沢渕晶也の推理
正午になると、沢渕と多喜子は一緒に学校を出た。この後開かれる探偵部の緊急会議に出席するためである。目指すは例のカラオケボックス。奈帆子が軽食を用意して待っているという。
二人は学校からの緩やかな坂を下っていた。道路の両脇からは、絶えず蝉の鳴き声が重なり合って聞こえてくる。
「お姉さんも、アルバイト大変だね」
沢渕は蝉に負けじと声を大きくした。
「でもね、大学生の夏休みは長いから、お金は相当貯まるみたい」
多喜子は声が通るように、沢渕の身体に寄り添うように歩いた。
「へえ、海外旅行にでも行くのかい?」
「ううん、違うの。お姉ちゃん、学費は自分で稼ぐことを条件に、大学に行かせてもらったから」
そこで思い出した。佐々峰姉妹は交通事故で母親を亡くしている。父親はひとりで二人の娘をここまで育て上げた。色々と苦労も多かったことだろう。
姉は山神高校に在籍中、生徒会長を3期連続で務めたと聞いている。つまり探偵部の部長もそれだけ長く務めた人物なのである。普段はのんびりした物腰だが、案外しっかり者なのかもしれない。
「私も将来、どうしようかな?」
すぐそばに多喜子の悩んだ横顔があった。
「大学に行くかどうかってこと?」
「うん、それもあるけど、将来どんな仕事をしているのか、まったく思い描けないのよ」
「それは、僕だって同じさ」
「でも、沢渕くんは心配ないわ。だって推理が得意なんだもの。それに比べて、私は何の取り柄もないから」
多喜子は、意外と悩み多き娘なのだった。
「でも掃除、洗濯、料理、何でもできるじゃないか」
彼女は表向きは家庭部に所属している。
「それって、ただ主婦に向いてるってことよ。何の適性でもないんだから」
多喜子は口を尖らせた。
坂道を下り切った辺りには、小学校の運動場が見渡せる。今は夏休みということもあって児童の姿はなかった。
と、思いきや校庭の片隅に白い服を着た少女が立っていた。遠すぎて顔も分からないが、どうやら中学生か高校生のようだった。片手に何かを持ったまま、校舎の方を見つめている。一体何をしているのだろうか。沢渕はしばらく強い視線を投げ掛けた。
「どうかしたの?」
多喜子が異変に気づいた。
視線の先に若い女性がいることに気づいて、
「沢渕くんも他の男子と変わらないわね。いつもそうやって女の子ばかりを探しているわけ?」
抗議のつもりか、小さな肩先を遠慮なくぶつけてきた。
「違うよ。あんなところで何をやっているのかと思って」
「ほら、可愛い女の子だと、そういうことが気になるんでしょ?」
(いや、この距離では顔の判別はできないのだが)
多喜子はそんな雰囲気を一掃するかのように、
「そうそう、うちのお父さん、この小学校の卒業生なのよ」
「へえ、そうなの?」
「昔はこの近くに住んでいて、結婚してから引越したんだって」
「ふうん」
「そう言えば、明日、この学校で同窓会があるそうよ。卒業生みんなでタイムカプセルを掘り起こすらしいわ」
「タイムカプセルか」
「小学生の頃の将来の夢なんて出てきたら、恥ずかしくて見ちゃいられないわよね」
多喜子は笑った。
カラオケボックスの入口を抜けると、多喜子はすぐに姉に呼び止められた。
「ねえ、食事運ぶの手伝ってくれない?」
「ええっ?」
不満を隠せない妹に、
「ちょうど今、交代時間でスタッフがいないのよ。これとこれ、7番と9番に運んで」
「もう、人使いが荒いんだから」
嫌がっている態度を見せながらも、すぐにやる気になっているのが微笑ましかった。母親がいない姉妹は、こうやって互いに助け合ってきたのだと実感できた。
「僕も手伝いますよ」
沢渕がすかさず言った。
「ありがとう、助かるわ。これらを私たちのところに」
「いつもの、一番奥の部屋ですね?」
「そうよ」
ドアをノックして、皿を持ったまま中に入ると、すでに探偵部のメンバーは全員集合していた。
「あら、沢渕くん」
叶美が異変に気づき、立ち上がった。
「なあんだ、言ってくれればみんなで取りに行くのに」
雅美もフットワークは軽かった。
しばらくして、テーブルにはピラフ、ピザ、唐揚げといった昼食が所狭しと並べられた。
早速クマが手をつけながら、
「前々から思ってたんだが、これってどこから予算が出ているんだ?」
それには叶美と直貴が同時にむせた。
「おい、まさか、不正経理じゃないだろうな?」
珍しくクマの正義感が顔を出した。
「実はね、探偵部も予算もらっているのよ」
「何、この亡霊みたいなクラブがか?」
「あんまり大きな声で言えないけれど、他のクラブの使い切らなかった予算の一部を充てているのよ」
