魔女は出撃する 1-2
左手を上げる。
黒トカゲの目には見えたろうか。あたしの五本の指の付け根にそれぞれ巻かれた髪の毛を。その中の一本、中指の髪の毛を親指の爪で引っ掛けて──切った。
「来い!」
切られた髪の毛が、消える。そして呼びかけに応えたものが、姿を現した。
黒くて、長くて、足がいっぱい。
しゅるしゅると伸びた体が螺旋を描きながら、瞬時にあたしの体に巻き付いた。
それは……ムカデだ。体の幅は四十センチくらいだが、長さは五メートルは下らない。黒光りする表面の甲殻は金属の光沢を持ち、実際に小銃弾くらいは弾き返す硬度を持っている。赤く輝く二つの目、頭部から伸びる二本の触覚。ギチギチと硬質の音を立てて打ち鳴らされる牙。わさわさと波打つ無数の赤い足。
体の半分はあたしに絡みついたまま、残る半分、頭の方がしなる一本の鞭のように唸りを上げて黒トカゲへと飛んだ。
ドゴッ、と見事なまでに横っ面を張り倒されたトカゲの体が宙に浮く。が、地面に倒れたりはしない。あたしのムカデがそのまま首に巻き付き、締め上げ、さらには噛み付いたからだ。
その噛み付いた部分から、噴水みたいに血が吹き出した。牙があっさりトカゲの皮を貫通したらしい。血だけではなく、ぶくりぶくりと白い泡まで傷口から溢れ出し、周囲にはやや酸味を帯びた刺激臭が漂い始める。これは……毒であり、しかも強酸性という凶悪な仕様を持つうちのムカデの技である。効果はてきめん。噛まれたトカゲは暴れる間もなく、ビクンビクンと数回痙攣したかと思ったらすぐにぐったりとなってしまった。圧勝である。
ふっ、そんじょそこらの爬虫類ごときがうちの虫達に勝てると思うな馬鹿め!
「……あ、あ、あんた、ひょっとして……」
戦果に悦に入っっていると、背後からやや震えた声。振り返ると、カーキ色の制服のおっちゃんがバスのフロント越しにこっちを見ていた。その表情に浮かぶのは若干の怯え、だろうか。こんな小娘にそりゃないだろう。
ああ、そういえば自己紹介がまだだったっけ。
あたしは顎の留め金を外し、ヘルメットを脱いだ。肩の線で切り揃えられた茶髪がふわりと広がるのを感じる。あたしの髪は癖が強くて、長いことヘルメットを被っていたとしても、二、三回もブルンと頭を振ると戻ってしまう。ある意味便利であり、不便であり、半分諦めている。
顔の造作は……まあ普通、じゃないかとは思っている。色白で、身長は百六十センチにあと少し、といったところだ。太ってもいないし、痩せてもいない。体型もまた、この年令の一般的女子の普通の線を外れてはいないだろう。今年で十六歳、淡いグリーンの瞳から繰り出される視線がたまに怖いと言われる事があるが、そんなものは他人の感じ方次第だ。あたしの知ったことじゃない。
脱いだヘルメットを小脇に抱えると、あたしはピシっとした敬礼をしつつ、名乗った。胸の徽章には陽光を受けて煌めく青色の三日月がふたつ。
「特務魔女、青二等のラーゼリアです。こちらの状況が見えたので助勢を……」
と、あたしの言葉の途中で、
「ややややややっぱり魔女だぁぁぁぁぁ!!」
「特務って、魔女王の秘密部隊って聞いたぞ!」
「しかもラーゼリアって……あの!?」
「虫の魔女だぁぁぁぁぁ!!」
「気に入らない奴を片っ端から虫の餌にしてるって奴だぁぁぁぁ!!」
「いやだぁぁぁぁ死にたくない!」
「死ぬにしても虫に食われて死ぬのは嫌だぁぁぁぁぁ!!」
「まだトカゲの方がマシだぁぁぁぁぁ!!」
「刑務所で死ぬまで働くから許してくれぇぇぇぇぇ!!」
護送バスの中で、男共の声が爆発した。
腕も足もあたしの胴体より太いんじゃないかってくらいの筋肉野郎共が、顔もどういう人生過ごしたらそんなに厳つくなるんだよってくらいのご面相の奴らが、ドタドタとバスの奥の方へと駆けていき、ぎゅうぎゅう詰めになる。
……どーいう事だよ、オイ。
あたし今しがたオマエラ助けたよな? ピンチに颯爽と駆けつけたよな? 見てなかったのかコラ?
