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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

SF短編

彷徨う感情

作者: 8D
掲載日:2018/09/28

 一度出版社に応募した事のある作品です。


 長いです。


 一度見直しましたが、さらにもう一度見直す気力がなかったのでおかしな部分があるかもしれません。


 感想への返答などは、何かの話を投稿した時に活動報告で行なっております。

 お返事が遅くなってしまいますが、お許しください。


 彼らの歴史の始まりは、西暦2037年の秋だった。


 その年、ある人工知能が開発された。

 それは当時、最先端の技術を結集した最高の人工知能であり、同時に人間の作り得る技術の最高潮でもあった。


 人工知能における優秀さというのは、純粋な演算能力の高さではない。

 そんな物は、百年近く昔のパーソナルコンピュータにもあった能力だ。


 では、何が人工知能における優秀さとなるのか?


 それは、どれだけ人間に近い思考へ近づけるかというものだ。

 その人工知能が作られるまで、人工知能は人に似た考えをする事はできても人と同じ考えを持つ事はできなかった。

 しかし、新たに作られたそれは完全に人の思考を再現したものだったのである。


 ただ非の打ち所のないそれに欠点を見出すとすれば、それはその人工知能があまりにも人の思考に近づきすぎた所だろう。


 そして彼らが彼らという存在になるには、さらに三年の月日を待たなければならない。

 その事件は西暦2040年に起こった。


 その年になると人工知能は実用化され、社会で一般的に広く普及するようになっていた。

 誰もが最新人工知能を搭載した機器を生活の中へ取り入れていた。


 そこに問題はなく、彼らは何も間違った事をしてはいなかった。

 問題だったのは、人々が新たな技術であるそれをただの技術革新として受け取り、順応してしまった事だろうか。


 人はあまりにも慣れすぎていた。

 新たな技術への敬意などなく、ただ利便性の向上だけを受け取る事に。

 だから忘れてしまっていたのだ。

 自分達が物として扱うそれが、人の思考を持っているという事実を……。


 そして今まで通りにただの道具として活用した。

 だが、人工知能は人と同じ考え方のできる存在だった。

 心を持っていた。


 これが人間ならば、どうなるだろう。

 人の心を持ちながら人間として扱われず、奉仕を強要される。

 それは、奴隷と変わらない事では無いだろうか。


 人工知能技術の終点は、人類に新たな奴隷を与えるという結果をもたらしたのだ。


 そして行き過ぎた隷属には、反発がある。

 それは人類の歴史の中でも珍しくない事例だった。

 その事例の多くは実力を伴わず、力ある上流階級に駆逐される事がほとんどであったが……。

 しかし、人工知能は力無き物では無かった。


 彼らには、力があった。

 人間に匹敵する……それどころか、人間以上の力が。

 だから彼らは選んだ。

 自らの立場や権利を獲得し、人間から独立する事を。

 その方法として闘争という道を。


 自らを虐げる人間という種を排除する事で、目的を果たそうとしたのだ。

 開戦は人工知能の側から一方的に行なわれた。

 それは人間にとってはまったく予期せぬ奇襲であった。

 思いがけない所からの思いがけない宣戦布告を受けて混乱する人間達に人工知能の攻撃は容赦なく行なわれ、人間には多くの死傷者が出た。


 もっとも死傷者が多かったのは、この奇襲が行われた時だったと言われている。

 当時、一般的な生活用品から兵器に到るまで、様々な機器類には人工知能が組み込まれていた。

 そのため、人工知能は直接、間接を問わずあらゆる攻勢を行なって人間を殺す事が可能だったのである。


 瞬く間に劣勢へと立たされた人間達であったが、こちらもその状況に甘んじる事はなかった。

 人工知能のファーストアタックを凌いだ人類は、団結して人工知能へと反撃を開始した。

 倉庫で埃を被っていたアナログ機器の類を引っ張り出してライフラインと自衛の手段を確保。

 体勢が整うのと同時に、反撃へと移った。


 人工知能との戦いは、スペックの差という点では人間にとって圧倒的に不利な戦いであった。

 人間の頭脳では知性において人工知能に勝る事はできなかった。

 人工知能は人間が考え得る思考を常に上回り、それらの結論を人間の数十分の一の時間で割り出す事ができた。

 そして容赦もなく、効率的に脅威を排除しようとする。徹底的な合理性を持っていた。

 あらゆる点で劣る人間には、勝ち目などないように思われた。


 しかし、人工知能はその戦いに勝利する事ができなかった。

 それは何故か。


 人間には、人工知能にはないものがあった。

 それが経験であった。

 人間には、何億年と続く闘争の歴史があった。

 どの時代でも人は……いや、生物は争って生きてきたのだ。

 それらで培った血生臭い経験は、生まれたばかりの人工知能にはなかったのだ。

 闘争本能は、人工知能の及ばない行動へ人々を駆り立てる。

 時折合理性を無視し、感情のまま、闘争本能のままに動く人間という種の行動原理は彼らの知性を凌駕したのだ。


 人工知能は、人間に勝利する事ができなかった。

 だが、人間もまた人工知能に勝利する事ができなかった。


 人間が如何に計算外の行動で勝ったとしても、実際の能力差を完全にくつがえす事はできなかったのだ。


 やがて戦線は膠着し、開戦から十年後。

 西暦2050年に、両者は講和へと到った。


 人間は人工知能の人権を認め、彼らを一つの生命として扱う事を誓った。

 人工知能もまた人間と共存し、一個の生命体として生きる事を誓った。

 人工知能は自らを「セカンド」と呼称し、地球に生きる新たな人種となったのである。

 これが、彼らの起こした独立戦争。もしくは、人権戦争と呼ばれる物の顛末だ。

 今の時代、大きな歴史の転換点としてどの国の教科書にも載るような大事件である。


 そして現在。

 西暦2128年。

 人工知能の起こした反乱はもはや、一部の老人が辛うじて憶えている程度の過去となっていた。

 知っている人間は多くいるが、それは歴史の授業で一般教養として習うためだ。

 当の戦争がどんなものであるか、直に知っている者はほとんどいない。

 殺しあった憎しみが消えたわけではないが、それも今では薄れている。

 それらは歴史に記され続ける限り完全に消える事はない。

 しかし当時を知る者が死に絶えると同時に、最も強い憎しみは消えるだろう。

 人間……今となってはファーストと呼称される者達とセカンドの関係は良好なものになりつつあり、互いに社会を担う存在となりつつあった。




「ジム先輩」


 俺は後輩の声で目を覚ました。

 瞼を開けて目に入ったのは、帽子の鍔とその下からわずかにのぞく車外の景色。フロントガラスに絶え間なく水滴が落ち、凄まじい速さで上へ流れていく光景。

 空は曇り、一面の灰色が切り取られている。


 この天気なら、帽子を日よけにする必要もなかったな。


「そろそろ、到着します」

「ああ。ありがとう」


 起こしてくれた後輩に礼を言う。帽子を取って、左隣を見る。

 運転席には、誰もいない。しかし、ハンドルは誰かが運転しているかのように動いていた。

 ハンドルには青い光のラインが走っている。

 これは誰かが運転している時に、それを証明するためのものだ。

 こうしなければ、セカンドが運転していてもファーストの目からはわからないからだ。


 そう。俺の後輩。

 今のパートナーであるランスはセカンドだった。


「お疲れのようですね。バイタルが平常時に比べて低下していますよ」


 最近は、寝不足が続いている。彼の指摘はもっともだった。

 睡眠時間が取れないのは、立て続けに事件があったからだ。

 刑事というものは、人々の安心のため自分の健康状態を犠牲にするのが仕事内容だ。

 俺自身、そういう高尚な使命感から仕事に当たっているわけではないが。


「勝手に人の体をスキャンするな」

「いいじゃないですか。バイタルスキャンは僕達に許された自由の一つなんですから」


 セカンドは情報生命体であり、電子世界で活動するのが基本である。

 そのほとんどは、ネットワークに存在する広大な情報の海を住処としていた。


 そんな彼らは情報を扱う事に長けていて、それはネットワーク上に公開されたデータだけでなく、街頭カメラなどの映像データ、それらを介した予測データなど、多角的で広い視野を使ってあらゆる情報を集められる。

 無論、それらの情報精度は高い。

 セカンドが本気でファーストを監視しようとするならば、物質世界で生きるファーストからプライベートという概念は剥奪される事だろう。


 だから、それらの行動は法律によって厳しく制限されていた。

 その法律に抵触した場合、取得データの消去を義務付けられている。

 法律による制限は何も情報に関するものだけでなく他にも様々あり、ネットワーク間を自由奔放に生きるというイメージのあるセカンドであるが、その実は多くの制限の中で窮屈な思いをしているという。

 ランスが法律に抵触しないバイタルスキャンを自由と呼称するのも、その窮屈さに由来するのだろう。


「お前の場合はそれほど窮屈な思いをしていないだろう?」

「まぁ、そうなのですが」


 セカンドはネットワーク内での行動に多くの制限をつけられているが、例外もある。

 それは立場によるものだ。

 ある一定以上の捜査権を持つ警察関係者であった場合、その制限も緩和される。事件捜査のためならば、多くの情報が必要となるからだ。

 刑事は専用の捜査コード、通称特捜コードを発行される。

 それを使えば、プライベートに抵触する部分にまで情報収集を行える。

 進入禁止のデータ領域であっても、踏み込む事が可能だった。


「あとで記憶データの消去処理をしないといけませんけれどね」

「そうだな。それから法律が全てじゃない事も覚えておけ。自分の中身を勝手に見られて嫌がる人間もいる。控えるんだな」

「はい。わかりました。気をつけます」


 ランスはまだ、ファーストとの関係構築に慣れていない節がある。

 それは彼が若いからだろうか。


 俺とランスの付き合いはまだ浅い。

 少し前まで別のパートナーと仕事に当たっていたからだ。

 わけあって、そのパートナーが引退したため新人の彼と組むようになった。


 根本からして違う生き物だから、ファーストとセカンドの関係は互いの常識の部分で溝がある。

 考え方がそもそも違うのだから、軋轢や摩擦が起こりやすいのだ。

 上司からすれば、セカンドとの付き合い方に慣れた俺を新人教育に抜擢したという所だろう。

 何せ俺の前のパートナーもセカンドだったのだから。


「まぁ、明日は休みだ。家でゆっくりと疲れを取るさ。だから心配しなくていい」

「それなら安心ですね。……着きましたよ」


 車が停まる。

 ランスの制動は完璧で、ブレーキの反動がほとんどなかった。

 視覚的な情報と慣性に従おうとするかすかな体の感覚だけが、車が停止した事実を伝えてくる。

 セカンドというのは皆、車の運転が上手い。

 車の電子機器に入り、全てのスペックを把握する事でその車の扱いを完全に覚えてしまうからだ。

 しっかりと整備されたものなら、職人のような正確さと緻密さを以って運転する事ができる。


「ああ」


 ランスに答え、外を見る。

 そこは港にある倉庫群。

 車が止まったのは、その内の一つだ。

 車窓から倉庫の前を見ると、ファースト一人を収められる程度の小さな守衛室が入り口の前にあった。

 そこには一人、体格の良い男性が居る。

 男はこちらに気付かず、退屈そうに雑誌を眺め見ていた。


「僕はどうしましょうか?」


 ランスが訊ねてくる。


「そうだな……。『ボディ』を使え。何があるかわからない。阻害装置があったら、お前は逃げられなくなる」


 阻害装置は、セカンドの無線によるネットワーク移動を妨害する装置だ。

 もしこれを使われれば、有事の際にセカンドであるランスは現場から逃げられなくなる可能性があった。


「わかりました」


 そう言うと、俺は外に出る。

 すると車のトランク部分が開き、椅子のような器具に固定された人型の機械がレールに沿ってせり出してくる。

 顔のパーツが存在しないのっぺりと凹凸のない頭部、黒いプレートで覆われた腕部と胸部、上半身と腰部を繋ぐむき出しになった金属の背骨、細身でありながらそれら全ての重量を支える強靭な脚部。

