沢渕と叶美のデート(4)
翌日、沢渕は高校へ出向いた。
探偵部の顧問であり、警察から鑑識の仕事も引き受けている、鍵谷先生を訪ねるためである。
グランドからは運動部の掛け声が絶え間なく聞こえていた。しかし夏休みの真っ最中ということもあり、校舎内は閑散としている。
化学準備室の扉を開くと、すでに森崎叶美の姿があった。何やら鍵谷と熱心に話し込んでいる。
「やあ、沢渕くん。捜査の方は着々と進んでいるようだね。森崎くんから色々と聞かせてもらったよ」
「今回もお世話になります」
沢渕は写真一式に関して指紋の採取を依頼した。
「ところで、先生。この写真なんですが」
ゴム手袋をはめて、例の真っ黒な写真を二枚並べた。
「これが何を写したものか知りたいのです。何とかなりませんか?」
「輪郭を抽出するぐらいなら、すぐにできるよ」
鍵谷は平然と言ってのけた。
「本当ですか?」
叶美は信じられないという顔をした。
「一見真っ黒に見える画像でも、実は階調というものがあってね。グラフィックソフトを使って最適化すれば、境目を輪郭として浮かび上がらせることが可能なんだよ」
「全体を明るくすることで、ずばり何が写っているか分かりませんか?」
叶美が身を乗り出すと、
「そいつは無理だねえ」
と言った。
「物体は光があってこそ、色や形として認識できるものなんだ。だから、そもそも光量が不足しているものは、いくら明るくしたところで物体にはなり得ない。つまりこういった真っ黒の失敗写真は救いようがない」
「そうですか」
叶美はがっくりと肩を落とした。
「どれ、ちょっとやってみるかな」
鍵谷は鞄からノートパソコンを取り出すと準備に取り掛かった。
「まずは写真をスキャンして、パソコンに取り込む」
液晶画面には、真っ黒な写真が浮かび上がった。
「次に、これをグラフィックソフトでレタッチする」
手際よく、黒の濃淡が変化し始めた。
「これぐらいが最適かな」
鍵谷が手を止めると、画面には直線的な輪郭が現れた。確かに同じ黒でも、夜景と手前の物体とでは異なっている。その境目が輪郭として表現されているのだ。
「もう少し調整してみよう」
すると写真の下の方に、さらに濃淡の異なる部分が出てきた。
結果、一枚の写真には濃淡の違いが3つ存在していることが判明した。
「これが限界だね」
鍵谷はその画像を印刷した。さらにもう一枚の写真でも同じ手順を繰り返した。
やはり2枚の構図はまったく同じである。三脚を立てて、動かない被写体を撮ったのだから当たり前である。わずかな違いは、片方だけに小さな光が写っていることである。
3人はレタッチした画像を食い入るように見た。
「これは小学校で撮ったものだと言ったね?」
鍵谷は確認した。
「はい」
生徒二人が同時に答えた。
「それなら、これは校舎を写したものだよ」
ベテランの鑑識官は断定した。
なるほど、言われてみれば、校庭から校舎を見上げた構図である。横に長い校舎は全体像を収めることはできないが、終端部が写真では縦の輪郭に相当していた。
どうやら上部には空、中央には校舎、そして下部には校庭が写っていて、それらはわずかな濃淡の差で3つに分かれているのであった。
「しかし、どうして夜の校舎なんか写したのかしら?」
叶美が当然の疑問を口にした。
「来校した初日、物珍しさに撮ってみようと考えたのかもしれません」
「私もそうだと思うよ。写真に詳しい校長が、三脚を立てて撮ったからには、記録というより芸術作品のつもりだったのだろうね。少なくとも決定的瞬間を収めようとしたものではない」
「しかし、シャッタースピードを間違えて作品は失敗した。そこでもう一度取り直したのだが、それは田中という人物に持ち去られてしまった」
沢渕がそう付け加えた。
「ああ、もうがっかりだわ。事件の鍵となるものが写っていると信じていただけに」
珍しく叶美は苛立ちを隠せないでいた。
「確かに謎が深まりましたね。夜の校舎が写っているからといって、犯人にとってどんな不都合があるというのか」
「まあまあ、お二人さん。その謎を解くのが探偵部の仕事じゃないかね。この写真に隠された秘密を明らかにすれば、解決への大きな一歩となるんだよ」
鍵谷は励ますように言った。
「そう言えば、校舎を収めた写真はもう一種類あったわよね」
叶美は机の上の写真を指さした。
「同じ校舎が写っているのに、どうしてこっちは持ち去らなかったのかしら?」
「両者の違いは構図です。こちらは校門すなわち道路側から撮ったのに対し、失敗作品は運動場側から撮ったものですね」
沢渕が説明した。
