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翡翠と琥珀  作者: ヤマキ ヒサト
フィスキオ編
23/126

聞きたい言葉

前回の回想も終わり、物語は酒場へと戻ります


前回登場しなかった分、今回は存分にアンバーを愛でながら書きました笑

「──ってなわけで、ビアンカは楽団には入りたくないの一点張りなんだ」


「そうだったのかい……」


 ジェードはいつの間にか膝に手を置いて話に聞き入っていた。

 同情なんてしたらビアンカは嫌がるかもしれないが、やはり彼女の境遇は気の毒に思ってしまう。


 好きなことに本気で打ち込んでも誰の心にも響かない──その辛さはジェードには痛いほどよくわかった。


「せっかくの初舞台だっていうのに、今度の公演で踊ったらもう二度と楽団に引き入れようとするなって言うんだよ、あの子は」


「楽団の踊り子……僕もいい考えだと思うんだけどな──あれっ?」


 ふとジェードがテーブルの上へと手を伸ばすと、掴もうとしていたはずのグラスがなくなっていた。


 さっき一口飲んでここに置いたはずなんだけど……

 まさか足が生えてどこかへ行くなんてことはありえないし。


 しかしいくらテーブルの上を見渡しても、どこにもグラスは見当たらなかった。


「おかしいな。ねえアン、僕のグラスがどこに……行ったか……」


 探し物は思いの外あっさりと見つかった。

 テーブルの上に見当たらないと思ったら、グラスは隣に座るアンバーの両手の中にあった。

 ジェードの胸に嫌な予感が過ぎる。

 恐る恐るグラスを覗き込むと、テーブルの蝋燭の灯りが映えた氷がコトリと音を立てた。


「…………主様(ぬしさま)よ、ひっく、(これ)はあまり美味いとは言えぬ飲み物じゃのう」


「まさかアン……飲んだのかい……?」


 ジェードは頬を赤く染めてしゃっくりをするアンバーに聞くまでもない問いを投げかけた。


 しまった、全然気づかなかった。

 お酒に興味を持っていたアンバーのこの行動は予想できたはずなのに、デニスさんの話を聞くのに夢中になり過ぎた……


「なんだなんだ、お嬢ちゃんは随分弱いみたいだな。たった一杯でふらふらじゃないか、ワハハ!!」


 高笑いするデニスはアンバーに感化されたのか自分のグラスの酒を一気飲みしていた。


「……ねえアン、お酒って二十歳になるまで飲んじゃいけないことになってるんだけど、君って実際いくつなんだい?」


 振り子のように頭を揺らすアンバーにそっと耳打ちするジェード。

 彼の見立てではアンバーは十代後半くらいだと考えている。

 しかし若く見えるだけで、実際は飲酒しても問題ない年齢である可能性がないというわけでもないのだが──


「むー? はて、数えたことなどないからのーう」


 よくよく考えれば妖狐に年齢を数える習慣があるとも思えない。

 ここは年齢不詳であることを逆手に取って有耶無耶にするのがいいだろう。


 まあ、あくまで二十歳まで飲酒厳禁というのは人間の常識であって、妖狐には関係ないのかもしれないし。


「ふふふ、主様の顔が寄ってきたぁー」


「ちょっ、アン、人前だよ! 抱きつこうとしないで……!」


 アンバーは少し面倒臭い酔い方をしているようだ。

 耳打ちするために近づいただけでこの反応。

 きっと今の彼女なら箸が転がっただけでも笑い出すだろう。


「ほほう、随分仲良しじゃないかお前さんら。いやぁー、若いっていいなぁ!」


「デニスさん!? ちょっと、そんなんじゃないから!!」


「恥ずかしがることないだろう。俺たちだって出会ったばかりの頃はそうだった。だろ、アンネ?」


 微笑んだまま頷くアンネを横目に、デニスは惚気話を始めた。

 しかしジェードにそれを聞く余裕はない。

 すっかり酔って様子がおかしくなってしまったアンバーを引き剥がさなければ──


「げっ!?」


 ふとアンバーを見たジェードの目に飛び込んできたのは頭から突き出た二つの感覚器官──産毛に覆われた琥珀色の耳だった。


 まずい、酔ったせいでうまく隠せなくなってるんだ……!