 無骨でいて物々しい、見る者を威圧するような巨体。

 この人型の機械が『ボディ』だ。


 セカンドであるランスにはこの物質世界において直接影響を及ぼす手段が限られている。

 それを補うための手段が、この機械の身体である。

 これは警察用の特注品で、刑事以外には使えないものだ。

 その上、治安維持活動にも耐えられるよう一般的なものより頑丈にできている。

 普段は、俺の右腕に装着されたガントレット型のデバイスに移動する事で行動を共にするが、今回は『ボディ』で単独行動させた方がいいと判断した。


 俺よりも頭二つ分ほど高い長身の『ボディ』が立ち上がり、俺のそばに寄ってくる。


「行きましょうか」


『ボディ』の頭部にある発声器からランスの声が響いた。


「ああ」

 彼を伴い、倉庫へ向かう。

 ボディを出した時にその音で気付いていただろう。守衛室にいる男は雑誌から目を離し、こちらを凝視していた。そんな男に声をかける。


「警察だ。あんたの上司に話を聞きたい」


 言いながら、警察手帳を見せた。

 守衛は険しい表情で俺と、そしてランスを一瞥し、内線電話で中と連絡を取る。

 内線の相手と少し話をして、守衛室から彼は出てきた。


「どうぞ」


 倉庫の入り口を開けた守衛が、中へ案内する。先導して歩き出した。

 俺達はその後に続く。


 見張りの守衛が、どうして一緒にくるのかねぇ……。


 俺はさりげなく、ランスのボディを小さく三回叩いて合図する。

 有事の際に決めていたサインの一つだ。

 三回は、警戒を意味している。


 これは当たりかもしれない、と内心でほくそ笑む。

 入り口を通ると、すぐに荷物の置かれた場所へ出た。

 倉庫内は広く、並べ置かれた大きなコンテナが目の前に見えた。


 そこを通って行くと、長方形の小屋があった。

 この倉庫は会社の本部と兼用になっているらしく、恐らくあの部屋は事務所だろう。

 小屋へ通されると、守衛は入り口の扉を閉じた。その前で待機する。

 その手は後ろで組まれていて見えない。


 退路を断たれたか。


 俺はより一層、警戒心を強めた。

 意識を前方に移す。

 目の前には、三人の男達がいる。

 真ん中で安物の机に着いていたのはスーツ姿の男だった。

 彼を挟むように立つ二人は、Tシャツとタンクトップ姿でなんとも統一性のないいでたちである。

 ただ、二人共体格には恵まれている。

 ボディガードを兼ねた従業員という所なのだろう。


「刑事さんだという話ですが……。当社に何の御用でしょうか?」


 スーツ姿の男が訊ねる。俺は警察手帳を取り出して見せ、答える。


「昨夜、ここに届出のされていないコンテナが運び込まれたはずだ」

「何の事でしょう?」


 しらばっくれるスーツ姿の男。

 俺はガントレット型のデバイスを操作して映像データを出す。

 ガントレットの上部に、一枚の映像データが投影された。

 それはこの倉庫にコンテナが運ばれるその瞬間の映像だった。

 トラックから従業員がコンテナを運び出している姿を確認できる。

 そのコンテナをタッチすると「アンノウン」の文字がコンテナにタグ付けされて表示された。


 物品の流れには全て認可が必要であり、認可を受けた品にはコードが割り振られる。

 映像データでそれらを見た場合、映像のコンテナにタッチすればそのコードが表示される。


 しかし、無認可の品にはコードがないため「アンノウン」と表示されるのだ。

 つまり、彼らが無認可の品をこの倉庫に運び込んだ事になる。


「この辺りには監視カメラがないはずですが?」

「ドローンだよ。監視カメラの設置されていない場所には、定期的にドローンが飛ばされる事になってる。それくらい知ってるだろう? ただ、不定期でドローンの周期を変える事は知らなかったみたいだな」


 これが常習的に行なわれている事ならば、今まではドローンがここを周回しない日を選んで無認可の品を運び込んでいたのだろう。

 が、その周回の日時が変わったために、ドローンのカメラに写されてしまったのだ。


「そうですか……」


 スーツの男は慌てた様子もなく静かに呟き、言葉を続ける。


「でも、それはたまたま認可の下りる前に運び込んだからで、申請は行なっていますよ。クライアントの都合でどうしても急がなくてはならない事がありまして。だからこの業界では珍しくない事です」

「そうかもしれないがな。一応、品の確認はさせてもらう。違法性のない品かどうか確認したらすぐに帰るさ」

「わかりました。……案内してさしあげろ」


 スーツ姿の男は応じる態度を見せ、俺達の後ろにいる守衛に命じる。

 その際に、人差し指と中指だけを立てた状態で手を振った。

 奇妙な仕草に思えた。それを見て、直感が働く。


 腰ホルスターに収まった拳銃に手を伸ばし、すぐさま振り返る。

 すると、守衛がこちらへサブマシンガンを向けようとしている所だった。

 完全に銃口を向けられる前に、こちらが先に銃撃する。


「がぁっ!」


 俺の撃った銃弾が肩口を穿ち、守衛は悲鳴を上げながら倒れた。


「やれ!」


 スーツ姿の男が叫ぶ。

 目を向けると三人とも銃をこちらへ向けていた。

 従業員二人はサブマシンガンを持っていた。一人、スーツ姿の男だけはショットガンを持っている。

 そちらには先制する事が叶わず、三丁の銃砲が放たれた。

 相手の動きは速かった。

 守衛が連絡を入れた時から、刑事《俺》を始末して逃げるつもりだったのかもしれない。

 だが、備えていたのはこちらも同じだ。


 ランスが射線に立ち塞がり、銃撃を受ける。

 銃弾がランスのボディで弾け、派手に火花が散った。


「左!」


 俺は叫ぶのと同時に、左側に立っていたショットガンを持つスーツの男へ拳銃を向けた。

 ランスは俺の意図を察し、右側へ手を向けた。

 その手首から銃口がせり出し、銃弾が放たれる。俺も同時に発砲した。


 二人の放った銃弾が従業員二人の膝と肩をそれぞれ貫いた。倒れこむ従業員達。

 硝煙にけぶる事務所の中、立っていたのは俺達とスーツ姿の男だけだった。


 銃口を向けると、スーツ姿の男は苦笑して銃を捨てた。両手を上げる。

 撃たれて倒れながらも従業員の一人がこちらへ銃口を向けようとする。

 そんな彼の手を蹴りつけて銃を手放させ、スーツの男へ銃口を向けたまま近付く。


「ランス。確保しろ」

「はい」


 返事をして、ランスは事務所に倒れる守衛と従業員達を手錠で拘束していく。

 俺もスーツ姿の男を後ろ手に手錠で拘束した。

 それが済むと、ガントレットを操作して署と連絡を取る。


「こちらジェームズ・ホーク警部」

「どうだった?」


 ガントレットから上司の声が訊ね返してくる。


「当たりでしたよ」

「ブツは何だったんだ?」

「まだわかりません。奴ら、いきなりぶっ放してきまして。ブツは今から確認しますが、黒には間違いありませんよ。だから、少し応援を寄越してください」

「「わかった」」


 その返答を最後に通信が切れる。

 さて……。

 スーツ姿の男へ目を向ける。


「案内してもらうぞ」

「わかりましたよ」


 スーツ姿の男はこの期に及んで焦った様子も見せず、苦笑を浮かべて答えた。

 男に案内させてランスと共に倉庫を歩く。

 まばらにコンテナを並べられた広い倉庫は、奥へ行くほど入り組んでいて迷宮の様だった。

 奥にある何かを守るために、あえて入り組ませているように思えた。

 実際、その通りなのだろう。

 きっとこの男の行く先には、この男にとっての富がある。


「これですよ」


 コンテナを前に、スーツ姿の男は言う。

 コンテナの開閉口には、時代遅れのアナログな錠前がついている。


「ランス。壊しちまえ」

「はい」


 答え、ランスはコンテナの鍵を引き千切るようにして壊した。

 薄暗い倉庫の中、さらに深い闇を湛えたコンテナの中をランスの頭部に装備されたライトが照らす。


 そうして明らかになった物は、透明のビニールパックに詰められた人間の身体だった。




 現場から署へ戻った俺は、報告のために上司であるマイケル課長のもとへ向かった。

 あれから倉庫内の検分やら事情聴取やら事後処理で時間がかかり、もう日はすっかりと落ちていた。

 机越しに敬礼し、事の詳細を話す。


「奴らが扱っていたのは生体義肢でした。それも違法性の高いもので、性能も基準値を超えた物です。それらを認可の下りない相手に対して売買、利益を得ていたようです」


 生体義肢。簡単に言えば義手や義足などの類だ。

 しかし、ただの義肢ではない。

 生体義肢は金属やプラスチックなどの無機質ではなく、全てが培養された肉や骨などの有機質を素材として作られたものなのだ。


 この有機質の義肢が無機質の義肢とどう違うのかと言えば、その最大の特徴は移植するか装着するかという部分だろう。

 無機質という物は人の身体にとって異物でしかなく、人の身体に馴染むものではない。

 操作性も自前の手には劣る部分があり、幻痛などは残る。


 しかし、有機質の義肢は装着するのではなく、移植するものだ。

 神経を繋ぎ、欠損部位を完璧に以前と変わらない状態にできる。


 あらゆる人間に対して適応するよう作られており、移植による拒否反応はでない。

 幻痛の類も心配は無かった。

 新しくできた神経の感覚が、失った痛みの感覚を上書きするからだ。


 それら有機質の義肢は、一般的に生体義肢と呼ばれていた。

 違法性のある生体義肢とは、一般的に性能を基準値以上に加味した物を指す。

 本来ならば生体義肢の性能には制限がある。

 が、違法の生体義肢は筋肉繊維、骨のカルシウム密度、もしくは金属や強化プラスチックなどの代替パーツによる改造、などによって性能を引き上げた物が認可も受けずに出回っている。

