10話 人と星
蝉の鳴き声とともにやって来た異常気象のような暑さは、夏の到来を告げた。
こうも毎日記録を更新するような暑さだと、これは異常なのではなく通常なのではと毎日考えてしまう。
蝉たちは大合唱をしているが、彼らの命は数週間と短い。
昔は蝉の命は地上に上がって来てから7日しかないと聞かされていたが、実際はもう少し長いらしい。
だが、それでも一夏以上生きることはない。
それにひきかえ、人の命はなんて長いのだろうか。
80回、いや90回以上夏を迎える人も少なくはない。
僕と彼女がともに過ごす何度目かの夏がやって来た。
だが、今年の夏は今までとは少し雲行きが違う。
それはいい意味なのか、はたまた悪い意味なのか、どう転ぶかはまだわからない。
とにかく後わずかに迫った花火大会を成功させることが大切だ。
だが、そのためにも今日から始まる学期末テストを成功させなければならない。
補修のある夏休みなんて最悪だ。
部活もない僕は、本腰を入れて受験勉強に取り組んでいたため、改めて期末試験のための勉強に悪戦苦闘する必要はなかったが、彼女はというと、そうはいかなかったらしい。
まあ無理もない。最近の彼女は全くといっていいほど勉強のべの字も手についていない様子だ。
最近は、さすがにまずいと思ったようで、授業の内容を僕に聞いてくることも増えて来たが、相変わらず受験勉強に取り組んでいる様子は見られなかった。
担任の掛け声とともに一斉に紙をめくる音がした。
最初は現代文の試験だ。正直あまり難しくはない。
一通り、問題に目を通した後、僕は斜め前の方に座る彼女に目をやった。
彼女のペンは僕の予想に反してスラスラと動いていた。
もともと彼女は僕なんかよりもよっぽど勉強ができる。
ここ数ヶ月サボっていたとしても、それまでのアドバンテージもあるだろうし、そんなに心配はいらないのかもしれない。
あまり長く見ていてカンニングを疑われても困ると思い、僕は自分の問題用紙に目をやった。
今日の試験は合計3コマで、午前中に解散となった。
教室中でクラスメイトがあーだこーだと試験について議論をしていた。
彼女は、友人たちに別れを告げると、すぐに教室を出ていってしまった。
僕はそれを急いで追いかけた。
途中で、コータローたちに話しかけられたが、彼らも空気を察し、長くは引き止めなかった。
彼女は、校門の前までさっさと向かっていた。
「おーい」
僕が声をかけると、彼女はぱっと振り向き、いつもの笑顔を見せた。
「やあ、お疲れ様。簡単なテストで拍子抜けだったね」
「まあ、そんなに難しくはなかったけど、美咲はあんまり勉強してなかったけど大丈夫だったんだ」
「あれくらい楽勝だよ」
「それなら良かった。せっかくの高校生活最後の夏休みで補修なんて最悪だからね。ところで、そんなに急いでどっかに行くの?」
「ううん。別に。けど、テストの後のあの雰囲気ちょっと苦手でさ。あ、そうだ、ちょうど良かった!明日の数学わからないとこあるから教えてよ!得意でしょ?」
僕は理系分野の方がどちらかというと得意な方で、進路も理系に進むつもりだ。
「いいけど、それなら学校で勉強していく?」
「うーん、お腹も減ったし、一旦家に帰りたいな。そうだ!うちで勉強しようよ!お母さんがお昼ご飯作ってくれると思うし!」
彼女からの急な提案に僕はびっくりした。
小さい頃はよく行っていた彼女の家だが、最近はあまり行っていない。
こないだお土産を持っていったときも中には上がらなかった。
「ねえどう?それともおばさんご飯作って待ってる感じ?」
「いや、そんなことないけど、悪くない?」
「全然!うちのお母さんも淳平に会いたがってたし!」
「ならそうしようかな?」
「じゃあ決まり!行こう!」
彼女はそういうと、さっさと自分の家に向かって行った。
彼女は、手提げバッグをリュックのように背負っていた。
どうにも彼女はバッグを普通に持つことができないらしい。
落ち着きがない証拠だ。
僕も、真似して同じような持ち方をしてみた。
リュック調にすると、両肩に負担が分配されて、中が軽く感じる。
テスト中ということもあり、バッグの中には教科書が詰まっていたので、重く感じていた僕はこの持ち方を気に入って彼女の家までの道をこのまま歩いた。
彼女の家に着き、バッグを下ろした。
さっきまでバッグが触れていた部分が汗でびっしょりになっていた。
彼女はそれを見て大笑いした。
彼女の家へ入ると、すぐの彼女のお母さんが出迎えてくれた。
どうやら彼女が道中で連絡を入れていたらしい。
お昼ご飯はすでに出来上がっていて、できたてのチャーハンが食卓に並んでいる。
僕らが来る時間を見越して作ってくれたみたいだ。できる母親だ。
「ちょっと着替えて来るから先食べて待ってて!」
彼女は自分の部屋に行ってしまった。
一人取り残された僕を見て彼女の母親はニッコリと笑いかけた。彼女の笑顔にとても似ていた。
「久しぶりね。お母さんとはよく会ってるんだけどね。部屋寒くない?」
「はい大丈夫です。ご飯ありがとうございます」
「いいのよ。それより、美咲の勉強を見てくれるんだって。ありがとね」
「いえ、全然。あの、」
「何?」
僕は彼女のことを聞こうとした。
家ではちゃんと勉強をしているのか、とか。しかし、そう言おうとした時に、ドタドタと忙しい足音がして、彼女が戻ってきた。