 腰の辺りを見るとまだ尻尾は出てきていない。

 さらに幸いなことにデニスとアンネは出会った頃の昔話に花が咲いていてアンバーの異変には気づいていないようだ。


「ええと、ちょっとアンバーを部屋で寝かせてくるよ! すぐ戻ってくるから待っててくれるかい?」


 ジェードは自分の陰にアンバーを隠すようにしながら慌てて立ち上がった。

 酔っているとはいえデニスたちに妖狐である証拠を見られたらどんな顔をされるかわからない。

 ひとまずはアンバーを部屋で大人しくさせておく他に選択肢はないだろう。


「おう、そうか。たった一杯でできあがっちまったお嬢ちゃんの代わりにジェード、お前さんにはたっぷり付き合ってもらうからな! ワハハ!」


 苦笑いを浮かべながらアンバーを支えて階段を上る。

 なんとかデニスたちには妖狐だと気づかれずに済んだようで胸を撫で下ろすジェードだった。



 *****



「なんじゃあー! なぜわしを置いていこうとするのじゃあー!」


「お願いだから部屋(ここ)にいてくれ、アン。妖狐だって知られるわけにはいかないのはわかってるだろう?」


 無理矢理席から外されたアンバーはご機嫌斜め。

 部屋に到着する頃には耳だけでなく尻尾まで顕になっていた。

 本当に間一髪の逃走劇だ。


「大丈夫じゃ! ちゃんとできる!」


「できてないから言ってるんだよ。戻ったら気が済むまで構ってあげるから、ね?」


 アンバーをベッドに座らせると、同じ目線に屈んだジェードは彼女の両手を握って子供をあやすように宥めた。

 ジェードを困らせるのは気が咎めるのか、アンバーは彼の顔を見ると寂しそうな顔で耳を垂らし、コクリと頷いた。


「ありがとう、アン。酔いが覚めるまでは降りて来ないように頼むよ?」


 そう言い残してアンバーの頭を撫で、ジェードは部屋を後にした。

 苦労をかけられたのは自分のはずなのに、なぜか罪悪感が湧いてくる。

 寂しがりなアンバーのためになるべく早く部屋に戻ってあげようとジェードは心の中で呟き、再び階段を降りた。




「お待たせ、何の話だったかな?」


 酒場に降りたジェードはデニスとアンネに軽く頭を下げて再び席についた。


「おう、戻ったか。じゃあまだまだ若いお前さんのために、駆け出し奏者が美しい笛吹きに一目惚れした昔話でもしてやろう。将来の参考になるかもしれないぞ」


 それが誰の話なのかは聞かなくてもわかる気がした。

 そんな話を恥ずかしげもなく意気揚々と語れるのは大人の余裕なのだろうか。

 自分には到底真似できる芸当ではなさそうだ、とジェードは胸中で苦笑いを浮かべた。



 *****



「──という経緯で、僕とアンバーは故郷のプラムを出て旅を始めたんだ。その直後に出会ったのがデニスさんたちだったってわけさ」


 デニスの惚気話が終わると「お前さんのことも何か話してくれよ」と無茶振りをされ、ジェードは自分の過去について二人に語った。

 アンバーの素性については"絵を気に入ってくれた客"から"旅のお供"へ発展した関係だと適当に誤魔化した。

 本当は妖狐だなんて口が裂けても言えるはずはない。

 あながち間違っているというわけでもないため、あとでアンバーに口裏を合わせてもらえばおそらく大丈夫だろう。


「そうかそうか。お前さんも俺たちみたいないい旅ができるといいな」


「そうなるように善処するよ」


 話が一段落したところで宿屋の入口が開き、酒に酔った楽団員たちが一斉に雪崩れ込んできた。

 いつの間にかかなり話し込んでいたようで、外はすっかり真っ暗になっていた。


「お、アイツら戻ってきたか。じゃあ俺たちもこの辺でお開きにするか」


「そうだね。誘ってくれてありがとう、デニスさん、アンネさん。とても楽しかったよ」


「おうよ。旅はまだまだこれからだ、精一杯楽しめよ」


 そう言ってデニスは立ち上がり、楽団員たちの元へと歩いて行った。

 赤ら顔を向け合いながら「またお前らはだらしない酔い方しやがって」と笑うデニスだが、人の事は言えないだろうとジェードは胸の内で呟いた。

 それでも明るくて朗らかな楽団の雰囲気は見ているだけで微笑みが零れてくる。

 ただ、この中にビアンカの姿がないことを思うと、ジェードはやはり少し物寂しい気がした。


「ジェードさん」


 不意に後ろから呼ばれた声に振り替えると、まだ席に座ったままのアンネが天井を指差して微笑んでいた。

 ほとんど無口なアンネが声をかけてきたため何事かと少し身構えたが、彼女の仕草を見てジェードは大事なことを思い出した。


「あ、そうだアン! ありがとうアンネさん、また明日!」


 そういえばアンバーを部屋で待たせてるんだった!!


