過去編 捨てた夢
今回は回想です
フィスキオ編のサブヒロイン、ビアンカの過去の物語となっています
一応言っておくと、彼女はモブじゃありませんからね!!
実は後半に伸びるタイプ、ビアンカの物語をどうぞ。笑
いつも見ていた。
様々な道具を手にしながら目配せで合図し合う"彼ら"の姿を。
"彼ら"の前に集まった大勢の人々が向ける期待の視線を。
"彼ら"は互いに頷き合ったかと思うと、やがてそのうちの一人が少し大袈裟に仰け反るようにしながら、口元の道具へ吹き込むための息を吸い込む。
それに合わせて"彼ら"の中にはピンと張り詰めた空気が漂い始める。
その瞬間、鮮やかで艶やかで麗しい情熱が空間の振動となってこちらへと押し寄せてくる。
耳から雪崩れ込んできたそれは胸のあたりまであっさりと落ちてきて、肋骨の内側で何度も何度も木霊するように感じられる。
……ああ、格好いい。
震える、魅せられる、引き込まれる。
私もいつかは"彼ら"みたいに──
着ているワンピースの裾と一緒にそんな願いを幾度となく握り締めながら、幼い少女はいつも──見ていた。
*****
「お父さん、私も自分の楽器欲しい!」
演奏を終えて舞台から降りてくる父親に元気よく飛びつく赤毛と八重歯の少女。
つい先日九歳の誕生日を迎えたばかりのビアンカは、父のデニスにおねだり作戦を決行中だ。
彼女はずっと楽器には興味を持っていたものの、触ってはいけないと父に厳しく言われていた。
奏者にとって楽器は我が子のようなもの。
誰もが自分の楽器を愛し、共に舞台に立つことを至高の喜びとしている。
子どもが触ったばかりに愛器を壊されてしまっては敵わないのだ。
「またその話か、ビアンカ? ちゃんと自分の笛持ってるだろう、あれじゃダメなのか?」
「お母さんのお下がりじゃなくて、ちゃんと自分のが欲しいの! ねえ、お願い!」
「この前あげた楽器もすぐ壊したじゃないか。楽器を丁寧に扱えるようになるまではダメだ。それまでは母さんのお下がりで我慢しなさい」
そう言ってデニスは地べたに座り込み、舞台衣装のまま愛器の手入れを始めた。
何かの動物の皮を張った二つで一対の太鼓のような打楽器──それがデニスの担当する楽器だ。
他の楽団員たちも各々の楽器の手入れを始めた。
演奏後のこの光景を見ていると、皆本当に楽器を大切にしているのだと実感する。
「今度はちゃんとお手入れもするから、お願い!」
「むう、今日はなんだかいつもより熱心だな……」
それもそのはず、ビアンカには父親を動かすためのとっておきの手段が用意されている。
どうしても要求を呑めないのなら、躊躇なく奥の手を使うまでだ。
「だがダメだ。母さんのお下がりをきちんと扱えるようになったら考えてやっても──」
「──誕生日」
ぼそりと呟いたビアンカの言葉にデニスが凍り付いたように固まる。
いい反応だ、さすがは奥の手というべきだろう。
「今年の誕生日、まだ何ももらってないもん……」
「うっ……」
畳みかけるように言葉を続けるビアンカ。
その言葉を聞いて額に汗が滲むデニス。
ビアンカは毎年誕生日の当日にプレゼントをもらっていたが今年は違った。
デニスが団長を務めるようになってからひっきりなしにやってくる演奏の依頼で、楽団は今非常に忙しい。
誕生日はとうに過ぎたというのに、まだプレゼントを用意できていないことをビアンカは知っていたのだ。
「ううん……ぐぬぬ……」
腕を組んだり頭を掻いたりしながら苦悶の表情を浮かべるデニス。
これで断られたらビアンカにももう打つ手はないだろう。
一世一代の大勝負に出ているような緊張感でビアンカはデニスを見つめ続けた。
「…………自分で言ったからにはちゃんと手入れまでするんだぞ?」
「──!! わーい! ありがとうお父さん!!」
飛び上がって喜ぶビアンカは目の前で座り込むデニスの背中に思い切り抱き着いた。
