沢渕と叶美のデート(2)
ゴンドラに衝撃を感じた。
知らぬ間に観覧車は一周していたのである。まさに今、係員がドアを開けるところだった。
叶美は慌てて写真を隠した。
「お疲れさまでした。またのご利用を」
係員の笑顔とともに、二人はゴンドラから降ろされてしまった。
「先輩、どうしますか?」
「もちろん、もう一回乗るわよ」
叶美は沢渕を引っ張るようにして短い列の最後尾に並んだ。
観覧車から降りたばかりの客が、間髪入れずに再び乗るというのは不審に思われても仕方なかったが、叶美はじっとしていられなかった。今すぐにでも自分の発見を沢渕に聞かせたかった。
順番が来て、さっきと同じように乗り込んだ。
「ねえ、沢渕くん。この写真って、月ヶ瀬みなみさんが地中から手を出しているところを撮ったものじゃないかしら?」
ゴンドラが地上から離れた途端に訊いた。
「その白い物体が、月ヶ瀬さんってことですか?」
沢渕はのんびりと訊いた。
「そうよ」
「その可能性はありませんね」
「どうして?」
「これは夜、屋外で撮ったと思われますが、少女の手を落ち着いて撮影できるはずがないからです」
「いや、校長は異常な光景を目の当たりにして、証拠を残しておこうと慌ててシャッターを切ったんじゃない? その白い光はフラッシュじゃないかしら?」
沢渕は一笑に付した。
「何よ」
笑ったのには理由がある。叶美もいつしか亡霊の存在に惑わされ、物事を冷静に見られなくなっていたからだ。
「もし仮に、地面から手が飛び出していることに気がついたとしても、校長はわざわざカメラを三脚に固定し、しかも2回シャッターを切るほど余裕があったとは考えられません。日誌の文面からも分かるように、彼は平常心を失っていたのです。慌ててその場から逃げるのが精一杯だったはずです」
「そうかもしれないけど、どうして三脚で撮影したって分かるのよ」
叶美は肩を尖らせて訊いた。
「片方に写っている白い丸ですよ。おそらく何かの光だと思いますが、きちんと輪郭が出ています。すなわち手ぶれしていないということです。それが三脚を据えて撮った証拠です。もし手持ちで撮っていたら、尾を引いたようにブレたはずですから」
「ふうん、そうなの?」
叶美にはよく分からなかった。
「それじゃあ、フラッシュの光だとは考えられない?」
「違いますね。フラッシュというのは近くの被写体に光を当てて、明るく撮るために使います。こんな遠くの小さな光にはなりません」
やはり叶美は、この不可解な写真をどうにかして月ヶ瀬みなみと結びつけようとしているのだった。亡霊が相手では誰もがそうなってしまうのも無理はない、沢渕はそんなことを考えた。
「そもそもこの写真は、校長にとって失敗作ですね」
「どういうこと?」
「シャッタースピードの設定を間違えているからです」
叶美は口を挟まず、沢渕の説明を待った。
「おそらく昼間、明るい所で撮影したままの設定でシャッターを切ったのでしょう。夜間の撮影では相当シャッター速度を遅くしないと何も写りません。だからこの写真は全体が真っ暗なのです。ですが一枚だけ、偶然にも丸い光がブレずに撮れた」
「そんな考察をしたところで、事件の解決に役立つの?」
叶美は強気の姿勢を崩さなかった。
「正直、それは分かりません。しかし校長は三脚を立てて何かを撮影しようとしたのは事実です。それが一体何だったのか。幸い同じアングルで撮られた2枚に、光がついたり消えたりしていることが何らかのヒントを与えてくれるかもしれません」
「ねえ、シャッターを連続して切るのに、どれくらい時間が掛かるものなの?」
「一回切って、フィルムを巻き上げてまた切る。カメラにもよるでしょうが、ほんの1、2秒だと思います」
「その短時間で光が消えたってことね」
「ええ、もしくはついたのかもしれませんが」
「そうか、写真の撮影順序が分からない以上、どちらもあり得るわね」
叶美はしばらく黙って考えていたが、
「それはそうと、写真のことを熟知している校長が、シャッタースピードの設定を間違えることなんてあるのかしら?」
「先輩、なかなか鋭いところを突きますね」
沢渕は素直に褒めた。
「うっかりミスをすることは誰にでもあるでしょう。しかし問題はその後です。夜の撮影でシャッターが思ったよりも速く切れたら、その音によって自分の設定ミスに気づいたはずです」
「あっ、ということは撮り直したはず」
「そうです。きっと校長は正しく設定し直して、もう一度撮影したと思います」
「つまり、きちんと写った写真が存在していたということね?」
「はい。しかし何故か今ここにはない」
「ということは?」
叶美の目が光った。
「そうです。誰かが持ち去った可能性があります。つまりその写真には、ある人物にとって都合の悪い物が写っていた訳ですよ」
またゴンドラが大きく揺れた。地上に帰還したのである。
推理は大きく前に進んだ。先程と同じ観覧車の一周が、叶美にはまったく違うものに感じられた。
