琥珀と姉妹
しばらく流れた沈黙。
アンバーと二人の少女は、互いをじっと見つめたまま言葉を発することなく固まっていた。
この状態があまりにも続くようなら助け船を出した方がいいかもしれない。
ジェードがそう思ったとき、妖狐姉妹の妹の方が最初に動きを見せた。
「アーーッ! ウウッ!」
「まってハンナ。ひっぱるは、だめ」
幼い妹は何やら高揚している様子で、十代半ばくらいに見える姉の袖を引っ張って飛び跳ねながら奇声をあげている。それを必死に宥めようとする姉はなんだか言葉がぎこちなかった。
そんな二人の尻尾は忙しなく振られている。同族を目の前に喜ばしく思っているのは間違いなさそうだ。
「妖狐じゃ……本当に妖狐がおる……! あっ、わしはアンバー。そこにおる主様と旅をしておる者じゃ」
感動の息を漏らすアンバーが思い出したように名乗ると、ハンナと呼ばれていた妹が瞳を燦々と輝かせてアンバーの目の前に駆け寄ってきた。
アンバーがそんなハンナの頭をそっと撫でてやると、ハンナはきゃっきゃと嬉しそうな声を出してアンバーの腰に抱き着いてきたのだった。
「ちょっと、ハンナ! ごめんさい。迷惑させてしまって」
「いいや、大丈夫じゃ。気にすることはない」
慌ててハンナを引き離そうとする姉にアンバーが笑いかけると、姉は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「わたし、ハーティて、いう。妹はハンナ。ジャッキーの家、くらしてる」
「アィーッ!」
「ほほう、そうか。主らも人間と一緒に暮らしておるのか。わしと同じじゃな」
改めて名乗った姉のハーティは、歳の割に非常に礼儀正しい印象だ。
妹のハンナはまだ幼いからだろうか、落ち着きのある姉よりも活発で元気がいい。
そしてそんな姉妹の間では、言語の習熟度が決定的に異なっていた。
姉のハーティは片言ではあるものの、会話ができるくらいには言語を解しているようだ。
それに対して妹のハンナは、まったくと言っていいほど言葉を話せていなかった。
「まあ、こんな寒い中で立ち話もあれだし、とりあえず上がりな。茶くらい出したげるよ」
そう言って家の中へ戻っていくジャッキーに続いて、アーロンが「んじゃ、遠慮なく」と上がり込んでいった。
アンバーがさらに続いて上がると、彼女にしがみついているハンナも必然的に屋内へ入り、それにハーティが続く。
そんな無邪気で微笑ましい光景を眺めながら、ジェードが一番最後に歩き出す。
種族の垣根を越え、家族として共に暮らしている彼女らの仲睦まじい様子は、人間であっても尾人であっても関係なく、どこか胸が温まるような気がした。
*****
居間のテーブルについたジェードとアーロンは、ジャッキーが出した紅茶を嗜んでいた。
その紅茶は苦みが非常に強く、ジェードにはあまり馴染みのない味だった。
しかし身体を温める効果は抜群だったようで、外を歩いて冷え切っていた手足にみるみる血が巡り、体温が上がっていくのがわかる。
お世辞にも美味であるとは言えなかったが、この季節ならば大変ありがたいことには違いない。
アンバーはテーブルから少し離れたソファに腰掛けていて、隣に座っているハンナと無邪気にじゃれあっている。
妹が粗相をしないだろうかと気が気でない様子のハーティは、耳や尻尾をピンと立ててあわあわとしているが、それはそれで見ていて微笑ましい光景だ。
「本当にこの街では、尾人も人間と変わらない生活ができるんだね。こうして人間と一緒に一つ屋根の下で暮らしているなんて、外の街じゃ考えられないよ」
まるで妖狐の三姉妹の長女になったようなアンバーを眺めながら、ジェードがふと呟く。
その隣で紅茶をすすったアーロンは、ジェードの方を見ながらふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「だろお? 外の街の人間に迫害を受けてきた尾人でも、この街でなら健やかに暮らしていける。それが他の街にはない、アルスアルテだけの誇りなんだ」
「迫害……。じゃあやっぱりこの街にやってくる尾人たちは、人間がいる外の街から逃げてくるのかい?」
「全員がそうってわけじゃねえさあ。逃げてくるヤツもいりゃあ、迷い込んでくるヤツもいる。だが、どっちかってえと多いのはやっぱ前者かもなあ。そういうヤツらの最後の拠り所なのさ、この街は」
アーロンが何気なく口にした、"最後の"という言葉が妙に胸に刺さる。