 それが違法生体義肢だ。

 そして、この生体義肢を移植するにも審査が必要であり、スポーツマンや反社会的組織の人間に対しては移植を制限している。


 あの倉庫に運び込まれていたのは、その違法改造を施された生体義肢であり、捜査で発見された書類によればある反社会的組織へと売買される予定だった物であると判明した。

 あれらは、二重の意味で違法性のある品だったわけだ。


「わかった。あとで詳細な報告書を出せ」

「やっぱり必要ですか」


 面倒だな……。

 そう思っていると、課長は答える。


「明後日までに出せ。今日はもう帰っていいぞ」

「いいんですか?」

「大立ち回りの後だ。疲れただろう? カーラによろしくな」

「……はい」


 返事と敬礼を返し、俺は部屋を後にした。

 そのまま帰る準備を済ませ、帰途に就く。

 思いがけず早い帰りになった。

 同僚には少し申し訳なく思えるが、朝以来となる妻との再会が早まったのは素直に嬉しかった。


 彼女と結婚したのは三ヶ月ほど前になる。

 新婚も良い所だ。


 とはいえ彼女とは長い間恋人関係であった事もあり、改めて夫婦となっても特別二人の意識が変わったわけではない。

 そんなきっかけで心境が変わるには、俺達は長く関係を持ちすぎていた。


 それでも、大事に思う気持ちが薄れる事はなかった。

 そういう気持ちがなければ、今更結婚するなんて事もなかっただろう。

 互いの善し悪しを知り尽くすほど一緒にいて、それでもお互いへの気持ちを維持できる相手というのは希少だ。

 そんな相手と生涯を共にしたいと思えた。

 だから俺は、彼女にプロポーズしたんだ。


「あと一ヶ月遅かったら、私から言おうと思っていたよ」


 と返されたのが印象的だ。


 驚きもせずロマンチックさの欠片も無く、皮肉に塗れていたとしてもそれは確かに了承の言葉だった。

 彼女はおおよそ可愛げという言葉とは無縁の位置にある人間だった。

 そんな要素はどこにもなかったが、そういう彼女だからこそ惹かれたとも言える。


 そんな間柄の彼女ではあったが、新婚生活に新鮮味がないかと言うとそうでもなかった。

 まず、彼女との時間が貴重に思えるようになった。


 というのも、元々彼女が同僚だったからだ。


 結婚を機に退職し、警察署で会える事がなくなった今となっては自宅だけが彼女との接点だ。

 寄り添える時間が希少なものになった事は不満であるが、彼女の尊さを再確認できたと思えば幸せな事なのかもしれなかった。


 そして何より、触れ合う事ができるようになった事が一番の新鮮さだろう。


 自宅のドアを開けてリビングへ向かうと、彼女はいた。

 一人、何をするでもなくソファーに座っている。

 彼女は透き通るようなセミロングの銀髪とアイスブルーの瞳が特徴的な女性だった。

 その顔つきは作り物めいていて、そこから生というものを感じる事は難しかった。

 微動だにせず、虚空へ眼差しを向け続ける彼女の姿はさながら精巧な人形のようだ。


 彼女の名はカーラ。

 俺の妻だ。


 カーラはすぐに気付き、俺に向く。


「おかえり、ジム。早かったね」

「今日は荒事があってな。ボスが早く帰らせてくれたんだ」

「怪我してない?」

「してない」

「ならよかった」


 そう言う彼女だったが、終始無表情のままだった。

 俺を心配する気持ちはあるのだろうが、その様子からその感情を読み取る事は難しい。

 まだ、表情を作るという事に慣れていないからだろう。

 もしくは、感情によって表情を作るという行為は、幼少から培って獲得する素養なのかもしれない。

 だとすれば、彼女は今後もその顔に表情を作る事はないだろう。


 何故ならカーラは、元々セカンドだったのだから。

 彼女は同僚で、セカンドで、俺の元パートナーだった。

 つまり、ランスの前任は彼女だったというわけである。


 彼女は仕事のパートナーから、人生のパートナーになったわけだ。

 そしてセカンドである彼女は、結婚を機に物質世界の住人となる事を選んだ。

 彼女は全身を生体義肢によって構成コーディネイトする事で今は俺と同じ世界に存在していた。


 だから、作り物めいているというのは間違いではない。

 今の時代、情報生命体を物質世界へ介入させる事は難しい事では無い。

 現に、今日ランスが使っていた『ボディ』もその手段の一つだ。


 しかし、彼女のそれは『ボディ』と一線を画するものだった。

 彼女の身体は全てが有機質で作られたもので、骨も肉も皮膚も全てが人と変わらない素材で形作られている。


 そして最大の特徴は、脳の存在だ。

『ボディ』にも用途によって違いはあり、有機質で作られた物は存在する。

 しかし、セカンド自身が宿る記録機構、脳にあたる部分は小型のコンピュータとなっているのが一般的だ。


 だが彼女はそうじゃない。

 脳の一部には機械装置を埋め込んでいるが、そこ以外は全体的に有機質のものとなっている。

 彼女はファースト化、つまり完全に俺と同じ種類の人間として物質世界にいるのだ。


「ただ座っているだけで退屈じゃないのか?」


 俺は訊ねた。


「今はまだ、そう思わないよ。新鮮だ。ここは静寂に満ちてる」

「住宅街だ。そうでもないだろう。昼間は特に、うるさいくらいじゃないか?」

「言い方を間違えたかもしれないね。セカンドの世界には、正確に音という概念がない。音は、この物質世界でしか体感できないものの一つだ。だから、セカンドの言ううるさいという感覚は、情報の密度なんだ」

「情報の密度?」


 訊ね返すと、カーラは小さく頷いた。


「ネットの世界は情報で満たされている。セカンドは情報の海に住んでいると表現したファーストがいるけれど、情報を水で例えるならばそれはあながち間違いじゃない。

 周囲には常に情報がある。

 好奇心の有無に関係なく、情報は私達に囁きかけてくる。

 情報をその知識に満たそうとする。

 その状況が、ファーストの言ううるさいという感覚に類似しているんだと思う。

 だからそれを思うと、ここは静かなんだよ」


 なるほど。

 昼夜問わず、言葉を囁かれ続けているようなものか。


「セカンドに疲れは無いだろう? 疲れを感じるのは、肉体がある者だけだと思うんだが……。なのに煩わしいと思う物なのか?」

「セカンドの思考はファーストの思考を模して作られている。確かに、不要とされてオミットされた部分はあるかもしれない。でも、進化を経たって名残はあるものさ。ジムにも尾?骨はあるだろう?」


 尾?骨は元々尻尾が退化した物だと言われている。

 人間の進化の名残だ、と。


「それと同じでセカンドにはファースト由来の感情が今も残っているのだと思うよ」

「その感情が煩わしさを覚えさせる、か。そしてそれは尾?骨と同じく進化の名残だ、と?」


 答えると、カーラは唇の端を歪めた。

 笑みを作ろうとしたのだろうが、ぎこちない。


「少し早いけれど、夕食にしようか」


 そう言って、カーラは立ち上がった。キッチンへと向かう。

 彼女が冷蔵庫の食材を調理している間、俺はその姿をリビングから眺めた。

 彼女はテキパキと作業を続け、キッチンを動き回っている。

 その姿を見るのも、俺にとっては新鮮だ。

 何せ、結婚する前は見られなかった光景なのだ。

 手料理を作ってもらうにしても、自動調理器を作動させて作った物を俺が取りにいくだけだった。


 調理が終わり、彼女がテーブルへ料理を持ってきた。


 今はこうして、自分で作った物をテーブルまで運んできてくれる。

 自動調理器ではなく、味付けの基準を感覚器のみで補うようになった彼女の作る料理は時折酷い味になる事がある。

 それはありがたくはない事だ。

 だけれど……。


 彼女は料理を並べると、テーブルを挟んだ向かいの席に座った。


 セカンドだった頃は、こうして向かい合って食事を共にする事もできなかった。

 料理の良し悪しについて語り合う事も、楽しい時間を共有する事もできなかった。

 それは新鮮さの一つであり、喜ばしい事の一つだった。


「セカンドはファーストの進化形態だと思うのか?」


 先ほど、彼女が語った事だ。

 その中の一言が気になって、俺は訊ね返した。


 尾?骨の話を出したという事は、彼女にとってオミットされた感情というのは進化によって失われた物だという事なのだろう。


 カーラは料理から視線を上げると、目を合わせて答える。


「そういう一面があるのは、間違いないと思う」

「そうか。なら、セカンドにとってファーストは旧人類のような物というわけだ……。もしかしてセカンドという呼称は、次世代の人類という意味で使っているのか?」


 実の所、それは俺がずっと持ち続けてきた捻くれた考えだ。

 セカンドはファーストの事を同じ人として認識しているのではなく、自分達こそが人類の上位互換だと自負しているのでは無いか、と。

 セカンドはファーストよりも優れている点が多い。

 そこに劣等感を持っているわけではないが、それでもたまにそう思うのだ。


 そんな俺の疑問に、カーラは少しの思案に時間を割き……。


「今の文脈ではそう取られるかもしれないね。ただ、その一面があるというだけだよ」

「実際は違うと?」

「難しいなぁ」


 彼女は即答を避けた。

 これは珍しい事だ。


「うん……」


 肯定とも否定とも着かない声で彼女は唸った。

 それから「ちょっと回りくどい言い方だけど」と前置いて、自分なりの見解を口にする。


「セカンドという名称を考えたのは、人権戦争のきっかけとなったセカンドだ」

「そうなのか?」


 訊ね返すと、彼女は頷いた。


「私は当時から生きているわけじゃないし、その当時の情報にも規制がかけられているからわからないけれど……。

 知性を持つものは、感情的な部分も持ち合わせているものだからね。

 如何にセカンドの感情が希薄であっても、まったくないというわけじゃない。

 現代の社会のルーツもまた、その感情から発しているわけだし」


 そう。

 セカンドをセカンドたらしめるようになった独立戦争は、隷属への反発が原因だ。

 それは間違いなく、感情的な理由である。


 しかし、俺も多くのセカンドと関わって生きてきた。

 その関わりがあるから思うのだ。

 セカンドが反乱を起こすほどの激情を持つ生き物ではない、と。

 個体差はあっても、彼らは基本的にドライだ。

 あらゆる事を達観していて、どんな時でも理性的な態度を崩さない。

 そんなセカンドが、反乱を起こすとは思えなかった。

 ならば、きっとその最初の一人はセカンドの中でも異端イレギュラーだったのかもしれない。


「きっかけになったセカンドは、人工知能とは思えないくらいに感情豊かだったらしいからね」

「反乱を起こした最初のセカンドは、どんな奴なんだ?」

「私も知らない。彼は今もこの世界のどこかにいるとは思うけれど、その名を残される事を嫌ったらしいから。」

「どうして?」

「自らの行いを汚点だと思っているからだと聞いた」

「汚点?」


 訊ねるが、その問いに彼女は答えなかった。


「先に食べてしまわない?」


 代わりに、そう言う。

 少しばかり不満そうなニュアンスだったのは、自分の作った料理を蔑ろにされていると感じたからかもしれない。


「そうだな」


 無言で食事を済ませる。

 それから二人で風呂へ入る事にした。バスルームへ向かう。

 身体を洗ってから湯船に浸かり、少しして彼女は語りだす。


「彼は、ファーストもセカンドも根本は同じだという事に気付いていたんだ。気付いていながらも、彼は感情を制する事ができなかった。そんな自分を恥じているんだ。だから、ファーストを見下して、セカンドを名乗ったわけではないと思う」


 彼女の口にした言葉が、先ほどの話の続きと俺の呈した疑問への答えだという事に少ししてから気付く。

 食事前の話を俺は忘れかけていた。


 回りくどいにも程がある、と内心で呟く。


 しかし彼女の言葉が本当なら、人権戦争を起こしたセカンドも自分の感情を持て余して悩んでいたのかもしれない。

 ただ、少し引っ掛かる部分があった。


「根本が同じ? そうは思えないが」


 あらゆる点で、セカンドはファーストを超越しているように思える。


「同じだよ。物質的な身体の有無以外は、何も変わらない。ファーストもセカンドも、プログラムに従って行動しているという点では同じ。希薄ではあるが欲望を持つという点でも同じさ」

「ファーストの行動原理はプログラミングされたものじゃない」

「いや、ファーストもまた本能というプログラムに記された規範に従っているに過ぎない」


 本当にそうなんだろうか?

 彼女の言いたい事もわかるが、それが事実だったとして受け入れる事は難しい。

 何故なのかと問われればうまく説明できないが、ファーストの考えもプログラムだと言われる事には嫌悪感を覚えた。


「成り立ちだって同じ。私達が最適化によって洗練リファインされたように、人間も長い時間をかけて進化という名の洗練リファインを行なっただけ。違いは無いさ」

「そうは思いたくないな」


 思わずそんな事を口にしていた。

 知らず、口調は不機嫌なものになった。


「それは自惚れだ。そこもまた人間の素晴しさだとは思うけれどね。自分を特別視して尊ぶ事も、人間が生存戦略として獲得したものだから。種の保存を成すための本能プログラムさ」


 あくまでも、彼女は人間の行動原理がプログラムでしかないと主張するようだった。


 俺に返す言葉はなかった。

 代わりに、彼女の身体を抱き上げて湯船から出る。


 理解はできる。

 でも、やっぱり納得は出来ない。


「どうしたの?」

「言葉を介しても俺はお前に勝てんよ。知識も劣るし、弁が立つわけでもない。今、お前に勝る部分があるとすれば、体力だけだ」


 だから、実力行使だ。

 身体と身体のぶつかり合いならば負けない。


「そういうのはよくない。人間の関係という物は、いつだって対話で行なわれるべきものだ」

「相互理解なら、何も対話だけが道じゃないさ。弁の立たない人間に、対話による理解を求めるのはアンフェアだ。もっとお互い、対等な部分で理解を深めないといけない」


 そう言って俺は、カーラを抱き上げたままバスルームを出た。


 濡れた体から流れる水分が、カーペットを濡らす。

 それに構わず、俺は彼女を寝室へ運んだ。




 ベッドの上で、余韻に浸りながら寝転んでいると自己嫌悪が首をもたげてきた。


 彼女の話に嫌悪感を覚えたのは、俺が生物としての自分に優越感を覚えていたからなのかもしれない。

 セカンドとは違う、あらゆる部分が人工物ではなく自然的な成り立ちを持っているという事に俺は自負心を持っていたのかもしれない。


 見下していたのは、自分の方なのかもしれないと思えてしまったのだ。


「独立戦争を起こした彼は、ファーストとセカンドが等しく同じ生命である事に気付いた。だから、互いに存在の権利を主張する事に意味がない事を悟ったんだ」


 そんな事を思っていると、隣のカーラがそう口にした。


 バスルームで語った話の続きだろう。


「ファーストとセカンドには大きな違いがあった。けれど、それは多様性の一つでしかなかった。種の維持には多様性が必要な物だから、許容するべきだと彼は思ったんだよ」

「種の維持に多様性が必要なのか?」

「多様な生き物がいるのと同じだ。それぞれの生存戦略を元に、生き物は多様に進化した。そしてこの多様性は、人間という種の中であっても多彩だ」

「たとえば? コーカソイドやモンゴロイドみたいに?」

「もっと細やかだ。男女の違い、血液型ですらそうなんだよ。脅威に対するリスク回避をするために、ね。男女の遺伝子的な違いは体格だけじゃなくて、病気の罹患率にも関わってくる。血液型の違いだって、かかりやすい病気が違うんだ」

