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いつか綻ぶ幻想花  作者: 羽乃雪文
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第十話 被験体に掛けられた呪い

第十話 被験体に掛けられた呪い


 息が、苦しい。

 あの時、クロードの差し伸べていた手を掴めず、暗闇に呑まれてからどのくらいの時間が過ぎたのだろう。


「……クロさん……」


 呼吸が苦しいのは恐らく自分が何かに詰められて運ばれているから、そうリノアは推測していた。

 意識を失ったわけではないので、記憶はあの部屋からどこかに飛ばされた後、ずっと暗闇の中を見据え続けている。

 ただ、身動きのあまり取れない暗闇の中でわかることは振動が等間隔で訪れていること。

 自分が何かに入れられて運ばれているという考えに至ったのはその存在が大きい。

 つい最近まで同じように荷馬車に詰め込まれ、あと数時間発見が遅ければ衰弱死していたあの時の状況と似通っている現状にリノアは小さく自嘲の笑みを浮かべた。

 どこかもわからない森の中で始まった記憶の断片から、誰かもわからない人間に連れられ存在を隠すように荷馬車に詰め込まれ。

 記憶の始まりですらリノアの生命環境は自身でも理解できるほどに弱っていた。

 荷馬車に詰められていた時間はもはや数えていなかったが、少しずつ自身の命が尽きかけていることは朧げながら覚えている。

 あの暗闇の中では、刻むのが遅くなっていく自身の鼓動を数えるぐらいしか時間の感覚というものはなくて。

 けれど、今リノアの意識はあの時と違ってはっきりしていた。

 動きを取り戻した自身の鼓動を数え間違えることなく、リノアは自身の運ばれている間の時間を数え続けていた。

 それは偏にクロードの存在が大きかったからだ。

 瀕死のリノアに命を分け与え、そして大切な名前をくれた。

 まだ、彼には恩返しが出来ていない。

 例えクロードがそれを求めていなかったとしても、リノアにはそれを甘んじて受け入れてはいけないという意思が存在した。

 もう捨てたもの、捨てた方がこの世界のためになると思っていたもの。

 それを救った彼に、自らの生命を簡単に投げ捨てるなとリノアに懇願した彼に報いるためにも、今自身が何者かに攫われたからといって簡単に諦めるわけにはいかなかった。

 ふいに等間隔で訪れていた振動が止まる。

 思わず身構えたリノアは唐突に暗闇から外の世界へと放り出された。

 冷たい灰色の地面に投げ出され、受け身のようなものを取ろうとするも、強かに体を打ち付けた衝撃で口の中に鉄のような味が広がった。

 これは、血だ。

 たった数日間の間でも忘れていたもの、それだけクロードといた時間はリノアにとって価値のあるものだった。


「あの獅子頭の獣人に助けられたのは其方に幾らか知恵を授けたようだな、被験体3987号」

「……」


 無言で立ち上がり、声の聞こえた方を振り返る。

 紺のローブに深くフードを被った人物、どこか聞き覚えのある声の魔術師はリノアの方を見ながら面白そうな視線をリノアに投げかけていた。

 フードの中は暗くて見えないが、その金の瞳がリノアを、いや、被験体である自分を覚えていることを物語っていた。


「あなたは……?」


 静かに口を開いたリノアを見て、再びその瞳が面白おかしいものでも見るように踊る。


「なかなか大人しい物言いを覚えたか、はたまた我の事を覚えていないとは記憶でも……ああ、そうか」


 一瞬の沈黙が二人の間に流れた後、その魔術師はこう言った。


「其方は、失うと同時に滅ぼしたのであったな」


 その言葉に目を見開いたリノアを見て、愉快そうに魔術師は笑った。


「何を驚く、異形の子。いや、今は被験体3987号であったな。其方が我のための実験用具である事実は今も昔も変わらぬ。さて……」


 ローブの裾から短めの杖を取り出した魔術師は常日頃から行なっていたような手慣れた動作で杖を操り、瞬時にリノアの周囲に魔術の檻を創り上げた。


「まずはその記憶を失くしていても、かつての機能が備わっているかどうか、調べさせてもらおうかの」


 檻から衝撃音と共に雷撃のようなものがリノアの身体へ向けて放たれ、唐突に与えられた苦痛に思わずリノアは顔を歪めた。


「ああ、良いな。実に良い。記憶を失ったことで人間らしい表情が出来る様になったではないか。幾らか前に此処へ訪問した時の其方と言えば、瞳に光のない人形のような無関心さであったからな」