 アンネに軽く頭を下げると、ジェードは慌てて階段を駆け上がった。




 部屋の前に辿り着き、ゆっくりと戸を開けるジェード。


 拗ねていなければいいんだけど……


 戸の隙間から首を入れて覗き込むと、アンバーはベッドの上で丸まって寝息を立てていた。

 どうやら酔った状態で睡魔と戦って惨敗したらしい。


 一安心したジェードは椅子に腰かけてアンバーを見つめた。

 シーツの上に扇状に広がった琥珀色の髪がなんとも神秘的で、その収束点にある寝顔にはまだ幼さが滲んでいる。

 寝かしつけた妹を眺めているのとはまた違った柔らかな感覚が満ちる。

 酒を飲んだからというわけではなく、なんとなく胸がぽかぽかと温まるような気さえした。


「……ぅぅ、ん……?」


 そのとき、耳がぴくりと動いたアンバーは小さく呻いたかと思うとゆっくりと片方の瞼を持ち上げた。


「ごめん、起こしちゃった?」


「いや、大丈夫じゃ」


 寝た姿勢のまま小刻みに頭を振るアンバーの目はまだとろんとしている。

 微睡(まどろ)んでいるためか部屋に置いていくときと比べるとかなり静かになっていた。


「具合はどうだい?」


「少しうとうとしておったら落ち着いたが、まだ頭の奥がふらふらするのう」


「初めてなのに丸々一杯も飲むからだよ」


 欠伸をしながら上半身を持ち上げるアンバーの頭を撫でてやると、彼女の頬はすっかり緩み、尻尾はぱたぱたと音を立てた。


「主様……」


「わかってる。ほら、おいで」


 ベッドの縁に座り直したジェードは、身を委ねてきたアンバーを優しく抱きとめる。

 部屋で待たせる条件として戻ったら気が済むまで構ってやると約束した手前、彼女の好きなように振舞わせるつもりのジェード。

 彼女が額をジェードの肩にこつんと当てて甘える姿は実に微笑ましいものだった。


「置き去りにされたときは邪魔者扱いかと思ったぞ」


「邪魔なもんか。そんな風に思ってるなら、最初から旅には連れてこないよ」


「本当か、主様?」


「本当だよ、アン」


 顔を上げたアンバーの大きな水色の瞳がジェードを見つめる。

 視界の外、ベッドの上に置かれたジェードの手にアンバーの手が重なる。

 ジェードの心の中を確かめようとするような彼女の言葉が、視線が、体温(ねつ)が、深く深く身体の芯まで染み込んでくる。

 そんな彼女の思いに応えようと、ジェードも真っ直ぐにアンバーを見つめ返した。


「……わしは主様のことを好いておる」


 少しだけ目を細めて大人びた表情を浮かべるアンバーが呟いた。


「あはは、唐突だね。それを言われるたびにこっちが恥ずかしくなるんだけど」


「何度でも言うてやるぞ。じゃが主様のほうからはあまり言ってくれぬから、わしとしては少しだけ物足りぬ……」


「えっ、と……」


 返答に困る言葉を投げかけられたジェードは指で頬を掻きながら口籠ってしまった。


「わしは主様の言葉で聞きたいのじゃ。主様はわしのことをどう思っておるのじゃ?」


 アンバーの言葉はつまり、ジェードの口から「好きだ」と言って欲しいということ。

 しかしそれは彼にとって軽々しく口にできるものではない。


 ジェードはアンバーに抱いている感情についてまだ整理できていないところが多々あった。

 彼女のことを愛おしく思う気持ちはもちろんある。

 しかしこの感情がアンバーを"何の対象として"大切に思うものなのかまではわかっていない。


 自分は彼女のことを異性として見ているのか、それとも旅の仲間として見ているのか、はたまたその純粋で美しい心に惹かれただけなのか、考えても考えても答えは浮かんでこない。