「校舎というのは、一般的に教室が南向きになるように設計されている。よってこの小学校の場合、校門から見た校舎には廊下の窓が写るし、運動場から見た校舎には教室の窓が写ることになるんだが」
「教室ですか……」
叶美は何かを考えながら、つぶやいた。
「それに構図以外にも、撮影した時刻が違っています」
「そうだね。こちらの写真は、太陽光の様子から見て、午後に撮ったものだろう。一方で問題の写真は真っ黒に失敗したぐらいだから、夜、完全に日が沈んでから撮ったものだ」
「では、この白い光が問題なのでしょうか?」
叶美が訊いた。
「思うに、その光は関係ないのかもしれません。なぜなら、失敗写真にも光は写っているのに、それは持ち去らなかったからです」
「写真で見る限り、とても小さな点だから、気づかなかったのかもしれないじゃない?」
叶美が口を尖らせた。
「いや、隠しておくべきものがその光というのなら、この真っ黒な写真でも、決して見逃したりはしないと思うのです。ですから犯人が隠しておきたかったのは、そんな小さく写ったものではなく、もっと大きく写ったものではないでしょうか?」
「そうは言っても、これって単なる夜の校舎に過ぎないのよ」
そこで二人は無言になってしまった。
「先生、ところでこの白い部分は何だと思われますか?」
沢渕が気を取り直して訊いた。
鍵谷はしばらく黙っていたが、ふと思いついて電卓を叩いた。
「校舎の高さから考えると、かなり小さな光のようだね。直径三十センチにも満たないだろう」
「これは最上階、4階のどこかの教室の窓ですね」
沢渕は小学校の校舎を思い出しながら言った。
「夜中に誰か教室に残っていて、明かりでもつけたのかしら?」
叶美は首を傾げた。
「いや、教室の照明なら、窓全体に行き渡って四角い光になるからね。これは丸い光だよ」
先生が指摘した。
「では、教室内を誰かが懐中電灯で照らしているとか?」
叶美はそう言ってから、
「もしかして、用務員さんの見回りじゃないかしら?」
と言葉を続けた。
「いや、動く光源なら、もっとブレて写ったはずです」
「沢渕くんの言う通りだ」
我ながらよい着想と思っただけに、叶美は肩をすくめた。
「しかも不思議なのは、もう一枚の写真では、明かりが消えていることなのです」
「懐中電灯やろうそくの炎のような揺れる光源ではないことは明らかだが、動かない光とは一体何で、どうしてついたり消えたりしたのかが分からんね」
鍵谷の言葉を最後に、化学準備室は沈黙に支配されてしまった。
そんな暗い雰囲気を打ち破るように、
「こんな時は、現場へ出向いてみることだ。実物を見れば、突破口が開けるかもしれんよ」
鍵谷は二人の肩を叩いた。
沢渕は鍵谷から受け取ったレタッチ写真を手にして、小学校の校庭に立ってみた。
運動場の端っこで野球をしている少年たちの歓声が聞こえてくる。
叶美は沢渕の肩越しに覗き込むようにして、同じ構図になる位置を探した。
「ここですね」
ぴったりと符合する場所を見つけた。三十年前、箕島校長がこの場所に立って写真を撮ったのである。感慨深いものがあった。
「すると、白く光ったのは、あの部屋ね」
叶美が指をさした。
「あの部屋の中で、光が数秒間点滅した、ということですね」
ちょうど野球を終えて運動場から引き揚げてくる少年たちを、叶美はすかさず捕まえた。
「ちょっと、君たちに教えてもらいたいことがあるんだけど」
ずらりと顔を並べたのは、高学年の男子児童である。誰もが真っ黒に日焼けしている。
「校舎4階のあそこって、何の教室?」
男子たちは一斉に叶美を取り囲んだ。
「どの窓のことですか?」
「ほら、白い柱があるじゃない。あの2つ右側の窓よ」
「音楽室!」
まるでクイズの解答を競い合うように、みんなが一斉に叫んだ。
「そうなの。音楽室っていうと広い部屋よね。どこからどこまで?」
「あの窓から右は全部がそうだよ」
「教えてくれてありがとう。とても助かったわ」
叶美が笑顔で言うと、少年たちは意気揚々と立ち去っていった。
その様子とは対照的に、
「音楽室か……」
叶美はつぶやいた。
「グランドピアノが置いてあったのよね、あの部屋には」
沢渕は自然と身構えた。また亡霊の存在がちらつき始めたからである。
叶美は構わず続けた。
「校長が夜撮影したのは、校舎の音楽室。どうしてそんなものを撮ろうとしたかと言えば、誰かがピアノを弾いていたからよね?」
「電気もつけず、真っ暗な中で、ですか?」
「そう、もちろん弾いていたのは、月ヶ瀬みなみさん。結局、この事件はすべて彼女の亡霊に辿り着くようにできているのね」
叶美は半ば諦め顔で言った。




