暗雲低迷
いつの間にか焚き火も燃え尽きて、白く細い煙が涼しい風にふらふらと揺れている。
洞窟の外から差し込んでくる朝日はぼんやりと薄い。
おそらく夜中もずっと噴煙が上っていたせいで、山の周囲にうっすらと灰が舞っているのだろう。
足元や周囲の森林がしっかりと見えるほど明るくなったことを確かめたジェードは、洞窟の奥に座り込んだエヴァの元へ足を向けた。
「下りるなら今だよ。行こう、エヴァ」
しかしエヴァは俯いて座ったまま顔を上げない。
彼女は洞窟の奥のほうへと視線を移してしまい、立ち上がる気配をまったく見せようとはしなかった。
「……昨日も言ったろ。アタシを置いて先に下りてくれ、ジェード」
「昨日も言ったよ。それはできないって」
「……軟弱なアンタが怪我人連れて下りられるほど、この山は甘くねーんだ。昨日思い知ったはずだろ?」
「そうだとしても僕は、君を助けることを諦めない頑固者だよ。昨日思い知ったはずだろう?」
エヴァが何と言おうと、ジェードはオウム返しのように同じ言葉を紡いでみせた。
そこまでして彼が身を引こうとしないのは、どうしても譲れない理由があるからだった。
「綺麗事を言っているつもりは更々ない。僕は本心から君を助けたいと思っているんだ。だって、君が夢を追う情熱は――」
「――頼むから、言う通りにしてくれよ……」
ジェードの言葉を遮るように、エヴァは弱々しい呟きを重ねてきた。
これほどまでにしおれた様子のエヴァを見るのは初めてで、ジェードも思わず動揺し言葉を失ってしまっていた。
「エヴァ、どうしたっていうんだい……? 君らしくもない――」
エヴァを励ましたかったのか、ジェードが手を差し伸べようとしたとき、大きな揺れと共に轟音が洞窟内に反響した。
「うわ……ッ! また……!」
足元がぐらぐらと震え、洞窟の壁からは砂埃が落ちてくる。
夜中のものとは比べ物にならない大きな噴火が起きたことはすぐにわかった。
早くここを出て山を下りよう、とジェードが言いかけたそのとき、洞窟のすぐ外からゴウッと大きな音が聞こえた。
そしてガラガラと何かが崩れ落ちるような音と共に、ジェードとエヴァの視界は一瞬で闇に覆われてしまった。
何が起きたかは容易に予想がつく。
噴火の衝撃で山肌が崩れ、二人のいる洞窟を塞いでしまったのだ。
「ほっ、ほら見ろ……アンタがもたもたしてるから……ッ!!」
「そんな、嘘だろう……?」
慌てて洞窟の入口"だった"場所へと駆け出すジェード。
舞い上がった砂埃に思わず咳き込んでしまう。
暗くてよく見えないが、手で触れた感覚では大きな岩や瓦礫が大量に積みあがっているように感じられた。
なんとか退かそうと試みるが、小さな石ならともかく重い瓦礫は非力なジェードが素手で動かせるとも思えなかった。
*****
火山のふもと――バーデンの街。
明け方に大きめの噴火が起きたが、やはりこの街にほとんど影響はなさそうだった。
夜通しかかった負傷者の手当ても一段落し、街には静寂が戻っている。
負傷者が集められた宿で手伝いを頼まれたアンバーだったが、森育ちの彼女は人間流の適切な手当ての仕方などほとんど知らない。
結局のところアンバーは、指示されるままに包帯やら消毒薬やらを運んでまわるくらいしか役回りがなかったのだった。
「……主様……エヴァ……」
宿の窓から山を眺め、聞こえるはずのない返事を待つ。
戻ってきた調査隊の人数を数えたところ、遭難したのはジェードとエヴァだけだとアンバーは聞かされていた。
握り合わせた両手が震えているのがわかる。
二人にもしものことがあったらと、考えたくもない想像が頭を過ぎる。
何度頭を振って掻き消そうとしても、ふとした瞬間にすぐに湧いて戻ってくるそんな不安に、アンバーは精神的にすっかり参ってしまいそうだった。
「……おぅい、すまねえ……」
「ふぇええっ!? なっ、なんじゃ……?」
考え込んでいる最中にベッドから不意に呼びかけられ、全身の毛が逆立ったアンバー。
危うく耳や尻尾が飛び出るかと思ったが、そこはなんとか堪えることができた。
「悪いんだが、水をくれねえか……喉が乾いちまって」
「水……水じゃな。すぐ持ってくるから待っておってくれ……!」
全身に火傷を負い、包帯でぐるぐる巻きの男が小さな声をあげる。
アンバーはその声を聞き届け、水を汲みに一旦部屋を出て厨房へ向かった。
「確か厨房に、井戸から汲んだ水の桶が…………む?」
ぶつぶつと呟いて冷静を保とうとしながら歩く。
ところが厨房へ向かう途中、ある扉の向こう側から感じた違和感にアンバーは立ち止まった。
その向こうは確か、この宿の浴室だったはずだ。
アンバーは恐る恐る扉を押すと、ゆっくりと中を覗き込んでみた――
「そんな、嘘じゃろう……?」
早急に誰かに知らせなければならない事態だと判断したアンバーは、ひとまずこの宿にいる者を呼ぼうと廊下を駆け出したのだった。
*****
カチン、カチン、カチン――
甲高い金属音が暗闇の中に響く。
その音は狭い空間の中で反響し、何度も鼓膜を突いて頭痛を残していくように感じられた。
そういえば前にもこんなことがあったな、なんて故郷での出来事を思い出す。
あのときはアンバーの住んでいた森を守ろうとして、狐憑き呼ばわりされた挙句倉庫に押し込まれてしまったんだっけ。
