対決
ついに鹿沼武義と約束した日が来てしまった。正午を過ぎると記事は差し替えることができなくなる。何とかそれまでに寺間誠一郎を自供に追い込まなければならない。
市会議員の動きは直貴が事前に調べてくれた。
午前10時に市議会が招集され、寺間誠一郎は代表質問に立つという。議会は正午まで続き、議員と話ができるのは市議会が始まる前しかなかった。
朝、クマを除く探偵部員が市役所に集合した。クマは箕島校長のいる病院に向かった。紗奈恵から、祖父の容態が急変したという連絡をもらったからである。
「晶也、校長はどうやら今日一日もたないらしい。脈拍数が異常に低下し始めた。今すぐこちらへ来て事件の真相を語ってくれないか?」
電話の向こうでクマが懇願する。
「寺間が自供さえすれば、すぐにでも飛んでいきます。それまでもうしばらく待ってください。寺間とのやり取りを直貴先輩に動画で送ってもらいますので、箕島家のご家族にそれを見せてください」
病床で痩せこけて、うつろな目をした校長のことが思い出された。三十年生きてきた彼のためにも、真実を明らかにしなければならない。彼が犯人であるという間違った情報を世間に出してはならない。
ジャーナリストの鹿沼が姿を現した。仕事着ではなく普段着といったラフな格好である。どうやら彼にとっては、ここへ来たのは不本意であると言わんばかりである。その証拠に、どこか半信半疑の表情を終始浮かべていた。まさかこの期に及んで新事実が明らかになるとは考えてないのであろう。
それでも沢渕に挨拶なしに近づいてきた。
グランドピアノの中から脅迫テープが発見されたこと、そして寺間の娘がそれを手に入れようと山神高校に侵入して警察に捕まったことは知らせてある。
しかし彼は開口一番、
「何か新しい事実は出たかい?」
「いえ、何も変わりはありません」
「しかし、それだけでは寺間誠一郎を殺人犯と決めつけるのは難しいぞ」
と言った。
直貴によれば、議員は通例、地下駐車場に車を入れて議員控室に入ることになっている。そこで沢渕と叶美と直貴の3人は駐車場で寺間が来るのを待つことにした。他のメンバーは議会場の傍聴席で待機するよう叶美が指示を出した。鹿沼はそんな探偵部の慌ただしい動きを少し離れた所から見守っていた。
9時半を過ぎると市会議員が続々到着した。そんな中、沢渕たちは辛抱強く目当ての議員が来るのを待った。
「あの車だ!」
直貴が声を上げた。
大型の白いセダンから高齢男性が降りてきた。白髪で少し腰が曲がった彼はネット上の写真と比べると、遥かに年を取っているように見えた。
沢渕を先頭に3人は足早に近づいた。
「失礼ですが、寺間誠一郎さんですね」
老人は一瞬怪訝な顔になったが、全てを悟ったようだった。
「君たちか、うちの娘に謂われのない罪を着せようとしたのは」
老人にしては明瞭な声で一喝した。それは地下コンクリートに反響するほどだった。
「議会前に申し訳ありませんが、お話があります」
「いや、わしは君らと話す義理はない」
「昨日、あなたの娘さんが山神高校に不法侵入し、警察に捕まりました。そのことはご存じですか?」
「ああ、知っているとも。警察から連絡があったからね。しかし私の口添えで無罪放免だ。今は自宅に戻っている」
寺間は、そんな不条理を通しておきながら、悪びれる様子など一切見せなかった。
「どうして学校に侵入したのか、その理由は知っていますよね?」
「アンティークなグランドピアノが廃棄されると聞いて、できれば自分が引き取りたいと思い、現物を見に行ったと聞いているが」
「午前3時に、しかもこっそり裏口の鍵を開けてですか?」
思わず隣から直貴が口を挟んだ。
「わしは知らんよ。そんなことより、これから議会があるのだ。邪魔はしないでくれ」
寺間は、まだ何か言おうとする沢渕を払いのけるようにしてエレベーターの扉の向こうに消えた。
遠くからやり取りを見ていた鹿沼が近寄ってきた。
「なあ、沢渕くん。こんな調子で本当に真実が明らかになるのか?」
呆れた調子で言う。
「まだまだ、これからです」
同じエレベーターに乗って控室に向かおうとしたが、廊下にいた警備員によって制止された。ここから先は立入禁止と言われ、追い出されてしまった。
