探偵部に迫る魔の手
翌日、捜査会議のため、沢渕が商店街を一人歩いていると、背後から多喜子が走ってきた。
挨拶もそこそこに、
「叶美先輩にも報告したんだけど、昨日この道を歩いていたら、誰かにつけられてたのよ」
小さい身体を精一杯弾ませて言った。
「どんなやつだった?」
「そう言うと思って、ばっちり写真に収めておいたから」
怖がり屋の多喜子にしては、随分と思い切った行動をしたものである。
「お店のショーウィンドウにカメラを向ける振りをして、ガラスに写った不審者を撮ったのよ」
「なかなかやるね」
沢渕は素直に褒めた。それが嬉しかったのか、
「私だって探偵部の一員よ。このくらい何でもないんだから」
と自慢げに言った。
「その時撮ったのが、これ」
多喜子はスマホを取り出すと、写真を見せてくれた。
なるほど、ショーウィンドウに映ったサングラスの男である。昨日、紗奈恵を狙った人物とは背格好が違う。やはり連中は組織の一員なのだ。
「その後は、どうなったの?」
「私が急に振り返ったら、何でもない顔をして通り過ぎていったわ」
「でも、あまり無茶はしないようにね。相手はどんな連中か分からないから」
「はあい」
多喜子は素直に返事をした。
二人が店舗に入るや否や、姉の奈帆子が無言で沢渕を手招きした。
上着の裾を引っ張って、カウンターの中へと連れ込んだ。それから何度も神経質に周りを見回した。
沢渕はこの店を何度も訪れているが、舞台裏を見るのは初めてだった。
「どうかしましたか?」
「ちょっと見てもらいたいものがあるのよ」
レジカウンターの奥には、各部屋の様子を映したモニターがずらりと並んでいた。この時間、全ての部屋が使用中である。それぞれの部屋で、客が自分の世界に酔いしれているのが手に取るように分かる。
奈帆子は声も出さずに、あるモニターをボールペンの先でトントンと叩いた。
そこには他とは違った異様な光景が映し出されていた。一人の男がソファーにうずくまるような格好をしている。当然マイクも握っていない。
よく見ると、耳にイヤホンを掛けていた。
「この人、確か前にも来たことがあるんだけど、その時もこんなふうだったのよ」
この部屋は探偵部が集合している大部屋の隣に位置する。そちらは今、ちょうど多喜子がドアを開け、部屋に入るところだった。
「この男は、前もこの部屋に?」
「ええ、時間指定してくるのよ。そのくせ何も歌わずにただじっとしているだけ。気味が悪いわ」
奈帆子はバイトリーダーとして大いに不満を漏らした。
沢渕は整列したモニターを見回して、
「今、部屋は全部埋まっていますね」
と確認した。
「ええ、満室だから部屋を代えることはできないわよ」
「分かりました」
そう言い残すと、部員らが待つ大部屋へと向かった。
部屋の扉を乱暴に開けると、
「この事件の謎はすべて解けました。これからお話しします」
と突然切り出した。
探偵部員たちは、一体何事かと唖然としている。
「この事件の真犯人は…」
思わせぶりに言葉を切った。一拍おいてから続ける。
「実は、幽霊だったのです!」
この突拍子のない行動に、メンバーは何らかの意図を感じ取ったのか、誰もが黙って見守っていた。
沢渕はテーブルに置いてあったスケッチブックを手に取って、
「盗聴の恐れあり。事件の話はしないように」
とサインペンで書きなぐった。
それを見てクマが、
「この事件、個人的にはこのまま解決しなくてもいいと思ってるんだ」
大声を上げた。
「それ、どういうことよ?」
さすがに部長の叶美は黙っていない。
「その方が、箕島紗奈恵さんと仲良く過ごせるからさ」
「何考えているのよ、この野生動物は」
雅美、怒りの声。
「紗奈恵さんの方も、どうやら俺のことを気に入ってくれてるみたいだしな」
「はいはい。そんなことより、私、今日はいっぱい歌っちゃうわよ」
雅美がマイクを握ってすっくと立ち上がった。
