日誌の検証(2)
「佐々峰さん」
沢渕が突然呼び掛けた。
「はい」
姉妹の声は見事に重なった。
「お姉さんの方です」
奈帆子は、しばし沢渕を見つめてから、
「あっ、しまった。休憩時間はとっくに終わっていたわ」
と大袈裟な演技をしてから、
「そう言うと思ったでしょ? でも大丈夫。もう仕事は済んだから」
と勝ち誇ったように言った。
「いえ、そうではなくて、水のお代わりが欲しいと思いまして」
「何だ、そんなことなら、早く言って頂戴」
奈帆子は立ち上がると部屋の電話を持ち上げてスタッフを呼び出した。客という立場でありながら、内部事情を知り尽くした上での仕事の割り振りは小気味よかった。
「お姉ちゃん、ここのバイトリーダーだから」
多喜子が説明する。
「では、箕島校長の日記を一つひとつ検証してみましょう」
叶美が先に進めた。
「8月7日のタイムカプセル埋設作業までは問題ないわよね、直貴?」
「ああ、オッケーだ」
「沢渕くんは?」
「大丈夫です。それは衆人環視の中で行われたことですから」
「それじゃ、次へ行くわよ」
叶美はスクラップブックをみんなに見えるように立て掛けた。
「この先、校長は取り乱すことになるんだけど、何がその引き金となったのかしら?」
その疑問は、まさに探偵部誰もが抱いているものであった。
直貴は「あり得ぬ」と口にしてから、
「思いも寄らぬ人や物に出くわしたか、あるいは人間に説明がつけられないような超常現象を目の当たりにしたか、そのどちらかだな」
と自信たっぷりに言った。
「そうよね」
叶美がすぐに応じた。
「では、一体何を見たかということなんだが……」
直貴は部員をゆっくりと見回した。
「その後に、怖いだとか、呪われたとか言っているぐらいだから、やっぱり心霊現象なんじゃねえか?」
クマが言い放った。
「そうなると、思い当たるのは月ヶ瀬みなみさんってことになるでしょうか?」
幽霊研究家の多喜子が続けた。
「ちょっと待って。その月ヶ瀬さんって子は、この時点でもう幽霊になってるの?」
慌てて雅美が尋ねた。
それには沢渕が答える。
「いや、佐々峰さんのお父さんが所持している小型カプセルからは、彼女が書いた短冊が出てきました。すなわち月ヶ瀬みなみはこのイベントにきちんと参加しているのです」
「そうだよね。校長の日誌にも、6年生全員出席と記されているから、居たのは間違いないよ」
直貴が付け足した。
「8月7日の昼までは、彼女の生存は確認できているってことね」
部長はメモを取った。
「じゃあ、結局何なんだ、校長の見たものってのは?」
クマが短く刈った頭を掻きむしった。
自然と誰もが黙りこくってしまった。隣の部屋からはカラオケのメロディが壁をすり抜けて聞こえてくる。
年長者の奈帆子が口を開いた。
「私が気になるのは、『呪われた』っていうところね。しかも『殺される』とまで明言している。これって校長が誰かに恨みを買うようなことをしたってことでしょ?」
「でもさ、新しい学校に赴任してきてまだ2日目よ。誰かに恨まれたりするには、ちょっと早くない?」
と雅美。
「現世の人を呪い殺せるのは、やはり亡霊にしかできないことだと思います。だから箕島校長は、以前ひどい悪事を働いたことがあって、その被害者が亡霊となって復讐しにやって来たと考えるのが自然じゃないでしょうか?」
多喜子は自信を持って断言した。
「それにしてもあんた、今回はやけに気合いが入ってるわね」
そんな姉の冷やかしにも、妹は一切表情を変えなかった。
叶美はそんな多喜子に気迫を感じながら、
「次にこの『エや34』ね。これがその問題を解く鍵になるかもしれないわ」
これについては、沢渕は自分のスマートフォンに収めた写真を拡大して、テーブルに置いた。
全員がテーブルの中央に顔を寄せた。
「34」の「4」だけ、ひどくぶれていた。横棒がもう一本書き足されているからである。
「エやなんて日本語はないぜ。ヘやの間違いじゃねえのか?」
「部屋ってこと? それじゃあ、34が表すものは?」
叶美がクマに訊いた。
