第37話 バンプオブクラブ
スマートになったヤマネコは自分の手を舐めるとその手で耳の後ろをかき始めた。こうやって見ると確かに猫だ。さっきまでのヤマネコはタヌキっぽさが拭えなかっただけに猫らしいところを目撃するのが逆に新鮮に映る。
「…にゃふ、この姿になると…腹が…減るにゃあぁあ、この空腹の代償は主らの血肉で購ってもらうとしようかにゃあぅ。残さず完食してやるわいにゃあぁ」
残さず食べるのは偉いが、食べられる食材の身としてはとことん抗わさせてもらいたい。というか、なんか口調微妙に変わってない?さっきまでのふざけた感じが無くなり声にドスが効いている。とうとう本気モードってやつですかねぇこれは。
「ベートカすまない、決め手にならなかった」
ん?ラフロイグが俺に謝ってきた?こりゃ明日は槍が降るな。気にすんな…よっと。
近くまで来たラフロイグの背中を軽く蹴ってやると、よろけたラフロイグがキョトンとした目で俺を見てきた。その目には出会った時の鋭さが無い。
「ふっ…生意気なカニだ」
ラフロイグはそう言いながら俺の甲羅を少し強めに叩いて来た。もうちょっと手加減しろし…、まぁ…気合いは良い感じに入ったけどな。
さて、後半戦と行きましょうや。
「ベートカ、さっきの散弾頼む」
あいよ、キャニスター弾装填だ。頼んだぜテルマ。
『あいよぉあるじぃ…キャニスター弾はあと2つだからなぁ』
ああ、分かってる。目くらましに使えて割と有効だったなこれ。今の地面は土だから同じの作れないのが残念だ。
「曲射…出来るか?タイミングは任せる」
曲射?ああ、上に向かって撃って雨みたいに降らせろって事か。いけるかテルマ?
『ふひひひ、当然だろぉ主様よぉ、いつでも良いぜぇ!』
よし…やってくれ。
『ひゃっはああ!さぁあんだぁあああ!!』
さ、サンダー?いや、まぁいいや。今更テルマの言葉には突っ込むまいて。
ほぼ真上に放たれたキャニスター弾はやや前方へと放物線を描き飛来し、空中で散弾を撒き散らすとヤマネコの頭上へと降り注ぐ。
ヤマネコの視線が頭上へと向いた次の瞬間、ラフロイグがヤマネコの足元へ現れた。頭上へ注意を引き付けるのと同時に足元へ滑り込んだ形になる。
だが…ヤマネコは笑っていた。何故か下を向いた状態で。
ニヤリと笑うその口は顔の端から端まで裂けている様に見えた。こんなに不気味に笑う猫なんて見た事が無い。
虚をつかれたラフロイグはヤマネコの猫パンチによって吹き飛ばされて地面を転がっていく。とっさに左腕でガードをしたようだが遠目にも折れている事が分かった。
「にゃっふっふ…勇者よ、そちらも我を甘く見るで無いぞ、我もまた魔物である、複数の猫の力を持っておるでのう。人間を我の望む形で食材として成長させて食らう食の魔王としての力は確かにヤマネコの力である。だがお主に殺されたと偽装したり次元を渡った力はまた別、認識を歪ませるチェシャネコの力なり。まぁ…疲れるからあまりやらんがの?」
ヤマネコが喋っている間に起き上がったラフロイグは腕の痛みを堪えながら息を調える、その顔は苦悶に歪んでいた。
「かはっ!くそっ、リベットの言う通りだったか。前に戦った時は相当手加減してくれたみたいだなぁ…舐めやがって」
「にゃっふ?当然であろ?オオトカゲは食材として我が転生させた料理に過ぎん、ヤマネコの能力の性質上優位性は我にあるのだ。我は自分の育てた食材は何であれ食う事が出来るからの。硬い殻に守られていようが硬い肉に守られていようが毒に守られていようが関係無い、全て等しく我の糧よ」
ベラベラと種明かししだしたのは勝利を確信した証だろう。そしてそれは事実でもある。今この場でヤマネコに致命傷を与える事が出来るのはラフロイグだけで有り、そのラフロイグはヤマネコの一撃で満身創痍だ。そして奴の説明が事実ならロベリアを前線に出しても意味が無い。完全に詰みだ。
「にゃふふ?もう手立ては無さそうだの?ふむ…唯一の誤算は我よりも速い生き物が居った事かのぅ、流石に焦ったわい。捕える事が出来ねば食う事も出来ん。次からはカニはやめとくかのう。さて…後は詰め将棋じゃの」
そう言うとヤマネコはラフロイグに向かってもう一度猫パンチを打ち込む、身体が自由に動かないラフロイグはガードも出来ずに吹き飛び、骨の砕ける鈍い音が響き渡った。
「にゃっふ、後はカニを締めたらお食事タイムじゃのう」
『あ、あるじぃ!く…来るぞぉ』
分かってる、くそ!とにかく逃げるぞ!
