魔女は森の中へ 2-3
パチパチと、焚き火が音を立てている。
赤々と燃える炎を囲んで座っているのは、あたしと、レグゼム、ミディオレの三名だ。
「あの……色々とお見苦しい所をお見せして、申し訳ありません。それと、傷の治療、ありがとうございます」
本当に申し訳無さそうな顔で、あたしに礼を述べるミディオレ。
色白で、青い瞳、髪はやや濃い目の金で、ショートヘア。癖の少なそうな真っすぐの髪なので、軍人じゃなかったらもっと伸ばした方が似合いそうだ。目尻がやや下がり気味の、愛嬌のある顔立ちをしている。その右の目尻には、小さなほくろがひとつ。まあ、どちらかというと美人だろう。スタイルもいいが、現場に出る軍人にしては痩せ気味かもしれない。あと、人は良さそうだが、正直迫力に欠ける。この場合、雰囲気が優しそう、と言ったほうがいいか。年は二十二だそうだ。
「あの傷じゃあ、じきに動けなくなっていた可能性が高いだろうしな。そうでなくても、あのままじゃ生きてここから帰れるか分からなかったぞ。もっと魔女殿に礼言っとけ」
明るい調子で言いつつ、ミディオレの肩を叩いたりしてるおっさん、レグゼム。短く刈り込んだグレーの髪色は白髪かと思ったら元々こんな色なんだそうだ。北方の国では珍しくないとの事。元々は隣の大陸から渡ってきた移民の末裔だと、頼みもしないのに教えてくれた。顔はまあ、普通のおっさんだ。下半分が髪と同色の無精髭にまみれている。年は三十二だと言われた時は、何丸わかりな嘘ほざいてんだコイツ、殺伐とした場を和ませるジョークのつもりか? とか思ったが本当らしい。ミディオレに、とてもそうは見えないでしょうけれど事実です、などと補足されなければ絶対信じなかった。
あと、どうでもいいが奥さんと娘がひとり。奥さんの名前はレメリナで子供がアーシナ。写真も見せられたが、奥さんは結構美人で子供も可愛い女の子だった。目の前のごついおっさんの血はどこに行ったのかと問い詰めたいほどである。レグゼム自身が俺に似なくてよかったぜ、と真顔で言っていたので、自覚はあるみたいだ。というか、そんな情報まったくもって完全にどうでもいい。
「本当に、ありがとうございました」
「いや、もういいって」
律儀に礼を重ねてくるミディオレに、軽く手を振ってみせるあたし。肩の上では、ナメクジも触手を振っていた。こんな見るからにいい人そうなお姉さんに神妙な顔を向けられると、逆に居心地が悪くなる。
「それより、これからどうするか、だね」
二人を見て、あたしは話を変えた。レグゼムとミディオレの表情からも、ふっと柔らかいものが抜けていく。
ミディオレが気を失っている間に、レグゼムから彼等がここに至るまでの経緯は聞いた。ミディオレが目を覚ました後、彼女にも確認したが、両者の話に差異はなかったので、概ね正しいのだろう。
ミディオレが覚醒するまでに少々間が空いたので、その間の雑談内容としてレグゼムの家族構成まで知ることとなったり、軍人としては優秀そうだが話してみるとただの子煩悩で明るいおっさんだったりと、レグゼムに関しては多少株が乱高下する事になったが、まあそれはそれだ。
二人が所属する第六偵察小隊は、本日夕刻までの予定で、ガルムデル大樹海との境界を見回るという任務に就いていた。これは毎日行われている定期任務であり、たまに森林から這い出てくる危険な生物や、逆に無断で入ろうとする命知らず、もしくは不審者を止めるのが目的だ。基本的に彼等が樹海内部に入り込むことはなく、自分達の手に負えないと判断される事態に遭遇した場合、速やかな通報と、可能ならば偵察を続行すること、と厳命されている。
そのはずなのに、今日に限って何故こんな樹海内部にまで侵入したのかというと……それにはもちろん理由がある。
傭兵部隊である第三軍団は、いざ有事となった場合、基本的に我が国の国民で構成されている正規軍である第一、第二軍団の指揮下に置かれる事になる。故に、平時の任務、訓練の際も、たまに第一、第二軍団に属する上官が指揮したりする場合があるのだが……本日の任務が、そのケースだった。
第一軍団からやってきた上官は、士官学校を出たばかりの、二十かそこらの若い少尉殿だったそうだ。名前はネダム。親が第一軍団の上部にいるらしく、言ってしまえばエリート軍人、将来の軍幹部候補だろうとの噂だったが、もちろん指揮の経験はまだまだ浅い。少しでも現場の空気を知り、指揮の経歴を積み上げるため、本日より期間限定で、小隊を指揮する指揮官として着任が決まった……という流れだったろう事は、想像に難くない。