「帳簿はどうしてるんだ?」
「そこは年度をズラして会計して、捻出してるのよ」
そこまで言うと、部長はグラスを傾けて喉を潤した。
「おいおい、それって完全に不正じゃないのか?」
「いいのよ、別に。秘密裏に処理するよう、代々指示されてきたんだから」
「俺は黙って見逃す訳にはいかないな。口が滑ってしまうかもしれないぞ」
クマは太い腕を組んだ。
「いいわよ、別に言ったって。どうせ探偵部なんて口にしたところで、誰も信じないから」
「まあ、部長と副部長がおかずを一品ずつ俺に奉納するというなら、今ここで記憶を消してやってもいいんだが」
「まるで意味分かんない。あんた、悪代官?」
と雅美。
「結局、人の食事を奪うって魂胆じゃない」
叶美も反撃に出た。
「クマさん、よかったら、私のを半分どうぞ」
多喜子が皿を出した。
「ダメよ、タキちゃん、癖になるから」
「そうよ、野生動物に餌を与えちゃだめ」
叶美と雅美が声を重ねた。
「お前たち、今回、亡霊の撮影を成功に導いた、この有能な隊長に向かって礼節を欠いているのではないか?」
「たまたま、上手くいっただけじゃない」
「そうよ、人をあごで使っておいて」
いつものように賑やかな昼食となった。
食事が終わると、
「ようし、これから亡霊退治作戦、第二回会議を始めるぞ」
クマが宣言した。
「それじゃ、直貴頼む」
「了解。では、これから亡霊の鑑賞会といこう」
大型テレビに接続したノートパソコンのキーボードを叩くと動画の再生が始まった。
機材は無事だったのだ。沢渕は胸を撫で下ろした。
暗闇の中、緑色の物体がゆっくりと動いていく。亡霊が音楽準備室に現れたところから映像が始まる。
画面の左半分はピアノが占拠しているアングルのため、ドアの開閉は見えない。そのため亡霊がどうやって部屋に入ってきたかは不明である。
さらに映像は続く。
頭からすっぽりと布を被った亡霊が、グランドピアノの前に立った。かなり背は低い。左手で鍵を差し込み、もう片方の手で鍵盤の蓋を開いた。沢渕はこの辺りからリアルタイムで見ている。
ピアノの後ろの屋根が持ち上げられた。亡霊は椅子越しに立ったまま鍵盤を叩き始めた。それに合わせて音も聞こえてくる。
カメラの解像度の限界で手元はよく見えないが、録音された音からすると、ピアノの一番左から一番右へと順に鍵盤を押さえているようだ。何を思ったか、たまに前の鍵盤をもう一度押し直すことがあった。
調律がなされていないピアノから出る音は、音楽としてとても楽しめるレベルではない。
それでも亡霊は弾き続ける。
同じ動作を5分ほど続けたところで、突然亡霊はカメラの方を向いた。そして一歩、二歩近づいたところで画面が真っ暗になる。映像はそこで終了した。
しばらく誰も口を開こうとはしなかった。この心霊現象の意味を考えているのだ。
「とりあえず、亡霊は本当にいたことがこれで証明されたな」
クマは満足げな顔をしている。
「イメージしていたのと随分違うわね」
叶美が無遠慮に感想を言った。
「確かに。曲を演奏しているというよりは、意味もなく鍵盤に触ってるみたいだった」
と雅美。
「何だか指の動きが乱暴に見えました」
多喜子も感想を漏らした。
沢渕はそれについては何も述べず、
「直貴先輩、ノートパソコンはどうなってましたか?」
「液晶画面は開いたまま、床に落ちていたよ。幸い中身は無事だった。容量が一杯になると上書きで録画される仕様だから、カメラが停止する直前の映像は残っていた」
「今、カメラは正常ですか?」
「ああ、どこも壊れてはいない」
「ちょっと貸してください」
沢渕は直貴からパソコンを受け取った。
「ところで、この後すぐに橘が学校に駆けつけたんだよね。その報告が聞きたいね」
直貴に促されて雅美が立ち上がった。
「クマに言われた通り、校門の陰に隠れて誰かが出てくるのを待ったわ」
「それで?」
「誰も出てこなかったわよ。慌てて行って損した」
「お前がもたもたしてたから、亡霊も帰っちゃったんだよ」
クマは鼻息を荒くした。
「学校の周りには誰もいなかったのかい?」
直貴が訊いた。
「そうねえ。遠くに自転車に乗った人がいたわ」
「何、そいつが亡霊じゃないのか?」
クマは色めき立った。
「いや、それは新聞配達の人でしょ」
叶美の現実的な一言で、隊長はソファに崩れ落ちた。
「沢渕くん、どう思う?」
叶美の真面目な顔がすぐ目の前にあった。
「これは亡霊じゃありませんね。明らかに人間の仕業です」
部屋中が静まり返った。
真っ先に口を開いたのは、クマである。
「ちょっと待て。これが亡霊じゃないだと?」
