メトロノームは語る
「だからと言って、そのカセットテープが盗品かどうかは分からないじゃないか。当時わしが教職員の誰かから不要品としてもらったのかもしれない」
寺間はそんなふうに言い切った。
「しかし用務員が管理するノートの紛失リストに『6年2組合唱』が載っています。それをどう説明しますか?」
沢渕はあくまで冷静に返した。
「それは色々と考えられるじゃないか。たとえば、テープは一本一本管理していた訳ではなかった。だから合唱が録音されたテープは他にもあった可能性だってある」
「あくまで、あなたは学校の備品を盗んだことはないと言い張るのですね?」
「ああ、そうだ。決してそんなことはしていない。わしは学校の増築工事に携わっただけで、誘拐だの殺人だのするはずがない。そもそも動機すらない」
寺間はそう早口で言うと、ドアノブに手を掛けた。
「さあ、もう10分経った。わしは議会に戻らねばならん。とっとと帰ってくれ」
それには沢渕が、
「分かりました。それでは最後に一つだけ話を聞いてください。それでもうお終いにします」
叶美はそれを聞いて、後輩に強い視線を投げかけた。このまま終わっては敗北である。それとも何か勝算があるというのか。
「では、これで最後だぞ。さっさと要点だけを言え」
「ありがとうございます」
沢渕はお辞儀をしてから、
「先程、あなたは日頃学校の備品を盗んで金に換えていたという話をしましたが、もしそれが正しければ、カセットテープの他にも何か盗んだ備品があるはずです。
窃盗というのは、最初は慎重に事を運んでいても、バレずにいると次第に大胆になるものですからね」
「何が言いたいんだ?」
「そこで僕は用務員が作成した紛失リストの品目を頭に入れて、あなたの娘、典子さんの自宅を訪問しました」
この時ばかりは寺間の目つきが変化した。それでも黙って次の言葉を待った。
「彼女に応接間に通されると、ピアノが置いてありました。聞けば昔父親のあなたに買ってもらった物だと言う。
そのピアノの上には置物が載っていました。そして奥の方にひっそりと置かれたメトロノームを発見したのです。実はメトロノームも紛失リストの中にありました。もしやと思い、申し訳なく思いましたが、失敬しました」
「君は勝手に家の物を盗んだのか」
「いえいえ、手に取って見ていたら偶然鞄の中に落としてしまい、うっかり持って帰ってしまっただけです」
「不法に手に入れた証拠は裁判では何の効力も持たぬぞ」
「はい、それは分かっています。そもそも三十年前に起きた誘拐殺人事件など今更裁くことはできません」
「当然だ」
寺間は怒って言った。
「メトロノームを調べると、やはり本来貼ってあるはずの管理シールは意図的にめくられていました。当然盗んだ後で娘にあげる前に剥がしたのでしょう」
「そのメトロノームが学校の備品である証拠はあるのか? 管理シールが貼ってなければ、わしが買ってきた物かもしれんだろ」
「おっしゃる通りです。指紋の検出も、先程のカセットテープと同様、無数の子ども指紋が出てきただけでした。つまり学校の備品である可能性はあるものの、これでは断定はできません」
「当たり前だよ。それはわしが購入した物だからな」
寺間は一笑に付した。
「ですが、このメトロノームは三十年の時を経て、真実を語ってくれたのです」
「どういうことだ?」
「実はこのメトロノームは、紛失したことになっていますが、それ以前に故障リストにも載っていたのです。用務員の月ヶ瀬氏は手先が器用で、備品もある程度自分で修理していたようなのです。
確かにメトロノームの表面には児童と思われる指紋が多数検出されました。しかしもしこれが故障していて庄一氏が修理した物なら、内側に彼の指紋がはっきりと残っているのではないかと考えました。
そこでメトロノームを分解して調べてもらったところ、内部に彼の指紋が鮮明に残されていました。子どもたちのために一生懸命に修理したのでしょう。精密部品の一つひとつから指紋が検出されました。
それだけではありません。同時に娘、みなみさんの指紋も出てきました。親子二人は生徒や職員が帰った後、校内で仲むつまじく顔を合わせてメトロノームを修理したのですよ」
これには誰もが驚いた。寺間も一瞬返す言葉を見つけられなかった。
「さあ、これをどう説明しますか。用務員親子が修理したメトロノームがどうしてあなたの娘さんの自宅にあるのですか?」
寺間は言葉を失っていた。
「こればかりは学校関係者の誰かからもらったとは言い逃れできませんよ。このメトロノームは修理リストと紛失リストの両方に載っているのですから」
沢渕は寺間に強く迫った。
「分かった。つい出来心から、わしが学校の備品を盗んでしまったことは認めよう。でも、だからと言って用務員親子を殺害するというのは論理の飛躍じゃないかね、君」
寺間は顔を真っ赤にして言った。
「僕は最初、月ヶ瀬みなみさんは不慮の事故により、足場から転落して死亡したと考えていました。もしかすると、あなたは彼女と親しい間柄で、夜、庄一氏が仕事に出かけると、彼女を自由に足場で遊ばせていたのではないかと思っていました。