「3年4組とかいうのはどうだ」
「でも、普通は3と4の間に棒を入れるような気がするけどな」
と奈帆子。
「じゃあ、教室にいた生徒の人数じゃねえか?」
クマは苦し紛れに言った。
「でも、うちのお父さんが言うには、当時は児童数が多くて、一クラスは軽く四十人を超えていたらしいですよ」
「じゃあ、出席番号?」
雅美が人差し指を立てた。
「出席番号34番に呪われたってこと?」
叶美は納得できない様子である。
「小学校の校舎のどこかに、こういった記号が書いてあるんじゃねえか?」
「いや、この時点で校長は冷静さを失っている訳だから、そんな悠長に文字を転記するようなことはなかったと思うよ」
直貴がぽつりと言った。
「晶也、お前さっきから黙ってばかりいるけど、ちゃんと考えているのか?」
クマの檄が飛んだ。
その声に動かされたように、
「この4は数字の4じゃありませんね」
と言い出した。
「えっ、どういうこと?」
叶美の驚きの声と同時に、全員の視線が沢渕に向けられた。
「他の文字は一回で書いているのに、この4だけは線を一本足してますから」
沢渕はスクラップブックを手にとって、雅美から鉛筆を借りた。
そこに「4」と大きく書いて、その上から横棒をずらし気味に一本書き足した。
「おおっ!」
クマがいち早く反応した。
「これは、もしかして『手』じゃない?」
奈帆子の発想に、沢渕は満足した表情を浮かべて、
「そうですね。ということは、『エや3手』になりました」
「じゃあ、この『3』も数字じゃないのかも」
今度は姉に負けじと妹が言った。
「そうか、『3手』っていうのは変だから、『3』も別の読み方ができるといいのだが」
直貴の意見に、
「それなら、『ら』でどうかしら?」
雅美が続いた。
「なるほど、素早く書けば、数字の3に見えてもおかしくないね」
直貴は目を輝かせた。
「おいおい待てよ。『エやら手』じゃ、まだ何のことか分からんぞ」
そんなクマの声に、
「白骨死体はどこから出てきましたっけ?」
と、沢渕は軽い笑みを浮かべた。
「土の中!」
雅美が叫ぶ。
「そうか、『エ』は『土』だったのね」
奈帆子が感嘆の声を上げた。
「では、こう読めたね。『土から手』だ。校長は慌ててそう書いたんだ」
直貴が結論づけた。
三十年前のメッセージを読み解いて、メンバーの誰もが興奮していた。
「なるほど、箕島校長はカプセルを埋めた土から、手が出ているのを目撃したのね」
叶美が言った。
すると、雅美がすかさず手をパンパンと叩いた。
「ちょっと、みんな忘れてない? その手の持ち主って月ヶ瀬みなみなんでしょ。さっきはまだ生きてたことになっていたわよ。それに三十年間地中に埋められていて、最近発見されるのよ。どうしてこの時点で土から手なんて出しているの?」
確かにその通りであった。
「ということは、月ヶ瀬みなみは生きたまま埋められて、一度は地中から助けを求めて手を出してたってことかよ。それをまた誰かが埋め直して三十年が経過した?」
クマの身体が小刻みに震え出した。いや、彼の小刻みは部屋全体を振動させるのに十分であった。
「それでは、仕事の役割分担を決めましょう」
と、叶美はみんなの前に立った。
「まずは、音楽準備室に亡霊を装って侵入した人物を調べてほしいの。亡霊関係はタキちゃんとクマが適任ね。ブレーカーやピアノに触ったのなら、指紋が出るかもしれないわ。その採取を鍵谷先生に依頼して頂戴」
「分かりました」
「ようし、俺はやるぜぇ」
「次に、月ヶ瀬という用務員について。彼がどんな人物で、今はどうしているかを知りたいわ。それから娘みなみさんはどんな子だったのかを、タキネエと雅美ちゃんで調べて」
「了解」
「お任せあれ」
「そして直貴は、箕島校長が鉄道自殺を図った9日のことを調べてほしい。なるべく詳しく、当時の新聞などを当たって頂戴」
「オッケー」
「そして、沢渕くんと私は、箕島紗奈恵さんを通して、校長の動きを詳しく探ってみるわ」
こうして探偵部の捜査方針が固まったのである。