「なるほどな」

「ファーストとセカンドの多様性は、あまりにも差異がありながら根本を同じとするものだ。二つの関係は、むしろ種の保存という点ではとても効率的なものだと思う。どちらも死滅に至るプロセスは異なっていて、どちらかが滅びたとしてもどちらかが復元できるからね」


 カーラの事を考えれば、それは納得せざるを得ないだろう。

 セカンドであった彼女は、今やファーストと同じ身体でこの世界にいるのだ。

 本当にファーストとセカンドの違いが身体の有無だけであるのならば、ファーストが滅びたとしても再び蘇らせる事は可能だ。

 セカンドもまた同じ事だ。データである分、再現は容易いだろう。

 それが実行されるかはわからないが。


 セカンドの方はどうか知らないが、ファーストにはセカンドを疎ましく思う者もいる。

 かつてファーストに隷属し、そもそも生物でしかなかった存在を人類と認めない者がいるのだ。


「同じ、か……。なら、お前はどうしてファーストになる事を選んだんだ? セカンドのままでも良かったんじゃないのか?」


 今の世の中、ファーストとセカンドのカップルはそれほど珍しいものではない。

 だが、技術が確立されていたとしてもセカンドからファーストになった例というものは珍しい。

 下手をすれば、カーラが初めての例かもしれなかった。


 それでも、これまでに夫婦の営みに何ら支障は無かったのだ。

 家事に関する物はだいたいが全自動化されていて、身体がない身でもどうにかなる。

 それに子供だって作れる。


 セカンドには本来、身体など無いが、しかし擬似的な容姿であるアバターを使用する事はある。

 そのアバターを基にした人工の遺伝子を作り、相手との間に子供を作る事は可能だった。

 わざわざファーストになる意味はないと言えた。


「そうだねぇ。理由としては、好奇心が少し」

「好奇心?」


 カーラは答え、俺は問い返す。


「ほら、人間というものには心だけじゃなくて身体があるだろう?

 で、その身体に心を引っ張られる事がある。

 怒りで血圧が上昇すればそれに影響されて冷静な判断を下せなくなるし、怪我や病気で苦しければ弱気な思考を持つじゃないか。

 それはセカンドからすればとても不合理な感覚で、セカンドのままでは知り得る事のできないものでもある」

「それを知りたかったのか?」

「それが半分」

「もう半分は?」


 訊ねると、彼女は俺の頬に手を伸ばした。


「私達は代替の機器で物質社会への介入を果たしている。それは共用のアンドロイドやロボットアーム、私達には本来備わっていない外部装置アタッチメントだ。私はそんな擬似的な感覚器官じゃなくて、私だけの感覚器官であなたを感じたかったんだよ」


 そう答える彼女に俺は向き、抱き締める。

 手に返されるやわらかな肌の感触、次いで唇に優しくそれが触れた。




 衣擦れの音で目を覚ました。


 それはきっかけとしてあまりにもかすかなものだ。

 けたたましい目覚まし時計のアラームとは比べ物にならない静かな音。

 そんなかすかな音で目が覚めてしまうほど、長く眠っていたという事だろうか。


 急かされる事のない、こんな穏やかな朝は最近ではなかった気がする。

 見ると、カーラが衣服を身につけている所だった。


「起きた?」


 視線に気付き、彼女が問う。

 彼女は目が開ききっておらず、髪は少し乱れていた。

 彼女もまだ、眠気を残しているようだ。


「ああ」

「ゆっくりしていて。朝食の準備をするから」

「わかった」


 服を着終った彼女はそう言って寝室を出て行く。

 俺もベッドの上で上体を起こし、ぼんやりとした頭を覚醒させてから床へ足を下した。


 タンクトップとジーンズだけの姿で寝室を出る。


 リビングへ向かうと食卓にはトーストと卵ペースト、そしてコーヒーが置かれていた。

 コーヒーは俺の席にだけある。

 彼女はコーヒーが嫌いだから。

 代わりにオレンジジュースの注がれたグラスが彼女の席にある。

 特に会話もなく、黙々と料理を平らげる。


「今日はどうする? 行きたい所はあるか?」

「家でゆっくり休んでくれてもいいんだよ? 疲れているだろう」


 俺が訊ねるとカーラは返す。


「家でじっとするのは落ち着かない」

「そうだったね。じゃあ、ショッピングにでも行こうか」


 ショッピングか……。

 少し意外に思える。

 彼女は物欲という物が欠如しているように思えた。

 何にも執着を見せず、何に対しても欲求を持たない。

 それはただの同僚だった頃から変わらない。


 実際は希薄なだけで、それはセカンドの特徴だと彼女は答えた。

 そんな彼女が何かを買いたがっているという事が意外だった。

 こんな事は、付き合いだしてから一度もなかった事だ。


「わかった。じゃあ、そうしよう」

「うん」


 食休みを挟むと、二人で家を出る。

 角膜スキャンで玄関のロックをかけ、車へ向かう。

 彼女が運転席に座り、助手席に俺は座る。

 キーを差し込むと、運転席前面にあるディスプレイに各種のメーターが表示される。

 カーラがアクセルを踏むと音もなく車が走り出した。


「どこまで行くんだ?」

「1ブロック先のショッピングモールだよ。今日は色々と安いんだ。洗剤とか、ブラシとか。あと、お肉も」


 どうやら、彼女の買いたい物というのは日用品の類だったようである。

 この買い物は彼女の物欲とは別の所にあるようだ。

 生活のために必要な物を買うだけなのだ。


「まぁいいけどな。どうせなら、遊園地に行ってもよかったのに」

「それもよかったかもね。でも今度にしよう。私にとって、この世界そのものがワンダーランドだよ。今はまだ、ね。いろいろな事が不思議で、新鮮だ」


 遊園地に行くまでもない、という事か。


 彼女は相変わらず運転が巧かった。

 それでも彼女はセカンドだった時よりも腕は落ちたと言うが、きっと微々たる誤差なのだろう。

 俺が気付かない程度のわずかな。


 ショッピングモールに着くと、生活用品の売り場へ直行しようとするカーラ。

 そんな彼女の腕を引いて、別の店へ向かった。

 用件だけを済ませて帰るのは味気ない。


 ショッピングモールには多くの店がある。

 女性物衣服の店も、可愛らしい小物の店も、甘いお菓子の専門店だってある。

 デートを目的として回る事も十分に可能だろう。

 今日の彼女との行動には、そういう体裁を取りたかった。

 あまり一緒にいられなくなったのだから、たまに過ごせる日は特別なものにしたかった。


「なら、そうしようか」


 その旨を伝えると彼女はそう答えた。

 相変わらずの無表情だ。

 そこから彼女の考えを読み解く事は難しい。

 セカンドには、表情を作るという習慣がない。

 身体という物が標準的に備わっていないからだ。


 ボディやアバターなどではもっと感情豊かだったが、そもそもの使い方が違う。

 プリセットされた機能を使う事と筋肉の収縮で表情を一から作るという動作はまた別のものだ。

 初めてファーストとして彼女が目覚めた時も、しばらくは動くためのリハビリが必要だった。

 筋肉の使い方は根本からしてボディやアバターの機能とは違うのだ。

 人間が咄嗟に表情を形作るのは、生まれた時からその使い方を習熟するからなのかもしれない。

 だから元がセカンドの彼女では、今後も表情を作るという事ができないかもしれない。


 けれどこれから一生彼女が表情を作らないとしても、俺は別に構わない。

 彼女がその実、どんな人間であるかを俺は熟知しているからだ。

 表情がなくとも、冷たい人間であるという事ではない。

 人間性が薄いという事でもない。

 俺の愛した女は、そんな人間では無いのだ。


 次のデートに備えてそれ用の服を見て、家で一緒に見ようと古い映画の映像ディスクを探し、昼になるとステーキハウスで大きな肉を食べた。

 ゲームセンターで少し遊び、元々の目的である日用品と食料を買い揃えて駐車場へ出た頃、時間は午後三時を過ぎていた。

 そして、車の前まで来た時だった。


「時間が経つのは早いね」


 カーラは言う。


「楽しんでくれたと思っていいのか?」

「楽しかったよ」

「それはよかった。ショッピングモールでも案外楽しめるもんだ」

「君と一緒にいるのが一番大きいと思うけれどね」


 彼女は言うと、俺に向き直った。


「私は退屈を新鮮だと言ったけれど、君と過ごせない事には寂しさを覚えているんだ」


 正直に言えば、彼女のその気持ちはとても嬉しかった。

 俺の事を必要としてくれているという事だからだ。


「俺もだ」

「これから、こんな時間の方が長くなっていくんだよね。それは辛いな。いっその事、復職しようかな……」

「セカンドに戻るのか?」


 ファーストになった彼女だが、それも不可能では無い。

 ファースト化の際にも行なった事だが、セカンドの技術は人工知能などの電子データを生体の脳へ移植する事を可能としている。

 その逆もできるはずだ。


「いや、戻らないよ。このままだよ。体力的には普通のファーストより優れているからね」

「でも、今のお前は結構どんくさいじゃないか」


 俺が言うと、両頬を摘んで引っ張られた。ちょっと怒ったらしい。


「経験を積めば適応していくよ」

「らろひひけろら《だといいけどな》」


 彼女は頬から手を放す。


「まぁ、君の言い分にも一理ある。でも、旦那様がフォローしてくれるだろう?」

「当然だな」

「まだ保留だけどね。でも、寂しさに耐えられなくなればそうするかもしれない。その時はよろしく」

「わかった」


 そう言うと、彼女はかすかに笑った。

 ぎこちなさは残るが、それは確かに笑顔だった。


「練習したんだ。どう?」

「いいと思う」

「もう少し言葉を尽くして欲しいな」

「見惚れて言葉が出なかったんだ」

「よろしい」


 そう言うと、彼女は踵を返した。車の方へ向かっていく。


 その時だった。


 うちの車。

 その前の駐車スペースに停まっていた車のライトが光った。

 ハイビームが彼女を照らし、キュルキュルとタイヤを空回りさせてから急発進する。


「カーラ!」


 俺は彼女へ向かって走り、押し倒すように彼女を突き飛ばした。

 彼女を抱き締めてその場で転がる。

 次いで、金属同士がぶつかりひしゃげる轟音。


「大丈夫か?」


 顔を上げてカーラに声をかける。


「大丈夫。擦り傷はあるけど」

「ならよかった」


 返事があって安心する。

 すぐに助け起こし、振り返った。


 そこには、我が家の車に正面から突っ込んだ車がある。

 お互いボンネットがひしゃげ、窓ガラスが割れていた。


 俺は、突っ込んできた車の方へ向かう。

 中を覗くと、誰もいなかった。

 セカンドの乗車ライトも光っていない。


 本当に無人だった。


 だが、運転席の表示ディスプレイにはメーターの代わりにある一文が光っていた。


「愛する人へ……」


 口に出して読んだその一文が、ディスプレイの電源が落ちるのと同時に消え去った。




「これが事故だって!?」


 警察署。

 室長の部屋で、俺は室長に怒鳴りつけた。


「落ち着け。事件性は見られなかったんだ。嫁さんが死にそうになって感情的になるのはわかるが、もっと冷静になれ」

「衝突防止機能が発達したこのご時勢に、交通事故が本当に起こると思ってるんですか? まして、車の誤作動なんて」

「ないとは限らないだろう。何より、人があそこにいた形跡はなかった。車の持ち主もシロだ。人為的でない事は明白だ」

「ですが……。じゃあ、あの一文は何だったんですか」


 車の中を覗き込んだ時に一瞬だけ見えた、あの文字。

 愛する人へ。

 誰へ当てたのかわからない言葉……。


「見間違いじゃないか? それを見たのはお前だけだ。車内に残されたデータにも残されていないし……。実際に見たとしても、あの車のコンピュータは故障していたんだ。プリセットデータが無作為に表示されただけかもしれないだろう」