個人的な印象であるが、頭は硬そうだが真面目な軍人、というのが、レグゼムの感じた少尉殿の人柄だった。
問題はそんなネダム少尉ではなく、第一軍団から副官として一緒に付いてきた男の方らしい。
男の名はサクタル。レグゼム曰く、典型的なイエスマンで、少尉の意見に決してノーを言わない。少尉に対してはきちんとした態度を取るが、他の者、特に指揮下の者達にはあからさまに見下した態度を取る。ひいては第三軍団そのものを下に見ているのが言動の端々に出る等、いっそ笑ってしまうほど、わかりやすく嫌な奴だったのだそうだ。
こちらの本音を引き出すためにわざとやっているんじゃないかとすら思ったくらいだが、今となっては確かめる術はない。
ネダム少尉殿が新しく第六偵察小隊の小隊長となって初の定期偵察行動巡回任務、すなわち本日の任務中、彼は他大勢と共に消息を断っている。
それはまさに、あっという間の、悪夢のような出来事だったのだ。
いつものように、第六偵察小隊が定時に駐屯地を出発し、荒野と樹海の境界を車両に乗って進んでいた時の事。道程の半ばを過ぎたあたりで、ふと、何かに気がついた者がいた。
「樹海の中から、こちらを伺う者がいます。しかも多数!」
無線を通じて声を上げたのは、ミディオレだ。
実は彼女、魔女としての能力を持っていたのである。能力は"自分に向けられた視線を感じる事ができる"というものだ。
勘の良い人間なら、なんとなく他者の視線を感じる、という事があるかもしれないが、彼女の場合、それがよりはっきりと自覚できる。
「何者か分かるか?」
「いえ、正体は不明です。多数、としか」
「ふむ……全車停止!」
ネダム少尉がミディオレに尋ね、返答を聞いて即座に号令をかけた。
ただちに先頭を走る小型指揮車両と、後に続く兵員輸送車が停止する。車両はその二両が全てだ。指揮車両はオープントップで衝撃保護のバーが運転席を覆ったのみの四輪駆動車。兵員輸送車は装甲板が取り付けられたハーフトラックである。指揮車両の方に指揮官であるネダム少尉とその副官のサクタルが、他小隊員は全員輸送車の方に搭乗している。総勢は十四名。
「どうします?」
トラックの助手席から顔を出し、ネダム少尉に声をかけるレグゼム。
「確認しなければなるまい。不明では報告にもならん」
「了解しました。では我々が少数で行きますので、少尉殿はこちらで待機を」
「いや、私も行こう」
「ですが──」
「レグゼム軍曹!」
声を張り上げたのは、指揮車の運転手も務めていたサクタルだ。
「ネダム少尉が行くとおっしゃられているのだ、君はそれに意見するというのかね? 部下である君が?」
「いえ……」
「ならば従い給え。君たちはそうしていれば良いのだ。楽な仕事だろう?」
「はっ」
敬礼して、頭を引っ込めるレグゼム。舌打ちしそうになるのはなんとか堪えた。代わりに部下達に小声で話しかける。
「しゃーない、行くぞ。少尉殿のケツは俺達が守らにゃならん」
「サクタルの野郎のケツはいいんですか?」
「あいつのケツは臭そうだ。守るどころか蹴りたくなるんでパスだな」
「違いない」
軽口を叩きつつ、少隊員達は降車する。
結局、万が一に備えて車両に三名を残し、残り十一名で樹海へと向けて前進を開始した。
樹海までの距離は、おおよそ三百メートルといったところか。先頭はレグゼムとミディオレと他一名。やや後方にネダムとサクタル。それを挟むように二名ずつ配し、さらに後方にも二名、といった布陣だ。指揮官を中心にして囲む配置である。さすがにこれにまでサクタルが文句をつける事はなかった。
「どうだ? まだ視線を感じるか?」
段々と近づいてくる木々の間から目を離さず、レグゼムが隣のミディオレに聞く。
「はい。見られてます。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「なんとなく……おかしいんですよね」
「何が?」
眉間にシワを寄せているミディオレから、明確な言葉は返ってこない。この時は彼女自身、わからなかったのだ。見られているのはわかる。何かいつもの感じと違うのもわかる。しかしなんで違うと感じるのかがわからない。初めて体験する、妙な感覚と、その違和感の正体が。
ミディオレが悩んでいるうちにも一行の歩は進み、やがて森林まで百メートル弱、となった所で、事態は急転する。