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翡翠と琥珀  作者: ヤマキ ヒサト
プラム編
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過去編 ある絵描きの生い立ち

 今回は幕間となります。


 短編では省略したジェードの過去にまつわるお話です。

 国中から多くの商人たちが集まる商いの街──それが僕の故郷であるプラムの街だ。


 貧富の差の激しいこの街の中では、僕の産まれた家は貧しい方の部類である。

 街の隅の小さな家で小料理屋を営む夫婦の間の長男として僕は産まれた。

 知名度も低く規模も小さいこの店は、ほぼ常連客からの収入だけでなんとか首を繋いでいるような状態だった。

 しかしそれほどの経営難でも、跡取りとなる男子が産まれたことを両親は非常に喜んだのだという。


 そんな両親であったから、当然僕は幼い頃から料理を仕込まれて育ってきた。

 一つ下に弟も産まれていたが、この店は代々長男が継いできたのだと言って、父は僕にばかり料理を教えるようになっていった。


 僕が人と変わっているのかもしれないと自覚し始めたのは11歳──ちょうど思春期に入るかどうかという頃だった。

 同世代の子たちが少しずつ異性を意識し始める中、僕の関心は専ら美しい光景を眺めることや、本を読んで様々な知識を集めることにあった。

 異性や恋愛といったものに興味がないわけではなかったのだが、元々内気な性格であったこととその趣味嗜好から、対人関係ではいつも後手にまわってしまっていた。


 そしてこの頃から、僕は心を動かされるようなものを見たり感じたりすると、それを形に残しておきたいと思うようになった。

 思えばそれが絵描きを目指すきっかけだったのかもしれないと今では思う。


 初めて絵を描いたのは12歳のとき。

 家で使っている皿が塔のように積み重なっている光景がなんとなく綺麗だと思えて、気がついたらそれを描き起こしていた。

 決して上手いとは言えない出来だったはずなのだが、描き上げたあとの満足感は父に教わりながら料理を作り上げたときとは比べ物にならなかった。


 それから僕は一日一枚、必ず何らかの絵を描くことが習慣になった。

 父に料理を教わりながら、その合間を縫って自分の感じたものを絵として表現し続けた。


 そんな日々が続き、僕はいつの間にか17歳になっていた。

 この頃から僕は小さな店を継いで生涯を終えるより、旅をしながらいろんな光景を絵として表現したいと思うようになっていった。


 その夢に先駆けて、僕は街の大通りで絵を売り始めることにした。

 貧しい店の稼ぎの足しになればと思ったが、僕の夢を聞いて店を継ぐ意志がないことを知った父とはかなり揉めた。

 しかし父の反対を押し切って売り始めた風景画は思いの(ほか)評判がよく、安価ではあるが買っていく者もしばしば見られた。


 20歳になったら家を出よう。

 各地を旅しながらいろんな光景を(えが)いていこう。


 その夢に向けて順調な滑り出しを決めたと思っていた僕に転機が訪れたのは次の年──僕が18歳のときだった。



 *****



「あれー、父さん狩りに出るの? 別に食材減ってないのに」


 間の抜けた弟の声の先には、猟銃を背負う父の姿があった。


「それがな、商会の命令で北の森の妖狐を退治する作戦に参加することになっちまったんだ。まったく、俺は狩人じゃなくて料理人だってのに……」


「でもさ、父さんは料理人だけど食材調達で猪とか鹿とか捕まえるの上手じゃん?」


「今から行くのは食材調達じゃない。物の怪とはいえ森の生き物を殺しに行くんだ。正直断れるんなら断りたいよ」


「食材調達だって生き物を殺さないといけないんだし、きっと大して変わんないよ」


「全然違うぞ、クリス。……はぁ、ありがたくいただくためじゃなくて、単純に殺すために殺すのは気が引けるんだがな……」


 僕は画材の準備をしながら、父と弟の会話を黙して聞いていた。

 些細なことに心が揺れる僕とは対象的に、弟はどこか無感情というか、冷めた性格をしていた。

 そんな弟に愚痴を零す父を尻目に、僕は黙って戸を開けて街へと繰り出した。



 *****



「なあお前さん、オレの絵を描いちゃくれねぇか?」