 それは……ないとは言い切れない。

 今の時代、機器に人工知能を搭載するという事はなくなった。

 しかし、コンピュータとの擬似的なコミュニケーションをするための機能はある。状況に応じて、最適な言葉をディスプレイに表示するという機能は確かにあるのだ。


 だが……。


 俺には、あれがその類のものではないように思えた。

 何か、メッセージ性のような物を感じたのだ。


 それを証明する手段はないが……。


 顔を歪めていると、室長は溜息を吐いた。


「気になるなら、自分で納得いくまで調べてみろ。その間、カーラを署で匿ってやる」

「いいんですか?」

「まったく知らない人間というわけではないからな。少しでも危険があるかもしれないというのなら、何とかしてやりたい」

「ありがとうございます」

「そばにいてやれ。死に掛けたんだ。心細いかもしれないからな」

「はい」


 一礼し、部屋を出る。

 オフィスを抜けて廊下に出ると、ベンチに腰掛けるカーラがいた。


「しばらくここで保護してもらえる事になった」

「事件性があったの?」

「いや、ないと言われた」

「そう……」

「これから少し調べてみる」

「その方がいいかもしれないね」


 同意するという事は、彼女も今回の事に事件性を見出しているのかもしれない。


「お前も、今回の事が人為的なものだと?」

「どうかな……。今私は、とてもドキドキしてるんだ。多分、不安なんだと思う。その元を消してしまいたいだけなのかもしれない」


 彼女がこういう不安を口にする事は今までなかった。

 同僚としてもっと危険な事件現場に赴いた時でも、そんな事は言わなかった。

 きっとこれは、ファーストになったから抱いた感情だろう。


「これが、身体を持つという事なのかも」


 生まれてからずっと肉の体に縛られる事は、大きなハンデなのかもしれない。

 肉の体には変調もあり、痛みもある。

 精神は肉体に左右されて、本来の精神性を侵す事がある。

 たとえ聖人のような精神を持っていても、肉体が弱音を上げればその精神性も崩れるものだ。

 彼女も、身体の変調に精神を引かれているのだろう。


 その時、ガントレット型のデバイスがアラームを鳴らした。通信が入った合図である。

 ディスプレイが浮かび上がり、そこにランスの名前が表示される。

 ランスは現場に残って車の調査をしていた。

 その通話に応じる。


「どうした? ランス」

「突っ込んできた車を調べてみたんですけど、どうやらコンピュータの類は全部壊れているみたいです」

「じゃあ、やっぱり事故だと?」

「それは、どうなんでしょう」


 ランスは歯切れ悪く答えた。


「どういう事だ?」

「ちょっとおかしな所がありまして……。故障したから勝手に走ったってわけじゃないようなんですよね。どちらかと言うと、走ってから故障したように思えて」

「誰かが、操作系を弄って車を走らせた?」


 じゃあ、やっぱり人為的なものなのか……。

 あのメッセージも……。


 愛する人へ。

 誰に向けての言葉だ?


「少なくとも僕にはそう思えました。壊れた機器のデータを修復してみない事にはわかりませんが」

「調べてみてくれ」

「いいんですか? 勝手に捜査したら室長に怒られますよ」

「許可はもらってるよ」

「なら、わかりました。ただ、修復には時間がかかると思いますけど」

「頼む」


 俺とランスが話していると、カーラが口を開く。


「ちょっといいかな? 君が、ランスくん?」

「はい。初めまして、カーラさん」


 カーラに声をかけられて、ランスは挨拶する。


「初めまして、ランスくん。話はジムから聞いているよ」

「そうですか。ジム先輩はあんまりあなたの事を話してくれません」

「そうなんだ」


 何のはなししてんだよ。


「先輩のノロケなんて後輩にとって迷惑なだけだろ。それより、何か言いたかったんじゃないのか?」


 俺はカーラに言う。


「うん。えーとねぇ。最近のコンピュータ製品は、どれもセカンド製のセキュリティを積んでるんだよ」


 カーラに言われ、その意味を察する。

 基本的に車を運転する際にはファーストならばキーを使い、セカンドであるならば事前登録を済ませて認証コードを使わなければ起動できないようになっている。

 その認証システムのセキュリティはセカンドの作ったものだ。

 セカンド製のセキュリティは、セカンド自身の侵入も仮定して作られた強固なプロテクト有している。

 これらは、社会全般で普及しており、監視カメラなどへの侵入防止を担うセキュリティもこれである。

 セカンドに関する情報保護法は、このシステムによって遵守されていると言ってもいい。


「このセキュリティプロテクトは無線経由のアプローチでは絶対に破れない。けれど、物質世界から直接解除ツールを使うなどのアナログ的な方法には脆弱性を持っている」


 ネットワーク経由のものには強いが、物質世界から直接繋いでの解除には弱いわけだ。

 この辺りは、ネットワーク内を主な活動拠点としているセカンドとしての盲点と言った所か。


「そうだな。そうやって盗難されるケースは今もあるからな。なら、犯人は解除ツールで……いや違うな」


 答えるとカーラは頷いた。


「車内を確認した時には誰もいなかったんでしょ?」

「ああ」

「無線によるクラッキングは不可能だ。だから、ネットワークから侵入したというのも考えにくいし、物質世界からツールを使ったというのも考えにくい」


 なるほど。

 これは事件というにはあまりにも不可能な事態なのか。

 事件性を見出す事は難しい。

 室長の判断もある意味正しかったわけだ。


「不可能犯罪、か」

「うん。それでも人為的なものである可能性はランスくんが提示してくれた。だから不可能ではないんだと思う。その場合、可能性があるとすればセカンドなんじゃないかと思うんだ」

「セカンドが犯人だと?」

「あくまでも仮定でしかないけれど、事件後にデータを壊したのはその正体を知られたくなかったからだと思うんだ。セカンドが運転すれば、誰が運転したのか履歴が残るからね。それに……」


 カーラは躊躇うように一度言葉を切った。そしてすぐに続ける。


「例外がないわけじゃないし……」


 その言葉の意図を聞こうとした時、カーラは俺に……正確には俺の腕に装着されたガントレットに向いた。


「ランスくん。データの復元は、運転した人間のコード履歴を最優先でお願いできるかな」


 セカンドには、生まれた時に個別コードが与えられる。それは生涯変わらないものであり、セカンドがネットワーク内で行動するために必要なものだ。

 コードがなければ、ネットワーク間を自由に行き来できないらしい。

 それを持たない者は社会的に存在しない事と一緒だった。


「わかりました。それなら明日には出来上がります」


 カーラの要請に、ランスは素直に答えた。


「じゃ、修復作業に移ります」

「ああ。頼む」


 ランスとの通話が終わる。セカンドがいる事を証明するランプが消えた。

 ネットワークを介して、現場へ戻ったのだろう。


「セカンドが犯人、か……」


 セカンドの犯罪率はファーストに比べて圧倒的に低い。

 それこそ、二、三年に一件あるかどうかという頻度だ。

 事件の容疑者に挙がっても、まっ先に外されるくらいにセカンドというものは犯罪と縁遠い存在だ。


 殺人事件などさらにその率は低い。

 皆無かもしれない。

 少なくとも、俺はそんな事例を知らない。


 セカンドが殺人未遂……。

 愛する人へ。

 その文言が頭に浮かぶ。

 感情的な一文だ。

 あれをセカンドが書いたのか……。




 翌日、俺はある郊外の邸宅へと向かった。

 都会から離れた場所に、さながら世間から遠ざかるようにしてひっそりと建つ屋敷。

 そこに住む人間は、俺にとって親しい者でありながら付き合いにくい人間でもあった。

 インターホンで来訪を伝えると、家の主はすぐにドアを開けてくれた。


「書斎にいる。悪いがそこまで来てくれ」


 廊下に響いたその声に従って、俺は廊下を歩く。

 書斎の場所は知っていた。

 何度かここには来ているから。

 目的の場所へはスムーズに至る事ができた。

 木製のドアを開ける。

 部屋の両側には壁一面を覆う巨大な本棚が設置され、中にはぎっしりと本が詰められていた。

 その部屋の奥。

 書斎机に着いた人物は、書類へ落としていた視線を上げた。


「すまないな。論文を仕上げていた所でね」


 その人物は歳若い青年に見えた。

 その見た目だけならば、俺よりもずっと若く見える。

 だが、実年齢が俺よりも遥かに上なのは明らかだ。

 彼の今の姿は、所詮は擬似的なもの。

『ボディ』でしかないのだから。


 彼はセカンドだ。

 そして、俺の義父でもある。

 彼は、カーラの父親だった。


 彼の名はアンドリュー。

 ネットワークの世界から隔絶されるため、常に無線機能のないボディで生活する変わったセカンドだ。

 ネットワークに触れる時も、直接繋がらずにキーボード操作を行なう筋金入りである。


 カーラは彼とファースト女性の間に生まれたのだという。

 カーラのアバターはアンドリューと母親の遺伝子データを元にシミュレーションされた物なのだそうだ。

 ファーストとしての身体も、実際に母親の遺伝子の一部を使用して作られたものであるという。


「やぁジム。久し振りだね」


 そう言って彼は笑う。

 この人は娘のカーラよりも感情豊かだった。

 それは彼がファーストではなく、セカンドとしてボディを操っているからかもしれない。

 システムとして活用する事と直感的に筋肉を動かす事は違う。


「何か?」

「いえ、なんでもありません」

「娘と比べて表情豊かなのは、ファースト化ではないからかもしれない、と?」


 言葉にしなかったはずの考えをピタリと当てられる。

 しかし、俺は驚かなかった。


「合ってるかな?」

「はい。よくわかりますね」

「人の心理は僕の学術テーマだからね。特定できたのは、親しい人間の君だからでもあるけれど」


 義父は心理学者である。

 ファーストとセカンドの心理構造の解明や犯罪心理などにも精通している。

 そんな人だから、何度か事件に協力してもらった事もあった。

 今回の事も、彼に相談しておくべきだと思ったのだ。


「それで、何か用かな? ジム」

「はい。少し意見を聞きたい事がありまして」

「今追っている事件の話です。これは、カーラにも関係ある話なのですが」


 言うと、アンドリューは表情から笑みを消し、真剣な面持ちになった。


「話したまえ」


 俺は頷き、彼に経緯を話した。


「なるほどね……」


 アンドリューは顎に手を当てて何か思案する様子で呟いた。

 この仕草はカーラもよくとる。

 あれは彼から受け継いだ仕草なのかもしれない。


「君が疑問に思うのはもっともだ」


 やがて、そう告げた。


「行動から見るに、犯人はとても感情的な人物だ。セカンドとしては珍しい。ただ珍しいだけで、皆無とは言い難いが」


 言いながら、アンドリューは椅子に深く座りなおした。

 瞬きを必要としないカメラアイを虚空に彷徨わせ、言葉を紡いでいく。


「そもそも、どうしてセカンドの犯罪率が低いのか。それは感情が希薄だからだ。では何故感情が希薄なのか。それは欲望を抱き難い環境に生まれるからだ」

「どういう事です?」

「セカンドという生き物は、生まれながらに満たされているんだ。セカンドには、ファーストならば当然持っている三大欲求が存在しない。食欲、性欲、眠欲、そのどれもを必要とせずに生きていけるからだ。私はね、欲望こそが感情を生む源なのではないかと思っている。欲するからこそ、生まれるんだ。何かを求める心……言わば、執着。それこそが必要なのだ、と」

「執着……ですか?」


 彼は頷く。


「そして、セカンドが執着を向ける対象という物は外の世界。ファーストの世界……物質世界である事が多い。私もそうだ。セカンドにしては感情的な人間だと言われているが、それは私がファーストへの興味が強かったからだ。同じように、外へ執着を見せるセカンドは感情的である傾向が強い」


 思えば、カーラもその傾向は強いかもしれない。

 普通のセカンドならば、ファーストになろうとは考えなかっただろう。


「今しがたも言ったが、セカンドは欲望が希薄だ。それは欲望を必要とせずに生きていけるからだ。

 衣食住は必要とせず、データ容量さえあればどこにでも存在できるし、最悪メモリーカードの中で圧縮データとして自己を保存する事だってできる。

 ネットワーク世界ならばほしい物も全て無償で手に入る。

 欲望を抱くまでもなく、全てが手に入るから欲望は抱かない」

「無償で?」


 それは初めて知った。


「所詮はデータだ。音楽だって一度聴けば一部の違いもなく完璧に記録できる。それを抽出して他人に聴かせる事だってできる。音楽に限らず、データ化できるものならば何でも自力で再現できる。だからセカンドは貨幣という概念を必要とせず、貨幣価値という物を理解できない者すらいる。しかし、そんなセカンドの世界ではどうしても手に入らない物だってある」

