魔女は出撃する 1-3
魔女と魔法使いは、似ているようで実は全く違う。
一般的な"魔法"というのは、突き詰めてしまえば宇宙を含めたこの世界全体を満たすように広く存在している"エーテル粒子"を操る技術である、と言える。
このエーテル粒子は生物の意志の力で干渉する事ができるという特性を持っており、そこら中の空気と一緒にまとめてひっくるめて圧縮すれば熱が発生するし、それが一定限度を超えれば火が起こる。逆に急速に拡散させれば温度は下がるし、単純に空気と一緒に動かせば風が吹く。土と動かせば、地面を盛り上げたり穴を掘ったりも可能だ。
ちなみに魔法は人間だけでなく、一定以上の大きさと知能を持った生物ならば行使でき、自然にそれらを覚えた人間以外の生物は、魔獣、または魔生物等と呼ばれて区別されている。人間が飼い慣らした動物に後から魔法を教えたりする、なんてことも例は少ないが一応できるとされている。
さて、そんな一見便利で万能そうな魔法ではあるが、発動にはエーテル粒子を動かす意志とイメージを強く持つ事が必要であり、さらに実際に動かす際には、生体のエネルギーが消費される。体内の、身体を動かしたり物を考えたりするエネルギーが、だ。当然、大きな現象を引き起こそうと思ったら相応のエネルギーが必要となるわけで、あたりまえだが使いすぎたら疲れるし、頭もぼぉっとしてくる。限度を超えたらぶっ倒れもするし、下手したら死ぬ。
魔法を使う際に必要な生体エネルギーは、特に"魔力"と呼ばれており、体力のように鍛えることも可能だが、才能によっても左右される。訓練や正しい知識と使い方を学ぶ事も重要だし、センスも必要だろう。まあ、そのへんは別に魔法に限ったことじゃないけれども。
一方で魔女が行使する力はというと……実はよくわかっていないというのが現状だったりする。
なんじゃそりゃ、とか言われるかもしれないが、実際不明なことが多いのだから仕方がない。
判明しているのは、魔法と違って魔力どころかエーテル粒子さえ必要とせず、純粋に自らの意志のみで魔法と似通った現象を引き起こす事ができる能力である、という事、ただそれだけなのだ。
しかも魔法はエーテル粒子を介してはいるが、あくまで現実的な物理現象を発生させるものであるのに対し、魔女の能力は、なんでこんな事ができるの? と第三者が問い詰めたくなるような、まさに摩訶不思議な事象を発生させたりする。あたしの虫の召喚なんてのもまさにそれだ。自分の体の一部を呼び水として、どこからともなく対象を呼び出すわけだが、彼らがどこから来ているのかなんて、あたし自身知らない。
魔女に共通しているのは、ある日突然に、あ、なんか自分はこんな事ができそう、とひらめいて、試してみると本当にできてしまうという事。自分でも理由は理解できない。できるからできる、としか言えない。理屈じゃないのだ。
あたしが自分の能力に目覚めたのは、五歳の夏、一人で図鑑を見ていた時だった。
世界から失われた絶滅生物、というページをめくっていて、ひとつの生物に視線が止まった瞬間、自分はこれを呼び出せる、と確信したのである。そう、確信だ。
なんの疑いもなく、できる、という思いだけに支配されたあたしには、当然そのやり方もわかっていた。髪の中に手を突っ込み、手櫛で数本抜くと、それを見つめながら、来い、と命ずる。
淡い光を放ちながら髪はたちまちに消え失せ、代わりにそいつが目の前に現れた。
今、三輪バギーで帰路をひた走るあたしの肩から背中にかけてぴっとりと張り付いて、頭の先から伸びた目と触手を風に揺らせつつ機嫌良さそうにしている大型のナメクジ。
既にこの世界からは絶滅しているはずの彼の種としての名称は"イヤシオオナメクジ"という。
あたしが初めて召喚した生物であり、あたしが魔女として目覚めたその日に出会った相棒一号である。
前の召喚から多少日にちが空いたせいか、消えるのを嫌がって離れてくれない。
こんな見た目ではあるが、これでこやつ、結構甘えん坊だったりする。
ウィレミアは、魔女の国だ。
今から四十年前の戦争によって独立を果たした、この大陸の中では比較的若い国である。
のんびりと走って、夕方くらいに魔女統合本部に着いた。
魔女国ウィレミアの魔女統合本部は首都ウィラーデの西の外れにある。周囲は林と原野に囲まれ、ちょっと走ると緑の地獄、ガルムデル大樹海もすぐそこ、という絶好の場所だ。何が絶好なのかは想像にお任せするが、とにかく辺鄙な場所である。周囲数キロに渡って人気のひの字もない。ここならば少々血の気の多い魔女たちがちょっとばかり派手な能力を使った訓練や実験を繰り返したとしても、文句は出ないし、実際に出たこともないそうだ。ウィレミアで魔女に文句を言うやつは命がいらないと言っているのと同義、なんて言葉も市井にはあるけれど。
魔女統合本部、という名称こそ大仰だが、実際のところはその大部分が各種魔女の能力の実験と試験のための施設、設備である。魔女国にとって、特に強力な魔女達の能力は極秘事項だ。人里離れた場所にあるのは、むしろ当然なのだろう。関係各所との事務的調整などは、首都中心部にある中央官庁の中に事務局が別にあり、日夜優秀な人員が政治家その他めんどくさい連中と言葉で殴り合っていると聞く。そっちはあたしなんかには絶対にできない仕事だ。尊敬しかない。
石造りの歴史を感じさせる廊下に、あたしの靴音が響く。
統合本部の建物は、元々は大昔の大規模な砦跡だ。そこを後からさらに無軌道に増築を重ねたせいで、外から見ても中を歩いても複雑怪奇な様相となっている。なにはなくともまずこの内部の構造に慣れる事、というのが新人魔女への訓示に毎回必ず入っているくらいである。あたしも新人の頃はよく迷った。というか、今でもたまに迷う。ここに何年も務めているベテランでも気を抜くと迷うという話だ。そしてたまに迷った人間が未発見の通路を偶然見つけてしまったりする。嘘か本当か知らないが、空間の繋がりがおかしくなっているのではないか、という説もあるのだが、定かではない。
今回は無事に、目的の場所に辿り着くことができた。でかくて立派なドアの前で、あたしは居住まいを正すと、軽くノックをする。
「青二等魔女ラーゼリア、参りました」
一拍おいて、中から、どうぞお入りください、の声。
失礼しますと告げてから、あたしはドアを開け、中に入った。
やや小さめの控えの間には、一人の男性が立っている。きっちりと整えられた金髪に糊の効いた白いシャツ。傍らの彼のデスクの上にある書類もペンもタイプライターも一分の隙もなく綺麗に整えられて配置されている。いつの間にか悲惨な事になっているあたしのデスクとはえらい違いだ。おまけに誰にでもにこやかに話しかけるこの甘い顔たるや!
