魔女は出撃する 1-1
耳元でごうごうと鳴っている風の音に、僅かに他の響きが混じったのを感じた。おそらくは……何かの声だ。
現在は時速六十キロで走行中。あたしが乗っている大型の三輪バギーは実に快調に荒れ地の中の一本道を走っている。向かって右手は地平線。左手は少し行った先がこれまた果てなく広がる深い森だ。ガルムデル大樹海、通称は緑の地獄。物騒な異名だが、実際に安全とは程遠い場所だったりする。
ゴーグルを上にずらし、ハンドル下に固定してあるバッグから双眼鏡を取り出すと、あたしはそれで道の前方を見た。
すぐにみつけた。道路脇に横転している大型の車両と、その周りで耳障りな声を上げながら、激しく動き回っている無数の黒い何かを。
視線を下げ、腕時計を見る。昼の十二時──少し前。
「時間に少々のズレあり。だけど……間に合わなかったわけじゃない!」
舌打ちすると、あたしはスロットルを全開にした。
距離にしておそらく三、四キロ。メーターを振り切ったあたしのバギーがそこに着くまで、一分とかからなかったろう。
──あと百メートル。
黒い奴らの姿がはっきりと分かった。大型の肉食トカゲだ。名称はハシリツメトカゲ。ガルムデム大樹海ではよく見かける、ポピュラーな猛獣のひとつだ。尻尾を含めた体長は最大で五メートルにも及び、その名の通り足も速い。トカゲの分際で高速走行時には二足歩行となり、持久力こそないものの、ものの記録によると時速百キロで疾走する車両にも追いつく程だそうだ。アホみたいな瞬発力である。
そして最大の特徴はその四本の足全てに備わっている爪だ。猛禽類のそれをさらにふたまわりくらい凶悪にしたような曲がった鉤爪の一撃は、軍用装甲車の装甲にすらダメージを与えると聞く。食らったら人間なんてチーズよりたやすく両断されるだろう。
──あと五十メートル。
横転した車両──全ての窓に鉄格子が付いたごっつい囚人護送用バス──の周囲にいた黒トカゲのうちの何匹かが足を止めた。そして新たな闖入者、すなわちあたしの方へと首を巡らせる。うん、そりゃ見るよな。当たり前だ。
あたしは腰のパウチに手をやると、その中にあったもののひとつを取り出した。
親指くらいの大きさの、透明な小瓶。中に入っているのは、爪だ。小瓶ひとつの中に、ちょうど二十入っている。
蓋のコルクを抜き、頭上で降る。空中に飛び散る、切られた爪。
そして、あたしは言った。
「来い!」
瞬間、不格好な三日月みたいな形をした爪の全てが、空中で溶けるように消えていく。
代わりに、疾走するバギーの周囲を取り囲むようにして、無数の異形が湧き出してくる。
何もない空間の一点がふいにぐにゃりと歪み、捻じれ、それらが広がって、とある形を作っていく。
スラリと長く伸びた足は体の片側に四本、合わせて八本。足が集まる中心には、丸みを帯びた体。頭には黒い宝石のように輝く大小合わせて四つの目。口からは大きく伸びた二本の牙。
細かい銀色の体毛で包まれたその生物は、足の端から端までの体側が二メートルにも及ぶ蜘蛛だった。それが全部で二十体。
「お前とお前はついてきて! 残りは突撃! 殲滅だ!」
そのままの勢いで突っ込んだ。
──距離ゼロ。現場到着。
あたしと蜘蛛達の姿に面食らったのか、こっちに顔を向けて動きを止めたままの黒トカゲがちょうど正面にいたので、ノーブレーキで跳ね飛ばしてやった。こっちもえらい衝撃だったけれど、なんとかこらえてブレーキ。横滑りしつつ止まる。
すっ飛んだトカゲはこっちに屋根を向けて横転していたバスにぶち当たり、屋根に凹みを作りつつ悲鳴を上げた所で蜘蛛に襲いかかられ、糸でぐるぐる巻きにされ、さらに首に牙を立てられる。当然ジタバタ暴れたが、もう遅い。すぐに痙攣を始めて、おとなしくなった。口から舌をでろりと出し、目玉が裏返って白目を剥く。蜘蛛の毒だ。致死性、及び即効性の。
他の蜘蛛達も、ただちに順次黒トカゲを無効化していく。このトカゲは確かに速いが、それだけならあたしの蜘蛛だって負けていないし、小回りなら蜘蛛達の方が上だ。加えて、蜘蛛達は決してトカゲ相手に一対一では戦わない。かならず二体か三体が一組となって戦うようにしている。一体が細かい動きで翻弄し、気を取られている隙に、死角から首筋に噛み付く。以上ではいおしまい。
戦闘の状況を横目で見つつ、あたしはバスを回り込んで運転席の方へと急いだ。
「こんちくしょう! ふざけんな!!」
なんて声がした。
見ると、バスのフロントガラスが大きく割れており、そこに三匹の黒トカゲが頭を突っ込んで暴れている。もちろんさっきの声はトカゲじゃない。バスの中にまだ生存者がいるのだろう。トカゲの鳴き声の合間に銃声も響いている。ただし、少々しょぼい。ライフルやショットガンではなく、おそらく拳銃だ。でも拳銃弾じゃこの大トカゲの相手は辛い。
そこらの地面には、血を流したトカゲの死体もいくつか転がっていた。傷を見るに、これはより大口径の銃弾によるものだ。襲われて反撃はしたものの、そっちの弾は尽きたとか、そんな感じか。
「焼けろ!」
という叫びと共に、炎がバスの中から吹き出し、トカゲをまとめて包み込む。