チラリと後ろを振り返る。
そこにはトカゲの掃討を終え、全滅させた銀色の蜘蛛たちが二十体、綺麗に整列していた。
こいつらが怖いのかな、やっぱし。まあ全長二メートルの蜘蛛なんて現存してないしなー。毒もあるしなー。
それとも今も絶賛あたしの体に巻き付いているムカデの方が怖いんだろうか? ここまで大きいヤツも普通は見たことないだろうしなー。こいつも毒あるしなー。大概のヤツはひと噛みでイチコロだしなー。
細くため息を付きながらそんな事を思ってしまうあたしの頭に、労るようにムカデがぽんと頭を載せてきた。こいつは変にこういう気の利くところがある。ムカデだけど。
「……か、感謝いたしましゅ、ラーゼリア殿」
カーキ色の職員の一人が、敬礼を返してきた。一番貫禄がありそうに見えるから、たぶん責任者だろう。さっきあたしにバスの中に入れと声をかけてくれたのもこの人だ。今は顔中汗まみれで、指先も細かく震えていて、台詞も少し噛んではいるが。
あとはこの人と話をして、後始末の算段がついたら帰ろう。
そう決めた。いくら怖がられようと、仕事はする。中途半端はよろしくない。一応断っておくが、後始末と言ってもこの場の全員皆殺しとかではない。断じてそれはない。向こうは思ってそうだけどな!
「主任、連絡つきました。刑務所の方で新たな護送部隊を編成。到着は約一時間後との事です」
もうひとりのカーキ色の制服が、そう告げてきた。こちらは少し若め、二十代の中頃といったところだろうか。横倒しになったバスの運転席で救援要請の通信をしていたようだ。
あたしはその彼の一点に目を止めた。右の肩口。いかにも慌ててやった、と言った具合に雑に包帯が巻かれ、かなり血が滲んでいる。
「その怪我は?」
「は、はい。火球をぶつけた時に引っ掻かれまして」
ほう、魔法を放ったのはこの人だったのか。結果はともかく、あれだけの魔法を使えるなら、現在の軍でもそこそこのモノだろう。優秀な人材は大事にせねば。
「結構大きな傷だね。あたしが治そう」
「……え?」
「そこに座って」
「は、はぁ……」
横倒しになって今は壁となっているバスの元天井により掛かるようにして座らせる。なんか不安そうな顔をしているが、なに、心配は無用だ。
「あ、そうだ。あたしが治すとは言ったけど、正確には治療するのはあたしじゃないから」
「あの、それって……」
何がしかを感じたのか、顔をひきつらせる彼、しかしその時にはもう、あたしは薬指の付け根に巻かれた髪の毛を、親指の爪で切っていた。
「来い」
言葉と共に、どすんと重い音がした。バスがゆらりと軽く揺れる。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
若い職員の彼と、奥にひとかたまりになっている囚人の皆さんが、ほぼ同時に声を上げる。職員の彼の方がより声量が多いのは、いきなり目の前にそれが現れたからだと思う。
大きくてヌメヌメとした粘液質の塊。
形は全長一メートルくらいのずんぐりした小山、といった所だろうか。
色は焦げ茶色に深い緑を合わせたような感じで、底面にいくにしたがって、色が薄くなっている。
それが前方の頭部分を怪我をしている彼へと向けると、いきなりにゅっと触手を突き出した。
うち二本は先端がボールのように丸い。これは目だ。
それ以外に長く伸びた別の二本が、うねうねと震えつつ、迷わずに怪我をした部分にたどり着き、瞬時に巻き付いてしまう。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