二人はゴンドラから降ろされた。
「さて、どうしますか?」
沢渕が訊くと、
「もう一度、乗るに決まっているじゃない」
叶美の鼻息は荒かった。
他に誰も並んでいなかったので、その場で券を見せて次に来たゴンドラに乗せてもらった。さすがに男女の係員は不思議そうに首を傾げている。
「写真はそれで全部よね?」
叶美が確認した。
「はい。本当はもっとたくさんあったのかもしれませんが、残っているのはこれだけです」
「誰かが見られたくない写真を持ち去ったことは十分に考えられるわ」
叶美は自信を持って言った。
「しかし幸いなことに、その人物とやらはこの2枚の写真を残してくれた。真っ黒だったから、おそらく放置しても問題ないと判断したのでしょう。一方、この後撮り直した写真は処分した。ということは、この写真が何か分かれば、事件の真相に一歩近づけることになります」
「だけど、そんな失敗写真に何の手掛かりもなさそうだけど」
叶美は肩を落として窓の外に目を遣った。ゴンドラはまもなく頂上に達するところである。遊園地全体がまるで地図のように見えた。
「確かに、簡単にはいかないでしょう。もう三十年も前のことですから。なかなか手強いですが、僕たち探偵部なら何とかできると思います」
「そうよね。ごめんなさい、私、ちょっと諦めかけてたわ。部長がしっかりしなきゃね」
叶美の顔が引き締まった。
「もうこれで写真についてはおしまい?」
「いえ、まだやることがあります」
「そっか、撮影した順序を確定するのね?」
「はい、そうです」
「よいしょ」
叶美は狭いゴンドラで中腰になって立ち上がると、沢渕の真横に移動した。
そして反対側の空いた席に写真を並べた。同じ構図の物は重ねた。
「校門前の写真がやはり最初よね。初めて来た人がいかにも撮りそうな被写体だもの。校長がやって来たのは、8月6日」
そう言って該当する写真を一番端に配置した。
「それから翌7日の作文講座、次にカプセル埋設時の集合写真、ついでにアサガオって感じかな」
叶美は手際よく並べた。
「それで合っていると思います。ただ、アサガオが開花しているところを見ると、午前中、すなわちタイムカプセル埋設前に撮影したのかもしれませんが、まあこの辺は無理に特定する必要もないでしょう」
「そして最後に、この真っ黒な失敗写真。これは7日の夜じゃないかしら?」
「日誌に意味不明なことを書き付けたのが7日の夜なのか、それとも8日なのか、会議でも結論は出ませんでしたね」
「しかし8日の夜ではないような気がするのよね。一日余裕があるなら、校長の几帳面さからすると、日誌にもっと何かを書いているような気がするから」
「なるほど。確かに日誌ではカプセル埋設について綴った後、おかしくなっていましたね」
「ということは、校長はカプセル埋設後、夜まで学校に残って何かを撮影した。最初の2枚は撮影に失敗し、もう2枚は成功した。それから地中から少女の手が飛び出しているのを目撃して錯乱状態になった」
叶美はあごに手を当ててそう言った。自信があるようだ。
「それから先は、もうカメラを手にすることはなかった訳ですね」
「そう。それどころじゃないわ。9日にはもう列車に飛び込むのだから」
「そうすると空白の一日、8日は何をしていたのでしょうか?」
「確かに。気が触れてから一日何をしていたのかってことね」
「では、少女の手を発見するのが8日だったらどうでしょうか?」
沢渕が提案した。
「そうなると、今度はこの写真は7日の夜か8日の夜のどちらに撮ったのかという問題が出てくるわね。いずれにせよ、月ヶ瀬さんの手を発見する前の、落ち着いた状態で撮影した訳だから」
「それなら、別に6日の夜の可能性だってあります」
何も月ヶ瀬みなみと関連づけなくてもいいのである。また知らぬ間に亡霊の存在に引っ張られていた。
「6日? それって校長が初めて学校に訪れた日よ」
「物珍しくて、夜に校内のどこかを撮影したのかもしれません」
すると叶美は沢渕の顔をまじまじと見た。
「ねえ、一つ大きな疑問があるのよ」
「何ですか?」
「どうして校長は少女の手なんか発見したのかしら?」
「どういう意味ですか?」
「確かにタイムカプセルを埋めた場所とはいえ、普段は誰も寄りつかない校庭の隅で、月ヶ瀬さんは手を出していたのよ。どうしてそんな場所に校長はわざわざ出向いたのかしら? それに昼間ならともかく、夜だったら絶対に気づかないと思うのよ。これじゃ、まるで亡霊におびき出されたみたいじゃない?」
何気ない叶美の言葉が沢渕を激しく揺さぶった。
そうだ、何か大きな見落としをしている。亡霊に惑わされず、自分の推理を正しい方向に進めていけば、絡み合った糸はすうっとほどけるはずなのだ。どれか一本の糸を抜けば、複雑怪奇に思えた現象は理路整然とする、そんな気がする。
しかしそれが何であるのか、考えれば考えるほど糸は絡み合うようだった。