 今朝の父と弟の会話などすっかり忘れ、この日もいつものように絵を売っていた。

 今話しているのは客としてやってきた若い男だ。

 恋人らしき女性を連れているこの男は、僕の絵を見るなり自分の絵を描いて欲しいと言い出した。


 しかし僕はこの依頼に困惑した。

 今までは既に描き上がった風景画を売ることが多かったからだ。

 誰かに頼まれて人の絵を描いたことなど一度もなかった。


 しかし僕は──


「……うん、わかった。やったことはないけど、頑張ってみるよ」


 その依頼を引き受けることにした。

 描き上げさえすればその絵はほぼ確実に買ってもらえるのだから、僕からすれば挑んでみる価値は十分にあった。


 ところが結果はそう上手くいかなかった。


「こんなものだろう、どうかな?」


 僕は絵を描き上げると、それを依頼主の男に渡した。

 すると男の表情がみるみる曇っていき、男はやがて顔を真っ赤にして僕に怒鳴りつけ始めた。


「テメェ、どういうつもりだこの絵は! まるでオレが女垂らしみたいじゃねぇかよ!」


「違うよ、そんなつもりで描いたわけじゃ……!」


 男は僕の顔の前に絵を突きつけてきた。


 程よく鍛えられた筋肉質な身体と自信に溢れた振る舞い。

 僕とは対象的なそんな姿を見て、きっと彼は女性に人気があるのだろうなと思った僕は、二人の女性に挟まれて楽しそうに歩く構図で彼の絵を描いたのだった。

 しかし彼はそれが気に入らなかったようでひどく怒らせてしまった。


「ふざけんな! 恋人の前でこんな絵描かれて気分がいいわけねぇだろ!」


 男は絵をビリビリに破り捨て、恋人の女性を連れてその場を去っていった。

 ここまで自分の絵を悪く言われたのが初めてだった僕は、大通りの隅で一人落胆せざるを得なかった。


 それから数日後のことだった。

 絵を見に来た二人組の女性客の相手をしていると、僕は先日絵に描いた男が大通りを歩いているのを目撃した。

 男は僕と目が合うと、大きく舌打ちをしてそのまま歩き去っていった。

 やはりまだ怒っているのかと僕がため息をつくと、女性客が何やら小声で話し始めた。


「あ、今のデイビッドでしょ? あの噂は本当なのかしら」


「一人で歩いてるってことは本当なんじゃない? あの人が女の子連れて歩かないなんて珍しいもの」


「噂って一体何のことだい?」


 ひそひそと話す女性客に僕が説明を求めると、二人はあっさりと教えてくれた。


「絵描きさんは知らない? あの男、若い()を何人も(たぶら)かしてる女好きのクズなのよ」


「なんでも六人の女と同時に付き合ってたみたいでね。一昨日くらいにそれに気づかれて一斉に振られたんだそうよ」


 本当に女癖が悪かったのか。

 全然知らなかった。


 しかしこれで男が絵を見て怒ったことにも納得した。

 きっと僕に女癖の悪さを見抜かれたのだと勘違いして焦ったのだろう。


 あの絵が出来上がったのは本当にたまたまだったのに、お互い運が悪かったんだな。


 このときはそう考えていて大して気にも止めなかった。

 しかし似たような出来事は一度や二度ではなかった。



 *****



「貴方、なかなかいい絵を描くじゃありませんの。ぜひ(わたくし)のこの晴れやかな姿を絵にしてくれませんこと?」


「僕なんかの絵でよければ、ぜひ」


 それからひと月ほど経ったある日、今度はとある女性客から自分の絵を描いてくれないかと頼まれた。

 男を怒らせてしまったことが脳裏をよぎったが、そう何度も起こることではないだろうと依頼を引き受けることにした。


 今度の依頼主は派手なドレスを着飾った婦人だった。

 化粧が厚く、装飾品をいたるところに身につけていたため相当な金持ちなのだろうと想像できた。

 しかし裕福そうな印象とは裏腹に身体はとても痩せていて、足に合っていないハイヒールのせいでしばしばよろめいていた。


 なんだか無理をして着飾っているように見えるな。

 もっと庶民的で楽な格好をしても十分似合いそうなのに。


 そのような印象を受けた僕が描き上げた絵の中の婦人は、質素で庶民的な衣服に身を包んでいた。

 しかしそれを手渡すと、婦人は僕に大声で苦情をつけ始めた。


「なんですのこれは! どうして(わたくし)がこんな貧乏くさい服を着ているんですの!?」