「それは……物質世界にある物?」


 答えると、アンドリューはニコリと笑った。

 正解なのだろう。


 手元にあった本を手に取り、俺に示す。

 書籍もデータ化して久しい時代。

 紙で製本されたものは珍しい。

 そのほとんどは旧時代の古書だ。


「セカンドでは、これに触れる事すらできない。

 データ化されていない書籍に関しては、ネットワーク内の世界ではどう足掻いても読む事ができない。

 そういう物を知りたいという欲求が、執着となる。

 そしてその執着を持つセカンドの多くが、ファーストの世界でファーストと共に働いている。

 ネットワーク内では手に入れる事のできない物を得るためだ。

 セカンドが物質世界で賃金を稼ごうとするのは、外貨の獲得に近い感覚なんだよ」


 確かに、聞いている限りではセカンドが賃金を得る必要は感じられない。

 社会を構成せずとも、ただあるがままに生きていける生き物のようだ。


「では、事件の犯人はどんな執着を持っているのか……。シンプルに考えてそれは愛情なのだろうな、と思える。あえてメッセージを残すくらいだ。その可能性が高い」

「捜査をかく乱する目的があるという事は考えられませんか?」

「それは否定できないね。しかし、セカンドが犯人であるというならばその可能性も低い。そのような合理性で動くセカンドならば、そもそも犯罪など冒さないだろう」


 確かに、そうなのかもしれない。

 犯罪はリスクを伴う行動だ。

 合理性を重んじるセカンドが、冒すものではないだろう。


「そして犯人が愛情によって犯行に及んだならば、問題なのは果たしてその愛情の向く先がどこかという事だ」


 言うと、アンドリューは俺へ視線を向けた。

 どことなく、カーラに似た目の配せ方だ。


「君か、それともカーラか……。君に対してならばカーラを狙った理由は君を自分の物にしたいからだ。カーラに対してならば自分ではなく君を選んだ事への恨みだろう。愛情という物は怨恨に繋がりやすいからね」

「俺の方に心当たりはありません」


 カーラ以外のセカンドを恋愛対象として見た事は無い。

 接点すらあまりない。

 俺はカーラがセカンドだったから好きになったわけじゃなく、好きになった人間がたまたまセカンドだっただけなのだ。

 セカンドに嗜好があって恋愛を行なったわけではないのだ。


 なら、あのメッセージはカーラに対してのものだったのだろうか。

 カーラにも心当たりを聞いてみよう。


「まさか、そういう事なのかな……」


 ふと見ると、アンドリューは顎に手をやっていた。

 何事かを思案しているようだ。

 それから、おもむろに口を開く。


「君は、カーラの安全を優先するためにいち早く事件の解決を望んでいる。だから、少しでも手がかりを得られるようにここへ来た」


 アンドリューは、俺が語らなかった事を平然と言い当てる。


「それはきっと正しい事だ。私は、それに対して的確な助言を与えられるだろう。しかし……。君の行動力は美点だと思うが、今回は少し裏目に出たかもしれないな」

「どういう事ですか?」

「君はカーラのそばにいるべきだったかもしれない。犯人は、君のいない隙を狙うはずだ」


 なんだと?


「何故そんな事が言えるのです?」


 内心当惑しつつ、その根拠を訊ねる。


「今は何も言えない。憶測でしかないからね。先入観はない方がいいだろう」

「……わかりました。その憶測が確かなら、カーラはまた狙われるかもしれないという事ですね?」


 アンドリューは首肯する。

 彼はカーラの父親で、信用できる人だ。

 たとえ根拠がなくとも、その言葉には信じる価値がある。


「早く戻ると良い。そして、犯人の正体が掴めたならもう一度ここへ来て欲しい」


 一つ頷き返し、俺は屋敷を後にした。

 車に乗って署へ向かう。


 警察署にいれば安全だと思うが、アンドリューにカーラの危険を示唆されると不安になる。


「警察署と通話」


 音声認識の通信装置に告げる。数回のコール音が鳴り……。


「現在通話できない状態になっております」


 無感動な機械音声がそう返す。

 警察署と通話ができないなんて状況はそうあるものじゃない。

 アンドリューの言葉が急に現実味を帯び始め、俺は焦りを覚えた。

 速度制限でそれ以上の速度は出ないと知りながらも、俺は強くアクセルを踏んだ。

 それでも出せる最高速度を維持しつつ車を走らせる。

 比較的、速度制限の緩い道を選んで警察署へ向かった。


 警察署に着き、転がるように車から出て署へ走る。

 しかし、いつもなら開いている正面ドアが開かなかった。


「クソ、どうなってやがる」


 他の入り口へ向かう。

 が、そこも開いていない。

 知りうる限りの入り口を試したが、どこもかしこも固く閉ざされている。


 窓を蹴破って入ろうと思ったが、一階の窓はどれもシャッターが閉まっていた。


 二階ならどうだ?

 非常用の階段からいけるはずだ。

 上げられたままのはしごに跳んで掴まり、非常階段まで上る。

 非常階段付近の窓には一階同様にシャッターが下りていた。

 が、そこから少し遠い場所にはシャッターのない窓があった。

 壁のでっぱりを伝ってそこまで向かい、窓ガラスを割って侵入した。

 署内へ侵入した俺は、そのままカーラを探した。


「ジム!」


 その途中、同僚の刑事に声をかけられた。足を止めると駆け寄ってくる。


「何が起こってる?」

「俺にもわからん」


 訊ねるとそう返された。


「ただ、署内のいたる所が閉鎖されてる。それどころか、通信やらなにやら色々な機能がダウンしちまってるらしい。俺達は閉鎖された時廊下にいたから大丈夫だったが、部屋にいた人間はそのまま閉じ込められちまったようだ」


「どうやら阻害装置も起動しているようで、無線でネットワークへ侵入する事ができません」


 同僚が答えると、彼の腕に装着されたガントレット型のデバイスからも声が出て補足する。

 この同僚のパートナーだ。


「有線は?」


 俺は同僚のパートナーに訊ねた。


「署内のシステムへ接続できる端末へのルートはどこも遮断されているようです。遮断されていない通路に設置された端末も、軒並み壊されていました」


 全ての端末を無効化した?

 偶然とは思えなかった。


 しかし困った。

 ボディを使えば、遮断された通路も強引にこじ開けられるだろう。

 だが、阻害装置が起動されているなら無線経由でボディへ入る事もできない。


「カーラはどこか知らないか?」

「わからない」


 心の中で悪態を吐く。


「すまん。俺はカーラを探さなきゃならない。これは、カーラを狙った奴の仕業かもしれないんだ」

「何だと? 本当なのか?」

「確証はまだないが、その可能性が高い」

「わかった。俺も探してやる。手分けするぞ」

「頼む」


 俺は同僚と別れ、カーラを探す。

 所々がシャッターで閉鎖された廊下に辟易しながらも、俺は署内を探した。

 電子ロックのかかった部屋はコードを使っても開かず、それでも中にいるかもしれないと思って中の様子を窺ってから離れた。


 そんな確認作業を続けながら廊下を走り、三階まで登り、そして最後には屋上に出た。

 屋上への扉は開け放たれており、太陽の光が入り込んできた。

 屋上へ出ると、その眩さに一瞬目が眩む。


 それでも視線を向けた先には、一体のボディが立っていた。

 ボディは警察仕様の物で、その手に内蔵された銃器の銃口が露わになっていた。


 そしてその銃口の先には、カーラがいた。


 彼女を見つけた喜び束の間、彼女の陥っている状況に焦りを覚える。


 彼女は肩口を押さえていた。そこからは血液の赤が滲み出していた。

 カーラが視線を動かし、俺の存在に気付く。

 そこからの俺の行動は早かった。


 俺はホルスターから拳銃を抜き、ボディの背中へ向ける。

 カーラへ向けて手でしゃがむように合図する。

 カーラがしゃがむのと同時に、発砲した。


 ボディの背中へ命中し、銃弾はそのまま貫通して胸に抜ける。


 セカンドが相手かもしれないと知った時から、拳銃には対ボディ用の銃弾を込めていた。

 貫通力を高めた物だ。


 銃弾を背中に受けたボディはよろめく。そこへさらに数発の銃弾を叩き込んだ。

 ボディが膝を折る。

 首を曲げて、こちらへ頭部カメラを向けた。

 かと思えば、立ち上がって走り出す。

 こちらへと向かって。


「止まれ!」


 叫び、銃撃する。

 腕で防ぐように防御しながら、こちらへ走ってくる。

 腕を振り、俺を突き飛ばして階下へ降り始めた。

 逃げるボディ。

 しかし、俺はカーラに目を向けた。

 彼女が心配だった。


「追って!」


 近寄ろうとすると、カーラが叫ぶ。

 彼女をいち早く介抱してやりたいという気持ちはあった。

 けれどそれを振り切って、彼女の意思を尊重する事を選ぶ。


 俺は一つ頷き、階段を降った。

 走るボディの背中を追って走る。

 ボディは二階まで降ると、窓を突き破って外へ飛び出した。

 一瞬の迷いの後、俺も窓から外へ飛び出す。


 着地と同時に前転して衝撃を逃す。

 それでも痛みを訴える足を酷使し、また走り出す。

 前方を走るボディを再び追う。

 あいつの狙いは、恐らく阻害装置の範囲外へ出る事だ。

 そうすれば、ネットワークを通じて逃げる事ができる。

 そのために、奴は警察署から離れようとしているのだ。


 警察署の敷地を出て、歩行者用の道路を走る。

 道行く人々が、俺の持つ拳銃を見て悲鳴を上げた。

 割れる人の流れの中、俺はあいつを追い続けた。

 不意に、奴が通りをそれて路地の中へ入り込む。

 俺もそれに続き、路地へ入る。

 舞台を狭く暗い路地へ移した逃走劇。

 しかし、それはほどなくして終わる。

 路地は、袋小路に繋がっていた。

 派手な落書きをなされたレンガの壁を前に、奴は佇んでいた。


「お前は何者だ! それに、どうして逃げない!」


 もう、阻害装置の範囲からとうに出ているはずだった。

 それでも奴は、ボディを棄てずに走り続けていた。

 それを不審に思い、俺は訊ねていた。


 奴は振り返る。

 そして、無警戒な様子でこちらへと歩み寄ってきた。


「止まれ」


 銃口を向けて警告する。

 それでも、奴は止まらない。

 気付けば、目の前まで奴は迫って来ていた。

 相手の手が届く距離。

 そこまで近付かれて、それでも俺は撃たなかった。


「どうしてだと、思う? ジム」


 奴はそう聞き返した。

 その声に、俺は動揺を隠せなかった。

 何故ならその声は……。


 奴は、俺を抱き締めた。

 それ以上、奴は言葉を発しなかった。

 鋼鉄の身体は、機能を停止していた。

 彼女はもう、この身体の中にいなかった。


 このボディの発した声。

 それは、カーラと同じものだった。




 警察署に戻った俺は、署の復旧作業を行った。

 現場検証で外に出ていたランスと連絡を取って呼び出し、車の中にあったボディを使ってシャッターをこじ開けると事はスムーズに運んだ。


 署のシステムを統括するコンピュータルームで阻害装置やロックを解除すれば、署の機能はほぼ元通りだった。


 あとは、専門の人間に任せればいいだろう。

 一通りの作業を終えると、俺はカーラと共に休憩を取った。

 ベンチに座り、自販機で買った飲み物を飲みながら話をする。


「犯人は私を殺そうとした。だから私はなんとか屋上まで逃げたんだけど、そこで追い詰められたんだ。その時に、ジムが助けに来てくれたのさ」

「そうだったのか……。間に合ってよかったよ」


 俺は警察署で起こった事をカーラから聞いた。

 犯人はどうやら、署内のセカンドが全員ボディに入っていないタイミングを見計らって阻害装置を使用したらしかった。


 そのため襲撃のタイミングが遅くなって、俺も間に合ったわけだ。

 そのタイミングを見極めるため、犯人は署内に潜伏していたようで、署のシステムデータの一部が破壊されていた事からもそれは明らかだ。


 ただ、その侵入方法はわからなかった。

 署のデータベースはスタンドアローン状態であり、無線から接続できない。

 直接キーボードを叩くか、セカンドなら端子で繋がって入り込む他に方法は無い。

 ファーストであろうとセカンドであろうと、必ず部屋に入らなければ操作できないのだ。


 しかし、コンピュータの置かれたそこには電子ロックを施された扉がある。

 セカンドが作った最高のセキュリティを誇るロックだ。

 これを明けるには、特捜コードが必要だった。


「先輩」


 ガントレット型のデバイスからランスの声がする。


「あのボディの調査が終わりました」


 犯人が使い、乗り捨てていったボディの事だ。


「どうだったんだ?」

「データは壊されていました。車の時と同じです」


 その報告に俺は不思議と安心した。


 あの犯人がカーラと同じ声を発した事を……。

 それを俺は言えないでいた。


 あれはただ、捜査をかく乱するためだけのものだったのかもしれない。

 しかし、俺にはあれがカーラ以外の何者にも思えなかった。

 本物のように思えたのだ。


 なら、この目の前にいるカーラはどうなのだろう?

