魔女は森の中へ 2-2
じっと考えを巡らせていると……。
「そいつには触らない方がいいぞ」
声が降ってきた。
見上げると、前に男が立っている。
「これは、なに?」
「わからん」
返答は短い。そっか。わからんか。ならしゃーない。
「ラーゼリア。特務所属、青二等魔女です。ここで起きている異変の調査に来ました」
立ち上がり、一応口調も改めた。最初の挨拶は大事だ。
彼は小さく「特務魔女……」と呟いた後、
「東部方面第三軍団、第六偵察小隊所属のレグゼム軍曹であります」
きっちりと敬礼を返してくる。
全体的に筋肉質でごっつい体格だった。身長は百九十は下るまい。あたしより頭ひとつ分以上でかい。暗くて表情はよくわからないが、こちらに向けられた目には十分な力を感じた。いかにも強そうな奴の目だ。
所属の第三軍団、というのは傭兵部隊を指している。基本的にうちの国は今の所経済活動も順調で全体的に上り調子なのだが、周辺国よりも人口が少なく、各所で慢性的な人手不足な状態だ。なので、積極的に外国の人員でも採用している。軍はその最たる受け入れ先で、審査も結構簡単なので、割と誰でも兵士になれたりする。
その弊害として経歴の怪しいやつや犯罪者、他の国のスパイ等も一定数紛れ込むわけだが、そこはそれ、入隊するとそれはもうとんでもなく厳しい訓練を課すことで容赦なくふるい落とすという力技をもって対抗しており、普通の犯罪者程度の奴など半日としないうちにこれなら他の国の刑務所の方がマシだと泣いて逃げ出すのだと……そんな話を聞いている。軍曹まで上がったと言うなら、レグゼムは立派な兵士と言って間違いないだろう。
ちなみにあたしの青二等というのは我が国が定めるところの国家認定魔女の階級であり、軍属で言ったら士官待遇、中尉と同意とみなされる。レグゼムよりもあたしの方が上官というわけだ。
「あ、あのー……」
もうひとつ、声が上がった。
レグゼムの後ろから片足を引きずりつつひょこひょこ歩いて近づいてくる細い影。
「こちらは青二等魔女のラーゼリア殿だ」
脇に一歩退いたレグゼムが、あたしを紹介した。
「青二等……魔女!?」
とたんに足を止め、身体を震わせるそいつ。目を見開いているのが闇の中でも分かる。
「あー、すまない。こいつはミディオレ。所属は同じで、一等兵だ」
代わりにレグゼムが説明してくれた。
「よろしくね。それよりその足は?」
彼女の右足、ふくらはぎのあたりには、いかにも急ごしらえで適当な感じに布が巻かれていた。しかも黒く濡れている。間違いなく血だ。
「あの、噛まれて……」
「こいつらに?」
「は、はい……」
さっき撃った猿の死体を指差すと、頷くミディオレ。猿に怯えているのかあたしに怯えているのかどっちか知らないが、オドオドし過ぎだろう君は。
「いつ?」
レグゼムに聞いた。彼の方が話が早そうだ。
「ついさっきだ。いきなり襲われてな。噛まれてすぐに射殺したんだが……」
「わかった。じゃあミディオレ、そこに座って」
「え?」
「早く!」
「はいぃ!」
木の根元に背中を預けるようにして腰を下ろさせると、
「傷口を見せてね」
言いながら、布を取り去り、破れたズボンをさらにナイフで切り裂いた。あの、ちょ、いたっ、とか言う声は無視だ。
傷口は、確かに噛み傷だった。大きな歯型の形で、半円状に切り裂かれている。レグゼムの言う通り、すぐに射殺したのでこの程度で済んだのだろう。もう一瞬遅ければ、この部分が丸ごと齧り取られていたに違いない。
「撃ったのはミディオレ?」
「……いえ」
「俺だ」
あたしの中でレグゼムの評価がさらに上がった。自分じゃなく、他人が襲われたのを見て即座に反応できるのは荒事に慣れている証拠だ。
傷口は大きく、結構深い。血はもちろん止まっていない。そこそこ重症である。
あたしは自分の肩口に、おいで、と片手を差し出した。
すぐにぬっと姿を見せる大きなナメクジ。実は今までずっと背中にひっついていたのだ。
「ひぃぃ! それなんですかぁー!?」
「はいはい、今治療するから落ち着こうね」
問答無用で、傷口にナメクジを押し付けた。とたんにしゅしゅわと患部が泡立ち、薄く煙が立ち上る。
「ひぃぃやぁぁぁぁぁ!?」
「大きな声出さないの。あ、ついでにコレ飲んで。増血剤と感染症予防の抗生剤ね」
ミディオレの口が開いたのを幸いに、腰のパウチから取り出した錠剤をぽいぽい放り込んだ。
「あと水」
とどめに水筒を押し付け、中身を一気に流し入れる。
「……容赦ないな」
ボソリと、背後でレグゼムが呟いた。
「猿の方はもうじき片付くと思うから、一段落したらこれまでの状況を分かっている範囲でいいから説明して」
「了解」
うん、レグゼムは本当に話が早くて助かる。
あたしの蜘蛛達はというと、今も絶賛戦闘続行中だ。
背後の暗闇に振り返ると、銃声がひっきりなしに響いており、幾筋ものサーチライトの光条と、銃火の火線が飛び交っている。
木々の間を跳ね回る小柄な影と、それを執拗に追いかけ、銃弾を浴びせる大きな影。
前者は猿で後者は蜘蛛なのは言うまでもないが、かなり一方的である。機動力は背中に装備を背負っている分一歩猿には及ばないものの、それを火力が補って余りある。
肉薄し、一斉射を浴びせた後、即次の目標へ、という流れで次々と撃破する様は実に鮮やかと言っていい。が……そもそもロミルはこの装備、三百メートル前後の距離でも戦えるように、とか想定していたわけで、これだと糸で拘束して牙で仕留めるという、いつもの戦い方と戦闘の距離感が大して変わらない気が……しないでもない。
今も空中の猿を糸で絡め取った蜘蛛の一体が、ほぼ零距離でグレネードランチャーを……。
ぼごっ、というくぐもった音と共に、猿の身体が弾け飛んだ。
……いや、その武器はね、そんな近距離の、しかも生身の軟かい目標に対して使うものじゃないからね。
初めて使う武装の実戦使用ということで、やっぱり少々課題が……ある、かな。
「これが噂の虫の魔女、か……」
レグゼムの声音が、どこか遠い。
……いつもこんなじゃないんだよ。今の光景見た後じゃ通じないだろうから言わないけどさ!
結構な勢いでもって、何かが飛んできた。
「おっと」
あたしは一歩だけ横に動き、避ける。
びしゃ、と木の幹に当たったのは、今さっき空中で四散した猿の一部だったのだろう。
その木の下にはミディオレ嬢が座り込んでおり……彼女の顔の前に、でろーんと、たぶん猿の小腸あたりと思われる肉塊が垂れ下がる。
「ぴゃぁ!」
鳥みたいな声を上げて、ミディオレは目を回した。