タイムリミット
叶美と沢渕は、箕島校長の入院する病院へ出向いた。事前に紗奈恵と連絡を取り、商工会の仕事で忙しいという彼女の父親にも同席してもらった。鹿沼武義が箕島家について実名報道する可能性があることを直接伝えるためであった。
病室は最上階にある個室だった。ドアを開けて最初に目に飛び込んできたのは、大きな窓から見える街の展望だった。
87歳という箕島氏は鼻にチューブをつけ、ベッドに横たわっていた。沢渕たちが傍に寄っても反応はなく、目はうつろだった。身体は痩せ細り、手や顔は皺で深く覆われていた。
事件発生から三十年、彼はずっと病院で暮らしていることになる。沢渕はその長さの意味を考えた。
紗奈恵が家族を紹介してくれた。
父親は背が高く、整った顔立ちをしている。滑舌のよい喋りと豊かな顔の表情は、やり手の実業家を思わせた。誰の目から見ても、商工会のまとめ役にはふさわしい人物であろう。
その隣には母親がいた。こちらは随分と若い印象である。高校生の娘がいる年齢には見えない。父親とは対照的に、色白でどこか病弱な雰囲気を醸し出していた。紗奈恵は一人っ子と聞いていたが、相当若くに産んだ子どもということだろうか。
意外なことに、紗奈恵は父親と母親のどちらにも似ていなかった。
叶美と沢渕は簡単な自己紹介をしてから、校長の容態を尋ねた。
それには父親が答える。
「娘から聞いているとは思いますが、もう長くはないそうです。何十年もこの状態ですから、今更悲しいという感情も出てきませんが」
それを聞いて、沢渕は言葉が出なかった。校長はもとより、家族のためにも真実を明らかにしなければならないと強く思った。
「探偵部のみなさんは、父が生きているうちにこの事件を解決すると約束してくれたそうですね」
「はい、校長の前で事件の全容を報告するつもりです」
「それはご丁寧に。しかし、そうしますと、もうひと月の猶予もありませんね」
父親はまるで他人事のような口ぶりだった。半ば諦めているといった感じである。所詮、高校生に何ができるのかと、少しも期待していないようだった。
成り行きとはいえ、娘が日誌を開示することになり、ひどく後悔したに違いない。なにしろ、それは箕島家の恥部であり、本来墓場まで持っていく類いの物だったからである。しかも探偵部に事件が解決できなければ、何のために恥を忍んで公にしたのか分からない。後悔するのも無理はない。
「実は、事件を解くための時間はさらに短くなりました」
沢渕は告白した。
これについては箕島家から恨まれても仕方なかった。しかし隠しておく訳にはいかない。
「と、言いますと?」
父親が表情豊かに訊いた。
「ある雑誌の記者が探偵部の捜査状況を盗聴していました。そして箕島校長が用務員親子を殺害し遺棄したという結論を導きました。もちろんそれは僕たちの推理とは大きくかけ離れたものです。しかし12日後に発売される週刊誌において、それを記事にして世間に公表するというのです」
さすがに父親は渋い顔を見せた。
「そこで僕はその記者と取引をしました。一週間以内に真相を明らかにすれば、記事を差し替えると」
「なるほど。タイムリミットは相当早まったという訳か」
「はい」
「私は箕島家の名誉にこだわりはない。どんな事実が出てこようと、全て受け止めるつもりだ。たとえ、時間に間に合わなくても、君たちを責めたりはしない」
「お気遣い、ありがとうございます」
「私はただ、娘が無事に育ってくれれば、それでいいんだ」
父親はそう言いながら、紗奈恵の頭に手をやった。
「そう言えば、娘に警護をつけてくれたそうだね」
「はい」
「久万秋君だったね。私も昔柔道をやっていたから分かるのだが、彼は好青年だ。娘も大変気に入っている。彼を抜擢したのは君かい?」
「はい」
「なかなかいい人選だ。感心したよ」
父親は初めて笑顔を見せた。
「沢渕くん、森崎さん、これからも紗奈恵をよろしく頼むよ」
病室を出て二人きりになると、叶美は声を小さくして、
「話の分かるお父さんで助かったわ」
「それだけ娘のことが可愛いのでしょう。しかし意外でした。父親は箕島家の名誉を守るため、何としてでも記事を抑えてくれと感情的になるのかと思っていました」
「確かにお父さんのテンションは低かったわね。直貴によれば、商工会の会長をやっているぐらいの大物だから、周りに波風を立てないよう、感情を抑えるのが上手なのかもしれないわ」
「ところで、紗奈恵さんは両親のどちらにも似ていませんでしたね」
「沢渕くんは、よっぽど紗奈恵さんのことが気になるのね」
「いや、真面目な話、親子に見えませんでした。お母さんが随分と若いので尚更です」
「そういえば、そうね。うちの母より10歳は若い感じだったわ」
叶美も思い出して言った。
「すみませんが、直貴先輩に箕島家の家系を調べてもらってください」
「えっ、どういうこと?」
「ちょっと気になるんです。もしかすると、これが事件に関係があるかもしれません」
「分かったわ」
部長は首を傾げながらも、直貴に連絡をしてくれた。
「でもさ、沢渕くん。本当に7日のうちに事件が解決できると思う?」
沢渕は黙っていた。
「探偵部は総力を挙げてこの事件を調査したわ。それでも八方塞がりなのよ。亡霊でもいなきゃ、説明がつかないことばかりでしょ」
沢渕は突然歩みを止めた。
そうだ、亡霊だ。すっかり忘れていた。
この事件は亡霊がいれば、うまく説明できることが多い。もちろん亡霊の仕業とは言わないが、誰か一人、我々に見えない存在がいれば、事件は簡単に説明できるような気がするのだ。
おかげで、月ヶ瀬みなみを殺害した犯人を箕島校長にしてみたり、実の父親、庄一にしてみたり、強引な謎解きになってしまった。
亡霊だ。この亡霊さえ現実世界で見つければ、突破口が開く予感がする。
沢渕はこの考えに自信を持った。
「僕は今から小学校へ行ってみます」
「私も付き合うわ」
叶美は即座に返した。
「いや、今夜は遅くなりそうです。ひょっとすると、運動場で夜を明かすことになるかもしれません」
「別に構わないわよ。私はあなたのパートナーなんだから」
叶美は平然と言ってのけた。
夕陽が二人の顔を赤く染め抜いていた。三十年前の夏も、今と変わらぬ様子だったのだろうか。




