕は全力で追いかけた。これが抜けてしまうと2点が入り、僕らの負けが濃厚になってしまう。
追いつけるか追いつけないか微妙なタイミングだった。
もはや、腰の痛みなどその時は一切感じていられなかった。
ボールが落ちてくるタイミングで必死にジャンプし、手を伸ばす。
その瞬間、僕は崩れ落ちるように倒れこんだ。
足が痺れて転んだのではない。
グラブに包まれたボールの勢いで身体が投げ出されたしまったのだ。
グラブの中に、しっかり白球は握られていた。
ほんの先っぽ、後数センチで抜けていただろう。
これまでのグラブだったら抜けていた。間違いない。彼女の想いがこのアウトをもたらしたのだ。
観客席とベンチは大歓声に包まれていた。
彼女も大きな拍手を送っていた。
ライトを守るコータローが僕の手を引っ張ってくれるまで僕はそこで寝転げていた。
結局、その後の攻撃はあっけなく終わり、僕らの最後の大会は幕を閉じた。
泣くものもいたが、僕はどこか清々しい感覚だった。
勿論、負けたことは悔しいし腰も痛む。だけど、僕は自分との戦いに勝った。いや、彼女が勝たせてくれたのだ。
最後のミーティングが終わると、彼女がそそくさと僕の元へと駆け寄って来た。
「残念だったね」
「うん、もう少しだったんだけどね」
「負けたわりには随分スッキリした顔つきだね」
「まあ実力を出し切れたし、悔いはないよ」
「それにその腰じゃ勝っても次の試合は無理だったもんね」
やっぱり彼女は僕の体の異変に気づいていたようだ。
「なんで気づいたの?」
「練習の時、少し足を庇っているような感じがしたからね。そりゃ何年も見ているんだからそれくらいわかるよ」
彼女は当たり前のようにそう言ったが、監督やチームメイト、そして僕自身も気づかなかった異変に彼女は気づいていたのだ。
「けど、その腰でよくあのボール取れたね」
「いや、あれは君からもらったこのグラブのおかげだよ。これじゃなかったら届かなかった。それに無我夢中で痛みも感じなかった」
「役に立ったんだね。よかった。絶対抜けたかと思ったもん。あれは素直にカッコよかったよ!」
「珍しく素直だね。ところで、例の約束だけど…」
「ああ、花火ね。試合は負けちゃったけど、あんなの見せられたら勿論オーケーだよ。楽しみだね」
彼女はそう言って、ニコリと僕に微笑みかけた。
僕自身も、あの打球をキャッチしたことで、この約束は成立したと思ってはいたが、いかんせん試合に負けたせいでどうなるか半信半疑なところもあった。
彼女の嬉しそうな笑顔を見る限りでは、彼女自身もこの約束には乗り気で、なるべく約束が成立するように僕のいいところをずっと探してくれていたのだろう。
お読みいただきありがとうございます。
次回予告
いよいよタイムカプセルを埋める日。
淳平は何を埋めることにしたのか
そして、美咲は何を企んでいるのか…
次回もよろしくお願いします。