沢渕と叶美のデート(3)
「ねえ、沢渕くん。降りるわよ」
気がつくと、叶美がすぐ横で肩を揺すっていた。いつの間にかゴンドラは一周していたのだ。
二人は地上に降り立った。
「お客様、もう一度お乗りになりますか?」
係員がすかさず訊いた。見ると順番を待っている客はいない。
「はい、お願いします」
叶美が言うと、その答えを予想していたのか、手際よく同じゴンドラに乗せてくれた。
「理解のある係員さんで助かるわ」
「他に客がいないので、我々を乗せるのが営業的に得だと考えたのでしょう」
沢渕は無感動に言った。
「さて、次に検証すべきは、DPE屋のプリント袋よ」
叶美は早く見せろと言わんばかりに顔を近づけた。
「これですね」
表面には写真メーカーの宣伝が印刷され、裏面には受付の際に書いたと思われる文字が並んでいた。
叶美は手に取ると、外の光に当てた。そして角度を変えながら、
「どうやら改ざんした跡はなさそうよ」
と沢渕に返した。
袋の下部に店名、住所、電話番号が載っている。
「この店は、箕島校長が自殺を図った駅に近い商店街にあるようですね。小学校からは、かなりの距離があります」
「店は今も同じ場所で営業しているのかしら?」
沢渕は目をつぶって商店街の並びを思い出してみた。果たしてあの通りに写真屋があっただろうか、記憶が定かではない。
受付は8月9日午後12時43分。お客様名は「田中」と書いた後に「××小学校」と付け足してある。というのも、両者は同じ筆跡になっていないからである。前者は罫線に対して文字がまっすぐ書かれているが、後者は全体が少し斜めになっている。一旦袋から手を離して、改めて書き足した感じである。
電話番号欄は空白で、受け取り希望日は20日となっていた。
「8月9日と言ったら、箕島校長が自殺を図った日じゃない?」
「そうですね」
鉄道自殺の詳細は知らないが、この店が小学校からは遠く、駅に近いというのは単なる偶然なのだろうか。
「常識的に考えて、これを現像に出したのは校長ではないわね?」
「はい。自殺するほど追い詰められた人間が、悠長に写真を現像に出すとは思えません。それに校長なら本名を書いたはずです」
「では、誰かが校長のカメラから勝手にフィルムを取り出して、このお店に現像を頼んだってこと?」
「そういうことになります」
「そもそも、この田中というのは誰なのかしら。教職員?」
叶美は対面の座席に深く腰掛けた。
「それを調べるには、当時の関係者に当たるしかありませんが、その必要はないでしょう」
「どうして?」
「これは偽名で、しかも小学校の関係者ではないからです」
沢渕は断言した。
叶美は目を丸くして、
「その根拠は?」
「先に田中と名乗っておきながら、後から慌てて『××小学校』と付け足しているからです」
「どういうこと?」
「普通、現像を頼む際、個人名と組織名の順番で両方書くのは不自然です」
「でも、領収書が必要な場合、会社名なんかを書くじゃない?」
叶美は、生徒会で備品を購入する際のことを思い出して言った。
「最初からそのつもりならば、学校名それから個人名の順に書くはずですよ」
「まあ、確かにそうよね」
「では、どうして逆順に書いたのか。それは裏を返せば、この人物が学校関係者ではないことを物語っています。つまり仕上がった写真がすべて小学校に関連する場合、個人名だと店員から不審に思われるかもしれない。あるいは深く印象に残ってしまうかもしれない。そういった心理がはたらいて、あえて後から学校名を付け足して教職員であることを装ったのです。
実際、店員が写真の内容について口外することはありません。ですが他人のカメラから無断でフィルムを取り出し、現像に出したこの人物には後ろめたさがあったのだと思います」
「そうなると、田中っていうのは教職員ではない、外部の人間ってことよね。でもそれって変じゃない? 学校に無関係な人物が校長のカメラを勝手に開けられるとは思えないもの。それに現像後、不都合なものを除いてご丁寧に学校に戻してあるのよ。教職員でなきゃ、無理な仕事だと思うけどな。やっぱりこの現像を頼んだ田中は教職員の可能性が高くない?」
叶美はあくまで田中を内部の者、一方沢渕は外部の者と考えた。二人の意見は真っ向からぶつかる格好になった。
急に叶美が手を叩いた。
「そうだ、すっかり忘れてたわ。用務員さんがいるじゃない!」
「月ヶ瀬みなみの父親ですか?」
「そうよ」
叶美は目を輝かせている。
「内部と外部のちょうど境目にいる人でしょ?」
「いや、用務員は内部になると思いますが」
そんな沢渕の意見には耳を貸さず、
「何だかおぼろげにこの事件の真相が分かった気がする。私の推理を聞いてくれる?」
「どうぞ」