おお、魔法だ。火の魔法を使える奴もいたようだ。ただし、相手が悪い。こいつらの皮は耐衝撃、耐水、そして耐熱性にも優れている高級品だ。昔は革鎧に、今でも一部の高級ブランドの革製品に使われているという逸品である。魔法の炎に短時間包まれたくらいじゃびくともしない。案の定炎が消えると怒った声を張り上げて、より一層暴れ始めた。バスの中からもバカとか間抜けとか何やってんだとか、切羽詰まった声がする。うん、大いに同意しよう。
魔法ってのは何の道具もなく発現できる便利な力ではあるが、精神力が尽きれば使えないし、その精神力の強度には個人差がある。つまり、個人によって使える回数や威力に差が生じる。上は個人で戦車の装甲もブチ抜く程から、下は焚き火の焚付にも苦労する程までと千差万別なのだ。こと戦闘において、という点では、剣や魔法が戦いの主力だった数百年前ならともかく、今となっては銃器等の兵器のほうが使い勝手は遥かに上である。
ちなみに今の炎の魔法はというと、程度から言ったら中の上くらいのレベルではなかろーか。個人の戦闘力という点ではそこそこ優秀と言えるかもしれない。今の攻撃はほぼ意味はなかったけれど。
などと状況を分析しつつ、一段落ついた(?)ところで、あたしも本格的に動き始める。いや、一応断っておくと別にただじっと見てたわけじゃない。手を貸そうと近寄ったらいきなり魔法の炎が吹き上がったので、一旦引いていたのだ。
「引きずり出して!」
側に控えていた二体の蜘蛛に命じる。
ほぼ同時に、彼らは体を内側に折り曲げて尻の先をトカゲに向けると、幾筋もの糸を噴射。二匹のトカゲが四肢を巻き取られると共に、引っ張られてバスから外に転がされる。
残りの一匹も状況に気がついて振り返ったが、その目の前には既にあたしが立っていた。まっすぐに伸びた右手の先に握られているのは、銃身を極端に切り詰めた水平二連装のソウドオフショットガン。
──ドォン!
乾いた銃声。放たれた大粒の散弾が、トカゲの顔にまとめてぶち込まれる。鼻先から目にかけてがズタズタに引き裂かれ、金切り声を上げつつ大きく後ろにのけぞった所めがけて、さらにもう一発、喉元に向けて撃った。一メートルもない超至近距離だ。外しっこない。
トカゲは勢いをつけて派手に後ろに倒れ、バスのフロントガラスに新たな大穴を開ける。その時にはもう、背後で二体の蜘蛛達がそれぞれの獲物にトドメを刺していた。
ショットガンから空薬莢を弾き出し、素早く新たな弾を装填。まだ生きてたら追加をくれてやろうと思ったが、必要ないようだ。ひっくり返ったままピクリともしない。
それを確認した所で、バスの中へと声をかけた。
「無事?」
「お、おお。ところであんたは……」
一番手前にカーキ色の制服を来たのが二人。その奥にオレンジのツナギを着たのがぞろぞろいた。聞いてきたのはカーキ色の片方だ。カーキ色は刑務所の職員。オレンジの団体が囚人だろう。そっちは全員手錠してるし。ちなみに職員も囚人も、揃いも揃って全員やたらとガタイが良い。ついでに顔もいかつい。それだけ見るとどっちが犯罪者かわかりゃしない。
「あたしは……」
言いながら、ショットガンを腰のホルスターに戻し、前でぴっちりと閉じていた黒いマントの金具を外して広げた。今のあたしは軍用のごついヘルメットに、首元から膝までをすっぽり黒いマントで覆っているという外見だ。まあ、パッと見怪しいだろう。マントの下に着ているコンバットベストには一応身分を証明する徽章をつけているので、それを見せたほうが早いと思ったのだが……。
「あいつら! また来やがった!!」
背後で新たな気配が湧いた。どこに隠れていたのか、黒トカゲが五体、猛スピードでこっちに突っ込んできている。その距離およそ百メートル。あたしの蜘蛛達はというと……最初にバスの周辺にたむろしていたのが逃げ出しており、それを追って離れてしまっていた。最初からこれを狙ってやったのだとしたら、爬虫類の分際で大したものである。おのれ。
感心している間もなく、ヤツらとの距離なんてすぐになくなった。
「両側から挟んで! 行け!」
蜘蛛に命じる。すかさず一塊となって向かってきた五匹のトカゲの左右に走り、糸を放出。それによって二匹のトカゲが動きを封じられ、止まった。あたしはあたしでショットガンを抜き、二連射。仕留め切れはしないが、突進の勢いは鈍る。それだけでも十分だ。あとは蜘蛛がやってくれる。
残り一匹!
「嬢ちゃん中に入れ!」
バスの中から切羽詰まった声。さっきの制服のおっちゃんだ。どうやら心配してくれてるらしい。まあ、見た目は小娘だからね、あたし。気持ちはわからないでもないし、ありがたい。
……だが、不要だ。
撃ち尽くしたショットガンを手から離し、落とした。弾を補充している時間なんてない。
最後の黒トカゲはもうすぐそこだ。大きく口を開いて、真っ直ぐに突っ込んでくる。体長は五メートルを楽に超えるだろう。大物である。目は血走り、口の中の鋭い牙の一本一本まではっきり視認できる。でかい唸り声が耳をつんざいた。大迫力もいいとこだ。
けれど、それらを全て見据えたまま、あたしは口の端に笑みを刻んでいた。