沢渕晶也の推理(3)
「では話を戻しましょう」
「父親の庄一が帰ってきたところからね」
「彼は校舎に残っていた箕島校長に、娘を見なかったかと訊いたはずです。校長はここで初めて、事故で亡くなった女児が用務員の娘だと知るのです」
「ますます本当のことを打ち明けにくくなってしまったわね。赴任してきて早々、学校関係者を轢き殺してしまったのだから」
「二人が校長室で話をしていると、突然職員室の電話が鳴ります。田中がプレハブ小屋からこっそり掛けたものです。本来、校長が取るべき電話ですが、用務員は娘が掛けてきたものと思って慌てて取ったかもしれません。
『娘を誘拐した。無事に返してほしければ、金を用意しろ。警察には通報するな。お前たちの動きは常に監視されていることを忘れるな。また後で電話する』
ここで電話は切れます」
「用務員は自分の娘が誘拐されたと信じるかもしれないけど、校長の方はどうだったのかしら? だって誘拐された娘は交通事故で亡くなって、ついさっき自分の手で埋めたばかりなのよ。そんな馬鹿なって思うでしょ?」
「実に様々なことが頭をよぎったと思いますよ。自分が轢き殺したのは、本当に用務員の娘だったのか。それともたまたま学校に立ち入った別の児童だったのか。用務員の娘とやらは本当に誘拐されたのかと」
「校長はみなみさんの顔を知らないから、その判断がつかないわね」
「もし死んだのが用務員の娘だとしたら、どうして電話の主がこれを誘拐と宣言しているのか。まさか事故から遺体処理までの一部始終見て言っているのであれば、その意図は何か考える必要があります」
「校長は自分がまるで誘拐に加担しているような気分になったかもしれないわね」
「そうです。自分の立場がよく分からない状態に陥ったでしょう」
「このとき、二人は現場監督の存在には気づいてなかったのかしら? ひょっとすると誘拐犯は彼ではないかと」
「校長としては、この時間誰も学校にはいないと思い込んでいたので、第三者が潜んでいるとは考えなかったと思います。一方で用務員は自分が仕事に出て行く際に、プレハブ小屋の明かりが点いているのを見たなら、もしかしたら何か事情を知っているのではないかと思い、あとで訊きに行くつもりだったかもしれません。いずれにせよ、まさか学校の工事を請け負う人間が、その学校の児童に牙をむくとは思いませんから、何の疑いの目も向けてはいなかったでしょう」
「そうよね。次に進んで」
「校長は轢き殺した女児が、月ヶ瀬みなみかどうかを確認する必要が出てきました。そこで父親に写真はないかと尋ねます。父親も行方不明の娘を探す手掛かりになりますから、すぐに写真を用意します。
しかし校長は写真を見ても、事故の直後、暗闇で顔をちらりと見ただけだったので断定ができません。後から用務員の目を盗んで、埋めた場所へ行って確認するしかありません。
電話を受けた後で。月ヶ瀬は箕島校長と今後の打ち合わせをしたでしょう。校長には負い目があるので、身代金は自分が用意すると申し出ます。娘はすでに死んで地中に埋まっているのですから、そもそも誘拐自体が成り立ちません。つまり身代金は一銭も払う必要はないのです」
「そうなると、用務員さんの部屋が荒らされていたというのは、どういうことになるのかしら?」
「直貴先輩の報告によると、預金通帳や金目の物がなくなっていたということですから、庄一は身代金を自らも用意するつもりだったと思います」
「でも、部屋中が荒らされていたらしいわね」
と叶美はそこまで言ってから、
「そうか、荒らしたのは田中ってことになるのね。でも、何のために?」
「先程みなみの遺体を掘り起こしてまで探していたものがありましたよ」
沢渕はヒントを与えた。
「みなみさんのポシェットか。彼女が何か父親にメッセージを残してないか不安だったのね」
「田中は家中を捜して、自分とみなみの関係を示す物がないか調べたのです」
「それはいつ?」
「この8月7日ではないでしょう。後日、月ヶ瀬を学校の外に追い出して侵入したのでしょう」
「どうやって学校の外に?」
「誘拐犯として何かしらの指示を与えるだけでいいのです。例えば、身代金を入れるアタッシュケースを買いに行かせてもいい」