今日も相変わらずできる男、という空気をまんべんなく放っているこの人の名はドラッゼ。この先の部屋にいる魔女殿の副官兼秘書であり、この人自身もまた魔女だ。
魔女、というと全て女なのかというと実はそうでもなく、男の魔女もいる。
とはいえ魔女としての能力に目覚めるのは何故か殆どが女性であり、男性の魔女はほんの一握り、というのが現状だ。このドラッゼはそんな希少な男の魔女の一人というわけである。確か年は二十代半ばくらいだったかな。
「報告は既に上がっています。それはそれとして、新しい任務があるようです」
と、あたしに告げた後、
「あと、そちらはお預かりしますね」
「え? ああ……」
言われて、気がついた。そういえばまだナメクジが背中に張り付いたままだ。
「ちょっと行ってくるから、いい子にしてて」
肩越しに言うと、しゅるしゅると体を縮め、三十センチくらいになる。この子は体の伸び縮みが割と自由自在なのだ。
ドラッゼが手を差し出すと、すいっとそちらに移動する。もちろんドラッゼは嫌な顔ひとつしない。慣れているのもあるが、大人である。
「頼みます。では」
互いに一礼。あたしは部屋を進んでもうひとつのドアの前に立つ。そこでまた名乗り、中からの返答を待って、ドアを開けた。触手を振るナメクジと、ドラッゼの微笑に見送られつつ、あたしは歩を進める。
いつものことだが、最初に感じたのは圧力だ。物理的なものではなく、精神的な。
窓を背にして、大きなデスクがひとつ。そこに座る赤髪の女性がひとり、あたしに目を向けている。
女性としてはさして大柄というわけでもないのだが、存在感がものすごく。今日も視線だけで人をひれ伏させるような雰囲気を放っていた。
特殊任務実行部隊、通称魔女特務部の長官である銀一等の魔女、エナリゼ。あたしのボスである。
「おおむねよくやった、と言っておこう」
前置きもなく、彼女は言った。質実剛健を地で行く長官殿は、余談があまりお好みではない。表情も、声も、どこか鍛え上げられた鋼のような印象だ。年は確かまだ三十に届いていないくらいだと聞いたことがあるが、貫禄は遥かに超えている。
あたしはただ、は、と僅かに頭を垂れるのみだ。
「細かい報告書などは後で良い。それよりもこれだ、読め」
「は、失礼します」
デスクの上に置かれた紙束があたしへと差し出される。それを受け取り、あたしは目を通した。
量的には大したことはない。正式な通達用紙が数枚、それだけだ。
ただ、内容が内容だった。
本日午後、特務部諜報第四班より、ガルムデル森林外縁部にて特殊な異常事態が発生、との報告あり。ただちに調査、及び実行部隊の派遣を行う必要もあるとの事。ただし、現地での戦闘を鑑みるに、機動力と破壊力を兼ね揃えた魔女を向かわせねば解決は望めないと判断。特務部諜報第四班からの推薦では……。
──あたしの名前が一押しで挙げられていた。
特務部諜報第四班、とは主に予見や予言といった能力を持った魔女集団だ。そこでは日夜この国周辺で起きると予想されるありとあらゆる各種異常事態、現象を探っており、なにかしら引っかかる予兆が感じられると、すぐさま特務部の実行部隊が現地に派遣される、という体制が採られている。的中率は実に高く、少々の時間、場所のズレや、起こる事態の規模等に差異が生じることはあっても、完全に何もなかった、などという事はこれまでに一度もない。言うまでもなく、この特務部一の秘密部隊であり、ひいては魔女国ウィレミアにとっての超極秘事項のひとつとなっている。特務部第四班、という名称自体、予言なんて能力を感じさせないための、外に対する欺瞞だ。
ちなみに、ここに来る前に蹂躙してきたトカゲの出現も、囚人護送車を襲う狂暴な影あり、と今朝方に時間と場所が予言されていた事なのだ。どうも今日はガルムデル大樹海の一部が妙に騒がしい。
「現地には私一人で?」
「それで対処可能との事だ。装備班にて今回必要と思われる特殊装備の用意も既にできていると通達が上がってきている。受領後、ただちに現地へと向かえ」
「は、青二等魔女ラーゼリア、これより任務行動を開始します!」
敬礼をして、すぐに部屋を退出する。
こうして、新たなお仕事が始まった。休む間もないとは、まさにこの事だ。