誰かを助けようと必死になると、どういうわけか狭い場所に閉じ込められてしまうのは何かの呪いなのだろうか。
一人胸の内でそんな冗談を呟きながら、ジェードは洞窟を塞ぐ瓦礫をナイフで掘り起こそうと試みていた。
「ったく、耳障りだな……」
不満を垂れる声に視線を向けると、徐々に暗闇に慣れてきた目には不貞腐れた様子のエヴァの姿が映る。
折れた左脚を伸ばし、壁にもたれて座る姿勢は、洞窟に来た時からまったく動いていないように思えた。
「そんなことしても無駄に決まってんだろ。アタシらはここで生き埋めになったまま死ぬんだよ。いい加減覚悟決めろっての、男らしくねえ」
「できることを全部やってもいないのにかい? そうやって泣きべそかいてさっさと諦めるのが男らしさなら、僕は男じゃなくていいよ」
「泣きべそなんかかいてねーよ!!」
「いいや、かいてるね!!」
閉じ込められてからどのくらい経ったのかはわからないが、ジェードの感覚では丸一日くらいはこうして掘り続けているように思えた。
その間一度も口を開かなかったエヴァがようやく何か言ったと思えばこれである。
睨み合いの末、エヴァはまたそっぽを向いて黙り込んでしまった。
再びジェードは瓦礫に向き直り、岩と岩の隙間にナイフを突き立てる。
ところがそれから数回突いたところで鈍い金属音が響いたかと思うと、彼のナイフはぽっきりと折れて地面にその刃を転がした。
「だから無駄だって言ったろ。ホントに見てて腹が立つぞ」
「そんなことないさ。今に僕が穴をあけて、無駄なんかじゃないって証明するから待っててくれよ」
折れたナイフを捨て、素手で瓦礫を退かし始めたジェード。
そんな彼の背中を見てエヴァが大きな舌打ちをしたのが聞こえた。
「ったく、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「洞窟に来てから君はなんだか変だよ。どうしたっていうんだい、そんなに角を立てて」
「あ? 口が悪りーのは元からだ。アンタも知ってんだろーが」
「違う、そういうことを言ってるんじゃないよ」
ジェードは瓦礫を掘るのをやめ、エヴァの元へと歩み寄った。
エヴァはというとずっと洞窟の奥に目を向けたままジェードの方を見ようともしない。
「今の君はなんだか、無理矢理苛ついて自分の本心を誤魔化そうとしているっていうか……。何かを有耶無耶にしようとして、ただとげとげした言葉を吐き散らしているだけなように見えるんだけど」
「んだそりゃ、意味がわかんねーぞ」
「うーん……僕もなんだかうまく言えないんだけどね」
ついにジェードがエヴァの隣までやってくると、彼女はようやく彼の顔を睨みつけるように見上げてきた。
「君には夢があるんだろう? その夢は、そんなに簡単に諦めてしまっていいものなのかい?」
「いきなり何だよ。アンタに何がわかるってんだ」
「さあね、わからないよ、何も――」
そう言ってエヴァの隣に腰を下ろすジェード。
そんな彼の様子を見たエヴァは再び顔を背けてしまった。
「わからないから話してくれないかな。僕にはそれを聞くことしかできないけれど、それだけでも少しは楽になるかもしれないよ?」
エヴァは何も答えなかった。
ジェードが座る反対側を――洞窟の奥のほうをただ黙ってじっと見つめているだけだった。
一人分くらいの間隔で隣り合う二人の肩。
近すぎず、遠すぎず、そんな距離感に身を置きながら、ジェードはエヴァの言葉を待って何もない空間を見つめ続けた。
わかんねー。
そう言いたいのはアタシの方だっての。
隣に座る青年の考えていることが理解できなくてもどかしい。
いつまでも女々しく無様に足掻き続ける様子が腹立たしい。
自分のことなんて何もわかっていないくせに、心にズケズケと入り込もうとしてくるのが鬱陶しい――
――はずなのに、それらの不快感があることに安堵している自分が、一番わからない。
どうしてアンタは、会ったばかりのアタシなんかのためにそこまで必死になれるんだ。
アンタは動けないアタシの巻き添えで死ぬんだぞ……?
なのにアンタは、自分よりもアタシとアタシの夢のことばかり心配するのはどうしてなんだよ……!
「それは、そうだね……"夢は一人で叶えるものじゃない"から……かな?」
「――――ッ!!??」
不意に隣から聞こえてきた返答に飛び上がりそうになるエヴァ。
その様子にさらに驚いたジェードも、飛び上がりかけて半分腰が持ち上がっていた。
「……もしかして、声に出てたか、今の……?」
「う、うん……割としっかり……」
目を丸くしてエヴァを見るジェード。
そんな彼と目を合わせ続けていると、エヴァは羞恥心でみるみる顔が熱を持っていくのがわかった。
「……死にてー。飢え死になんて待たずにいっそ今すぐ死にてー」
「エヴァ!? ちょっと、早まらないでくれよ……!」
エヴァは抱えた右膝に顔を埋めてあからさまに落ち込み始めた。
彼女の声が少し震えていて泣きそうなのが極まりが悪くて敵わない。
その様子を見たジェードは、自分の軽率な返答を悔やむべきなのかどうか困惑するしかなかったのだった。
後書きも久々な気がします、わさび仙人です
今回のラストでのジェードの言葉
これは第三章のテーマとも言える重要なキーワードです
本章も終盤、ぜひぜひ続きをお楽しみに!