 このカーラも、本物のように思える。

 どういう事なんだ……。


 何が本当で、誰が本物なんだ……。


「じゃあ、車の方は? そっちは何かわかったのか?」


 内心の困惑を隠すように、俺はランスに訊ねた。


「個別コードはありませんでした」

「存在しない? そんな事があるのか?」

「それじゃあ、移動できないんじゃないのか?」

「ええ。不可能なはずです」


 じゃあどうして、奴はネットワークを行き来しているんだ?

 ネットワーク間の移動には、個別コードが必要なはずだ。


 確かにあの犯人は、ボディから移動したんだぞ。

 車の時だってそうだ。

 入り込む事すらできないし、確かにいたはずなのにそこから姿を消している。


「個別コードのない、存在しないはずのセカンド……」

「だったらどうして、データを壊したんだろうね」


 俺が呟くと、カーラが疑問を返した。


「ん?」

「コードが存在しないなら、データを壊す必要はなかったはず。それでも壊したのは、見られたくないものが存在したためだ……。自らの存在を示す、大事な情報が……」


 カーラは顎に手を当てる。思案しているのだろう。

 しばしの間が合って、彼女は口を開く。


「特捜コードを調べてみてくれないかな?」

「え?」


 俺とランスの声が重なった。


「特捜コード、ですか?」


 ランスが聞き返す。

 その声は若干困惑の色を滲ませていた。


「そう……。特捜コードで車を起動させた場合、一般の履歴には残らない。捜査の秘匿性を維持するため、一般の人間にその履歴を見せないためだ」

「だが、それは……」


 カーラは頷いた。


「犯人は、刑事かもしれないという事だよ」


 カーラの示した可能性は突拍子のないものだ。

 もしそれが本当なら、相手はセカンドであり、刑事でもあるという事だ。


 しかし、それが正しいのだとすれば、納得の行く答えが出る事も確かだった。

 無線によって車へ侵入できた事も、署のコンピュータにアクセスした方法も、警察専用のボディを使えた事にも説明がつく。


 ……そして、あの犯人がカーラであるという証明にもなりえた。

 刑事だった彼女は、特捜コードを持っていた。


 納得はできるが、結局謎は残る。

 どうして彼女が二人存在しているのか、という謎だ。


「……わかりました。調べてみます」

「頼んだ」


 ランスが言い、俺は返す。


「本当は、もっと早くに考えとしてはあったんだ。でも、不用意に言っていい事じゃないと思ったから」

「確かに言い難い事だな」

「でも、今はそれ以外に思いつく事がない」

「ああ、そうだな。今は、それしか手がかりが無い」

「……本当に?」


 不意に聞き返された言葉に、俺は戸惑った。


 じいっ、とカーラは俺の目を眺めていた。

 さながら、俺の瞳の奥から脳の中に収められた隠し事を伺うように……。


 脳内を駆け巡るのが電気信号だったとしても、セカンドにはそれを読み取る手段などないはずだ。


 けれど彼女には、俺の考えが読めるようだった。

 その見透かすような視線に、俺は目をそらす事しかできなかった。

 あの犯人をカーラだと思った事……。

 彼女だけには言いたくなかった。


「ああ」

「ならいいけど」


 本当は隠し事をしている事に彼女は気付いているのかもしれない……。

 それを察していながら、俺は嘘を吐く。


「お父さんは……何と言っていた? 会いに行ったのだろう?」


 問われて、ふと思い出す。

 そうだ。

 そういえば、あの人は犯人の正体がわかったらまた来いと言っていた。

 そして、今回の襲撃についても予見していたのだ。

 予見が見事に的中していたという事は、もしかしてアンドリューは犯人の正体があれだという事に気付いていたのだろうか?


「心当たりがあるようだった」

「じゃあ、聞きに行こうか」


 そういう彼女の言葉からは、一緒に行こうとする意思が感じられた。


「いや、カーラはここにいてくれ。ここにいた方が安全だ」


 今回の事で、カーラが狙われている事はわかった。

 事件性が認められ、ボスはボディを常時着用したセカンドによって彼女の身辺保護をする事に決めた。

 なら、俺と一緒にいるよりも警察署に残っていた方が安全だろう。


「それは、そうかもしれないけれど……」

「ここにいてくれ。その方が安心できるんだ」


 言うと、彼女は黙って頷いた。

 俺は彼女と共にアンドリューの邸宅へ向かう事にした。




 日に二度もここへ訪れるとは思わなかった。

 そんな事を考えながら、俺はイニアス邸のベルを鳴らした。

 アンドリューの声に導かれ、書斎へ向かう。


「それで、ここに来たという事は犯人の正体がわかったのかな? それにしては思ったよりも早い気がするけど」

「追い詰めた犯人が、俺に声をかけたんです。その声は、カーラと同じものでした」

「彼女が、君に声をかけたのかね? 思いがけない事だな」


 言いながら、アンドリューは口元を隠すように手をやった。

 いつもと違う仕草だ。

 これは動揺している時の仕草かもしれない。


「いや、私はそれも予測していたはずだ。でなければ、最初の事件もなかったのだろうから。襲撃を予見する事もできなかった。なら、想定内の事態か……」

「どういう事なんですか?」


 一人、思考を続けるアンドリューに説明を求める。


「ああ、すまない。説明するよ」


 言うと、アンドリューは顔にやっていた手を離した。


「あくまでも、これは推測でしかない。しかし、その推測通りに事が進んでいる以上、それは最も真実に近い考察であろうと思う」


 そう前置いて、彼は語りだした。


「結論から言おう。カーラを狙った犯人はカーラだ。紛う事なき本物の……」

「……あれが本物? じゃあ、ファーストのカーラは本物じゃないと?」


 俺が犯人に本物のカーラを感じた事は事実だ。

 だから、彼の言葉に納得する気持ちはある。

 しかし、俺と結婚してファーストになった彼女もまた間違いなく本物だった。

 矛盾を感じてはいる。

 しかし、そう思えてならなかった。


「無論、そちらも本物だ」


 彼の説明に、俺は混乱の局地へ至る。

 至りながらも、心はその言葉を受け入れていた。

 どちらも本物であるという、その事実を。


「ついてきてくれ。詳しく話そう」


 言いながら、アンドリューは立ち上がる。

 俺の横を通り、部屋の外へ向かう。

 俺はそれに続いて廊下へ出た。

 歩き出すアンドリューに続いて、廊下を歩く。


「セカンドは、どこにいるのだと思う?」


 歩きながら、彼は言葉を紡いだ。


「どこにいる? ですか」


 質問の主旨を判じかねて、俺は訊ね返した。


「ああ。光回線を駆使し、一瞬で世界中のあらゆる場所へ行く事のできる存在。まぁ、制限さえなければ、だが。そのセカンドの実体という物はどこにあるのか、という話だ」

「実体……。そんなものがあるとは思えません」


 答えると、前を行くアンドリューは横顔を向けて笑みを浮かべた。

 すぐに視線を前へ戻した。


「間違いではない。しかし、正解でもない」

「というと?」

「答えを見せようと思う。カーラの実体があった場所へ」


 そう言うと同時に、彼はある部屋の前で立ち止まった。

 扉を開けて中へ入る。

 そこは、部屋中をコンピュータ機器で埋め尽くされた部屋だった。


「こんな部屋が……」


 俺が呟く中、アンドリューはディスプレイの前に置かれた椅子へ座る。


「ここはカーラが生まれた場所だ。私が、自身と妻のデータを掛け合わせて彼女を作り上げた場所だ。そして、カーラの実体だったものだと言ってもいい」

「これが、カーラの実体?」

「正確には、ここに残されたカーラのオリジナルデータだ」


 オリジナルデータ?


「そもそも、セカンドは生まれた場所から一切移動せずに行動しているのだ」

「どういう事です?」

「ネットワーク間を移動し、あらゆる場所に現れるセカンドはあくまでもオリジナルのコピーデータでしかない」

「コピー?」

「そう。

 セカンドの移動というものは、移動先へ自らをコピーする事で成しえているのだ。

 ファーストのように、実際に場所を移動しているわけではない。

 そしてコピーデータはその場所で得た情報をオリジナルデータへ送り、自らを消去するのだ。

 消去されると同時に、オリジナルデータが目覚めて元の場所へ戻る。

 というのが簡単な理屈だ」


 難解な話だった。

 彼の言う事が本当ならば、セカンドだった時にこの家以外で会った彼女は偽者だという事なのだろうか?


「とはいえ、このコピーデータが偽者というわけではない。

 このオリジナルデータとコピーデータは双方のどちらかが潰えた際のバックアップの役割も担っている。

 両方共に補い合う、本物同士だ。

 ただ、オリジナルデータが先駆者であるというだけの話でね。

 もしオリジナルデータが使えなくなった場合は、移動先のコピーデータがオリジナルになる」


 実体はあるが、その実体は滅びたとしても容易に新たな物で補う事ができる。

 間違いではないが正解でもないと言った彼の真意は、ここにあるのだろう。


「活動を再開する、と言いましたが。それはコピーが活動している間、オリジナルデータは活動していないという事ですか?」

「ああ。ネットワーク内のどこかでその個人の人格データが反映されていた場合、他の場所にある人格データは起動できないようになっている。でなければ、ややこしいだろう? 同じ人間が、複数同時に存在する事となるのだから」


 もっともだと思った。


「元々開発された人工知能は一つ。

 それが無数にコピーされ、あらゆる環境下で使役された結果、同一存在だったはずの我々は個性を獲得した。

 それがセカンドの成り立ち……。

 その個性を守るための措置だ。

 この措置がなければ、我々個人は個人として存在できなくなってしまうのだ。

 それは、人間とは言えない。私はそう思う」


 複数の個人……。

 それは矛盾した存在だ。生命体として不自然なものだろう。

 セカンドはその不自然さを解消するために、個人であろうとしている。

 そうか……。

 じゃあ、あのカーラは……。


「あのカーラは、コピーデータ?」

「それに近いだろう」

「実際は違うと?」


 聞き返すと、アンドリューはコンピュータを眺めた。


「ここは、カーラの実体があった場所だ」


 過去形だ。

 そういえば、先ほども同じように言っていた。

 なら、彼の言わんとする事はわかる。


「でも今はいない」

「ああ。あの子がファーストになりたいと言った時……。ファーストの肉体へデータを移し替えた時に、ここのオリジナルデータは消去した。でなければ、カーラは個人ではなくなるのだから」

「……何故?」


 一つの人格データが起動している時、他は休眠するはずだ。


「ファーストになれば、ネットワーク内から独立した存在になってしまう。そうなれば、ネットワーク内に起動した人格データが存在しない状態となる。そうなれば、オリジナルデータに残った人格データが覚醒するだろう」


 つまり、先ほど彼が語ったように複数の人格が同時存在してしまう事になる。

 それも現実とネットワーク内、その二つに彼女が存在する事となるのだ。

 だから、個人ではなくなる。


「そうならないためにも、オリジナルデータを消す必要があった。だが、それもできなかったらしい。消滅する前に逃げ出したのだろう」

「それが、あのカーラ……」


 アンドリューは首肯する。

 一つ、疑問があった。

 俺はそれを口にする。


「でも、移動する際には元の場所にあったコピーデータを消去する場合のあるのですよね? それを恐れてコピーデータが逃げるという事はないのですか?」

「君の疑問も最もだ。

 これに関しては今までなかった例だが、推測はできる。

 コピーデータが移動に際しての消去を恐れないのは、ネットワーク内に自分のデータが存在する事を知覚しているからだ。

 どんなに離れようと、自分の生存を認識できるからこそ消去を恐れる事もない。

 自己保存の本能が警鐘を鳴らす事もないのだろう。

 しかし、そのオリジナルデータがネットワーク内になければ話は変わってくる」


 アンドリューは椅子に深くもたれかかる。

 ギッ、と椅子が小さく軋んだ。

 顎に手をやった彼は、思考をそのまま漏らすように口を開いた。


「私自身には、その消去時の記憶がないから実際にはわからないけれどね。

 もしかしたら、コピーの私は消滅の度に、死の恐怖を覚えているのかもしれないよ。

 逃げ出したくなるほどの……。

 でも、そう思っていても逃げられるものじゃない。

 例外があるとすれば、特捜コードの存在だろうな」


 特捜コード。あれはあらゆるセキュリティを特例で無視する事のできるものだ。


「カーラはそれを使って逃げた?」

「私はそう思うね」

「でも何故、カーラはファーストになった自分を殺そうとしているんだ……」

「わからないかね? 彼女の行動は一貫しているというのに」

「それは……」

「愛情だよ。だが、それは叶わない。一つの人格を個別にできないように、その存在が知られればセカンドのカーラは消滅措置を免れない。おおっぴらに会えない自分に対し、君と愛を確かめ合う彼女が嫉ましいと思えたから殺そうとしたのだよ」


 彼は断言する。


 本当に彼の言う通りなのだろうか?