多喜子がリモコンボタンを押して、お気に入りの曲を選んだ。音楽が流れ始める。
そんな中、沢渕は無言で腰を屈めて部屋中を徘徊していた。盗聴器を見つけるためである。しかし、それらしい物は見当たらなかった。
そこでスケッチブックの新しいページに、
「堀元先輩、鞄の中を調べてください」
と書いた。
言われた通り、鞄の中身をテーブルの上にぶちまけた。大きな音も雅美の歌でかき消されてしまう。
スマートフォン、手帳、筆記用具などが散乱した。沢渕は一つひとつ手に取って食い入るように確認したが、どこも異状はない。
直貴はさらに鞄の中に手を入れて、内側のポケットをまさぐった。すると何かに触れたのか、驚きの顔とともに、ゆっくりと指先でつまんで取り出した。
黒いサイコロ状の物体である。
「トウチョウキ?」
叶美が声を出さず、口の形だけで言った。
沢渕はサインペンを手にして、さらに書き付けた。
「男性陣は外へ。隣の部屋の男を捕まえます」
気持ちよく歌をうたっている雅美を尻目に、クマと直貴と沢渕の3人は静かに廊下に出た。
「ここです」
奈帆子に教えてもらった部屋を指さした。
「この中にいる奴を、とっ捕まえればいいんだな?」
クマが確認する。
「オッケー」
予期せぬ方から声がした。振り返ると、そこには雅美が立っていた。ポニーテールが左右に跳ねている。
「お前、いつの間に来たんだ?」
「だって、こっちの方が面白そうじゃない」
「それじゃあ、行きますよ」
沢渕が掛け声を掛けた。
「せえーのー」
クマが思い切りドアを開いた。
しかし狭い部屋には誰の姿もない。
「あれ?」
そこへスリッパの音をパタパタ鳴らして、奈帆子が廊下を走ってきた。
「そのお客さんなら、今さっき帰ったわよ」
「何だって!」
クマが声を響かせた。
「まだ間に合うわ」
奈帆子の言葉を皮切りに、男3人と女一人が玄関を飛び出した。
「あいつだ!」
直貴が商店街の奥を指さした。のんびりと歩く男の背中が見える。
「私に任せて」
「橘先輩、無理しないでください」
沢渕が声を掛けるのをよそに、雅美は脱兎のごとく駆け出した。気後れした男たちも後に続く。
ひと気のない商店街のアーケードに女子高生の靴音が響き渡った。遠くに見えた男も異変に気づいたのか、一度振り返ると慌てて逃げ出した。
「待ちなさいよ!」
叫び声が商店街の天井まで届いた。
男は急に路地を曲がって姿を消した。そのすぐ後をポニーテールが追う。
沢渕らがその曲がり角に到達した時にはもう、男の姿はなかった。あるのは、アスファルトに座り込んだ雅美の姿だった。
「大丈夫かい?」
直貴が真っ先に駆け寄った。
雅美は体操の演技のように華麗に立ち上がると、スカートのお尻辺りを何度か叩いた。
「もう少しで捕まえられたのに」
悔しそうな表情を見せた。
「スーツの端っこを掴んだら、肘鉄食らって転んじゃった」
「怪我はありませんか?」
沢渕は彼女の身体を確認した。弾みで転倒したらしいが、どうやら外傷はなさそうだ。
「お前、スカートの尻の辺りが破れてるぞ」
クマが冷静に指摘した。
「えー、これお気に入りなのに」
「これでも巻いておけ」
首に掛けていたタオルをさっと渡した。
「ありがと。あんたって意外と優しいのね」
タオルを腰に巻いて、スカートの後ろを隠した。
「では、戻りましょうか」
沢渕が促した。
店まで来ると、叶美、多喜子、奈帆子が入口で顔を並べていた。
「みんな大丈夫だった?」
叶美が真っ先に訊いた。
「橘の尻が破れた」
クマのひと声に雅美は面食らった。
「もっと女の子を傷つけない言い方はないの?」
叶美はタオルをめくり上げると、
「あらあら、これは大変。タキちゃん、応急処置できる?」
「どれどれ?」
多喜子は覗き込むと、
「これならお直しできますよ」
「ラッキー」
「では、こっちの部屋を使って頂戴」
奈帆子が従業員の更衣室へと案内した。
こんな時、女子の結束は固くなるのだと沢渕は感心させられた。




