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翡翠と琥珀  作者: ヤマキ ヒサト
プラム編
14/126

守りたいもの

前回は幕間だったので少しおさらいを。


アンバーに連れられてやってきた丘で星空を眺めながら互いの気持ちを確かめ合ったジェードたち。


ところが翌日目覚めると街の方角から黒煙が立ち昇っていた。


街で一体何が起きているのか。

ジェードは急ぎプラムへと走る……!

 アンバーに連れられて戻ってくると、黒煙は街からではなくその手前の貧民街(スラム)から立ち昇っていることがわかった。

 ただでさえ荒れ果てた廃墟が全焼し、所々で炭と化した木材がパチっと弾けて音を立てていた。

 貧民街(スラム)に住んでいた人々の姿は一人も見当たらない。

 遺体も転がっていないということは大部分はここから逃げ出したのだろう。

 ジェードは弱まりつつある煙に咳き込みながら貧民街(スラム)を通り抜け、その先の北門から街を目指した。



 *****



「今帰ったよ」


「ジェード、昨晩はどこにいたんだ。心配したぞ」


「ちょっと星を見に行ってただけだよ」


 家の戸を開けると最初に声をかけてきたのは父のエドガーだった。

 街の人々に事情を聞いてもきっと誰も自分の相手などしてはくれない。

 それを知っているジェードは真っ直ぐに家へと足を運び、家族に昨晩何があったか尋ねることにしたのだ。

 ついてきたアンバーは家の外で待たせている。

 家族に余計な詮索をされて妖狐だと気づかれるわけにはいかなかった。


「それよりも聞きたいことがある。貧民街(スラム)のあの様子は一体どういうこと? 昨晩あそこで何があったんだい?」


「あれは街の大商会の仕業だ。北門の外まで商業地区を広げるために、貧民街(スラム)を一度更地にするつもりらしい」


「だからって丸ごと燃やすなんて……住んでる人たちだっていたのに!」


 店内には二人ほど客がいたため、ジェードは厨房まで足を運んで父親の言葉に耳を傾けた。


「気持ちはわかるが落ち着け。大商会に逆らったら二度とこの街で商売できなくなる。確かに酷いことだとは思うが、俺たちは従うしかないんだよ……」


「だけどこんなこと、納得できるわけ……!」


「今日の夕方には北の森にも手を付けるそうだ。あのあたりまで大通りを伸ばして、この街を商業の中枢都市にする計画なんだと」


「なんだって!? そこまでする必要はないだろう!!」


 ジェードは慌てて家を飛び出した。

 後ろからエドガーの引き止める声が聞こえたが無視した。

 妖狐(アンバー)が生きているあの森を人の都合で燃やすなんて、絶対に納得できるはずがなかった。


「主様、どうじゃった? 何かわかったか?」


 家の外で待つアンバーと合流すると、彼女は心配そうに尋ねてきた。

 街の中では人間に擬態しているため耳や尻尾の動きから彼女の感情を読み取ることはできない。

 しかし不安そうにジェードの顔を見上げる空色の瞳からその動揺は確かに伝わってきた。


「うん、昨晩貧民街(スラム)で原因不明の火事が起きたんだって。多分あそこの人たちはみんな他の街に逃げたんだろうね」



 嘘をついた。



 アンバーにとって貧民街(スラム)は語り部の老婆との思い出の場所。

 それが人の手によって燃やされただけでなく、次は住処である北の森まで狙われているなんて知ったら彼女はどんな顔をするだろうか。

 アンバーを悲しませたり、余計な心配をかけたりしたくなかったジェードは彼女に真実を打ち明けることができなかった。


「ねえ、アン。僕は急用ができてしまったから、君は先に森に帰っていてくれないかい?」


「む? 今日は一緒におってはくれぬのか?」


「うん、ごめんよ。用事が済んだらまた会いに行くから、それまで待っててくれるかい?」


「むぅ、主様の頼みなら仕方ないのう」


 やや不満気な顔を浮かべながらも、アンバーは北の森へと足を進めた。

 その背中を見送ったジェードは決意の色を瞳に宿し、街の大商会へと向かった。



 *****



 大商会本部の前にはお立ち台の上に立つ中年の男と、それを取り囲むように演説を聞く市民の姿があった。

