心霊現象についての考察
その頃、隊長と雅美は電話で押し問答をしていた。
「いいから、早く行けよ」
「そんなに急かさないで頂戴。私だっていっぱしの女なんだから、ちゃんと着替えをして、髪もとかさなきゃならないのよ」
「もたもたしてたら、亡霊が逃げちまうぞ」
そう言いながらも、クマはスマートフォンの画面から一時たりとも目を離さなかった。幸いなことに、亡霊はまだピアノを弾き続けている。
「深夜なんだから、誰も見てやしないって。いいから、そのまま家を出ろ」
焦りと苛立ちのせいで、どうしても大声になってしまう。
「あのねえ、寝間着のまま外出しろって言うの?」
雅美の方は至ってマイペースである。
「じゃあ、何か上に羽織って、すぐに出ろよ」
「やっぱり動きやすさを考えたら、トレーナーとジーンズよね」
「この非常事態に何言ってんだ。早く出動しろ。これは隊長命令だぞ」
「うるさいわね、もう。そんなに怒鳴らないで頂戴」
ダメだ。こんな調子では、現場に到着する頃には夜が明けてしまう。
そこでクマはひらめいた。
「橘、実は言うのを忘れていたが、お前はそのままで十分魅力的なんだよ。その可愛らしさを街中に振りまいてこい」
「えっ、本当?」
途端に、声の調子が変わった。
「おう、俺が保証する。お前は可愛い」
「もう、仕方ないな、クマちゃんは。それじゃあ行ってきまーす」
雅美は電話を切った。
もっと早く気づくべきだった。雅美の性格を考えれば、これが最善の策だったのである。クマはいたずらに時間を費やしたことを悔やんだ。
(亡霊よ、もう5分だけ待ってくれ)
直貴から電話が入った。
「クマ、今きちんと画面が映ってるかい?」
「ん?」
よく見ると、さっきとどこか様子が違う。亡霊どころか、画面全体が黒一色に塗り潰されていて何も見えない。
「何だ、こりゃ?」
復旧を願って、スマホを何度か振ったり、叩いたりしてみた。しかし状況は変わらない。
「理由は分からないが、カメラが突然停止したんだ。亡霊がこっちを向いた瞬間、電源が落ちた」
「さ、さすがは亡霊。なかなか味なまねをしやがる」
「これから、どうする?」
「とりあえず、橘を学校に向かわせた。今はその連絡待ちだ」
「おお、なかなかやるじゃないか」
直貴は、隊長の迅速かつ適切な対応に感服した。
「明日、みんなを招集してはどうだい? 僕はパソコンを回収してから参加するよ。壊れてないといいのだけど」
直貴は機材の無事を祈った。今すぐにでも現地に赴きたいところだが、こればっかりはどうしようもない。
「分かった。それじゃあ先に寝てくれ。俺はこのまま橘の連絡を待つことにする」
「了解」
電話の向こうの隊長に、直貴は敬礼をした。
一方、沢渕は多喜子と通話中だった。
「沢渕くん、ついに現れたわね。やっぱり噂は本当だったのよ」
興奮冷めやらぬ様子である。
「まさか本当に来るとは思ってなかったから、正直驚いたよ」
「あれがポルターガイスト現象なのかしら? 私たちが監視していることに気がついて、手も触れずにカメラを壊したでしょ?」
それについては何も答えなかった。実際にノートパソコンの状態を見てみないと何とも言えないからである。
「映像が途中で切れちゃったけど、あの後、幽霊はどうなったのかしら?」
それは沢渕にとっても興味があった。全てを元に戻して帰っていったというのなら、ますます人間的な所業に思えるからである。
「隊長は橘先輩を学校に出動させたらしい」
「ええっ?」
多喜子は驚きの声を上げた。
「幽霊と直接対決するなんて無茶よ。橘先輩、死んじゃったりしないよね?」
「まあ、それは大丈夫だと思うけど」
沢渕は亡霊の風貌を思い出していた。背は低かったし、特に凶暴とも思えなかった。たとえ出くわすことになっても、雅美なら何とかなるだろう。しかしそんな根拠のない予想は多喜子の前では口に出さなかった。
翌日、沢渕は多喜子と学校の図書室で待ち合わせをした。
午後からカラオケボックスで探偵部の緊急会議が予定されている。現地で合流してもよかったのだが、その前に直接訊いておきたいことがあった。話が話だけに探偵部みんなの前では、はばかられる内容なのであった。
多喜子は会うなり、
「幽霊のことを教えてほしいって言い出すから、びっくりしちゃった」
さらに顔を真正面に見据えると、
「沢渕くんと共通の趣味ができて、とっても嬉しいわ」
と付け足した。
(いや、趣味という訳ではないのだが)
二人は静かな席についた。
「では、幽霊についていくつか質問させてもらうよ」
「どうぞ、どうぞ」
周りに人がいないので、こんな話も普通にできてしまう。
「幽霊って、夏しか出ないのかい?」
「そんなことないと思うわ。だって、雪女みたいな幽霊だっているじゃない」
「ああ、そうか。でも夏が圧倒的に多いような気がするんだけど」
「元々、先祖の霊が里帰りをするのが、お盆でしょ。だから、それに乗じて夏に集まって来るんじゃないかしら」
「ふうん」
あまり興味の湧かない話だが、これも仕方ない。もう少し核心に迫ってみることにした。
「幽霊って、人を怖がらせる以外に、昔を懐かしんで出ることもあるのかい?」
「別に怖がらせるばかりが目的じゃないと思うわ。こちらが勝手に驚いて怖がっているだけなのよ。幽霊の本当の思いは分からないけど、心霊現象を体験した人間がそれを勝手に解釈しているだけじゃないかしら」
「なるほど」
そういう考え方もあるのか。目から鱗が落ちる思いだった。心霊現象なるものは、人間の思い込みや考え方次第で意味が異なるということだ。これはいいヒントを貰った気がする。つまりこれらを考察する際は、偏った考えを捨てて、心を無にしなければならないという訳だ。
「最後にもう一つ。幽霊は現実世界に物理的な働きかけができるものなのかい?」
「どういう意味?」
多喜子は首を傾げた。
「つまり、鍵を開けたり、ピアノを弾いたりといった人間と同じような行動ができるかってことさ」
「ああ、そういうこと。どうなんだろう? 一般的には物をすり抜けちゃうぐらいだから、物理的な力を発揮することはできないような気がするな。でもポルターガイストというのは、実際に物を動かしたり、音を出したりすることを指すのよ。昨日の亡霊だって、実際にカメラを止めた訳でしょ? だから場合によっては、ありだと思う」
沢渕は黙って考えた。
多喜子はそんな彼の姿をじっと見つめていた。