魔女は共に戦う 4-10
大きな木の下に座り込み、近くに侍らせた蜘蛛の身体を撫でていた。
少し硬めの細かい毛が、手の平に心地よい。
その感触だけを、あたしはただ、楽しんでいた。
耳を澄ませば、ほんの微かに、ミディオレの低い泣き声が聞こえる。彼女もまた、別の木の下に座り込み、ナメクジを抱きしめていた。冷たい感触が気持ちいいから、と半ば無理矢理に彼女に押し付けたのだ。ナメクジは彼女に抱かれたまま、ほぼじっとしている。たまに触手を伸ばしてミディオレの目元をつついているのは、目が腫れないようにとの気遣いだろう。こういう気遣いは紳士である。ナメクジだけど。
遠くから、羽音が近づいてきた。かなりゆっくりだ。
そちらを見ると、森の木々の間から、フラフラと飛んでくるものがある。
手を差し伸べ、あたしは彼等を迎え入れた。
……ダンガンコガネ達だ。
さすがにあの大亀相手では、無事というわけにはいかなかった。硬さはともかく、問題なのは温度だ。瞬間的に千度を超える高温に耐えられる生物なんていない。体内はそれ程温度は高くないかも、とか見積もっていたが……それも甘かった。
戻ってきたダンガンコガネは二体だけだ。リーダー個体と、もう一体だけである。どちらも体中ボロボロだった。羽は大きく破け、足も何本か無くなっている。甲殻が無事なのは流石だが、今は飛ぶのもやっと、といった惨状だ。
他三体は、ダメージが大きすぎて消滅した。この二体も召喚を解除したら、次に召喚できるようになるまで最低一週間は必要だろう。
「お疲れ様。あとは任せて、ゆっくり休んで」
手の上と、頭の上にいるダンガンコガネの身体を、順番に軽く撫でた。彼等の身体が、すうっと溶けるように消えていく。これでもう、ダンガンコガネはしばらく呼べない。
「……よう」
ぶっきらぼうな声と共に、今度はレグゼムがやってきた。
「終わった?」
「まあな」
レグゼムは五人の仲間から、首に下げた軍の認識票を回収してきたのだ。これを持ち帰れば、五人は正式に軍行動中における戦死と記録される。戦死と行方不明では、扱いが違うからね。主に残された家族に対する見舞金とか年金とか。
五人との戦いは、結局あたしが手を出すまでもなかった。
元々操られる前からかなり肉体にダメージを受けていた事もあり、殆ど危なげなく、レグゼムとミディオレは五人を無力化──平たく言うと殺した。その事については、あたしから二人に言うことなど何もない。
「あいつらのポケットの中に、他の奴等の認識票も入ってた。おかげで八人分は揃ったぞ」
「……そう」
「サクタルの野郎のポケットに小隊長の認識票が入っててな、一体何があったのやら」
「そっか」
どっかりと、レグゼムがあたしの隣に腰を下ろした。
見た感じ、このおっさんはもう平常運転に戻っている。その辺はさすがに軍で年季を重ねたおっさんだ。実に心強い。切り替えが早い軍人は優秀だと、誰かが言っていた。誰だったかは忘れたが。
でもだからこそ、あたしは言ってみる事にする。
「ひとつ、提案」
「なんだ?」
「夜明けまでには、まだちょっと時間がある」
「まあ、そうだな」
「今からだったら、なんとか森を出られる方法はある」
「……おい」
レグゼムがあたしを睨んできたが、構わず続けた。
「蜘蛛の殆どを護衛に付ける。何だったら背中に乗るといいよ。乗り心地は保証しないけど、その方が断然速いからね。お勧めする。で、途中、寄ってくる奴等はいちいち相手をしないで、とにかく森を出るのを優先する。出てしまえば、もうこっちが有利。あいつらじゃ、蜘蛛の速度にはそうたやすく追いつけない。無線も使えるようになるから、こっちに向かっているであろう捜索隊に連絡もできる。成功する確率は高いと思うよ。装備は最低限だけ残してもらえば、あとは全部持ってっていい」
一応、あたしの言葉を一通り黙って聞いた後、レグゼムは口を開いた。目つきがますます悪くなってる。間違ってもか弱い年下の女性に向ける視線じゃないぞ、それ。
「……その言い草はなんだ? お前は残る事が前提か?」
「そりゃそうでしょ。ジア達の興味はあたしの身体らしいからね。あたしはあいつらの所に行くよ。んで姉妹共々張り倒す。ぶん殴って泣かせてやる。あいつにもそう言ってやったし、約束は守らないと。あたしがあいつらの所で思いっきり暴れたら、そっちに戦力を回す余裕もなくなるだろうし、遠慮なく徹底的にやってやるよ」
あたしの台詞に、大きくため息を吐くレグゼム。
「あのな……俺達がそんな事──」
が、言葉の続きを放ったのは、別の人物だった。
「私達がそんな提案、本当に飲むと思っているんですか?」
ミディオレだった。いつの間にか泣き止んでおり、側に来てあたし達の話を聞いていたようだ。
「第一、あの姉妹が欲しているのはあなた一人の身柄ではありません。魔女の身体とその能力だったはずです。だったら、私だって十分狙われるだけの価値があります。逃げるというなら、レグゼムさんだけ放り出せばいいんです」
そう言いながら、あたしの胸にナメクジを押し付けてきた。
ちょっと戸惑いながら、それを受け取るあたし。一体……どうしたの? 今のミディオレはなんかやたらとスッキリ……というか、振り切ったような顔をしている。さっきまでナメクジ抱いて泣いていたのと同一人物とは到底思えない。あんな状態のミディオレにこれ以上付き合わせるのは酷だと思ったから逃げの手を提案してみたってのもあるんだけど……あれ? 余計なお世話だったりした?
