クマと多喜子の推理
夏休みの真っ只中にも関わらず、山神高校は多くの学生で賑わっていた。
3年生の教室では補習授業が行われ、グランドでは運動部の猛練習が行われているからである。
しかし、そんな中でも北舎だけはひっそりと静まり返っていた。特別教室しか持たない建物は施錠されていて、普段は立ち入ることができないのだから無理もない。
佐々峰多喜子は中庭の陽の当たらない場所を選んで一人佇んでいた。特にすることもなく、運動部員のテンポよい掛け声をBGMのように聴いていた。
「待たせたな」
振り返ると、そこには久万秋進士の巨漢があった。石のような拳を開くと、中から北舎の鍵が姿を現した。生徒会長からもらい受けたものである。
生徒会長が探偵部の部長であることには大きな意義がある。校内の捜査では、このように融通を利かせることができるからだ。
「ようし、まずはブレーカー探しから始めるぞ」
沢渕の推理では、亡霊を装った人物は校舎のブレーカーを落としたということである。それを確かめなければならない。
二人は誰もいない廊下を並んで歩いた。
「普通は一階にあるのですよね?」
「俺の予想では、こっちだ。ついて来い」
クマは自信があるようだった。迷うことなく先へ進んでいく。
「あった!」
二人は裏口のドアの前に立っていた。ちょうどその上に配電盤が見える。
「よく一発で見つけましたね」
多喜子が感心すると、
「簡単な話さ。ほら、外に電柱が立ってるだろ。あそこから最短で電灯線を引き込むから、配電盤はこういう場所に設置することになるんだ」
「クマ先輩、凄い」
多喜子は小さな手を叩いた。
「俺ん家、電器設備やっているんだよ。だから親父に訊いてきたのさ」
「なるほど」
配電盤はかなり高い位置にあった。背の高いクマでも手が届かない場所である。それは生徒に触れさせないための配慮なのかもしれない。
「これ、脚立が要りますよね?」
「ああ、そうだな」
多喜子は隣の教室から丸椅子を持ってきた。
「これでどうでしょう」
クマがその上に立つとようやく手が届いた。カバーで覆われているため内部は見えないが、そこに一つ発見があった。全体にうっすらと積もっている埃が途中で切れている部分があるのだ。誰かが最近、カバーを触った証拠である。
クマはそれを写真に収めた。
「よし、ここは鍵谷先生に指紋の採取を頼もう」
「クマさん、亡霊はやはりこの裏口から入ってきたんでしょうか?」
多喜子は最大の仰角で訊いた。
「恐らくな。やっこさんはこの建物の鍵を持っていたってことだ」
二人はその足で音楽準備室へと向かった。
この部屋は音楽室の奥深くに位置するため、まずは音楽室を後ろから前へと大移動しなければならない。
準備室の扉を開いたところで、多喜子はストップウォッチを止めた。配電盤からここまでの時間を計測していたのだ。
沢渕が推理した通り、ノートパソコンのバッテリー切れから逆算すると、侵入者は迷うことなく真っ直ぐこの部屋に入ってきたことになる。
「亡霊は、建物の内部構造を熟知していますね」
「ああ、最短距離でここまでやって来たのだからな」
クマも同意した。
「晶也によると、亡霊はここをひざ歩きしたんだったな」
クマは実際にひざを床につけてグランドピアノまで移動した。
「そして、ピアノの鍵を開けて演奏を始めたのですね」
もちろん今は鍵が掛けられていて、蓋を持ち上げることはできない。クマはピアノの下に巨体を入れて、裏から覗き込んでみた。特に不審な点はなかった。
「指紋の採取をしてもらう場所は、裏口のドア、配電盤、音楽室の扉の引き手、準備室のドアノブ、そしてピアノの蓋、ですね」
多喜子はメモを取りながら言った。
実は山神高校探偵部には、陰で支えてくれている教師の存在がある。