もしそうであれば、彼女は事故で命を落とした訳です。それは残念なことではありますが、苦しんだ末に死んだのではない。彼女を思うあまり、自然とそう考えていたのかもしれません。
しかしあなたが学校の備品を盗んでいたとなれば話は別です。もっと恐ろしいことを考えなければならなくなりました。
親子揃ってメトロノームを修理していた事実から、娘は父親の仕事に理解を示していて、積極的に手伝っていたということになります。
前々から備品がなくなっていることを月ヶ瀬親子は知っていた。娘は父親を助けるつもりで、自分が泥棒を捕まえてやると息巻いていたのかもしれない。もし犯人が分かったら、お父さんにこっそり教えると約束していたのかもしれない。いつしか学校を守る番人を務めていたのです。しかし庄一の方はそれを子どもの遊びと思って、さほど深刻なものとは考えていなかったかもしれません。
しばしば備品がなくなることで、彼女は学校で寝泊まりするあなたに疑惑を持ち始めた。そして父親の助けになればと思い、彼女は本気であなたを現行犯で押さえるつもりでいたのです。
あの晩、あなたは足場を伝って校舎に侵入し、音楽室から何か値打ちのある備品を盗もうとした。月ヶ瀬みなみは音楽室の片隅で息を潜め、犯行の一部始終を目撃したのです。
彼女はすかさず足場に飛び出て、勇気を持ってあなたに詰め寄った。しかしあなたは校内に誰も居ないことをいいことに、殺意を持って彼女の首に手を掛けた。そして4階の足場から転落させたのです」
「止めてくれ!」
寺間は突然叫んだ。
「あれは事故だ。わしが殺した訳ではない。彼女が勝手に足を滑らせたのだ」
「いや、彼女を殺したのはあなただ。彼女は普段から足場を歩くのに慣れていたから、一人で足を滑らせるはずがない。あなたが足場の外へ押し出したんだ。そしてあろうことか、あなたを誘拐犯と見破った父親まで殺害した」
「それは君の妄想だ。第一、月ヶ瀬とやらの死体は発見されたのか? まだ生きているかもしれんじゃないか」
「確かに今のところ発見はされていません。そのために当時、彼は失踪したものと片付けられました。しかし僕には、彼の死体がどこに隠されているか見当がついています」
「どこだというのだ?」
「小学校は当時増築工事を行っていた。現場監督だったあなたには死体を隠すのに十分な時間と場所があったはずです」
寺間は黙ってしまった。
「旧校舎と新校舎の接合部分ですよ。コンクリート詰めにして死体を埋めたのです」
それには叶美、直貴、そして鹿沼も度肝を抜かれた様子だった。
「どうやってそれを証明する?」
「現代では非破壊検査といって、超音波を当てて内部の状況を調べることができます。おそらく月ヶ瀬さんの死体が入ったコンクリートの塊が浮かび上がることでしょう。工事施工のプロを連れてこれば、それが構造上不可解なものと判定できるのですぐに分かります。後は壁を壊して白骨化した遺体を掘り出すことになります」
「君の憶測だけで、現在使用中の小学校の壁を破壊できると思うのか?」
実に市会議員らしい物言いだった。
「できないのなら、夜中に運転を誤ったトラックが新校舎の接合面に目がけてぶつかることになるでしょうね。全部を破壊できなくても、修復するには土台部分から手直しが必要になります。その際は当然埋められた物全てが掘り起こされるでしょう」
「君たち若造にそんな大層なことができるものか」
沢渕は、すぐ傍で興奮している鹿沼の方に目を遣って、
「僕たちは、影響力の強い出版社にこのネタを提供します。よってあなたが権力でもみ消そうとしても、マスコミは必ずあなたを叩きますよ。
それでも真実から目をそらして生きていけますか? 確かに殺人については時効が成立しています。ですが、亡くなった人たちは到底納得できるものではありません。
僕は彼らが安らかに眠れるようになるまで、追求の手は緩めませんよ。もしあなたがこれでも全てを認めないのであれば、あらゆる手段を使ってでもあなたの犯罪を立証するつもりです」
「ふん、君なら本当にやるだろうな」
寺間は不敵に笑みを浮かべた。
「分かった。わしが殺人に関わったことを認めよう」
老人はすっかり観念した様子だった。
「あなたの娘さんも実のところ、かつて父親の犯罪に加担したことを後悔していると思いますよ。そんな娘さんの人生の重荷を取り除いてやってください」
叶美はいつしか涙を流していた。
(月ヶ瀬みなみさん、随分遅くなってしまったけど事件は解決できたわ)
「沢渕くん、事件の全容は理解できた。直ちに原稿の差し替え作業に入る」
「間に合いますか?」
時計を見ると、午前11時を少し回ったところだった。
「プロのライターというものは、常に差し替えできる原稿も事前に用意してあるものなんだ」
そう言い残して、鹿沼は慌ただしく部屋から駆けていった。
「それでは、箕島校長のところへ行きましょう」
沢渕が叶美を促すと、直貴が横から、
「さっきクマから連絡があったよ。午前10時48分、校長は息を引き取ったそうだ」
「先輩、校長は動画を見ていてくれたでしょうか?」
「ああ、見てくれたはずだ。真実を知った上で天国に旅立ったのだと思う」
崩れ落ちた沢渕の肩を、叶美の腕が優しく包み込んだ。