レグゼムの方も大体同意見だったと見えて、え、俺だけ? え? とか呟いてる。あたし以上に困惑してるな、こいつ。
「それに……私はあのジアという人の視線から、その感情の一部も垣間見ました。彼女は確かに……自分達のしている行為に対して、忌避感や嫌悪感、後悔といった想いを一切抱いてはいません。彼女自身が言った通り、私が感じ取れたのはただ、強い喜びと幸福感だけでした……」
その感じたモノを思い出したのか、ミディオレの顔が少し歪んだ。
「彼女達は、放置すればこの先も生物を配下として加えながら、このガルムデル大樹海の中で勢力を増していくでしょう。今のうちに止めるべきです。でないと、彼女達が所持する超越遺物の能力上限が予想できない以上、どこまで拡大するかわかりません。早急に、一刻も早い対処が必要な事案であることは疑いようがありません。そして、それができるのは、今ここにいる私達だけです」
それは、ミディオレの言う通りだとあたしも判断していた。あの姉妹は、何が何でもここで潰しておかないと駄目だ。そろそろ移動するとも言っていたし、もし移動されたら、この広すぎるガルムデル大樹海の中を捜索しなきゃいけなくなる。不可能とまでは言わないが、かなり対処が難しくなるのは確実だろう。
「やりましょう。私達の今持てる全戦力をぶつけて、あの姉妹を止めるんです。いえ、止めなくてはならないんです!」
力強い台詞と共に、ミディオレはあたし達の前へと、その拳を突き出してきた。
……ミディオレは実に堂々としていて、言葉からも態度からも迷いが感じられない。本当、かなり印象変わったね。一皮むけたというか……これも全部ナメクジ、お前のせいか? その無駄に高い癒やし効果のせいか? さてはそうなんだなこの凶悪カウンセラーめ。
じとっとした目を向けると、気まずそうに顔を反らすナメクジ。
それはそれとして……仕方ないな、これは。他の誰でもない、ミディオレにこうまで言われて、ダメです、なんて言えるわけがない。あたしは色々諦めた。そして……受け入れた。
「わかった。あたし達本物の魔女の実力って奴を、存分に見せつけてやろうじゃないの」
「はい!」
あたしも手を伸ばし、ミディオレの拳に自分のを軽くぶつける。
「あー、盛り上げってる所すまんが、もちろん俺も……行くぞ?」
おずおず、と行った感じで、レグゼムもまた、拳を向けてきた。
「え? 来る気だったの?」
「レグゼムさん、無理する必要ないんですよ?」
「なんでだよ! ここは三人で結束固める所だろうが!」
お前ら意味わからんわ、と憤慨してみせるレグゼムにあたし達は笑いつつ、三つの拳を合わせた。
……あたしがその気だったら、この二人を無理矢理にでも逃がすことはできたろう。形式上とはいえ、この中で一番の上官はあたしなのだ。命令という形にすれば、基本従うより他ない。まあ、この二人ならそれでも従わないかもしれないけど、いざとなったら糸でぐるぐる巻きにした上でコンテナの中に詰め込んででも逃がすことはできた。
でも、あたしはそれらの手段を取る気にはなれなかったのだ。
なんだかんだ言って、あたしもこの二人の事は信頼しているし、気に入ってる。どうせだったら、このまま最後まで、だ。
かくて、あたし達は三人揃って、超越遺物を持つ姉妹との決戦に望むことになった──。