デニスはやれやれといった表情を浮かべているが、愛娘が喜ぶならと割り切った様子だった。
*****
ビアンカが初めて手にした"自分の"楽器は母親のアンネと同じ横笛だった。
演奏や手入れの仕方をアンネに教わりながら一日中練習する日々はしばらく続き、楽器の扱いも上手くなったとデニスは褒めてくれた。
それから三年、十二歳になったビアンカは毎日の練習が楽しくて仕方なかった。
楽団員たちも「将来が楽しみだ」「舞台に立てる日も近い」とビアンカのことを評価し、彼女もそれが嬉しくてたまらなかった。
早く一人前の奏者になって楽団のみんなと同じ舞台に立ちたい。
両親と共に演奏を披露する未来を想像すると胸が高鳴って仕方なかった。
*****
「──なあ、実際どう思うよ?」
よく晴れた初夏の夜。
公演の依頼を受けた田舎町へと荷馬車を走らせる途中、中間地点の街で馬を休ませている時だった。
ビアンカは街の人々の迷惑にならないよう、人気のない場所を探して横笛の練習をしようとしていた。
そのときに建物の陰からふと楽団の若者の声が聞こえてきて、思わず立ち聞きしたのだった。
「正直全然だよな。俺があのくらいの歳の頃にはもう舞台に立ってたけど」
「やっぱそう思うよなぁ。上達が遅いのにも程があるっていうか、才能がないっていうか?」
どうやらそこには二人いて、誰かの陰口を言っているようだ。
誰のことかはわからないが、同じ楽団の仲間を悪く言われているのはビアンカにとって決して気分のいいものではない。
年上の楽団員を注意するのは少し怖いが、それでもこのまま放っておくことはどうしても許せなかった。
勇気を振り絞り、二人に近づこうとしたそのとき──
「ホント、あの団長とアンネさんの娘なのにどうしてできないんだろうな」
──え?
二人が誰のことを噂しているのか察してしまった。
団長──つまりデニスとその妻アンネの娘は、この楽団にはたった一人しかいない。
聞き違いだと思いたかった。
踏み出そうとした足が止まり、顔から血の気が引いていくのがわかった。
嘘……嘘よ。
「技術は遺伝しないってことだろ。俺なら恥ずかしくてあの二人の子だなんて名乗れないね」
だって、みんな私の演奏を聴いて上手くなったって言ってくれたもの。
「団長の娘だからご機嫌取りにすごく気ぃ遣うんだよ。話してるだけで肩凝りそうだ」
この二人がそう思ってるだけよね。
他の楽団員はきっとそんなことないって言ってくれるはずよ。
「それみんな言ってたよな。下手だなんて正直に言ったら、団長になんてどやされるかわかんねえし」
そんな……
「お世辞で褒められて鵜呑みにするのもどうかと思うけど、団長も甘やかしすぎてるとこあるよな」
「確かに。ちゃんと言ってやらなきゃ、あのまま一生下手くそなの自覚しない気がする」
気がつくとビアンカは彼らに背を向けて走っていた。
これ以上聞くのは耐えられなかった。
大好きな楽団の仲間たちが、本心では自分のことをそんな風に見ていたなんて信じたくなかった。
「お、ビアンカ、そんなに急いでどこへ……っておい、ビアンカ!?」
父のデニスが何か声をかけてきたが、それも聞き入れずに彼の前を一目散に駆け抜けた。
誰とも話したくない。
とにかく今は一人になりたい。
悲しくて、悔しくて、情けなくて、両目から溢れる自己嫌悪を拭う手間すら惜しむように、ビアンカは夜の街を駆けた。
*****
……そっか、私、下手くそなんだ。
本当は誰も私のことなんか評価してくれてなかったのに、上っ面だけ褒められて一人で勝手に舞い上がっちゃってさ、馬鹿みたい。
銀色に輝く横笛を握り締めながら、ビアンカは街の門の外で一人うずくまっていた。
あんなに練習したのに。
あんなに楽しかったのに。
あんなに好きだったのに。
今まで自分に向けられてきた笑顔がすべて偽物だったのだとわかると、楽団に戻るのが怖くなった。
「…………こんなものッ!!」
ビアンカは啜り泣きながら横笛を力いっぱい放り投げた。