仕方なく沢渕たちは傍聴席に戻ってきた。
「どうだった?」
雅美が真っ先に訊いた。
「取り付く島もありませんね」
沢渕はそう言うと席に着いた。
奈帆子がすぐ隣に来て、
「沢渕くんに依頼された物はこの中に入っているから」
と大きなスポーツバッグを手渡した。
「ありがとうございます」
「お店で使っている業務用だから、使う際は注意してね」
「分かりました」
議会が始まった。議長が簡単に挨拶をした後、寺間が代表質問に立った。
そのタイミングで沢渕は例の脅迫テープを流した。カラオケ店で使う業務用の機材は議会場に大きく鳴り響いた。
「娘は誘拐した。無事に返してほしければ、金を用意しろ。警察には連絡するな。もし連絡すれば、娘の命はないと思え。お前たちは常に監視されていることを忘れるな。また後で電話する」
その声は議場で代表質問をする寺間の声と重なり合った。不思議なことに、三十年の時を経ても2つの声質は同じものだった。高齢でありながら議員という職業柄、声に張りがあるからなのかもしれない。
「おい。止めさせろ!」
寺間が議場から傍聴席を指さした。同じ声が議場と傍聴席から多重で聞こえたため、会場は騒然となった。他の議員たちも怪訝な表情で寺間に視線を集中させている。
テープはそのまま流れ続けている。
「よくも私を轢き殺したね。お前を呪い殺してやる」
次に若い女の声が会場に響いた。ますます議会場は大混乱となった。
ようやく傍聴席に警備員が駆けつけた。
「静粛に! 議会を一時中断します!」
議長がマイクを奪って大声で宣言した。
沢渕たちは警備員に連れられて控室にやって来た。
真っ赤な顔をした議長が詰め寄った。
「君たちは、一体何のつもりだ?」
そこへ寺間誠一郎もおぼつかない足取りでやって来て、
「議長、ここは私に任せてください」
と申し出た。
議長はまだ何か言い足りなさそうだったが、
「とにかく議会は続行する。寺間くんの代表質問は最後に回すからな」
それだけ言うと、一度沢渕たちを睨みつけて議場へと戻っていった。
寺間は警備員に向かって、
「あとはこちらで処理するから、持ち場に戻ってくれたまえ」
「先生、お一人で大丈夫ですか?」
「ああ、私が責任を持って片をつける」
警備員はそれを聞いて、仕方なく部屋を出て行った。
鹿沼はここまで騒ぎが大きくなったのをむしろ面白がっているようだった。ジャーナリスト魂が黙っていないのであろう。一部始終を動画に収めることを忘れなかった。
「この男は?」
と寺間が気づいた。
「こちらは報道関係の方です。これからの発言は記事にもなり得ますから、どうか責任を持ってお願いします」
沢渕は答えた。
「一体どういうつもりだ?」
寺間が怒りくるった声で言った。
「こうでもしないと、あなたは私たちの話を聞いてくれないと思いまして」
沢渕は平然と言った。
「分かった。では10分だけ話を聞こう。今日は議会があるから、それ以上時間は取れんぞ」
寺間はやっと話に応じてくれた。
「ありがとうございます」
と丁寧に頭を下げてから、
「寺間さん、あなたは三十年前の夏、小学校の増築工事で現場監督をされていました。それは間違いないですね?」
「ああ、詳しい日付は記憶にないが、確かに現場を任されていた経験はある。どうせ、君たちには調べがついているのだろう?」
「はい。工事業者の記録が残されています。その時、小学校に勤務する用務員の娘を誘拐し、校長と父親に身代金を要求しました。違いますか?」
「そんな記憶はまったくない」
「しかし先程聞いて頂いた通り、このカセットテープには、あなたとあなたの娘さんが脅迫する音声が残されています」
「そんなテープに見覚えはない。確かに私に似た声のようだが、誰かが意図的に作ったものじゃないのか」
寺間はとぼけて言う。
「専門家の分析では、このテープの声は、あなたとあなたの娘の声紋と高い確率で一致しています。
しかしこれはかなり妙な脅迫です。テープの中であなたは脅迫相手を『お前たち』と呼んでいるからです。確かにこれが自宅に掛かった電話なら、家族全員をひっくるめてそう呼ぶかもしれませんが、これは学校の用務員に掛けられた電話なのです。