 この人物は自分の知らないことを知っている。

 そして、リノア自身が未だ思い出せない部分の記憶のことも。


「あなたは……ボクのことを知って、いる……それなら、何が……っ……目的で……!」


 苦痛に耐えながらリノアは浅い呼吸で疑問を絞り出した。

 その声音を愉しむようにゆっくりと頷くと、魔術師は足音も立てずにリノアの閉じ込められている檻に近付いて、囁いた。


「……思い出せないというなら、教えてやろうではないか。其方は悠久の時を生きる古代樹『ラズラワズリ』、いつの時代から存在したかも計り知れない、ある種不死に近い存在なのだよ」


 ラズラワズリ。

 その単語を聞いたリノアは不意に痛烈な刺激をこめかみに覚えた。

 こめかみを押さえて蹲ったリノアを見て、魔術師が愉快そうにくっくっと静かに嗤う。


「魔獣や幻獣を秘密裏にこの施設に集め、不死性を研究していた中に其方が紛れ込んでいたのはまさに偶然の中の偶然、奇跡であろうよ」

「不死……性……?でも、ならなんで、ボクは……あの時……」


 商人の荷馬車に押し込められ、息をするのも辛く、死を間近に感じたあの時間は一体何だったというのか。


「不死性を持つと言えど、真に不死ならば其方はもとより我などに捕まるような存在ではなかったであろう。不死なればそれこそ神話の神々のような存在、それを手玉に取り実験器具として扱うのは流石にこの世の理を崩しかねん」


 コツコツ、と杖で檻を叩き、雷撃を強化してリノアに放ち続けるその人物を、痛みを堪えなからリノアは睨み返した。


「……あなたが不死を研究するのは別に構わない、ボクを利用するのだって犠牲になるのがボクだけならそれでいい。でも……でも、あなたは今『魔獣や幻獣を集めて』研究を行っていた、と。関係ない命を巻き込んで私利私欲のためにそれらを奪おうなんて、そんなこと……!」


 許さない、と吐き出そうとしたリノアを見て、魔術師は顔の見えないフードの中で大きく吹き出した。

 けたけたと笑い声を上げて、フードの中の瞳を擦るような仕草をしたその人物は檻の隙間を縫ってリノアの胸に杖を突きつけた。


「其方が!其方がその様な事を申すか!ああ、面白い、実に面白い。この施設を動かしていた研究員たちも、飼い慣らしていた魔獣も幻獣も全て、その身に宿す魔力で皆殺しにした其方が!!」

 その言葉はリノアの中に響き、反響し、内側からリノアの意志を簡単に崩していった。


「……うそ……」

「嘘など申すものか、異形の子。その身の魔力を余す事なく波動として放出し、身近にいた生き物は根絶やしに、一瞬で己以外の生命を奪い尽くした化け物に『私利私欲のために命を奪う事は許されない』などという言葉を吐く権利が残っているとでも?」


 信じたくなかった。

 けれど常人の感覚から逸しているこの人物の言うことでも、その言葉が事実であると、真実であるとリノアの本能が告げていた。


「そんな……そんなことって……っ」


 記憶を失っていたリノアに、生命の重さや大切さを教えてくれたのはクロードだった。

 自らの命を本能的に在るべきではなかったと判断したリノアに、それは違うと、己の命を自ら否定することなんてするなと、そう言ってくれたのが彼だった。

 だというのに、自分は既に途方も無い数の命を屠って、それを忘れてのうのうと生き続けようとしていた。


「……クロさん……ごめんなさい……」


 項垂れ、力なく蹲み込んだリノアを見て満足したのか、紺のローブを纏った魔術師は魔術の檻を不意に解いた。

 リノアの力の入っていない腕を掴み、乱暴に持ち上げてその火傷のような傷を確認する。


「ふむ、治りの早さから見ても其方の不死性は未だ失われていないようだ。良きかな、人員は足りぬがそれは我が魔術でどうとでもなる。余所者が嗅ぎつける前に、実験の続きを行うとするか」