笛は鈍い金属音と共に道の脇の茂みの中へと消えた。
三年前の誕生日に買ってもらった、生まれて初めての自分専用の楽器。
あの笛に詰まった喜びも努力も思い出も、すべて捨て去って楽になりたかった。
「おお、いたいた。どうしたんだビアンカ、大丈夫か?」
数分後、走り去るビアンカを追ってきたデニスが声をかけてきた。
膝を抱えて泣きじゃくる娘の姿に、デニスも動揺を隠せない様子だった。
「……お父……さぁぁあん!!」
ビアンカは父親の広い胸に飛び込むと、まるで赤子に戻ったように大声で泣いた。
状況がまったく飲み込めていないデニスだったが、深く傷ついた我が子が泣き止むまで太い腕で抱き締め続けていた。
あれだけ派手に泣き喚いてしまった以上、ビアンカはデニスに事情を話すしかなくなってしまった。
陰口のことを聞いたデニスは予想通り憤慨し、楽団員全員での緊急集会を開いた。
仲間であり家族である団員を傷つけ合うことは決して許されない、と怒鳴り声を上げるデニス。
ここまで怒り狂った父親を見るのはビアンカも初めてのことであった。
これ以降、ビアンカは楽器に触ることにすら抵抗を感じるようになり、楽団への加入を嫌がるようになった。
陰口を言われたからではない。
信頼していた楽団の仲間たちが、何年もの間ずっと自分に偽りの笑顔と言葉を向け続けていた事実に耐えられなかったからである。
明るかった彼女の性格もすっかり変わってしまった。
他人と関わろうとしても、本心では何を考えているのだろうか、私のことをどんな風に思っているのだろうか、と疑ってしまう。
その結果他人との関わりにも消極的になり、いつも両親の陰に隠れて行動するようになった。
そんなビアンカに転機が訪れたのは二年後──彼女が十四歳になった肌寒い日のことだった。
*****
「……今度の街に、叔母さんが?」
「そうだ、お前が会うのは初めてだったな」
平原の道を進むうちに暗くなり始め、団員たちが野営の準備をしているときだった。
ビアンカに是非とも会って欲しい人物がいるとデニスが彼女に持ちかけてきたのだ。
その相手は母親のアンネの妹──つまりビアンカの叔母にあたる人物だ。
「お前の叔母はな、少し前まで踊り子をしていたんだ。結婚と同時に引退したそうなんだが、よかったら習ってみないか? その街にはしばらく滞在する予定だし、悪くないと思うんだが」
「……なんで急にそんなことを?」
「お前は楽器をやらなくなってしまっただろう。他の事なら楽しんで取り組めるんじゃないかと思ったんだ、どうだ?」
大して興味など抱かなかったが、目的地の街に辿り着くとビアンカは両親に連れられて半ば強引に叔母と対面することとなった。
両親が強く勧めてくるため渋々叔母に舞を習ってみたが、思いの外これがビアンカの心を掴んだ。
いや、正確には叔母の元は楽団より居心地がよかっただけなのかもしれない。
叔母はビアンカに舞を教えるときには一切甘やかすことなく厳しく指導してくれた。
指先まできちんと伸ばせ、体重移動が遅い、止まるところはしっかり止まれ……
舞の稽古は身体的に非常に苦しいものだった。
しかし、まったく過大評価することなく悪いところは悪いと的確に指摘してくれる叔母の指導が、ビアンカにはとても好ましく思えた。
舞の稽古を通して、自分のありのままを正当に評価してもらえることはこんなにも嬉しいことなのだと実感できた。
更に言えば稽古の時以外の叔母は見違えるほど温和で、姪である自分に対する愛情と包容力に好感が持てた。
一ヶ月ほど滞在した後、楽団は再び荷馬車に揺られて旅に出た。
ビアンカは旅の途中でも叔母の教えを思い出しながら独学で舞の稽古を続けた。
やはり一ヶ月習っただけでは足りない。
せっかく見つけた新しい楽しみを中途半端なまま終わらせたくはなかった。
団員たちからは綺麗だ、上手だと賞賛されたが、団長の娘だからと気を遣われているのはやはり明らかだった。
