魔女は夢を見、そして目覚める 6-2
我が国ウィレミアは、四十年前の戦争によって誕生した国だ。
その戦争の際、旗頭として先頭に立って戦った一人の魔女が、そのまま魔女王として国の頂点に立ち、魔女の国としてスタートした、という歴史を持っている。
当初こそ殆どの権力を魔女王が保持するという、君主政のような政治形態を採っていたのだが、戦後の混乱期を乗り越え、人材の育成も進んでくると次第に権力は分散されていき、十年ほどするとほぼ全ての権限は委譲され急速に民主化していった。現在では選挙によって選ばれた議員達によって全ての国政が行われている。いわゆる議会民主政というやつだ。
今の魔女王様は、形式的に議会の議長と軍の最高長官の任命権は持っているものの、その他政治、経済、立法、司法、軍事等には一切実質的な関わりを持っておらず、その権限も所持してはいない。
が、我が国、魔女国ウィレミアの国としての顔はあくまで魔女王様であり、我が国の全ての魔女の頂点に立つお方だ。国の象徴としての立場も、内外的に微塵も緩いではいない。
その魔女王様が唯一建国当時から強い権限を保持し続けているのが、魔女に対してである。
特に強力な能力を認められた国家認定魔女は、国よりも魔女王様に仕える事を優先とし、有事の際は国の憲法よりも魔女王様の意志を尊重する事を任命時に宣誓する。ただ、もちろんそれはあくまで有事の際、国を揺るがすような危急の事態が発生したと認められる時のみだ。普段から国をないがしろにするわけでは決してない。むしろそんな事を平気でできる奴は間違っても国家認定魔女になどなれないだろう。幸いにして建国から今に至るまで、魔女王様がその権限を行使した事は一度もない。
現魔女王様、ルナティリア様は、二代目の魔女王様だ。
先代の魔女王様、建国の祖である前魔女王様も健在なのだが、早々と引退され、魔女王の座を五年程前に譲られた。今は前魔女王、魔女太后という新たな称号と共に、内外あちこちを精力的に回られている。もちろん、政治的な権力は何も保持してはおられないのだが、何しろ建国の祖であり、存在そのものが伝説みたいな方である。ちなみに首都にある魔女王様の公館で毎年魔女王様が新年の挨拶を行うのだが、あたしもその時に遠目で前魔女王様を一度だけ見た事がある。
前魔女王様はもちろん、現魔女王様にだって近くでお会いする機会なんて普通はない。
あたしも一応魔女だから、魔女としての実力を高めればいつかはその日が来るかも、なんてぼんやり考えた事はあったけれど……その日がこんなに早く、しかも不意打ちで訪れるなんて……予想すらしていなかった。
──翌日。あたしは同じ部屋で目覚めて朝食の後、違う場所へと案内された。
直径にして二百メートル程の円形空間。天井はドーム状になっており、周囲は全て、床も壁も天井に至るまで全てコンクートという殺風景な場所である。
魔女統合本部の地下にある実験場のひとつ……らしい。入口にあったプレートには、第十七番実験場とだけ書かれていた。ここにはこんな場所がいくつもあるようだ。詳しい説明はなかったので、あたしも特に聞かなかった。知らなくても良いことは知らないほうが良い。七歳の子供でも、そんな事くらいは分かっているつもりだ。
あたしが実験場に入った時には、既に中に人がいた。
「おはよう。よく眠れましたか?」
「はい」
真っ先に声をかけてくれたのは、ルナティリア様だ。柔らかな笑顔につられて、こちらも頬が緩む。傍らには昨日もいたファロ──ファロディアさんもいた。彼女は魔女王ルナティリア様付きの筆頭女官との事で、当然魔女だ。あの後きちんと紹介してもらい、挨拶も交わした。黒髪に黒い瞳、黒と白を基調とした侍女服風の衣装に身を包んだ彼女は、魔女王様の影のように、今日も背後に控えている。物静かな印象の美人さんだ。
「その娘がそうかい?」
そしてもうひとり、初めて見る人物がいた。
深いシワに覆われた顔からして、結構な高齢だと思われるお婆さんだ。頭にはスカーフ……というよりはタオルのような生地の布が巻かれて額から上を隠している。服装は上下共にカーキ色の厚手のシャツにズボン、おそらくは軍装品だが、少々時代の古いデザインっぽい。腰に巻かれた幅の広いベルトには、大小沢山のポーチが下がっている。
「ええ、そうです」
「……ふむ」
魔女王様が頷くと、そのお婆さんのあたしを見る目が鋭さを増した。まさしく突き刺さる視線、とでもいう表現がぴったりくるような眼力だ。まず、この人も魔女だろう。それも、かなりな手練の。
ただ見られているだけなのに全身からじわりと汗が浮かんでくる。それなのに暑いと言うより寒気を覚えた。
「始める前から、あまり威圧しないで下さいね」
「はん、これくらいで弱音を吐くような奴なんて魔女として使い物になるもんか」
なんて会話を魔女王様としながらも、強すぎる目線はあたしから一切外れない。
「……」
あたしは足に力を入れ、呼吸を繰り返すことにだけ意識を集中した。というか、それしかできなかった。ただ、魔女王様の前で無様な姿は見せたくなかった。あと、魔女として使い物にならない、なんて台詞を聞いて、少々意地になったくらいか。若さ舐めんなこの干物一歩手前め。
「…………」
あとは、無言で睨み合う。
体感時間は恐ろしく長かったけれど、実際は一分と続いていなかったろう。
「……ふん、生意気な目をしてる小娘だ。その分生きはいいようだがね」
老婆が鼻を鳴らして顔を反らしたとたん、身体から重圧がすっと抜けていく。冗談抜きで目眩がして倒れそうになった。とにかく気合で踏ん張ってこらえる。
よし、勝った。
内心で拳を握るあたし。そうとでも思わないとやってられない。なんで初対面のお年寄り相手に睨み合って一方的に疲れ果てなきゃならないんだよ! 理不尽だ!