彼の名は鍵谷笹夫。日頃は化学の非常勤講師でありながら、人知れず探偵部のアドバイザーも務めていた。地元の警察から証拠品の鑑定依頼をされるほどの権威者でもある。
クマと多喜子は、その人物と化学準備室で落ち合った。
「今回、探偵部の相手は亡霊なんだってね」
鍵谷は多喜子の淹れたお茶を一口すすった。
クマは音楽準備室にカメラを仕掛けて、これまで学校の怪談でしかなかった霊を実際に撮影したことを得意げに伝えた。
「そいつは凄いお手柄だね」
クマは誇らしげに胸を張った。
「でも、沢渕くんは、それは人間の仕業だって言うんです」
「ほう」
「そこで、先生にはその真偽を鑑定してもらいたいのです」
多喜子は校舎内の指紋採取を依頼した。
クマは先日撮った動画をスマホで再生して見てもらった。
「やけに目的のはっきりした亡霊だね」
鍵谷は笑った。彼は霊の存在を端から信じていないようだった。
「ところで、小学校の敷地から見つかった白骨化死体のことなんだが」
「何か分かったのですか?」
クマが目の色を変えた。
「間もなく身元が特定されるらしいよ」
鍵谷は警察に出入りしている身なので、その筋の情報通でもある。
「ひょっとして、月ヶ瀬みなみさんっていう人ですか?」
多喜子が訊くと、
「そうそう、そんな名前だったね。さすがに三十年前の死体だから、血液型やDNAを特定するのは困難だが、歯の治療痕から身元が判明したらしい」
「歯、ですか?」
「そうだよ。通院歴があれば、歯科医師会に記録が残っている。そこに照会したんだ」
「何でも、警察に若い男性の声で匿名のタレコミがあったらしい。死体の名前と年齢をずばり言ってきたそうだ」
「それって、もしかして……」
クマと多喜子は顔を見合わせた。
「君たちの仲間が、警察の捜査を進展させるために有力なヒントを与えたってことだろうね」
鍵谷は高らかに笑った。
クマと多喜子は図書館で向かい合っていた。
「先輩、音楽準備室に現れた亡霊って……」
「うん」
二人はしばし黙って見つめ合った。
「校舎の鍵を持っていて、しかも建物の内部構造に詳しい。さらには鍵を開けて、思い出のピアノを奏でる。そんな人物は世界中探したって一人しかいないぜ」
「私も、そう思います」
「月ヶ瀬みなみの父親ってことだろ?」
クマは自信を持って言った。
「それしか、考えられません。彼は用務員として、当時小学校と山神高校を行き来していたとしたら、北舎の鍵を持っていてもおかしくありません」
多喜子も自分の推理には絶対の自信があった。
「で、その目的は?」
クマが顔を近づけた。
「たぶん、娘のことを探し続けていたのではないでしょうか?」
「そうか。娘は三十年も前にタイムカプセルと一緒に埋められていて行方不明だった。父親は彼女の所在を知らなかったという訳だ」
「そして今年の夏、娘は偶然にも掘り起こされてしまった」
「父親はさぞかし驚いただろうな。行方不明だった娘が、通っていた小学校の地中から出てきたんだから」
「何だか可哀想」
多喜子は感傷的になっていた。
「これにて一件落着って言いたいところだが、分からないことだらけだぜ」
「そうなんですよ。誰が何の目的で月ヶ瀬みなみを殺して、しかもタイムカプセルと一緒に埋めたのか? それにあの箕島校長が気が触れた原因と思われる、地中から飛び出した手、あれは一体何だったのか?」
「まあ、月ヶ瀬みなみの父親を押さえれば、真実は分かるんじゃないか?」
クマはそんなふうに言ったが、多喜子は黙っていた。
娘が白骨化死体として発見された今、父親はもう山神高校へはやって来ないだろう。そうなれば、彼の身柄を確保するのは難しい。
いや、そんなことよりも、この事件にはもっと恐ろしい何かが隠されている。そうでなければ、箕島校長の前に亡霊など現れるはずがないからである。
多喜子はそんなことを一人考えていた。