本来誘拐犯は娘の父親を相手にして『お前』と言うべきところを『お前たち』と呼んでいます。どうしてその場にいた校長も脅しているのか。これは同じ敷地内から二人の様子を窺っていた人物が行った脅迫という証明になりますよ。当時あなたは現場監督として学校に夜遅くまで残っていて、足場の上から状況を見守っていたのです」
「だがね、それを使って本当に脅迫が行われたかどうかは証明できんだろう。そのテープは私と娘が遊びとして録音したものだと主張すれば、それを否定することはできないんだからな」
「まあ、そうかもしれませんね。しかしそうしますと、なぜそんな遊びで録音したテープを月ヶ瀬庄一氏が持っていて、さらにそれを三十年に渡ってあなたたち親子が探し求めていたのかという疑問が生じますが、それは置いておくことにしましょう。
さてこのテープを月ヶ瀬庄一郎氏が手に入れた経緯ですが、居なくなった娘を探していて、工事現場のプレハブ小屋に立ち寄ったところ、電話の真横に置かれていたレコーダーが気になって再生してみた。すると驚くことに脅迫が流れてきた。そこで月ヶ瀬氏は誘拐の証拠として持ち去ったのでしょう」
「そういうことなら、君。月ヶ瀬とかいうのは窃盗罪だよ。プレハブ小屋に置いてあった、わしの私物を盗んだのだからな」
寺間は眉間に皺を寄せた。
「このテープからはあなたと月ヶ瀬氏の指紋が検出されることを期待して、専門家に鑑定を依頼しました。しかし結果は子どもの指紋が多数検出されて、大人の指紋は検出不能という回答でした」
寺間の顔にはまるで変化がなかった。一貫して堂々とした姿勢は崩さなかった。
「それを聞いて、僕は不思議に思ったのです。
あなたが脅迫に使ったカセットテープから、どうして無数の子どもの指紋が検出されたのか? あなたの娘さんの指紋ぐらいはあってもおかしくはないが、どうして子どもたちの指紋がこれほど検出されたのか。
そこで気がついたのです。このカセットテープは元々音楽室にあった備品ではないかと。
すると最近になって、当時月ヶ瀬さんと交流があった先生から連絡がきて、段ボール箱から用務員さんの遺品が出てきたと言うのです。早速うちの部員が取りに行きました。
几帳面な庄一さんは学校の備品をしっかりと管理されていて、修理が必要なもの、紛失したもの、廃棄するものなど、きちんとノートに書き留めていたのです」
叶美、直貴のみならず、鹿沼も固唾を呑んで話を聞いている。
「それを調べたところ、紛失リストの中にカセットテープが一本ありました。6年2組合唱というタイトルが付けられたものです。
どうして音楽室にあるはずの備品を使って、あなたは脅迫テープを作ったのか。
すぐにピンときました。
あなたは日頃から学校の備品を盗んでいたのです。月ヶ瀬氏のリストを精査すると、増築工事が始まってから紛失した備品の数が軒並み増えています」
「わしは知らんよ。学校の備品など盗んでどうするっていうんだ?」
「理科室のアルコールランプや顕微鏡は、売りに出せば当時結構なお金になったでしょう」
「しかし、そのカセットテープが備品だったかどうか、どうやって証明する?」
「残念ながら、それは無理でしょう。通常備品には管理シールが貼られますが、このような小物には貼られません。それに貼ってあったとしても容易に取り去ることができる」
「では、わしが学校の備品を盗んでいたとは言えんじゃないか。撤回したまえ、さっきの言葉を」
寺間は語気を荒らげた。
「でも、当時これを再生して聞いた月ヶ瀬氏は一発でこれが盗品だと見抜いたのです」
「どういうことだ?」
「先程の続きを聞いてみますか」
沢渕は小型のテープレコーダーの再生ボタンを押した。
亡霊を演じる少女の声が途切れ、その後しばらく無音が続いた。
「それがどうかしたのか?」
寺間がいらついて言った。
「もう少し待ってください」
沢渕は人差し指を口に当てて黙らせた。
マイクを切ったのか、盛大なノイズが聞こえてから、急に途中から音楽が鳴り出した。ピアノに合わせた児童の歌声である。
「これが管理ノートにあった、6年2組合唱ですよ」




