奈帆子と雅美の推理(1)
橘雅美は助手席で目を擦ると一つ大きなあくびをした。いつもはポニーテールを揺らして元気一杯の彼女も、全身の疲労感を隠しきれなかった。
一方、隣の佐々峰奈帆子は目を生き生きとさせハンドルをさばいている。
今、二人の乗った白い軽自動車は山間の小さな橋を渡っていた。まもなく日が沈む。予定時刻はとっくに過ぎていた。ここまで来るのに、随分と手間取ってしまったからである。何とか約束の時間に間に合うといいのだが。
「タキネエ、次でもう何人目?」
「四人目。まだまだ捜査はこれからよ」
奈帆子は相棒を励ますように言った。
雅美は単調な仕事の連続にすっかり嫌気がさしていた。自分にはもっと派手な捜査が似合っているのだ。彼女はそう信じ込んでいた。
部長、森崎叶美の指示で、二人は月ヶ瀬一家の消息を調べている。今日はすでに三人の人物との面会を果たした。
若い二人にとって、三十年前の小学校の用務員について調べることは、最初は困難に思われた。そもそもどこから手をつけていいのやら、分からない状態だった。
しかしその答えは意外にも近くにあった。
奈帆子の父親、知輝のつてで、現在教鞭をとっている人物を紹介してもらったのである。通常教諭というのは数年で学校を転勤する。よって彼らは顔が広い。次々とバトンをつないでいけば、当時の小学校教諭に辿り着けると踏んだのである。
まずはタイムカプセルの掘り起こし作業に携わった、松島という知輝の同級生からスタートした。彼はサラリーマンであったが、彼の母親がその昔、小学校の教諭だったということを聞いたからである。
彼女は別の小学校に勤務していたため、当然月ヶ瀬一家についての情報は何も持っていなかった。
しかし当時の用務員の勤務状況を聞くことができた。
今とは違って、用務員は学校に住み込んで、校内における雑務をこなしていたという。雑務と言ってもその内容は様々で、草刈りや花壇作り、プリントの印刷手伝い、倉庫の整理など多岐にわたるということだった。
彼女は定年退職していて時間が有り余っているのか、様々な思い出話を聞かせようとした。それらは今回の調査とは無関係だったので、やんわりと断った。最後に、問題の小学校に勤務したことのある知り合いを紹介してもらって、ようやくその場を去ることができた。
宮西というその教諭はまだ中学校で教鞭をとる現役の教諭だった。
「確かにその小学校に勤めていたことはありますが、用務員さんは住み込みではなく、通っていたと思いますよ」
詳しく聞いてみると、どうやら彼は二十年ほど前に勤務していたようだった。もう少し前の世代の人物はいないかと奈帆子が粘ると、彼はしばらく考えて、日比野という人物が若い頃その小学校に勤務していたのではないかと教えてくれた。
今では田舎で一人隠遁生活を送っているという。奈帆子と雅美はその人物に会いに行くことにした。
朝から何人かと面談を繰り返し、さらには慣れない田舎道に迷ったこともあって、日比野の自宅に着いたのは午後8時を過ぎていた。
頑固な親爺だったらどうしようかと雅美が心配するので、奈帆子は街のコンビニで菓子折りを買って持参することを忘れなかった。
田舎の一軒家である。幸いにも明かりはついていた。奈帆子は就寝前に着いてよかったと思った。
呼び鈴を押すと、白髪の男性が顔を出した。眼鏡の似合う知的な顔は、いかにも長きに渡って教育現場に携わっていたことを物語っていた。
奈帆子が来訪の目的を告げると、
「あの頃か、懐かしいね」
と目を細めた。
「当時、住み込みで働く用務員さんがいましたね?」
奈帆子が訊くと、
「ああ、いたね。確か……」
彼は思い出をたぐり寄せるようにして、
「確か、ガツさんって呼んでたなあ」
