ただいま
調査隊が街に戻ってから三日後の昼過ぎ。
小さな噴火を繰り返していた山も少しばかり落ち着き、街では遭難したジェードとエヴァを救助しようと捜索隊が編成されていた。
源泉調査に出た調査隊の中から、動けないほどの大怪我をした者を除いた少人数。
さらに言えば、動ける者も皆身体のあちこちに包帯を巻いていて実に痛々しい姿となってしまっている。
これだけの悪条件で再び山を登るのは一見無謀そうにも思えるが、彼らも黙って待っているのが限界だったこともあって、今回の作戦に打って出たのだった。
怪我人を集めたとある宿。
その建物の前で、捜索隊の男たちは出発前の士気を高めている。
アンバーも捜索隊と共に山へと赴きたかったのだが、彼女は街の女性たちと共に宿での怪我人の世話を任されていたのだった。
もう三日も帰らないジェードとエヴァを思うと、締め付けられるように感じる胸からため息が込み上げてくる。
震える手を握り合わせていると、目の奥から涙が滲んでくるように感じられる。
「主様……エヴァ……」
昨日までと変わらず、やはり返事は聞こえてこない。
どうか無事であって欲しい、戻ったらまた三人で食事を囲みたいと、アンバーはそんな小さな望みにすがることしかできなかった。
すると、宿の外の男たちが妙にざわつき始めたのをアンバーの耳が捉えた。
窓辺の椅子に腰かけていたアンバーが、その声につられるように俯いていた顔をあげると――
――ガタンッ!
彼女は窓の外の光景に目を疑い、反射的に立ち上がった。
腰かけていた椅子が派手に転がったが、そんな音などは彼女の耳には届かない。
思考もろくに働かず、外の状況を把握することよりも先に、アンバーは無心で部屋を飛び出していった。
その理由など一つしかありはしない――彼女の目に映ったのが、金髪の女を肩で支えて歩いてくる、青黒い髪の青年の姿だったからだ。
「エヴァ!! 兄ちゃんも!!」
「無事だったかお前ら!」
「ちょうど今、探しに行こうとしてたとこだったんだ」
次々に駆け寄ってくる街の男たちに支えられながら、ジェードとエヴァはよろよろと街の空地へと入ってきた。
二人は崩れた洞窟を掘って今朝ようやく脱出し、半日かけてバーデンの街まで自力で下山してきたのだ。
しかし二人とも遭難の影響で疲弊しており、こうして歩いていることすら奇跡と言える状態だった。
「エヴァは脚が折れているから……慎重に運んであげてくれるかい……」
「ああ、わかった。あとは任せてくれ」
一人の男にエヴァの身を預けると、限界を超えていたジェードの脚は急に力が抜け、地面に膝をついてしまった。
こんな状態でどうして立てていたのか、さらに言えばどうしてエヴァを支えて歩けていたのか、自分でもまったく不思議なものだ。
「兄ちゃんも手当てが必要だろ。早くこっちに」
「そうだね、頼めるかい――いや、少し待って」
自分を立ち上がらせようと支えてくれている男の手を解き、ジェードは再びよろよろと歩き出した。
彼の視線の先には一軒の宿の出入口。
そこには琥珀色の髪を揺らしながら全力でこちらへ駆けてくる一人の少女がいた。
随分遠く小さく見えるその姿に、彼はどれほど焦がれてきただろうか。
まだ遠い、まだ届かない――今すぐこの瞬間にでも彼女を腕の中に感じたいと、それだけを思って歩き続ける時間がまた随分と長く感じる。
こちらへ駆けてくる彼女もまた同じことを考えているのがここからでもわかる。
早く、早く、早く……!
