プロローグ
私立山神高校には、学校の怪談なるものが存在する。いつの頃からか、その話は生徒から生徒へと受け継がれ、今では夏を迎えると、決まってその話題で持ちきりになる。
このような怪談は、大なり小なり、どの学校にも存在するものである。しかし多くの場合、その信憑性には疑問が残る。なぜならこの種の話は、生徒の恐怖心を煽るべく創られたフィクションと相場が決まっているからである。
しかしながら、山神高校の怪談は決してそういった類いではない。
北舎3階の音楽準備室には、鍵の掛かった古いグランドピアノが放置されている。その鍵は以前から紛失しているために、日頃は誰も弾くことができない。となれば、それは無用の長物に過ぎないのだが、運び出しには多額の費用が掛かるのと、アンティークな品は見栄えもいいとあって、理事会は処分せずにいるらしい。
毎年8月になると、そのピアノを弾くために亡霊がやって来るという。実際に、文化祭の準備で学校に泊まり込んでいた生徒が目撃したという噂まであって、この怪談にそれなりの信憑性を与えていた。
目撃者によれば、亡霊は白い服を身にまとった少女という話である。その幼さのせいか、彼女の奏でるメロディーは稚拙で、長年調律されていないピアノから捻り出される音色は、まるで悲鳴のように聞こえるらしい。
少女と言えば、その昔学校には住み込みで働く用務員がいて、彼には一人娘がいた。
あまり裕福な家庭とは言えなかったが、娘には一つだけ幸せなことがあった。それは自分の身体の何倍もあるグランドピアノを、夜になると独り占めできることである。彼女はピアノを習っている訳ではなかったが、それでも毎晩欠かすことなく、自由に鍵盤を叩いていた。
ところがそんな幸せな日々も長くは続かなかった。彼女は病気が原因で、この世を去ることになるからである。小学生の彼女にとって、それはあまりにも短い人生だったと言えるだろう。
夏になると、彼女は当時を懐かしむように音楽室へ戻って来る。そして最も思い出深いグランドピアノを弾いて、その音色に酔いしれるのだ。
ひょっとすると、これは怪談などではなく、一人の少女の執念と言うべきなのかもしれない。人生でやり残したことの多さに絶望し、せめて夏の夜にピアノを奏でることで、自分を慰めていると考えられるからである。それは彼女にとって、短い人生と引き換えに許された代償行為に他ならない。
そんな彼女のささやかな行動を、一体誰に邪魔する権利があるというのか。この世を生きる者たちは見て見ぬ振りをして、好きにさせてやればよかったのだ。
しかし、無情にも現実はそうはいかなかった。
というのも、今年の夏、少女の姿は白日の下にさらされることになるからである。あろうことか、彼女は白骨化した死体として、この世に姿を現すことになる。
夏の夜、少女はもう二度とピアノを弾くことができなくなってしまった。彼女の悲痛な叫び声はこの世に届けられなくなってしまった。
今を生きる私たちができることは、彼女の絶望感を少しでも和らげ、安らかに眠ってもらうことしかない。そのために山神高校探偵部が尽力することになろうとは、今はまだ部員の誰も知る由がなかった。
まもなく、その夏が訪れようとしていた。