「将来有望な魔女の卵をあんまり虐めないでくださいね」
「軽く撫でたくらいで潰れるような卵なら、産まれない方がいっそ幸せだよ」
笑いを浮かべながら、老婆は言う。
あれが軽く撫でた程度なら、かなりの卵が割れると思うよ。握りつぶすの間違いだ。
困ったように軽く息をつくと、魔女王様はあたしに向き直った。
「あらためて紹介します。この方はバルザイール。その名前は貴女も聞いたことがあるのではなくて?」
「……ばるざ……」
我が国ウィレミアは、四十年前の戦争により誕生した魔女の国だ。何度も言ってる気がするけど。
その戦争において旗頭だった一人の魔女が、やがて初代の魔女王様となった。
が、建国の英雄が魔女王様一人だったわけではない。
他にも大勢の人々が建国の立役者として名を残している。
その中で、特に戦闘において飛び抜けて多くの戦果を上げた魔女、というのが六人いるのだ。彼等は勝利に導いた六人の魔女、原初の魔女、始まりの魔女、等々の名でも呼ばれて今に伝わっている。そして、その内の一人こそ……。
「……菌糸の魔女、バルザイール様?」
おそるおそる口に出すと、ルナティリア様が頷いた。
……えええええ……この人が建国の英雄の一人なの?
初対面のいたいけな幼子を脅してくるような人が?
この、いかにも嫁を毎日いびってますって雰囲気の、いけすか……じゃなくて、気難しそうなお婆さんが?
「……なんだいその面は? 言いたいことがあるならはっきりお言い」
じろりと目を向けられ、あたしは慌てて首を振る。愛想笑いを浮かべようとしたら思わず口元が引きつった。顔の筋肉も混乱してるよこれ。
「問題が問題ですので、今回は見届人をお願いしました。本来であれば前魔女王様にも来て頂きたい所だったのですが……」
「あいつらは今帝国に行ってるからね。まあ、間が悪かったよ」
ファロディアさんの台詞に、バルザイール様が肩をすくめた。
前魔女王様は、つい数日前に親善使節とともに帝国へと旅立って行ったのだ。
ガルガイア帝国と我が国ウィレミアは建国以来の友好国であり、特に前魔女王様は前の戦争でガルガイア帝国兵と共に各地で戦い、多くの命を救った事もあって、帝国でもかなり人気がある。
帝国も今は代が変わっており、前皇帝陛下と前魔女王様は個人的にも家族ぐるみで付き合いがあるそうだ。現在は共に後進に道を譲ったという事もあって、現役の頃よりも余程気楽にお互い行き来しあって親交を深めている……と、言われている。本人達はともかく、周囲の皆さんは大変なんじゃないだろうか。
「さて、そんな事より早速始めようじゃないか。その小娘の面白い能力、見せてくれるんだろ?」
再びあたしを見て、目を細めるバルザイール様。
「そうですね……大丈夫ですか、ラーゼリア?」
「はい」
ルナティリア様に名を呼ばれ、あたしは頷いた。もとより嫌はない。あたし自身、この能力は確かめなければならないと強く感じている。実力も立場も確かな人達が見守っているこの場、この時を置いて他に最適の機会なんてないだろう。だったら後はやるのみだ。
「準備はできています。後は起動するだけですね」
ファロディアさんの落ち着いた声。
彼女の顔は、この実験場のほぼ中心に向けられている。
そこに……ひとつの異形が転がっていた。
見た目は、金属の骨組みを組み合わせて動物の形を成したもの、だろう。
この実験施設の天井に無数に埋め込まれた照明から放たれている白っぽい光を浴びて、鈍く銀色に輝いていた。
大きさは大体三メートルくらい。起き上がれば四足歩行の動物っぽい形になるとわかるが、それは今、コンクリートの床の上に横倒しに倒れている。
「あれが……」
「はい。一般的には"鋼の獣"などと呼ばれている超越遺物です」
硬い声のあたしに、ファロディアさんが教えてくれた。
それがどういうものかは、あたしも知っている。四十年前の戦争の事を学べば、必ず出てくるものだからだ。
鋼の獣は、前の戦争でもっとも多く戦線に投入された超越遺物であり、超越遺物の中では特に数多く発見されている種類のものだ。稼働できる状態のものも多い。
特徴は今目の前にあるのと同様、金属の骨組みを持った動物、もしくは人の形をしている。
他の超越遺物とは一線を画す程に数多く発見されている事から、これを作った超古代の人々は、自分で戦う代わりにこれら鋼の獣を兵士として大量に運用していたのではないか、とも言われている。
元々は骨組みだけではなく、きちんと皮なり外装なりで覆われて、もっと本物っぽい形を模していたと推測されているが、数万年の年月でそれらは全て風化し、もっとも頑丈な根幹部分たる骨組みだけが残ったと……確かそんなような事を本で読んだ。
「私達がいます。心配は無用ですよ」
「……はい」
いつの間にかルナティリア様があたしの隣に立っていた。肩に手を置かれて、ハッとする。あたしの方の手はというと……情けないことに少々震えていた。強く握りしめ、無理矢理に止める。
「やります。始めて下さい」
鋼の獣を睨み、あたしは言った。