アルスアルテ以外の街では、尾人たちは人間に受け入れてはもらえない。この小さな街の中でしか人間らしい暮らしができない彼らは、本当にそれで満足しているのだろうか。
それとも、ずっと憧れるだけで手に入らなかった人間らしい生き方が許されるのなら、このような小さな街の中だけでも十分だと思っているのだろうか。
願わくば、アルスアルテ以外の街でも尾人と人間が肩を並べて歩くことができるようになればと思ってしまうのは、ジェードの我が儘なのだろうか。
考えても答えの出ない問答にぼんやりと沈み込むジェードは、アーロンの話を前向きに飲み込むことが、どうしてもできないような気がした。
「人間に成りすまして人間の街で暮らす尾人ってのは、決して多くはねえがそこそこいるらしいんだ。そういうヤツらは言葉も話せるし社会性もあるから、街を追い出されてアルスアルテに流れ着いてきても、住居と職さえ提供してやれば上手いことやっていける。だがもともと野生だったヤツや、ガキなんかになってくると話が別だ。そういうヤツらは独り立ちできるようになるまで、俺が酒場でまとめて面倒をみてるってわけさあ」
「うちのハーティとハンナは、あたしが養子として引き取ったっていう、ちょっと特殊な例なんだけどね」
「へえ……」
尾人が人間に紛れているなど、アンバー以外の例はないと思っていた。
それがピレーマでヨハンと出会って覆されたと思えば、こういった例は度々見られることらしいと聞いてさらに驚きを隠せない。
アンバーやヨハンのように、人間の独特の価値観や感性に興味を抱いて近づこうとする尾人は少なからず存在しているのだ。
もしかするとジェードが気づいていないだけで、あちこちの街に尾人はひっそりと暮らしているのかもしれない。
そのような想像を始めると、尾人がこれほどまでに人間から疎まれなければならない理由が、ジェードにはますます納得できなくなっていった。
「さてと、そんじゃ街の案内を再開すっかあ。馳走になったな」
「お粗末様。あたしもいいもん見せてもらったし満足だよ」
席を立つアーロンに対し、ジャッキーは未だ楽しげにじゃれあっているアンバーたちにうっとり微笑みながら答えた。
血の繋がりがないとはいえ、ジャッキーにとってハーティとハンナは娘同然。姉妹の笑う姿をこうして見られることは、ジャッキーにとって非常に喜ばしいことなのだろう。
「そうら、行くぞお二人さん。特に絵描きにとっちゃあ面白え物をたくさん見せてやっからよう」
「それは楽しみだなあ! ほら、早く行くよアン?」
アーロンに続いて歩き出したジェードは、アンバーがついてこないことに気づいて振り返った。
するとジェードの視線の先では、アンバーの腰に抱き着いて離れようとしないハンナをハーティが必死に説得しようとしていたのだった。
「ハンナ、だめよ。アンバー、迷惑させるよ」
「ヤーッ! ィーヤッ!」
「あはは、どうしたものかのう……」
すっかり懐かれてしまったアンバーも、頬を掻いてやや困惑していた。
しかし、ハーティやアンバーが説得しようとすればするほどハンナは駄々をこね、最終的には泣き出しそうになってしまうものだから本当に困ってしまった。これにはさすがのジャッキーやアーロンも苦笑いだ。
「よし、ではこうしよう。主様はアーロンに、わしはこの姉妹に街の案内を頼むことにする。少しの間別行動になるが、これならハンナも納得じゃろう?」
「そうかもしれないけど、君はいいのかい、アン?」
甘えん坊のアンバーは、普段からジェードとの別行動を嫌がる節がある。
彼女の方からそのような提案をしてくることが意外で、思わず聞き返してしまったジェードだったが、アンバーは満更でもなさそうに笑って彼に頷いてみせた。
「主様は絵描きとして、この街の芸術を存分に堪能してくるとよい。それにせっかく同族に会えたのじゃ。わしもまだまだこの二人と話したいことが山ほどあるからのう」
「そうかい。君がそう言うなら……」
なんだかこの瞬間のアンバーは、いつもよりずっと大人びて見えた。
同じ妖狐であるハーティとハンナに出会って、妹ができたような気分にでもなったのだろうか。
なんにせよ、アンバーが姉妹と共に行きたいと言うのならそれを止めるような野暮はするべきではない。
ここは彼女の提案をのみ、しばしの別行動をとるのが適当だろう。
こうしてジェードとアーロンは、ジャッキーの家の前で三人の妖狐と別れた。
アーロンの案内で再び歩き出したジェードだったが、にやにやと笑うアーロンから「別行動が寂しいのは嬢ちゃんより兄ちゃんの方みたいだな」なんてからかわれてしまったのは、少しばかり不本意だった。