多喜子は何も言わないまでも、沢渕に鋭い眼光を向けている。
「だって考えてもみろよ。カメラを睨んだだけで、撮影を停止させ、さらにノートパソコンを床に落としているんだぜ。そんなの人間ができることじゃないだろ」
多喜子も頷いている。
「いや、心霊現象だからこそ、思い込みや偏見を排除して事実だけを見なければなりません」
そう言って沢渕はノートパソコンを手から戻すと、もう一度再生させた。
「よく見ていてください。亡霊が部屋に入って来るところです。直接ドアは映っていませんが、窓のところにあるカーテンが動いているのが分かりますか?」
闇の中で、ノイズの出方が変化する部分が見て取れた。これは何かが動いている証拠である。
「ああ、これってカーテンが動いているのね」
叶美が真っ先に理解した。
「部屋の中の気圧が変化したということは、ドアが開いた証拠です。つまりこの人物はドアを開けて中に入ってきた」
「そうか、亡霊ならそのまますり抜けて来るわよね」
雅美が言った。
「それから直貴先輩、ピアノのサイズを測ってもらえましたか?」
「床からピアノの天板までは約百センチだったよ」
「ありがとうございます」
と沢渕は言ってから、
「この人物はひざ立ち歩きをして、わざと身長を低く見せています」
「でも足下が写ってないから、そんなの分からんだろ」
クマの反論に、
「ピアノは普通椅子に座って弾くものですが、この亡霊は立ったまま弾いています。普通立ったまま弾くとしたら、この背椅子はどうしますか?」
「邪魔だから後ろにどけるかな」
雅美が答えた。
「そうです、邪魔になるから自分の後ろに移動させると思います。しかしこの人物は椅子越しに弾いています。これは相当弾きにくい体勢と言わざるを得ません。でもひざを曲げてますから、後ろには置けないんです。曲げた足が接触してしまいますから。もし置くとすれば、相当ピアノから離すことになって、それこそ不自然です」
「なるほど。でもどうしてわざわざひざ歩きをするのかしら?」
そんな多喜子の疑問に、
「誰かに見られた時、子どもの亡霊だと印象づけたいからさ」
「おいおい、晶也。そんなことはどうでもいい。最大の問題はカメラを停止させたことだ。これは人間にできる技じゃないぞ」
これには全員の視線が沢渕に集まった。
「別に大したことじゃありませんよ」
そう言ってノートパソコンを手に取った。
「さっき実験してみたんです。このバッテリーはどのくらい持つかということを」
「バッテリー?」
クマが怪訝そうに訊いた。
「はい。計ってみたら二十分ぐらいしか持ちませんでした」
「かなり古いパソコンだからね」
直貴が言う。
「この人物は建物に侵入する際に、校舎のブレーカーを落としたんですよ。それでノートパソコンはAC電源ではなくバッテリーで駆動していた。それでその人物がこちらを見たのと同時に落ちたという訳です」
「しかしなあ、そんな偶然があるかよ。見た瞬間に落ちたんだぜ?」
クマは追及の手を緩めない。
「逆ですよ。パソコンはバッテリーが切れる直前、ピッという警告音を発したんです。それに気づいた人物はその方向を向いたんです。そこでちょうど録画が止まった」
「確かにあの暗闇では、パソコンの存在には気づけなかっただろうね。しかし音によって気づかされた」
直貴が感心して言った。
「そして近づいてみたところパソコンが置いてあったので、手で振り払ったと思われます」
「ブレーカーを落としたという証拠は?」
クマは食い下がった。
「僕は別の日に同じ画面をずっと観察していました。どうもその時と様子が違うことに気がついたのです。じっと見ていてやっと分かりました。窓ガラスに『非常口』という明かりがぼんやり反射していたのが、今の映像にはないんです。これは建物全体のブレーカーを落としていた証拠です」
部屋中の誰もが静まりかえっていた。
「じゃあ、これって亡霊じゃなかったのね」
叶美が嬉しそうに声を上げた。
「はい、以前のものは検証しようがないですが、少なくとも今回のは人間の仕業です」
「ということは、クマ、悪いけどここから私が引き継ぐわ。学校に侵入した人物を特定し、その目的を明らかにしましょう。ここからが探偵部本来の仕事よ」
クマと多喜子はがっくりと肩を落としていた。
確かに音楽準備室に現れたのは亡霊ではなかったのかもしれない。しかしこの事件はまだほんの序章に過ぎなかった。
なぜなら、この後白日の下にさらされる事実は、まさに亡霊の仕業でなければ説明のつかない不可思議なものだったからである。
探偵部のメンバーたちは、今後も亡霊の呪縛から逃れることはできそうになかった。