 こんなことを言ってはアンバーは怒るかもしれないが、彼女はそもそも人間ではない。

 仮に「好きだ」と伝えたとして、妖狐である彼女に対して人間である自分が恋愛に近い感情を抱くことがどういう意味を持つのか、まだジェードにははっきりわからないのだ。


 あれやこれやと考えを巡らせている間も、アンバーの水色の瞳は瞬き一つすることなくジェードの言葉を待っていた。

 どこまでも澄んだ快晴の空のような輝きに胸を貫かれるような感覚がする。

 そしてその感覚はジェードの胸の最奥でほんの少し燻って、僅かな熱を残して消えていく。 



 僕にはまだまだわからないことだらけだ。

 でも、その中でわかることも少しだけある。



 自分を見つめ続けるアンバーに向けて微笑み返すと、ジェードは彼女の小さな手を握ってぐいっと引き寄せた。

 そのまま彼女の温かみを胸で受け止め、それが離れていかぬようしっかりと抱きとめる。

 彼女の背中にまわした手に、遅れて引き寄せられた琥珀色の髪がふわりと落ちてきた。

 唐突に抱き寄せられて驚いたのか、アンバーは身じろぎ一つせず言葉も発しない。

 咄嗟のことに呼吸すら止まっているように思えた。



 例え少しだけでもわかることがあるのなら、それはちゃんと彼女に伝えておきたい。



「ちっとも男らしくなくてごめんよ。言葉でも行動でも、僕は素直に君を求められるほど器用じゃないんだ」


 彼女の耳元で囁きながら少しずつ腕の力を強める。

 上手く言えない不器用な思いが伝わるように。


「でも僕だってね、こうしているととても満たされた気持ちになるのは君と同じなんだよ」



 自分が彼女に対して抱くこの気持ちが何なのか、僕にはまだわからない。

 だけど君のことが特別で、君のことを何より大切に思っていることだけはわかっている。

 だからそれを、不器用でも不格好でもいいから伝えないといけないって、そう思った。



「主様も同じ気持ち、か……嬉しいのう……」


「だからこの旅のお供は君がいい──いや、君じゃなきゃ嫌なんだ、アン。こんな物足りない僕だけど、それでも君はついてきてくれるかい?」



 はっきりと伝えられない自分が情けない。

 曖昧な答えしか返せない自分がもどかしい。

 それでも君がまだ僕のことを好きだと言ってくれるのなら、僕はこの思いにちゃんと答えを見つけたい。


 ──見つけなきゃ、いけないんだ。



「……物足りなかった分は今満たされた」


 アンバーはジェードの背中にまわした手を一度ギュッと強めると、身体を離して彼の顔を見上げた。


「もちろん行くに決まっておるじゃろ、主様。来るなと言われてもしつこくついていってやるから覚悟するのじゃな」


 尻尾をゆさゆさと振るアンバーは犬歯をちらつかせながら悪戯っぽく笑った。


「そんな覚悟は必要ないね。ついてくるななんて、僕が君にそんなこと言うわけないだろう?」


「さっき言っておったではないか。部屋で大人しくしておれ、酒場には降りてくるなよ、とな」


「えっと、あれは言葉の綾っていうか……揚げ足は取らないで欲しいなぁ……」


 ジェードの困り顔を見たアンバーは口元に手を当ててくすくすと笑っている。

 それを見たジェードの頬も自然と緩む。



 そうさ、これからも僕らはずっと一緒にいるんだ。

 探し求める答えならいずれ見つかるさ、焦る必要はない。



「主様、今夜も隣で寝てよいか?」


「え、またかい?」


「気が済むまで構ってくれるのじゃろう?」


「まったく、わかったよ」


 少し呆れ気味のジェードだが、同じベッドで寝ることはもう満更でもないと思うようになっていた。

 灯りを消し、二人並んで寝転ぶベッドはどこか昨晩とは違った熱が籠っているような気がする。


 これだけ暖かければ今夜こそ安眠できそうだとジェードは暗い部屋で微笑み、瞼をおろした。

ご愛読ありがとうございます

感想や評価はいつも励みになってます


ずっとスマホ執筆だったのを、最近PC執筆にしてみたりしています

かなり書きやすくてびっくりしてます笑


ただ、スマホでしか変換できない記号とか、そのへんは大変ですねぇ

一長一短ってやつです


以上、わさび仙人でしたー!

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