 高級そうな衣服に身を包んだその男は大商会の幹部であるようで、彼は商業中枢都市として(プラム)を発展させることについて市民に論じていた。


「つまり北門の外までこの街の商業地区を拡大することで、市民の皆さんも様々な恩恵を受けられると我々は考えているわけで──」


「──だからって貧民街(スラム)を燃やしていい理由にはならないだろう?」


 ジェードは気がつくと人混みの外から演説に横槍を入れていた。

 群衆の視線が一気に向けられるがジェードはお構いなしに人混みを掻き分け、演説する男の前に出た。


「おや、君は確か……」


「あんなの人のすることじゃない。貧しいとはいえ、人が住んでいた場所を勝手に焼き払って心苦しくはないのかい?」


 演説をしていた男はジェードの顔を見知っているような態度だった。

 当然といえば当然、ジェードの気味の悪い絵描きとしての悪評はこの街の誰もが知っていることだ。


「何を怒っているのかね、君は? あの貧民街(スラム)は元々衛生面で問題があった。学も体力もないあの者らは労働力としても役に立たない上、北門近くで盗みを働くようなならず者だ。市民のためにも急ぎ手を打つ必要があったのだよ」


「市民のためだって……? 貧民街(スラム)の人たちはその"市民"には含まれないとでも言いたいのかい? そんな自分たちだけに好都合な線引きが許されてたまるか!」


 声を荒げるジェードの周りでは群衆がざわめいている。

 彼に怪訝そうな表情を向けている者が多いことから、恐らくここにいるほとんどは大商会の考えに賛同しているのだろうと思われた。


 それでもジェードは怯まなかった──というより、怯むわけにはいかなかった。


貧民街(スラム)だけじゃない。今度は北の森まで焼き払うつもりだと聞いたけれど、もしそれが本当なら考え直してくれないか?」


 そう、本題はそこだ。

 既に燃やされてしまった貧民街(スラム)は手遅れだとしても、その先の森まで燃やされるわけにはいかない。

 大切な少女(ひと)の居場所である北の森だけは何としても守らなければならないのだ。


「その話なら本当だが、それも不満かね?」


 男は悪びれる様子もなく、ジェードの怒りを煽るような口調で答えた。


「あの森は四年前には開拓する予定だったのに、忌々しい妖狐なんかがいるせいで計画が凍結されていたんだ。むしろ遅いくらいだよ」


「やっぱり先に手を出したのは人間だったんじゃないか……なのに全部妖狐が悪いみたいな言い方は間違ってるだろう!」


 男はお立ち台の上から耳を穿(ほじ)りながらジェードを見下ろしていた。

 その態度も相まってジェードの憤りは頂点に達しようとしていた。


「間違いなものか、あんな害獣。妖狐を恐れてこの街に近づこうとしない商人も多い。妖狐さえ消えれば彼らを引き込むことができる。そうすればこの街はもっと豊かになるのだよ」


「何だよそれ……結局自分たちが儲けたいだけじゃないか!」


「聞き捨てならないことを言うな。そもそも市民を襲うような危険な(もの)()など駆除されて然るべきだろう。そうすることがこの街のためなのだよ」



 "駆除されて然るべき"。



 その一言を引き金にジェードの堪忍袋の緒が切れた。

 あれほど美しく、尊く、愛しく思う少女(ひと)のすべてを否定されたようで、彼の胸中には赤々とした熱いものが湧き上がるようだった。


「妖狐は──」


 ジェードは震える唇を噛み締めると、やがて湧き上がる憤りを一気に吐き出した。


「妖狐たちは自分の居場所を守りたかっただけだ! アンタたちが自分の商会を守ろうとするのと同じじゃないか! 同じなのにどうして否定する? どうして人間は彼女たちに歩み寄ろうとしないんだ!!」


 吐き出し切ったジェードの熱意に、その場がしんと静まり返る。

 聞こえるのは荒げた呼吸を整えるジェードの息遣いだけだった。

 彼自身、何が起きたのか一瞬自分でもわからなかった。

 やがて目を見開いた素っ頓狂な視線が自分に集まっていることに気づいてようやく状況を把握した。


 そうか、僕の言ったことにみんな押し黙ってしまったのか……

 もしかして、今ので伝わった……?