淡いブルーのTシャツに短パンを履いていた。
「おまたせ!」
「こら、ゆっくり階段降りなさい」
「はーい。お腹減ったし、早く食べよ!」
彼女は食卓に腰を下ろした。
僕も促されるように席に着いた。
椅子の背もたれに背中が触れると濡れた背中がクーラーで冷やされとても気持ち悪かった。
彼女はどうやら僕のその様子に気づいたようだ。
「あ、そっか、汗かいてるもんね。お母さん。お父さんのシャツとか貸してあげて」
「いや大丈夫です!」
「だめよ、風邪ひいちゃうでしょ。ちょっと待っててね」
彼女の母親はどこかへ向かってしまった。
そして、すぐに大きめのTシャツを持って帰ってきた。
「これでいいかしら?」
「すみません。着替えてきます」
「私の部屋で着替えなよ!」
彼女は立ち上がり部屋へと案内してくれた。
ドアを開けると、女の子らしい大きなぬいぐるみがたくさん置いてある部屋があった。
ベッドにはさっきまで彼女が着ていた夏用の制服が脱ぎ散らかしてあった。
「いいよ。着替えちゃいな」
「そう言われても、君が出て行ってくれないと」
「そう?いつも教室で着替えてるじゃん」
「それとこれとは違うじゃん」
「そうなの?」
「うん。とりあえずすぐ着替えるから一瞬でてって」
「私がいない間に部屋の中荒らさないでね」
「そんなことはしません」
「じゃあごゆっくりどうそ」
彼女は部屋を出た。
急いで上着のボタンを外して、シャツを脱ぎ、新しいシャツに着替え部屋を出た。
彼女はドアの前でニヤニヤしながら立っていた。
「サイズぴったりだね」
「そうだね」
「部屋の中ジロジロ見なかった?」
「だからそんなことはしないって。ほらさっさとご飯食べよう」
そう言って僕は先に食卓へと戻った。
僕らが戻ると、ちょうど彼女の母親が冷えたコーラを入れてくれていた。
昼食を済ませた僕らは、彼女の部屋に向かった。
彼女は部屋に入るなり、ベッドにドスンとダイブした。
「本棚のONEPIECEの最新刊とって!」
「だめだめ、勉強するよ」
「ケチ!ちょっとくらい休憩しようよ!」
「休憩ってのは物事を始めてからするもののことだよ」
彼女は渋々起き上がると、通学かばんをごそごそと漁り始めた。
「明日は数学と地学だったよね?」
「うん。じゃあ数学から始めよっか?」
「えー!私数学嫌いなんだよね。地学にしようよ!」
彼女はふてくされながらそう答えた。
「まあどっちでもいいけど。じゃあ地学の教科書出して」
「うん!」
今度は嬉しそうに返事をした。
その後、彼女はしばらくかばんをごそごそと荒らした後、本棚へと向かった。
「範囲は天体だったよね?教科書を学校に忘れてきたみたい。代わりに天体の図鑑持ってるからこれでやろうよ!」
彼女はゆうに200ページはあろう図鑑を取り出した。
それは子供向けのものではなく、大学の専門書のようなものだった。
「よくそんなもの持ってたね」
「へへーん。私こう見えて結構星とか好きなんだ」
「へー、初めて聞いたよ」
僕は彼女との長い付き合いでそのことを初めて聞かされた。
彼女のことだから、ここ最近の一過性のブームなのかもしれない。
もともと、彼女にはそういった癖がある。
その証拠に、本棚には同じような難しそうな題名の本がいくつか並んでいた。
「ねえねえ、知ってる?人は死んだら星になるって言い伝えがあるんだって。信じる?」
「くだらないこと言ってないで勉強を始めるよ」
僕はそう言いかけて言葉を止めた。
彼女が悲しげな表情をしていたからだ。
それはあの時、僕の部屋で何か言いかけたときのあの表情と似ていた。
「私、綺麗な星が見たいな。一面の星空が」
彼女のその切なそうな顔を見て、僕の胸は張り裂けそうになった。
それから無言の時間が果てしなく長く続いた。
実際はほんの数分、いやもっと短かかったのかもしれない。
だけど、僕にはそれくらい長く感じた。
その沈黙を破ったのは僕だった。
「信じるよ。だって、死んでからの世界なんて誰も知らないし見たこともないんだから、それは本当かもしれないし嘘かもしれない。けど、それを否定することもまた誰にもできないんじゃないかな?」
彼女の顔を見た。
彼女はキョトンとした顔をしていたが、少しして優しく笑いかけた。
その目からは涙がひとしずく垂れて流れ星のように頬を伝っていった。
「そうだね。それなら私は、はくちょう座になって一番目立って輝きたいな」
「なんではくちょう座なの?」
「なんか白鳥っていい響きじゃん。綺麗な私にぴったし!」
「すごい自信だね。惚れ惚れするよ」
気づけば彼女はいつもの彼女に戻っていた。
それからテストとは全く関係のない星座話をした。
気がつけば、外は暗くなり始めていた。
全く勉強は進まなかったが、なんだか僕の心は幸せで満たされていた。
彼女と時間を忘れるほどに楽しい話ができたからだろう。
僕が帰ろうとすると、彼女は送っていくといい、玄関まで一緒に来てくれた。
さすがにここまででいいと言い、彼女に別れを告げようとすると、彼女は空を見上げていた。
「一番星―、みーつけた。」
お読みいただきありがとうございます。
次回、花火大会。
淳平は告白できるのか。
そして…遂に、美咲が「秘密」について口を開きます。
乞うご期待ください。
次回もよろしくお願いします。