「ええと、そのほうが似合いそうだと思ったから……だけど」


「お黙りなさいな! 似合うはずがないでしょう、馬鹿にしないで頂戴! あなたのような貧しい絵描きとは住んでいる世界が違いましてよ!」


 渡された絵を乱暴に突き返し、その婦人も僕の前から去っていったのだった。


 それから数日後──第三子を身籠っていた母の代わりに、僕と弟が店の手伝いをしていた時のことだ。

 大雨の中を走って店にやってきた一人の女性客がいた。


 見かけない顔だったため常連客ではないだろうと父は言っていたが、僕だけは彼女の顔に見覚えがあった。


 その女性は先日僕が絵を描いた婦人だった。

 しかしその装いはあの時とはまったく違っていた。

 ほつれて穴だらけの古着を着た彼女は化粧もしておらず、髪の毛も荒れ放題だった。


 何やら慌てた様子の婦人に父が事情を聞くと、借金取りに追われているのだと彼女は言った。

 そして従業員としていくらでも働くからここで匿ってくれないかと父に何度も頭を下げていた。


 お人好しなところがある父は受け入れようとしていたが、婦人は僕が店にいることに気づくと態度を一変させた。


「ここ、あなたの店だったの!? あなたがいる場所なんて御免よ! 別のところに頼みに行きます!」


 捨て台詞を残して婦人はそのまま出て行ってしまった。

 結局他の場所では匿ってもらえず、彼女は夜逃げして街を出たようだとあとから聞いた。


 どうやらあの婦人は周囲に見栄を張ろうとするあまり、多額の借金をして高級な衣服を買い集めていたようだった。

 そして先日の男と同じように、僕にそれを見抜かれたのだと勘違いしたのだろう。


 そしてそれからというもの、このような不運は連続して僕の身に降り掛かってきた。

 客から絵を描いて欲しいと頼まれては怒らせ、頼まれては悲しませ、僕の悪評は瞬く間に街中に広まっていった。


 僕自身は相手を見て素直に感じたことや閃いたことを絵として表現したに過ぎない。

 しかし胸の内を見透かされたと勘違いした客からは罵声を浴び、絵を汚され、石を投げつけられた。

 稀に絵を気に入って買っていく者もいたが、酷評を受けた絵の数が多すぎるあまり赤字もいいところだった。


 いつしか不気味な絵描きとしての看板を背負わされた僕は、街の人々から通りすがりに石を投げつけられるだけの存在になっていた。

 しかし不思議なことに、このような状況になっても僕の心には怒りも憎しみも湧いてはこなかった。


 きっと悪いのは僕なんだ。

 無意識とはいえ人を不快にする絵ばかり描くんだから当然だよ。


 そう考えることで現状を無理矢理納得することにした。

 元々内気だった性格に拍車がかかったようにも思えたが、どうせ誰にも相手にされないためそんなことは最早どうでもよかった。


 しかしそれでも僕は毎日大通りで絵を描き続けた。

 自分の抱いた夢──旅をしながら様々な景色を(えが)きたいという夢だけは簡単に捨てることはできなかった。


 何度石を投げつけられても懲りずに絵を描いている僕の姿を馬鹿らしく思ったのか、いつの間にか嫌がらせもなくなっていた。

 街の人々との唯一の関わりとなっていた嫌がらせすらなくなり、僕は街の大通りの隅で完全に孤立した存在に成り果ててしまった。


 20歳になったら旅に出ると決めていたのに、この現状が僕の自信を奪っていった。


 他の街なら僕のことを知っている人はいない。

 旅に出れば、この街にいるよりも僕の絵は高く評価されるに違いない。


 そのはずであるのに、もし外でも同じだったらと思うと踏ん切りがつかなかった。


 完全に客がつかなくなったのは僕が19歳のとき。

 次の年には20歳を迎えたが結局旅に出る決心はできず、そのままさらに二年の月日が経ってしまった。


 そんなある日、三年ぶりに僕の前で立ち止まった人がいた。

 それは金色をほんの少し溶かし込んだような橙色の髪をなびかせる少女。


 彼女との出会いがのちに自分の運命を大きく変えていくことなど、このときの僕は欠片ほども想像してはいなかった。

 読んでいただきありがとうございました!


 次回はまた本編に戻ります。

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