日誌の検証(1)
二人は少し時間に遅れて、カラオケボックスに到着した。
遅刻する旨は奈帆子に連絡済みである。沢渕にとっては、紗奈恵との面談が何よりも優先されるべきことだったのである。
「二人とも遅いぞ」
大部屋のドアを開けるなり、野太い声の洗礼を受けた。
叶美はそれには応えず、コーラの入ったグラスを一気に傾けた。沢渕も手近の冷水を口にした。二人ともここまで駆け足でやって来たからである。
「二人で仲良く、どこ行ってたの?」
雅美のストレートな質問に、
「実は事件の関係者の一人と会ってきたのよ」
と叶美が答えた。
「森崎、もうそこまで捜査は進展してるのかい?」
直貴が眼鏡の奥でまばたきした。信じられないといった表情である。
「沢渕くんのおかげよ。小学校付近で可愛い女の子に声を掛けたところ、それが当時の校長の孫娘、箕島紗奈恵さんだったというわけ」
「可愛いって、どんな子なんだよ、晶也」
クマがすかさず割って入った。
返答に窮していると、叶美の方から、
「日本の伝統的美人って感じ。和服の似合いそうな、おしとやかなタイプの子よ」
「それって、ひょっとして商工会の会長をやっている箕島さんの娘かい?」
直貴が言った。
「あなた、箕島さんのこと知っているの?」
「ああ、何でも町外れの大きな屋敷に住んでいて、町中の小学校に『箕島文庫』って大量の本を寄贈した人だよ」
「うちの学校にもあったわよ、それ」
雅美が叫んだ。
「あっ、思い出した。学校帰りに小学校の校庭に立っていた子?」
そんな多喜子の言葉に、
「そうだよ」
ようやく沢渕に発言する番が回ってきた。
「何だ、タキちゃんも知ってる子だったの」
叶美はソファーに深く掛け直した。
「それでは捜査会議を始めるわよ」
叶美が宣言した。
いつもは受付にいる奈帆子も、休憩を取ったのか、珍しくソファーの一角を陣取っている。
「まずは、一昨日の白骨化死体の発見について、タキちゃんから報告をお願い」
「はい」
多喜子は立ち上がると、小さな手帳を開いた。そして父親、知輝から聞き込んだ内容をみんなに披露した。
音楽準備室に現れた亡霊が、当時の6年2組の生徒、月ヶ瀬みなみの可能性があると発表すると、どよめきが起こった。
「亡霊の名前が判明したということは、こりゃもう事件が解決したも同然だな」
クマが断定するかのように言った。
しかし奈帆子はそれを遮るように、
「でも、白骨化死体が仮に彼女だったとして、どうして当時の小学6年生がタイムカプセルと同じ場所に埋められなきゃならないのか、それを明らかにしない限り、事件は解決したことにならないでしょう」
と冷静に言った。
「その埋められた少女というのは、当然殺されてから埋められた訳ですよね?」
多喜子が恐る恐る訊いた。
「当たり前だろ、タキ」
クマの怒声が飛んだ。
「生きたまま埋められたのなら、隙を見て五十センチぐらい這い上がってこられるだろう」
「そうですよね。この子があまりにも可哀想で」
その声を最後に皆が沈黙してしまった。
考えなければならないことが山ほどあった。三十年も前に起きた事件を、果たして今の探偵部が解決できるのかどうか、誰もが疑心暗鬼なのである。
叶美はそんな沈黙を破るように、
「事件を解く鍵は、当時の校長先生の残してくれた日記や写真よ。これらはきっと重要な手掛かりとなるに違いないわ」
部員たちから重苦しい雰囲気が少しは消えたようだった。当時の語り部がいることは心強い。
「では、箕島校長について。沢渕くん、報告をお願い」
「日記の内容については、情報提供者の意向もあって決して口外しないようお願いします」
そう前置きしてから、沢渕は日記を読み上げた。紗奈恵に頼んで、スマートフォンで撮影させてもらったのである。
謹厳実直だった校長はある時を境に崩壊し、理性を失って魂の叫び声を上げるようになる。謎めいた言葉は、読む者の精神までも揺さぶるほどだった。
沢渕は雅美に頼んで、それらをスクラップブックに書き留めてもらった。
「あり得ぬ」
「エや34」
「怖い」
「呪われた」
「殺される」
「悪魔」
「悪魔に呼ばれた」
「呪い殺される」
「助けてくれ」
沢渕の報告が終わっても、しばらくは誰も口を開かなかった。
「こりゃ、一体何が起きたっていうんだ?」
クマが正直な感想を漏らした。それは探偵部全員の胸の内を表していると言ってもよかった。
「7日以降の日付が書いてないね」
そんな直貴の指摘に、沢渕はスクラップブックに、次のように書きつけた。
8月6日 小学校に初出勤
8月7日 登校日。午前中、タイムカプセルの埋設作業に参加
8月9日 最寄りの駅で鉄道自殺未遂。植物状態となる
「校長の行動を時間通りに並べれば、このようになります」
沢渕はブックをテーブルに広げた。
「不可解な言葉を書き出したのは、7日の午後のことなのか、それとも8日のことなのか、はっきりしないね」
直貴は人差し指で眼鏡を持ち上げた。
「日付を新たに書いてない以上は、7日のことと考えるのが普通じゃないか?」
とクマ。
それについては沢渕が意見を出した。
「校長は、この時点でもう普通の精神ではなかったと考えられます。つまりいつもの几帳面な彼ではなかった。ということは、翌日8日になっても日付を書き忘れていたのかもしれません」
奈帆子も、
「私もその意見に賛成ね。どう見たって、この時点で校長は気が触れているわ。日付なんかを書いている心の余裕はなかったはずよ」
「でも、7日まではまともだったのに、8日になって急変するなんて何だか怖いわ」
と多喜子。
「呪われたって言葉が、どうも亡霊絡みって感じがしない?」
雅美はそんなことを言ってから、一人身震いをした。