「用務員の月ヶ瀬さんは小学校で暮らしていた。ある晩、偶然にも校長に犯罪行為を目撃され、しかも証拠写真まで撮られてしまった。慌てた彼は娘に頼んで、地中から手を出す亡霊の役を演じさせた。それを目撃した校長は恐怖のあまり気が触れて、翌日列車に飛び込んだ」
二人は無言になった。ゴンドラの軋む音だけが妙に大きく聞こえてくる。
「ねえ、何か反応はないの?」
「あれ、それで終わりなんですか?」
「そうよ。一応辻褄は合ってるでしょ?」
叶美は自信ありげに言った。
「確かに大胆な着想と流れるようなストーリーには感心しました。ですが、ちょっと独り言をいわせてください」
「何よ、その最大限部長に気を遣っている、新入社員みたいな台詞は」
「この事件では、月ヶ瀬みなみは何者かに殺害されて、タイムカプセルと並べて土の中に遺棄されます。果たしてだれが彼女を殺したのかという疑問には目をつぶるとして、校長が地中から飛び出した彼女の手を見れば、確かに恐怖を感じたとは思いますが、それがきっかけで錯乱状態になるとは考えにくい。その後、自殺する理由も分かりません。むしろ校長に弱みを握られた月ヶ瀬さんが自殺したのなら、それは理解できなくもないですが」
「もう踏んだり蹴ったりね」
叶美は大きくため息をついた。
「それじゃあ、沢渕くんの意見はどうなの? 聞かせてよ」
「まだ何も分かりません」
「なあんだ、頼りないの」
彼女は不満を漏らした。
「先輩がこだわっている、どうやって外部の人間が校長のカメラを手にしたかについては、こういう考え方もできますよ。
日誌によると、校長は自殺の前に『悪魔に呼ばれた』と書いています。その悪魔というのが田中だとしたらどうでしょう。もちろん校長は田中のことは詳しく知りません。もし知っているなら、ずばり名前を書くからです。知らないからこそ、『悪魔』としか言えないのです。田中は愛用のカメラを持ってこいと校長に命じます。そうやって田中はカメラを手に入れることができる」
「しかし現像後、写真は再び学校に戻さなければならないのよ。そもそも外部の人間がどうして校内で不都合な写真を撮られることになり、またそれを知ることになったのか。田中が教職員ならば、これらの問題点は一気に解決するじゃない?」
叶美は、さっきのお返しとばかりに語気を強めた。
「ええ、まったくその通りです。ただ、現像に出したDPE屋が小学校から離れた、駅の近くだったというのが引っ掛かるのです」
「まあ、それは一理あるわね。普通、学校の教職員なら、近くの店に出すはずよね」
「犯行を隠すために、あえて遠くの店を選んだとも考えられますが、それならどうして小学校名を明らかにしたのか、その説明がつきません」
ゴンドラ内は再び沈黙した。
「ねえ、今更だけど、本当にこれらの写真は校長のカメラで撮られたものに間違いないのかしら?」
突然、叶美が言い出した。
「どういう意味ですか?」
「写真は校長のカメラではなく、小学校の備品のカメラで撮られたのではないかってこと」
「なるほど、カメラが備品なら比較的誰にでも触ることができるからですね」
「そう。もしそうなら、カメラは職員室に置いてあるはずだから、外部の人間だって、その気になれば密かにフィルムを取り出すことができるわ」
「校長が所有するカメラは校長室にあるから、おいそれと手出しができないという訳ですか」
「その通り」
「しかし、写真は校長の日誌とぴったり符合しています。しかも彼は写真を趣味としていましたから、使いやすい私物のカメラを使っていたと考えるのが自然です。だから校長のカメラで撮られた写真と見て間違いないでしょう」
「そうなると、沢渕くんはますます自分の首を絞めていることになるわよ。カメラが校長室に置いてあるなら、教職員ですらそれに触ることが難しくなる。それを外部の人間がやってのけるなんて、あり得ない話だと思うけどな」
沢渕はそれには何も答えなかった。
何かが違う気がする。こんなカメラの問題は後回しだ。やるべきことは、亡霊の存在によって見掛けより複雑化した事件を正しく見据えることである。本来、事件は至極単純なからくりなのだ。いつの間にかそれが見えなくなっている。
「さあ、着いたわよ」
再びゴンドラは一周していた。
二人はゴンドラを降りた。
さすがに4回連続で大観覧車に乗った客はこれまでいなかったのであろう。係員たちが整列して叶美と沢渕を出迎えてくれた。
そして二人の顔を等分に見て、次の言葉を待っている。
「沢渕くん、もう一回だけ乗るわよ」
叶美は肘で軽く突いた。
「でも、検証はすべて済みましたが」
「もう、鈍いわね。せっかく二人きりで遊園地に来たのだから、最後は仕事抜きで楽しむのよ」
そう言って、沢渕の背中を軽く押した。