またデニスにあれほどの剣幕で怒鳴られては敵わないという団員たちの意図が見え見えだった。
ここ数年の間にデニスとアンネは音楽家の界隈でかなり名の知れた腕利きの奏者となっていた。
その娘とあっては団員たちが畏まるのも仕方ないことなのかもしれないが、やはりビアンカにとってそれは気持ちのよいものではなかった。
*****
それから二年、デニス楽団はついに音楽の街──フィスキオの町長から直々に演奏の依頼を受けることができた。
多くの奏者たちの憧れの舞台であるフィスキオに招かれたことを団員たちは非常に喜んでいた。
「なあ、ビアンカ」
「……何?」
フィスキオに向かう途中、荷馬車の上でデニスが声をかけてきた。
「フィスキオでの演奏のとき、お前も一緒に舞台に立ってみないか?」
「……えっ?」
まったく予想もしなかった父の言葉にビアンカは間抜けた声を上げてしまった。
「だって私、楽器は何もできないのに」
「違う、"奏者として"じゃない。俺達の演奏に合わせて舞を披露するんだ。せっかくフィスキオの大舞台に立てるのに、お前だけ仲間はずれなんて勿体無いじゃないか」
これはデニスなりの気遣いだった。
すっかり溝ができてしまった団員たちとビアンカが仲直りするきっかけになればと思ってのことだ。
「いい考えだと思います、デニスさん」
「踊り子のいる楽団、なんだか新しいですね!」
「面白そうじゃない! ね、やろうよビアンカ!」
団員たちはデニスの言葉に呼応するように次々に誘ってきた。
でも私は知ってる。
彼らは大物の奏者で団長である父の機嫌を損ねないようにしてるだけよ。
彼らはこれっぽっちも私の舞のことを評価してくれていないことくらい、もうとっくに知ってるもの。
「…………イヤ」
だからビアンカは頑なに舞台に立つことを拒んだ。
いつも通り舞台袖から"見ている"だけでいいと、そう思っていた。
「あー……実はなビアンカ、もう出演者の中にお前の名前を入れて先方に報告してしまってるんだ」
「はぁ!? なにそれ、聞いてない!」
「すまんとは思ってる。だが、こうでもしないとお前──」
「絶っっっ対に、イヤ!!」
誰にも評価されない舞ならしないほうがマシだ。
虚偽の賞賛を浴びるくらいなら、舞は人前で披露することなく趣味として一人で楽しむだけでいい。
「ビアンカ、頼むから──」
「あれぇ……? 誰か地図知らないか?」
親子の口論に割って入ってきたのは御者を務めている団員だった。
若人特有の空気の読めない感じというか、デニスの言葉を遮る無謀っぷりに団員たちは皆固まっていた。
「地図? いつものところに入ってないのか?」
「それが見当たらないんだよなぁ……前の街に置いて来ちまったのかな?」
「おいおい大丈夫か? この道で合ってんだろうな?」
荷馬車が次第に不安に包まれていく。
もし道を間違えてフィスキオの大舞台での公演に遅れでもしたら一大事だ。
「お、向こうに人がいるみたいだぞ。ちょっと地図持ってないか聞いてみろよ」
「ああ、そうだな。おーい! そこのお二人さーん!!」
「いや、まだ遠すぎて聞こえないだろ」
御者の若者が大声を上げて手を振る。
まだ気づいてもらえるほどの距離ではないと思ったが、前方に座っていた二人は立ち上がってこちらに振り返っていた。
「いやあ、呼び止めて済まないな。ちと道を聞きたいんだ。どうも地図を失くしちまったみたいでねぇ」
「地図なら持っているよ。ちょっと待っててくれるかい?」
こうしてデニス楽団はたまたま出会った二人の旅人を乗せて、音楽の街──フィスキオへと向かうのだった。
いつもご愛読ありがとうございます
今回のようなお話を書いているとき、無性にジェードとアンバーが書きたくなってくる衝動を何とかしたいです
次回はこの衝動に見合う分だけアンバーをめちゃくちゃ可愛く書いてやろうと燃えていますのでお楽しみに笑
以上、わさび仙人でした!