「なるほど、その間に誰にも邪魔されることなく部屋を物色することができるわね」
叶美は我が意を得たりという顔になったが、
「いや、やはりそれは違いますね」
と沢渕が自らを否定した。
「どうして?」
「このタイミングで家捜しなどをすれば、月ヶ瀬が学校内に誘拐犯人がいると気づいてしまいます。すぐに工事関係者の田中に疑惑の目が向けられるでしょう。これでは意味がありません」
「そっか」
叶美は残念そうな声を上げた。
「そう考えると、家捜しは庄一が完全に失踪してから、つまり殺害後ということになりますね」
「でも、どうして父親まで殺すことになるの?」
「それについては、考えていることがあります。後ほど説明します」
「分かったわ」
「さて誘拐犯からの電話を待つ間、校長はトイレにでも行く振りをして、例のタイムカプセルを埋めた場所へ足を運びます。土に埋めたはずの少女を誘拐したという話はどうにも信じられない。そもそも遺体は本当に用務員の娘なのか。とにかくこの目で確かめようという訳です。
現場に行ってみると、何やら様子がおかしいと気がつきます。先程とは何かが違う。間近に寄ると、校長は腰を抜かすほど驚きます。埋めたはずの少女が土から助けを求めて手を伸ばしているのです」
「田中が掘り返して粗雑に埋め戻しただけなのに、校長は少女が自力で這い上がってきたと勘違いしたのね」
「びっくりした彼は慌てて校長室に戻ります。月ヶ瀬は自室で預金通帳など金目の物をかき集めているので席を外しています。校長はどうしてよいか分からず、ただ日誌に今見たままを書き付けます」
「それが例のメッセージよね」
叶美は頷いた。
「そして翌日、いよいよ校長の気が触れる事態が発生します」
「これだけでも十分気が触れそうだけど」
「いや、このままでは半分事情を知っている校長が、誘拐が架空のものであると見破ってしまう恐れがあります。そこで田中はダメ押しをする必要があったのです」
「ダメ押し?」
叶美はオウム返しになった。
「実の娘の声で、次のように言うのです」
叶美は固唾を呑んだ。
「私は用務員の娘。よくも私を轢き殺したわね。あんたを一生呪うために亡霊として蘇った。死にたくなかったら、金を用意しておけ」
叶美は思わず起き上がった。沢渕に何かを言おうとしたが言葉にならなかった。
「これは一度自宅に戻った田中が娘に頼んでカセットテープに録音したものです」
「なるほど、だから田中に同じ年頃の娘がいるって言ったのね?」
叶美はようやく理解した。
「もちろん娘には本当のことは言えませんから、夏祭りの肝試し大会で使うのだと言って協力させたのでしょう」
「どうしてテープに録音を?」
「電話口に娘を出して、即興で演じさせるのは失敗のリスクがある。それに自宅から電話を掛けるのは家族の目もあって難しい。それで準備を済ませて翌日学校へ舞い戻った。夜になるまで何食わぬ顔で仕事をしたのでしょう」
「そして夜、亡霊に扮した娘の声を電話で聞かせたのね」
「それによって校長は気が触れてしまった」
「それがあの日誌に書かれた言葉の意味だったのね。殺して埋めたはずの少女が生き返って、自分を脅迫してきたら誰だっておかしくなるわよ」
叶美は怒ったように言った。
「校長はもう丸二日家に帰ってはおらず、家族に会うこともありませんでした。自分の子どもが生まれるという人生最大のイベントも、最早彼には何の意味も持ちません。とにかく亡霊から逃げられるかどうか、それしかなかったのです」
8月9日、月ヶ瀬庄一を待機させ、校長は連絡を待っていました。電話が掛かってきて具体的な取引方法が告げられます。身代金とは別に愛用のカメラを持ってくるよう指示があります。校長は最早正常ではなかったので、実際に銀行へ行って金の工面をするのは、月ヶ瀬に任せられた仕事だったかもしれません。
さて、校長は指定された時間に駅へ出向きます。ここから月ヶ瀬とは別行動となります。残念なことに、二人はこの後再会することはありませんでした」
「校長は駅で飛び込み自殺をし、用務員は失踪してしまうのね」
叶美が確認した。