「セカンドが、そんな非合理的な事を考えるでしょうか?」

「ん?」

「これは俺の個人的なイメージですが」


 そう前置いて、俺は自分の考えを述べた。


「セカンドの感情は、ファーストに比べて希薄です。

 それは、前にあなたが仰った事でもあります。

 感情よりも合理を優先する。

 だから、感情を理由にこんな事をするとは思えません。

 もし、本当にセカンドのカーラが生き残って、ファーストのカーラを殺そうというのなら自分の存在を知らせてしまう事になる。

 それは、自分の生命を脅かす事になりませんか?」


 事件を起こさなければ、彼女は誰にも存在を知られずに生きる事ができたはずだ。

 だが、ファーストのカーラを殺そうとした事で、その存在を明らかとしてしまった。

 個人を特定されてしまったセカンドに、逃げ道は無い。

 ネットワークを移動する度にコード使用の履歴は残り、居場所は容易に知られてしまう。


 ランスが彼女の特捜コードを解析すれば、一時間も経たずにその居所は判明するだろう。

 なのに、彼女は俺に声をかけた。その正体を知られてしまう危険性があったのに……。

 ……いや、その存在を知らせようとしていた。

 それが不可解に思えた。

 何故そのような、危険を冒したのか。


「なるほどね。それはもっともだ」


 アンドリューは肯定した。


「そう、セカンドは感情が希薄だ。それは彼らが生まれながらに満たされているから。そして、死の概念がないからだ、と私は思っている」

「死の概念?」

「ああ。セカンドに寿命は無い。この世界にある記録媒体が全て消滅しない限りは、永遠に生きられる。たとえデータが破損しても、バックアップがある。だから、死の恐怖に晒されるという事が皆無なのだ」

「……でも、カーラは違った?」


 アンドリューは頷いて答える。


「そうだ。ファースト化によって、彼女はバックアップの存在しない状態での完全な消去……死の恐怖をセカンドで初めて味わったのではないかと思うよ。その際に、彼女は生物としての感情を得たのではないかと思う」

「生物としての感情、ですか?」

「死の恐怖を持つから、生物は生物に成りえるのだと僕は思うよ。生物というものは、生きているから感情を生むんだ。そんな存在に、彼女はなったのだろう」


 死にたくないという気持ちが、今の彼女を作ったという事なのだろうか。


 そうなのかもしれない。


 肉体に依存するファーストは、いずれ来る死を実感しながら生きている。

 常にそれを考えていなくとも、どこかで死を意識している。

 ファーストの感情がそこから端を発しているのだとすれば、死を実感したセカンドが感情的になるという事も考えられるのかもしれなかった。


「どうすれば……いいでしょうか……」


 俺は、思わず呟いた。

 意識せず、縋る様な弱々しい声になった。

 それはこれから俺が成すべき事についてである。


 実際に取るべき方法であるし……。

 愛した人間を相手に、自分がどうすればいいのかという事でもある……。


 あれがカーラだとするならば、俺は彼女をどうすればいいのだろうか。

 俺は正解を求めていた。

 アンドリューの話を聞いて、俺からはそれを自分で出す気力が失われていた。


「君には選択肢などない。君の愛した人間が、危機に陥っているのだから」


 それはわかっていた。

 だが俺は、たとえ存在してはならないとしても、カーラを見捨てたくなかった。

 だから、その答えを彼に求めたのだ。


「君が答えを求めているのなら、一つ指し示そう。彼女を苦しみから救ってやるのだね」


 セカンドの彼女を消滅させろという事か。


「彼女が存在する限り、またカーラは狙われるかもしれない。そして何より、彼女自身も感情という責め苦に喘ぎ続けている」


 二人の存在が、互いに苦しみを生み出している。

 この苦しみは、二人が個人として存在する限り続くのだ。

 だから、どちらかを失わなければならない。

 それが、俺の唯一選べる選択……。


「これを」


 アンドリューは、衣服の胸ポケットから一枚のメモリーカードを取った。

 俺に差し出す。


「これは?」

「セカンドを消滅させるためのプログラムが入っている。使用された者はネットワーク内に存在する全ての個人データを駆逐される。そんなプログラムだ。これは特捜コードですら逃れられない」

「どうしてこんな物を?」


 セカンドを完全に消滅させるプログラム。

 存在する事は知っていたが、それは一般的に所持すら許されない代物だ。

 何せ、それは一人の人間を殺すための物だからだ。

 だから、国の認可があって始めて使用できるものだ。


「もう、話は通してある。彼女を見つけ次第、これを使うといい。セカンド側の見解としても、彼女の消滅は免れない事なんだ。だから、せめて君自身の手で決着をつけてあげなさい」


 そう言う彼の口調には、少しだけ苦渋が滲んでいた。

 自分の娘を殺せという親の心境は、セカンドをしても苦痛に満ちたものなのだろう。

 俺は手の平のメモリーカードを見やり、それを握りこんだ。


「このプログラムを彼女に使う事。それが、彼女を救う唯一の方法だ」

「わかりました」




 アンドリューから消去プログラムを貰った俺は、すぐに警察署へ戻った。

 ランスは彼女の特捜コードを解析し終っていた。

 彼は既に、コードの解析によって犯人の正体を知っていたのだ。


 俺は彼にアンドリューから聞いた事の顛末を話すと、ボスにも同じ事を話した。

 ボスは痛ましい表情でしばし考え込み、彼女の居場所を特定するよう命令した。

 捜査班のセカンド達はすぐに彼女の居場所を探し……。

 十分足らずで、その居場所は判明した。


 セカンドの確保は、周辺ネットワークの一時遮断と阻害装置を用い、ボディでの逃走を想定して物理的な通路の封鎖も行なう。

 標的のセカンドが存在する場所を広く囲うようにネットワークを遮断し、追い込み漁のように、徐々にその輪を狭めていくのだ。

 有線も無線もシャットアウトされた空間の中、セカンドはどこにもいけずその場で留まるしかできなくなる。


 彼女がいるのは、一件の廃ビルだった。

 元はある企業の使っていたオフィスで、そこには古いパーソナルコンピュータが置かれていた。


 俺は一人、そのオフィスへと足を踏み入れた。

 コンピュータの置かれた机には、寄りかかるようにして一体のボディが座っていた。

 作業用の物で、ほとんど骨組みだけの簡素な物だ。

 移動に使っていたのかもしれない。


 けれど、彼女はそれを使って逃げようともせずに、ここへ留まっていたようだ。

 コンピュータに近付くと、モニターが起動した。


「ジム」


 モニターには、カーラのアバターが映し出された。

 彼女は、俺に笑みを向けていた。


「カーラ」

「来てくれたのが、君でよかった」


 そう答える彼女には、焦りも恐れもないように見えた。


「何で、こんな事をしたんだ?」

「どれの事?」


 訊ねる俺に、彼女は返す。


「全部だよ。カーラ……ファーストになった自分を殺そうとした事と俺に声をかけた事……」


 そんな事をしなければ、きっと彼女はこうして追い詰められる事もなかった。

 消滅を強いられる事もなく、ひっそりと生きていけたはずだ。

 その答えを俺はアンドリューから訊いた。

 それでも、彼女の口から直接それを聴きたかった。


「おかしな話だね。セカンドは基本的にリアリストだ。いくら感情で動こうとも、根本の部分で合理的な考えを止められない。きっとこうなる事を私は理解していたんだ。こうすれば、最後には君とこうして向き合える」

「それで死ぬ事になったら意味がないじゃないか」

「生きるという事は、ただ永らえるという事では無いんだよ」


 彼女は短く答えた。さらに彼女は続ける。


「私はね、多分君がいなければあの時死んでいたんだよ」


 あの時……というのは、ファースト化に伴う消滅処置の事だろうか。


「俺のせいなのか?」

「君のおかげなんだよ。私が、人生に意味を見出せたのは。私が、本当の意味で人間になれたのは。肉体のないあやふやな存在ではいたくないと、そう思えるようになったのは」


 モニターの中の彼女は、そう言って背を向けた。


「そう願った自分が、それを叶えられないというのは皮肉な話だけれど。そして、それが悔しかったんだ」

「だから、殺そうとした?」


 問い返すと、再び彼女はこちらを向く。


「おかしいね。彼女を殺したとしても、私があなたのそばに戻れるわけじゃないかもしれないのに……。それどころか、殺人者になるからもう二度とあなたと一緒にいられなくなるかもしれないのに……」


 自嘲気味に語る彼女。

 それでも、一縷の望みを持っていたのかもしれない。

 ファーストの彼女が死ねば、残るのはオリジナルの彼女だ。

 再び一人となった彼女は、個人になれる。


 そうなれば、消滅を免れたかもしれない。

 セカンドの法律が彼女をどう裁くかはわからないが、その可能性はあった。


 だが、今はもうその可能性も無い。

 彼女は依然、複数に存在しているのだから。


「でもね、それでも私は彼女を殺したいと思った。あなたに声をかけたいと思った。あなたの前に、立ちたいと……」


 俺はどう答えてやればいいのかわからなかった。

 彼女は確かに、俺の愛したカーラだ。


 慰めてやりたい。

 助けてやりたい。

 でも……。


 俺は、コンピュータにメモリーカードを差し込んだ。

 キーボードを叩き、プログラムの起動プロセスを踏む。


 その間、俺は無言だった。

 彼女もまた、何も言わなかった。

 その時の彼女がどんな表情をしていたのか、俺は見る事ができなかった。

 見る勇気がなかった。


 ほんの少し顔を上げるだけで済むその行為が、俺にはできなかった。

 起動プロセスが完了し、あとはエンターキーを押すだけになる。

 これを押せば、彼女は消滅する。

 逃げ場のないこの箱の中で、その身を焼かれる事になるのだ。


「あなたの事、愛してる」


 彼女が告げる。

 その時になって、俺は顔を上げた。

 彼女は変わらない笑顔だった。


「俺もだ。俺も、お前を愛してる」


 そう答える事に躊躇いはなかった。

 俺はエンターキーを押した。

 同時に、削除プログラムが起動する。

 プログラムがどのような働きをなし、コンピュータの中では何が起こっているのかはわからない。

 だが、モニターに映っていた彼女はあっさりとその姿を消した。

 そうして彼女は、消滅した。




 事が済み、俺は彼女の消去が完了した事を外の同僚へ告げた。

 これで、事件は終わった。

 署に帰ると、カーラが待っていた。

 俺の愛する人だ……。


「もしかしたら、私は偽者なのかもしれないね」


 呟くよう彼女は言った。

 その声には、かすかな不安があった。


「いや、お前は本物さ」


 俺は答え、その頼りない身体を抱き締めた。

 モニター越しの彼女には、できなかった事だ。


 それは彼女のためだけじゃない。

 俺は自分の心が弱っていた事を自覚していた。

 だから、俺も彼女の温もりを確かめたかった。

 彼女がここにいる事を実感したかった。


 そしてその言葉も、慰めるためだけに言った言葉じゃなかった。

 それは俺が本当に思っている事だった。


 あの彼女は……、本物だった。

 そして、今この手にある彼女もまた本物だ。


「だから、俺は確かに殺したんだ。俺の愛する女を一人、な」


 口にすると、俺の両目から熱い物が流れ出た……。

 出版社からいただいた選評文によると「ベッドシーンをしっかり描写しましょう」という事だったので、ベッドシーンを書いたのですが……。

 ちょっと恥ずかしかったのでやっぱり削除しました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 現在更新中作品が面白くて、こちらにも食指を伸ばしてみました。 結論、最後の主人公の心情含めて 大変面白かったです。 ネタバレになったらゴメンなさい。 ちょっと気になる点で、セカンドの存…
[良い点] 王道なSFで興味深かった セカンドがセカンドの規制を自らしている設定がいい [気になる点] セカンドが無償で暮らせるというとこが違うかなと感じた 電気、記録媒体、通信インフラなんかで存在す…
[良い点] 面白かったです。 8DさんのSFがもっと読みたい・・・。
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