悲鳴を上げる彼。患部と触手の接地面からはぶくぶくと血混じりの泡が立ち、薄く白煙が立ち上る。
「ああ、それ、消毒ね。それと傷口周辺の衣服とか包帯なんかは単に邪魔なんで焼き溶かしてるだけだから」
少々痛みはあるだろうけれど、処置は間違いない。この程度の怪我など、この子にとっては手間取るようなものではないのだ。
まあ、確かに見た目は大きなナメクジでしかない。とはいえ切り傷程度ならそれこそあっという間に跡形もなく消してくれるし、骨折や打撲でも多少時間はかかるが外から触れているだけで効果が内部に浸透して癒やしてしまう。さすがに重い病気や体の一部を失ってしまうほどの傷は無理だが、そこまで望むのはそれこそ贅沢というものだろう。とても優秀な自慢の子だ。
「うわぁぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁ!!」
しかしながら、治療されている彼ときたら、やたら大声を出して暴れている。ナメクジもちょっとやりづらそうだ。
仕方ないな、よし。
「麻酔、お願い」
あたしは外に並んでいる蜘蛛の一体に声をかけた。
ただちに割れたフロントグラス部分よりわさわさとバス内に入ってくると、騒いでいる彼の首筋にさっくり牙を立てる。
「うっ!」
一言うめいて、すぐに静かになった。うむ、これでいい。
「……」
一部始終を見ていた職員の上司、主任と呼ばれていたおじさまは、無言である。瞬きもしていないように見えるが、気のせいだろうか。なんか一気に十歳くらい老けたような印象も受ける。
バスの後方からは、各種神様への祈りの言葉や懺悔の台詞、ごめんなさいごめんなさいと繰り返している声などが流れてきた。いちいち構っていられるか、囚人共は無視だ無視。
「うふ、ふへ、うひ、ふ、ふへへへへ……」
そんな中、今度は治療中の彼が緩みきった顔と声で笑い始める。
「ふ、ふふ……今日はとても積極的だねラナリィ……愛しているよ……愛してる……」
なんて事を言いながら、噛み付いたついでに体を押さえていた蜘蛛を抱きしめちゃってるよこの人。
「ラナリィって誰?」
「……三ヶ月前くらいに別れたこいつの元彼女、ですね」
「へぇ……」
主任さんの返答に、とりあえず頷いておいた。どうやら麻酔が変な方に効いちゃって、幸せな夢を見ているみたいだ。
あたしが呼び出すモノ達には、全て個体差がある。
蜘蛛たちも今は二十体出しているが、一見同じように見えて、全て違う。この蜘蛛達で言えば、丸いお腹の背中部分に赤い模様があり、注意深く見ればそれぞれの模様が少し違っている事がわかるだろう。あたし自身は、そんなのがなくても全ての個体を感覚的に見分けられるが。
あたしが今回麻酔をお願いしたのは、強力な毒の濃度を自在に操れる特技を持った個体だ。それこそ見上げるほどの巨獣から手のひらに乗る程の小動物まで、この個体にかかれば適量の毒を使って瞬殺から痺れて動けなくする程度まで調節可能だと……思っていたのだが……うん、何事も些細なアクシデントは付き物だよね。
「ラナリィ……好きだよラナリィ……僕と結婚して欲しい……一生大事にするから……」
抱きしめられ、甘い言葉をささやきかけられる蜘蛛の背中を、あたしは軽く撫でてやる。
他の人には分からないだろうが、この蜘蛛がとても困った顔をしていたから。