 杖で空中に魔法陣を描き、それを次々と宙に増やしていく。

 自責の念にかられ、もはや動くことすらできないリノアに向けて、その人物は杖先をリノアの額にこつんとぶつけた。


「っ……ぐぅっ……!」


 リノアの体内のマナが、身体中を巡っていたそれが胸元に集中し、徐々に吸い出されていく。

全身がひび割れるような痛みにリノアは咳き込み、背中を丸めた。


「ほう、やはり化け物の魔力はそこいらの魔獣などと比較にもならぬな。だがマナそのものが我の目的でない。手早く『それ』を渡してもらおうか」


 その言葉を魔術師が言い終えたその瞬間、リノアとその人物しかいなかった小部屋の頑丈そうな鉄の扉が勢いよく内側に吹き飛んだ。

 思わずその音に怯み、リノアから魔力を抽出する手を止める魔術師。


「ようやく当たり、か。まったく、魔力反応を拡散する魔術なんて聞いたこともない。クロード、見つけたぞ!」

「リノア!!」


 クロードの声が聞こえる。

 けれど今のリノアにはその声に応える気力もなく、応えられる権利も自ら否定していた。


「小賢しい、ファーラーンのギルドの者か!あと少しでこの化け物も用済みだったというのに!」


 だが、と小さく魔術師が呟く。


「……まあ良い。後はこの化け物がどうとでもしてくれる。我は捕われるわけにいかぬのでな、ここらで暇を貰うとするか」

「リノアから……離れろッ!!」


 大太刀を振りかぶり、猛スピードで魔術師向けて斬りかかったクロードの斬撃を霞の様に躱し、魔術師はくっくっと嗤いながら暗い色の衣に巻かれて姿を眩ましてしまった。


「逃げられたか……だがその子は無事の様だな。クロード、私は少しこの隠し部屋を調べさせてもらう。その子の事は任せたぞ」

「……リノア……」


 大太刀を鞘に仕舞い、ゆっくりとリノアに歩み寄るクロード。

 腰を落とし、リノアの顔と同じ高さに視線を合わせてリノアの顔を心配そうに見つめる。


「ごめんな、守ってやれなくて。大丈夫か、痛いところとかは?」


 依然として口を噤んだまま、項垂れているリノア。

 一部だとしても記憶を取り戻した今の自分にはクロードと喋る権利も、一緒に帰るという選択肢も無いことをリノアは自身に枷の様に言い聞かせていた。

 不意に、ふわりと温かい毛皮がリノアを抱え込んだ。


「喋れないなら、今は喋らなくていい。あいつに何を言われて、何かを思い出したのかも俺にはわからないけど、リノア、お前が生きていてくれて本当に良かった」


 暖かい。

 クロードの言葉はいつだって、リノアに向けられていた。

 生きているべきではなかった。

 沢山の命を殺めた自分が今更クロードの元に戻って前の様に過ごすことなんてできない。

 それは頭の中では理解していた。

 理解できていたはずだった。

 けれど、その逞しく温かい腕で抱え込まれて、思わずリノアは嗚咽を零していた。


「……っ……ごめん……なさい……」


 自分の背中を大きな掌が優しく撫でてくれるのを感じて、リノアは零れ落ちる涙を止めることが出来なかった。


「いいんだよ、リノア。リノアはリノアのままでいいんだ。記憶が少し戻ったとしても、その記憶は今のリノアじゃない。どんな過去だって無かったことには出来ないけど、それを踏まえた上でどう動くかが今のリノアに出来ることなんじゃないかって、俺は思ってるから」


 だから、とクロードが続ける。


「帰ろう、独りぼっちでなんていさせやしない。話せるようになったら話してくれればいい。どんなことでも、俺は受け止めてやるから」


 そう言ってクロードはリノアを抱え上げ、部屋を調べているルーエンの元へ近付いていった。


「ルーエン、何かわかりそうか?」

「一概にこれと断定できるほどの根拠はないが、先程の魔術師が生物のマナに関する魔術を行使していたことだけは間違いないだろう。その子の近くに残されていた魔術痕からも同様の魔術式のようなものが見受けられたからね」


 一旦帰ってギルドに報告しなければ、そう言って立ち上がったルーエンはリノアをちらりと流し見して小さく呟いた。


「……不思議な子供だ……」

「?ルーエン、何か言ったか?」


 首を横に振り、いつもの業務的な笑顔に戻るとルーエンはなんでもない、と返事した。


「いつまでもこんな部屋に居るのも居心地が悪い、さっさと撤収するとしよう」

「了解、っと」


 リノアを抱えたまま、クロードはルーエンと足並みを合わせて小部屋から出、廃墟になっていた施設から皇都への道のりを足早に戻っていった。

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