魔女は夢を見、そして目覚める 6-1
初めて気づいたのは、七歳の夏だった。
魔女育成の幼年クラスに通っていたあたしは、その日、歴史の勉強の一環として、ウィレミアの北部にある古代遺跡に見学に来ていた。
遺跡は大きな洞窟の内部に石の壁や天井が後から付け加えられた作りをしていて、結構広く、規模もそれなりに大きかった。少なくとも作られたのは二千年以上前だと案内役のおじさんが言っていたのは覚えている。
林立する石の柱や、当時信仰されていた神を象った巨大な像──そんなものをクラスメイト達と列を成して眺めつつ進んでいくと、やがて遺跡の最奥部へと辿り着く。
そこはかなり広いドーム状となっていた。天井の一番高い頂上部分が外へと繋がる開口部兼明かり取りの窓としてぽっかりと丸く開いている。そこから陽光が差して、床と壁を照らしているのだが……ちょうど入口の対面にあたる一番奥の壁に、それはあった。
──燃え盛る世界の中に立つ、巨大な人の形をしたもの。
かつて世界を滅ぼしたと言われている"魔神"と名付けられた存在。それが描かれた壁画だ。
悠久の時の流れの中を過ごしてきただけあって、かつてはかなり色鮮やかであったであろう壁画は、ところどころ塗料が剥げ落ち、色褪せ、描かれている壁そのものが一部剥がれ落ちていたりする部分もあったりして、当然それなりに傷んでいる。
が、しかし……中心に一際大きく描かれた魔神、その胸にある心臓だけは、今も赤黒い色がはっきりと残り、形も他と比べて精細に刻まれていた。
「……!?」
その心臓を見た瞬間、あたしの全てが止まった気がした。
なぜ、その心臓だけがやたらとくっきり見えるのか? まるでそこだけが描かれた当時そのままの姿を保っていたようにさえ思える。
そして、あまりにも生々しく、絵とは思えないほど現実的で……今にも鼓動を始めそうだ。
あきらかに、そこだけが他と違っている。なのに、周りの人達は誰もその事を指摘しない。気にもしていない。
……ひょっとして……自分だけが違って見えている……?
そう感じた瞬間、一気に"理解"した。
あたしは……これを呼ぶことができる。
胸を手で押さえ、その場に崩折れた。
これの呼び方、呼んだ後どうなるか……それがイメージを伴って頭の中に浮かんでくる。次々に、自動的に、遠慮なく。
無機質な言葉で書かれた取扱説明書を無理やり読まされたような感覚だった。それが本来どのようなものであるのか、なんてことは何もわからない。ただ、使い方を知っただけだ。
そのあまりにも圧倒的な存在感と力は……たった七歳の小娘でしかないその時のあたしにはキツすぎた。ちっぽけな脳みそに勝手に侵入して暴れ回る心臓の情報が、あたしの意識を翻弄し、蹂躙していく。
「あ……あ……」
息をすることすらできなきなくなったあたしは……あっけなく気を失った。
──目を覚ます。
子供の頃から、あたしは寝起きだけは良い。
その時も、覚醒してすぐに回りを見回した。ボリュームを一気に上げるように、急速に意識がはっきりとしていく。
最初に気がついたのは、赤い光だった。
窓からカーテン越しに差し込む光が、その色に染まっている。という事は夕方か、朝か。
身体の調子やお腹の空き具合から、夕方だと判断した。
ここはあたしの知らない部屋で、あたしはベッドに寝ている状態。
そして……窓を背にして、見知らぬ誰かがいた。
二人だ。
ひとりは椅子に座っている。もうひとりはその人の後ろに立っている。
顔は逆光になっていて良く見えない。ただ、どちらも女性だということがなんとなく分かる程度だ。
──誰?