互いの姿に憑りつかれたように、ただ真っ直ぐに距離を縮めていく二人。
やっとの思いで伸ばした腕が届くところまで近づくと、倒れ込むように身体を傾けた青年に少女が飛びつくような形で、二人はようやくその身を重ねたのだった。
「……遅すぎじゃ、主様……!」
「ごめん……ただいま……!」
もっと、もっと、もっと彼女を近くに感じたくて、さらに力を込めてアンバーを抱き寄せるジェード。
アンバーもまた、その細腕には似つかわしくないほどのありったけの力で抱き締め返してきて、全身の火傷が酷く痛む。
それでもやめられない。やめたくない。
この細い肩を、しなやかな髪を、愛おしい体温を、浴びせられるような愛情を――これらを腕の中に感じることを、ジェードがどれだけ待ちわびたことか。
このまま火傷の痛みで失神しようとも、彼には腕の力を緩めることなど到底できるはずもなかったのだった。
地面にうっすらと灰が積もった街の空き地に、アンバーのすすり泣く声が微かに響く。
二人の再会を前に、ジェードを冷やかそうとする者はもう一人もいなかったのだった。
「おーい、みんな!!」
二人の再会が一段落すると、誰かがこちらに呼びかけてくる声が聞こえた。
視線を向けると、そこには街の中を突っ切って向かってくる十数人の男女の姿が見えた。
「アンタら、どーしてここに?」
「どうしてって、大きな噴火が見えたからに決まってるだろう?」
「一度は逃げてしまったけど、やっぱり私たちもこの街の誇りを守りたいもの!」
「経営者らだけに任せて悪かった……! この街の文化を救うために、俺たちにも戦わせてくれよ!」
突然現れた人々は、驚いた様子のエヴァの言葉に次々に答えていく。
どうやら彼らは、この街の温泉宿の従業員たちのようだった。
バーデンから避難していた彼らが、先日の噴火を見て思わず戻ってきたのだ。
彼らの"夢"もきっとエヴァと同じだ。
この街の誇りを守ろうとする彼らは、皆"自分たちの夢"を叶えるために再びこうして集まった。
エヴァはよい仲間に恵まれたものだと、彼女たちを見てジェードも胸が温まるようだった。
「しかし、あれだな。死ぬ思いまでして山を登ったってのに、湯が枯れた原因を見つけるどころか源泉にも辿り着けねーなんて……」
駆けつけてきた仲間に支えられて立つエヴァが小言を漏らした。
悲観的になるのも無理はない。
調査隊の全員が無事に生還することができたのはよかったものの、結局のところ湯が枯れた原因を突き止めるという当初の目的は何も達成されていないのだ。
「ったく、骨折り損とはまさにこのこと――」
「――あー、そのことなんだがな」
不意に、捜索隊の男がエヴァの言葉を遮った。
せっかく巧いことを言おうとしていたのにと言わんばかりの表情を浮かべるエヴァを他所に、捜索隊の男たちがざわつき始める。
「そうじゃ、忘れておった。主様もエヴァも、今すぐ風呂場に来てくれぬか? 大変なことになっておるのじゃ!」
何やらアンバーまで落ち着かない様子だった。
一体何が起きているのだろうかと、ジェードとエヴァはふらつく身体を支えられながら、負傷者が集められた宿へと向かった。
*****
「おいおい、何がどーなってんだ、こりゃあ?」
「さあ、わしにはさっぱりわからぬのじゃが……」
肩を支えられたままのエヴァが驚嘆の声を上げる。
ジェードも目の前の光景に言葉を失っている。
そこには視界を覆いつくさんとする大量の湯気、そして湯船から溢れ出て床一面を浸したバーデンの湯が広がっていた。
「この街の湯は、枯れたわけじゃなかったってこと……?」
「まあ、枯れてねーんなら普通に嬉しーんだがよ。なんで急に?」
もわっとした熱が湿気と共に押し寄せてきて、鼻先に水滴がついたのがわかる。
少しばかり鼻を突く微かな硫黄の臭いにくしゃみが出そうになる。
予想外だにしなかったこの事態に、ジェードとエヴァはただ立ち尽くして困惑することしかできないのだった。
「多分なんだがよ、噴火した山のあたりで地殻変動でも起きてたんじゃねえかと思うんだ。そのせいで塞がってた湯脈が、二日前の朝にまた大きな噴火が起きたおかげで開いたってことなのかもな。今はどこの宿の湯も元通りになってるらしいぞ」
エヴァを支えている男が推論を述べる。
確かにそう考えればすべて辻褄が合うため、その推論はおそらく間違っていないのだろうが――
「つまり、アタシらが山に登ったこととは関係なく、勝手に噴火して勝手に元に戻ったってことか……?」
「そんな……本当に無駄骨だったなんて……」
喜ばしいことであるのは間違いないのだが、この事実にこそジェードは崩れ落ちそうになった。
ただでさえ苦手な山登りで噴火に巻き込まれ、一命は取り留めたもののそのすべては湯を取り戻すために何の役にも立っていなかったのだから。
「…………まあ、ホントに全部が無駄だったとは思ってねーけどな……」
「ん? 何か言ったかい、エヴァ?」
「――ッ!! なっ、なんにも言ってねーよ、こっち見んな!!」
「えええ、急に酷いな!?」
小さく呟かれたその言葉は、誰の耳にもしっかりと届いてはいなかった。
しかしエヴァはその思いを胸に仕舞い込む。
きっとそのほうがいい。
今更彼に伝えたところで照れ臭いだけなのだから。
「そんなことよりアタシの宿に戻るぞ、ジェード。アンタは命の恩人だからな。その礼としちゃ割に合わねーだろうが、復活したての一番風呂を貸し切りにしてやるよ!」
「本当かい! それは嬉しいなあ。さっきからもうくたくただし、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「決まりじゃな。では行くぞ!」
疲弊しているからでもあるが、土やら灰やらで汚れた身体を早いところ洗い流したい。
よろめく身体をアンバーに支えられながら、ジェードはエヴァの宿へとよろめく足を進めていった。
次回、第三章最終話
長いお話になってしまったので、前後編にわけて同時投稿したいと思います
ぜひお楽しみに!