「本名は?」
わざと情報を与えずに、相手に答えさせた。
「そう、月ヶ瀬庄一さんだよ」
と目を輝かせて大声で言った。
「当時の写真があるはずだ」
日比野は立ち上がると、すぐ後ろの押し入れの戸を開けて、上半身を中に入れた。段ボール箱をいくつも取り出して重ねていった。
「いくつも学校を転々としたからね。思い出の品は学校別に分けてあるんだ」
彼は几帳面な性格のようだった。これなら月ヶ瀬親子のことを正確に聞けるかもしれない、奈帆子の期待は高まった。
「あった、これ、これ」
突然、嬉しそうな声を上げた。
「みんなで撮った写真だよ」
奈帆子は一枚の写真を受け取った。長い年月を経て、表面はすっかり退色している。
そこには教諭が三列になって映っていた。その列から少し離れて、控え目に映る一人の男性がいた。
「この人が月ヶ瀬さんですね?」
奈帆子は指をさして確認した。
「そうそう。いやあ、懐かしいねえ」
「日比野先生はどちらですか?」
雅美が隣から覗き込んで質問した。
「一番後ろの列に、眼鏡を掛けた若いのがいるのでしょう。それが僕だ」
確かに目元は、今でもその面影を残している。
「先生は当時、身長はどのくらいでしたか?」
「えっ、僕? 百六十センチぐらいだったかな」
奈帆子がそれを訊いたのには訳がある。月ヶ瀬庄一の身長を推定するためだった。雅美はその意図に気づかないのか、黙って彼女の顔を覗き込んでいる。
奈帆子は素早く考えた。
写真からすると、月ヶ瀬は日比野よりも少し背が低い。恐らく百五十センチ程度だと考えられる。例の音楽準備室で撮られた人物は、沢渕の推理ではひざ歩きをしていたという。一般的な人間のひざ下が五十センチとすれば、ピアノの天板高を超えた場合、実身長は百六十センチを超えてしまう。
したがって、あの亡霊は月ヶ瀬みなみの父、庄一ではない。
「ガツさんは、結婚してすぐに妻を病気で亡くし、苦労して娘を育てたって話だった。小学校に住み込みで働いて、もう一つ近くの高校でも仕事をしていたんだ。厳しい割に、それほど給料は高くないからね。娘にあまりお金を掛けられなくて申し訳なく思っているって、他の先生から聞いたことがある。
小学生は残酷なところがあって、みなみさんはいつも同じ服ばかり着ているってバカにされていたらしい。年頃の娘だもの、そんなふうに言われて、さぞかし辛かっただろうね」
若い女子二人は、その気持ちが痛いほどよく分かった。
「当時の校長は、宮間っていうんだけど、彼はガツさんや娘のことを不憫に思って、夜学校に誰もいなくなってから、ピアノを弾いたり、プールで泳いだりするのを黙認していたようだ」
「その宮間っていう校長は病気になられて、新しい校長が配属されましたよね?」
思わず雅美が訊いていた。
「ああ、そう言えばそうだった。一学期の終わりに宮間校長が倒れたため、急遽新しい校長が来たんだよ。名前はまったく覚えていないのだが」
それは無理もない。
新しくやって来たのは、箕島校長である。彼は就任後、数日で気が触れて自殺を図ることになるからだ。
「その新しく就任した校長はどんな方でしたか?」
念のため奈帆子が訊いた。
「それがまるで記憶にないんだよ。夏休みが終わって、さらに新しい校長がやって来たんだ。この人は深川といって、よく覚えているんだが」
やはりそうである。夏休みのそれも数日しか在籍しなかった校長のことは印象に残っていないのだった。
「話を戻しますが、用務員の月ヶ瀬さんですが、その後どうなったのですか?」
奈帆子の質問に、日比野は顔を曇らせた。当時、月ヶ瀬家に何かが起きたのは明らかだった。
「突然、娘とともに失踪してしまったんだ」
日比野は憮然とした調子で答えた。




