零れた水は地面に落ちて乾くだけ
俺を裏切ったエマと、彼女を寝取ったミゲルという男に対する怒り。
なにより今まで積み重ねた時間があっさり裏切られる程度の価値しかなかった事に、嫌気が差していた。
「本当、なんです。愛してるのは……あなただけなの」
両目に涙を溜めながら、必死に許しを請うエマの顔をまともに見れなかった。
俺だって、信じられるものなら信じたい。
だって、まだこんなにもエマの事を愛しているのだから。
気を抜けば、彼女に向けて手を伸ばしてしまいそうになる。それほどまでに、今までの生活は……幸せだったのだ。
けれど、それは出来ない。
それだけはしてはいけない。
再びエマを信じたとして、彼女がもしミゲルとまだ続いていたとしたら?
また家に帰ると、俺のベッドで奴と愛し合っていたら?
いや、そもそも俺に対するこの懇願すらも、奴が命令したから仕方なくやっている可能性もある。
もちろん違うかも知れないが、考えてしまうんだ。心の奥底で不信感がヘドロのように溜まっていく。
こうなってしまっては、夫婦として暮らして行く事など……無理だ。
「許されない事をしてしまったのは分かってます。それでも、ザインの傍にいたいの! 一緒に……もう一度夫婦として、生きていきたい……」
「……エマ、聞いてくれ」
名前を呼ぶと、エマは何かを期待するかのような目でこちらを見てきた。
俺が彼女の名前を呼ぶときは、いつも何かしら良い知らせをする時だった。おそらくエマは、今回もそうであると捉えているのであろう。
「ザイン……!」
涙を零しながらも彼女は笑顔を作り、俺の名を呼ぶ。
もう一度やり直せると、信じて疑っていないような様子だ。
なんでだろうな、お前のその笑顔が好きだったはずなのに。
そういうポジティブになれる明るさに、惹かれていた筈なのに。
いまは、なにも胸に響かないんだ。
だから。
「別れよう」
「……えっ?」
もう、終わりにしよう。
俺達が出会ったのは、間違いだったんだ。
「これからは、別々に生きよう」
「な、なにを言ってるんですか……?」
「これ以上、俺には堪えられないんだ」
「もう、あんなこと絶対にしないからっ、だから……」
エマが必死に縋り付いてくるが、そんな態度を取る必要はないんだ。
お前にはミゲルがいるだろ? もう俺では、お前を幸せにすることは出来ない。
「今まで、ありがとう」
「や、やだ! やめてよ、聞いてザイン! 違うの、私は」
「ミゲルと幸せにな。あの家も、2人で住むと良い。俺には……もう必要の無いものだ」
「誤解なの! 私はっ‼」
「悪い。今日は帰ってくれ。今は、1人になりたいんだ」
「いやです……待って、待ってよ……!」
俺は部屋の扉を閉め、鍵をかけた。
エマが扉を何度も叩いてくるが、二度と開ける気はない。
「あけてよぉ、ザイン! こんなのやだよぉ!」
エマの悲痛な叫びが聞こえて来たが、すべて無視した。
これ以上、関わるのはうんざりなんだ。
「うっ……ぐっ、うぅぅ……」
なんで、こんな事になっちまったんだろうな。
どこで俺達は間違ったんだろうか。
家に帰れば、愛するエマが笑顔で待っていてくれるはずだった。
夫婦として、いつまでも二人で幸せでいられると……信じて疑わなかった。
しかし、そんなものは最初からなかったのだ。
裏切った彼女が悪いのか、彼女を満たす事が出来なかった不甲斐ない俺が悪かったのか。
今となっては、なにもかも分からない。
……確かなのは。
エマとの幸せは、もう手の届かない所に行っちまったという事だ。
さよなら、俺の愛した人。
さよなら、幸せだった日々。
例え俺に対する愛が偽りだったとしても。
それでも、エマと一緒に居られて俺は幸せだったんだ。