こちらに走ってくるヤマネコとすれ違う様にして全速で疾走する。そして前と同じく負担をかけられた脚が悲鳴をあげ……二本ほど欠損した。
……欠損?前回と同じ速度で同じ距離を走ったのに、今度は欠損?
その答えはすぐに分かった。ヤマネコが俺の脚を殻ごとポリポリと食っていたのだ。痩せた事でスピードが上がっている。
「にゃふぅ…この脚…お主の脚じゃないのう、中身はタコじゃ。これはこれで悪くは無いがのう、やはり一番美味しいのは魔力のこもった本体よのう。にゃふふ、その脚では次は無いぞ?さぁ…チェックメイトじゃ」
くっ、テルマ!回復までの時間が欲しい!キャニスター弾装填だ、撃ってくれ!
……テルマ?おい、テルマ?くそっ、返事が無い、どうした?大丈夫か?……しょうがねぇ、ここは自分で撃つしかない。ちょっとはひるんでくれよ!?
俺が撃ち出した最後のキャニスター弾は目標からはややズレたものの、散弾であった為にヤマネコをしっかりと捉える。…が、やはりそんな物でひるむ筈も無かった。
それでもヤマネコが足を止めたのはプルメリアが間髪入れずに矢を射続けてくれたからだ。ヤマネコの防御力はそれ程でも無いのだろう、矢が刺さればそれなりに痛いらしく、矢を嫌って距離を取る。矢が尽きる前に俺の脚が治れば良いが…欠損した脚が走れる程万全に治るにはまだ時間が必要だ。
どっちにしろ全てが悪足掻き、奴の言う通りこれは既に詰め将棋だ。
流石にもう全てを諦めかけた時、ヤマネコが急に苦しみだした。
ドス黒い色の血を吐き出し、ぜぇぜぇと息を荒らげては再び血を吐き出す。
そして頭を抱えて痛がる素振りを見せた後、ビクッと震えて動かなくなってしまった。
何故?いや…今はこのチャンスを逃す理由なんて無い。俺に残された最後の弾、リョウの形見である焼夷弾を装填してヤマネコに照準を合わせた。
テルマが居なくても動かない相手に当てるくらいは俺にも出来る。当たらなくても火が燃え広がればヤマネコを焼くくらいは出来るだろう。
砲塔から焼夷弾が放たれた瞬間…ハッとした。何でテルマが居ないのか、何で急にヤマネコが苦しみだしたのか。
俺の脚が食われた時にヤマネコに寄生したんだ。それなら全てが繋がる。テルマはこの世界に居た普通の寄生虫だ、俺の眷属として知恵と魔力を得ただけであり、ヤマネコが転生させた食材では無い。ヤマネコの能力は適応されない。
「にぃぃやぁぁあふぅぅあああああ、あ、熱い、痛い、焼けるぅぅ、うごけぬぅぅぅ、ああぁぁあぁ、この我がこんな……む…し…にぃ……」
流石の魔王とて獣は獣だ、動けなくなった状態で死ぬまで焼き続けられればいずれ絶命する。……中のテルマと一緒に。
テルマは俺の相棒だ、どうにか助けてやりたいがどうして良いのかが分からない。俺にはどうする事も出来なかった。
真っ黒な墨になったヤマネコの首をロベリアが切断し、争いは幕を閉じた。
魔王は普通の猫→チェシャ猫(不思議の国のアリス)→ヤマネコ(注文の多い料理店)というチート進化した魔物になります。
そしてチェシャ猫で断頭といえば…。
さてさて、不穏ですが次回でラストとなります。




