亡霊のビデオ撮影(1)
「なあ、頼むよ。オッケーしてくれよ」
久万秋進士が巨体を覆い被せるように迫っていた。
「嫌よ。恥ずかしいのは、この私なのよ」
森崎叶美の長い髪が何度も左右に揺れた。それは全身で嫌がっている様子である。
夏休みを目前に控えた7月下旬の昼休み。化学準備室の光景だった。
学校の問題児と生徒会長が、ここでこうしたやり取りをしているのには訳がある。二人は表向きは単なるクラスメートだが、実は裏では同じクラブの部員と部長という関係を持っていた。
その裏のクラブとは「山神高校探偵部」である。
学校創立時に自治組織として誕生したこのクラブは、生徒会長から生徒会長へと部長のバトンを受け継いできた。その意味では、他のどのクラブよりも歴史と伝統を有していることになる。
しかしながら、探偵部は所詮、裏のクラブなのである。生徒はもとより教職員もその存在を知らない。隠密行動が原則のため、人目につかないように活動しなければならない。
そこで日中は人の近寄ることのない、この化学準備室が重宝する訳である。メールにて招集された部員が、これから集合する手筈になっていた。
柔道部のクマと生徒会長の叶美がつばぜり合いをする中、最初に顔を出したのは堀元直貴だった。
彼も表向きは生徒会副会長という肩書きだが、この部屋に身を投じれば、探偵部副部長という別の顔になる。眼鏡の奥の目は柔和だが、ひとたび事件が始まれば鋭く変化する。
「二人ともどうしたんだい?」
「どうしたじゃないわよ。あなたでしょ、クマに変な入れ知恵をしたのは」
「一体何のことだい?」
直貴はきょとんとした顔になった。
「音楽準備室に監視カメラを仕掛ける話よ。本気なの?」
「ああ、その話かい。僕は興味がないからどちらでも構わないんだが、何かいい方法はないかとクマに迫られてね」
「変なアイデアを出さなくていいのよ、もう」
そこへ控え目にノックの音がすると、遠慮がちに小さな制服が姿を現した。
後輩の佐々峰多喜子である。
背が低く、手足の短い彼女は、高校生でありながら小学生として通用しそうな雰囲気を持っている。
「叶美先輩、聞きましたよ。今度、探偵部で幽霊退治するんですって?」
怖がりなくせに、心霊現象には興味津々の多喜子は目を輝かせている。
「もう。タキちゃんまでクマに踊らされちゃって」
「えっ、違うんですか?」
同時にがっくりと肩を落とした。そういう後輩の仕草には弱いのだ。
「いいえ、まだそうと決まった訳じゃないけれど、それって本当に探偵部でやるべき仕事なのかしら?」
部長は一つ大きくため息をついた。
「ヤッホー」
続いて無遠慮に扉を開けて飛び込んできたのは、橘雅美である。
部屋に入るなり、すらりとした長身を華麗に回転させた。表向きの体操部の大会においては、連戦連勝の強者でもある。
「メールを見て来たんだけど、一体何の騒ぎ?」
ポニーテールの動きがぴたりと止まった。
それにはクマが答える。
「今回招集を掛けたのは、この俺さ。探偵部は学校でも存在感ゼロだろ。だから夏ぐらい、何か特別企画があってもいいんじゃないかと思ってさ」
「それが、お化け退治なわけ?」
叶美がすかさず返した。あくまで抵抗する姿勢は崩さない。
「えっ、お化け?」
雅美は、叶美の背中に隠れるようにした。
「私、そういうの苦手なのよね」
意外な伏兵現るとばかりに、すかさず雅美の手を握った。
「そうよね。普通、女子高生がお化けに興味を持ったりしないわよね」
「おいおい、そこの二人。こういう時だけ結託するんじゃない」
部屋の隅にいた多喜子は落ち込んだ顔をして、
「叶美先輩、どうして亡霊退治がそんなに嫌なんですか?」
「だって、幽霊を観察するために、音楽準備室にカメラを設置して、二十四時間見張るって言うのよ。部屋の使用許可を取るのは、私の仕事になるでしょ。
どうしてそんなことするのかって、顧問の先生に訊かれるに決まってるわ。それにはどう答えればいいわけ? それこそ、幽霊を撮りたいんです、なんて答えたら、不気味な生徒会長って学校中の噂になってしまうわ」
叶美は一気にまくし立てた。
「確かに生徒会長という立場でカメラの設置を依頼するにしても、妙な依頼であることには変わりないからな」
直貴は冷静である。
「それじゃあ、クマさんが依頼したらどうですか?」
多喜子の意見。
「でも、それだと、ますます頭のおかしな柔道部員ってことになっちゃうわよ」
雅美は真顔で言った。
「ようし、じゃあ多数決を採ることにしようぜ」
クマの提案に、叶美はすかさず票読みをしてみた。
今のところ反対しているのは、自分と雅美の二人である。恐らく残り三人は賛成に回るだろう。となると、最後の部員一人は是が非でも味方につけなければならない。
「ねえ、もしも同数になったら?」
「その時はじゃんけんだな、じゃんけん」
叶美は敗北に一歩近づいたような気がした。
このような場合、クマのじゃんけんの勝率は驚くほど高い。野生の勘が働くのか、相手が手を出す直前に、何を出すかを見破ってしまうのだ。聞けば、給食の余り物を奪い合うといった、過酷な生存競争を生き抜くうちに、異常なまでの動体視力を身につけたという。
「ちょっと待って。タキネエの意見は聞かないの?」
叶美は最後の抵抗を見せた。
実はこの学校の卒業生で多喜子の姉、奈帆子という探偵部のメンバーがいる。大学生で、今この時間カラオケボックスでアルバイトをしている。
「それは心配いりません。お姉ちゃんも絶対に賛成ですから」
妹が自信満々に答えた。
これではタキネエの票は当てにできない。仕方がない。同数でじゃんけん勝負に持ち込んだ方が、まだ勝つ見込みがあるようだ。
「それでは、タキネエ抜きで決めましょう」
叶美は自分の算段が見透かされないよう、平静を装って言った。
探偵部員たちは、多数決の行方を左右する、最後の人物の登場を待っていた。
しばらくして扉がゆっくりと開かれ、何の悩みもない顔をした男子が姿を現した。
彼こそが、沢渕晶也である。
「よし、これで全員揃った。では、多数決を採る。今年の夏のテーマは幽霊退治がいいと思う人!」
クマは来たばかりの部員に考える暇を与えないよう、早口で言った。
狭い部屋に一斉に手が挙がった。
なぜか、妙に数が多い。叶美は目を疑った。確かにクマと多喜子が両手を挙げるという古典的な手法をとっているのはすぐ見破ったが、それにしても予想した数を超えている気がするのだ。
その違和感の答えはすぐ目の前にあった。味方であるはずの橘雅美が、ちゃっかり手を挙げているではないか。
「えっ、雅美さん、賛成なの?」
「うーん、何だかよく分からないけど、クマの熱意に打たれたって感じ?」
「あちゃー」
叶美は額に手を当てて天を仰いだ。
沢渕だけが、一体何が起きたのか、まるで理解できていなかった。
しかしこの夏、探偵部は亡霊の存在を確かめるため、音楽準備室にカメラを設置し、二十四時間態勢で監視することに決定したのである。