あたしが尋ねる前に、座っている人の方が口を開いた。
「目を覚ましたのですね」
落ち着いた、大人の女性の声だ。彼女は今まで読んでいたであろう何かの本を閉じ、じっとあたしを見つめてくる。
「ここは魔女統合本部内にある病院施設の一室です」
「魔女……統合……」
その名称と場所は知っている。ただ、たった七歳の魔女の卵が簡単に足を踏み入れるような所ではない事もあたしは知っていた。
「あなたは北の遺跡で倒れた。それは覚えていますか?」
「は、はい……」
声も雰囲気も柔らかく、優しいとさえ言えるものだ。が、なにかこう、目の前の女性からは逆らえないものを感じた。威風、とでも表現するような、思わず従いたくなるような、圧倒的な存在感みたいな……そんなものを。
「これは機密事項なのですが……魔女の中には、これから起きることを事前に察知できる能力を持った者もいます」
「はあ……」
「とはいえ、なんでもわかるというわけではありません。とても曖昧で、漠然とした予知みたいなものでしかないのですが……」
と、ここでもうひとりの女性が動いた。座っている人の耳元に顔を寄せて、何事かを囁く。
「……ええ、わかっています。余計な事は言いませんとも」
座っている女性の台詞から推測するに、注意されたようだ。機密に関することをあまり喋るな、とか、そのあたりだろう。
「ええと、それでですね。その能力を持った者達が、本日とある予知をしたのです」
さして気にした風もなく、女性は言葉を続けた。
「北の遺跡で、興味深い魔女の能力が開花する、と」
「え……?」
ドキリとした。思わず、片手で胸を──心臓のあたりを押さえてしまう。
「その表情からすると、思い当たることはあるようですね」
「は……はい」
素直に認めた。そもそも遺跡で見たアレを呼び出せそう、なんて秘密をあたし一人で抱えるなんて無理だ。早い所誰か、できればそれなりの立場の魔女に相談しなければならないだろう。目の前のこの女性は、まず間違いなく魔女だ。しかもさっきサラリと機密なんて言葉を口にしたという事は、結構な権力も持っているに違いない。
「あの、かなり突拍子もない話になるのですが……」
一応、それだけは先に断っておくことにした。なんにせよ、話さなくてはならないが、信じてもらえるとは限らない。それになにより、モノがモノだけに、かなり大事で、とんでもない話である。伝説の中にある存在を顕現できるなんて……正直今でも自分自身半信半疑だったりする。
「ええ、別にそれは良いのですが……長い話になりますよね?」
「はい」
「じゃあ、お食事をしながらにしましょうか。ファロ、なにか簡単につまめるものをもらってきてくれる? 私達も今日はここで一緒に夕食にします」
「……」
言われた方のファロ、と呼ばれた背後の女性は微動だにせず、ただ座る女性に目を向けただけだ。
「あ、あの……」
「あなたも昼から何も食べていないでしょう? だめですよ、食べざかりの年で食事をおろそかにしては」
「はあ……ええと……」
いらないと言ったほうがいいのか、それとも逆にそれだと失礼なのか……正しい返答が分からず、二人の女性の間で視線をさまよわせるあたし。
折れたのは、ファロと呼ばれた女性だった。
「……すぐにご用意します。少々お待ちを。それと……そろそろ立場を明かされたほうがよろしいかと」
僅かなため息交じりに、彼女は言った。生真面目そうな声で。
「あら、そういえばまだ名乗っていませんでしたね」
クスリと微笑みつつ、座っている女性があらためてあたしに向き直る。
「今ここにいることは内緒ですので、正式な名乗りはできませんが……私はルナティリアです」
「…………るな……」
その名前は、聞き覚えがあった。いや、あるなんてものじゃなかった。この国にいる者ならば、知らない者なんていない程の名だ。
一瞬思考が止まったそのタイミングで、部屋の明かりが点けられる。
そのおかげで、顔がやっとはっきり見えた。
長く伸びた銀色の髪に、青い瞳。齢は四十を超えていると聞いてはいるが、とてもそうは思えないほどに若々しい。そしてなにより、目を覚ました時からずっと感じていた、圧倒的な存在感……。
「……魔女王、さま……」
呆然と呟く、あたし。
「はい、そうです。はじめまして、小さい魔女さん」
微笑んだまま頷く魔女王様だった。