 よかった、なら森は無事に……!


 ジェードの息遣いはやがて安堵に変わっていく。

 大切な少女(ひと)の居場所は自分の手で守られたのだとホッと胸を撫で下ろした。








「──なあ、今コイツなんて言ったんだ?」


 しかし束の間の静寂は崩れ落ちるように消え去った。


「"彼女たち"ってやけに具体的だけど、誰のことだよ?」


「妖狐にこんなに肩入れするなんて普通じゃないわよね」


「ひょっとして妖狐と通じてるんじゃないのか?」


 群衆の囁きがあちこちから聞こえる。

 事態が好ましくない方向に進んでいることをじわじわと実感し、ジェードの背に悪寒が走った。


「そういえば最近、若い娘と二人で歩いてるところを時々見かけたぞ」


「いつも一人ぼっちのくせに怪しいな」


「もしかしてその娘が妖狐なんじゃないか?」


「きっとそうよ! それなら全部辻褄が合うじゃない!」


「コイツ妖狐に化かされてるぞ!」


「気味の悪い絵を描くのもそのせいだな!?」


 気がつくとジェードは群衆の中で若い男たち数人に取り押さえられていた。


「何をするんだ、離してくれ! ……うわっ!?」


 彼はそのまま引きずられるように大商会の隣にある倉庫へと放り込まれてしまった。

 乱暴に閉じられた扉の外からはカチカチと金属音が聞こえ、閉じ込められることを予感させた。


「出してくれ! どうしてこんなことをするんだい!?」


 外から南京錠で施錠された扉はジェードが叩いても蹴ってもビクともしなかった。


「狐憑きのお前は明日教会でお祓いだ。それまでそこで大人しくしてろ」


「明日までここで……!?」


 ジェードを引きずってきた男の声が扉越しに聞こえたが、それ以上の会話は許されなかった。

 北の森に火が放たれるのは今日の夕暮れ。

 このままでは間に合わなくなってしまう。


「アンバー……!!」


 彼女が危ない。

 こんなところで足止めを食っている暇などないのだ。

 しかし倉庫の扉は思ったより頑丈で、何度体当たりしても開く気配はない。


 焦り。後悔。怒り。虚しさ。

 あらゆる感情が込み上げる中、ジェードは取り憑かれたように扉を叩き続けることしかできなかった。



 *****



 北の森の最奥。

 星がよく見える丘の上で、アンバーは一人物思いにふけっていた。


 半ば強引に帰されてしまったが、一体どうしたのじゃろうか。

 今日も一緒におりたかったのに、わしがおると不都合な用事だったのじゃろうかのう。


 不意にアンバーの背後から群れの(おさ)である年配の妖狐が現れた。


貧民街(スラム)を見たのだろう? あれは人間の仕業だ。誇り高い妖狐(われわれ)と違って、人間は私利私欲のために平気で同族殺しをやってのける恐ろしい輩だ。なのにお前はいつまで近づいていくつもりだ?』


『あの火事は原因不明じゃと聞いたぞ。なぜ人間がしたことだと決めつけるのじゃ?』


『お前が会いに行っている人間がそう言ったのか? ならそれは嘘だ。アレはお前を騙そうとしているぞ』


『あの者はわしの味方じゃと約束してくれた。嘘をついているとは思えぬ』


 群れの長は反抗的なアンバーの態度に呆れ、茂みの中へと姿を消した。


 嘘であるはずがない。

 なんなら本人にもう一度尋ねてみればわかることだ。


 西の空には少女の髪と同じ色をした太陽が傾き始めていた。

 そろそろ用事も済んだ頃合いだろうと、アンバーはジェードの言葉を確かめに街へと向かうことにした。

ご愛読ありがとうございます!


孤軍奮闘するも説得に失敗してしまったジェード。

これから北の森はどうなってしまうのか……!


ぜひ期待して次回をお待ちください!


以上、わさび仙人でしたー!

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