絵描きの目論見
アンバーがアーロンに打ち明けた、昨晩の出来事の回想からです。
「……ねえ、アン。ちょっと頼みたいことがあるのだけれど」
「む?」
ようやくアンバーの方へ顔を上げたジェード。
拍子抜けしたアンバーを見つめる彼の翡翠色の瞳には、どこか凛とした力強さが灯っているような気がした。
「何じゃ、頼みたいこととは?」
「うん。アンには明日、チェルシーを探しに行くアーロンさんを適当にはぐらかしておいて欲しいんだ。僕はみんなと一緒には探しに行けないから」
「……?」
深夜のベッドに腰掛け、アンバーはジェードの言葉に首を傾げた。
ジェードは困っている者がいればどんな無茶をしてでも助けようとする性分だ。にもかかわらず、なんとも彼らしくないことを言い出したものだと、アンバーは困惑を隠せずにいた。
「僕は明日、こっそり首都に行ってみようと思う。アーロンさんは最後まで話してくれなかったけれど、あの様子だとカピタラに何かあるような気がしてならないんだ」
「主様はカピタラにチェルシーがおると、そう考えておるのか?」
「それはわからない。でも、もし本当に誘拐みたいな強行手段に出たのなら、カピタラで何かしらの動きがあっても不思議じゃないだろう? まあ、カピタラが何も関与していないのなら、それが一番いいのかもしれないんだけれどね」
アンバーはジェードの言い分に納得したのか、こくこくと頷きながら彼の話を聞いていた。
チェルシーが行方不明となった件について、カピタラで何か情報を掴むことができれば捜索しやすくなるかもしれない。
仮に今回の件にカピタラが無関係だったとしても、その事実がわかっただけでスーなんかは特に安心するだろう。そのため、わざわざ出向く価値は十分にあるとジェードは考えていたのだった。
「ならばわしも行こう。アーロンに事情を話して、わしらだけ別行動させてもらえばよい」
「いいや、きっと人間一人だけで行く方が無難だ。カピタラは尾人への偏見が特別強い街らしいから、万が一にでも君の正体に気づかれるわけにはいかない。それにアーロンさんは、僕らにはあまりカピタラと関わって欲しくないから、あんな風に言葉を濁したんだと思う。話せばきっと止められてしまうよ」
「むう……じゃからアーロンに怪しまれぬよう、わしにうまく誤魔化して欲しいと、そういうことか?」
アンバーの問いに、ジェードは黙って頷いた。
同行できないことに少しばかり不満げな顔をしたアンバーだったが、彼の言うことは正当性があって何も反論できない。
さらにジェードは、だめ押しとばかりにアンバーの手を握って「頼めるかい?」と尋ねてきた。
本当に時々ずるい、と言ってやりたかったアンバーだったが、こうして頼まれては断れるはずもなかった。
「……今夜、主様の腕の中で寝かせてくれるなら、よい」
「うん。ありがとう、アンバー」
ジェードはそう言って微笑むと、「それじゃあ、もう寝よう」と言って部屋の明かりを消した。
そして先にベッドに横たわったジェードは、おいで、とでも言いたげに被っている布団を広げてみせた。
それを見たアンバーがくすりと笑ってジェードの胸元へ潜り込むと、冷え切った身体に彼の体温がじんわりと染みて心地が良かった。
しかし、チェルシーが見つからないことも、ジェードが一人でカピタラへ出向くことも、アンバーにとってはなんとなく不安に感じられた。
そんな気分を紛らわそうとジェードに我が儘を言ってみたアンバーだったが、実際に彼の腕に抱かれて横になってもその心情は変わりはしなかった。
自分を抱きしめるジェードの腕が心なしか力んでいるように感じる。きっと彼もアンバー同様、チェルシーの身を案じるあまり心穏やかでいられないのだろう。
しかし時はとっくに深夜。ジェードの胸から感じる温かさに身を任せているうちに次第に瞼が下りてきたアンバーは、やがて深い深い微睡みの中へと沈んでいったのだった。
その翌朝。太陽が昇り始める前にジェードは目覚め、身支度を整えた。
そして彼は酒場の外までついてきたアンバーとこっそり別れのキスを済ませると、彼女に見送られてアルスアルテを発ったのだった。
――たまたま早くに目が覚め、興味本位で陰から覗いていたスーの視線に気づくことなく。
*****
「はぁーッ!? 何考えてやがんだあんにゃろおー!!」
アンバーが観念してすべてを話し終えると、アーロンは唾を撒き散らしながら声を荒げた。
まさかこんなにも早く気づかれるとは予想もしなかったアンバーは、耳と尻尾をしゅんと垂らして極まりが悪そうに俯いていたのだった。
「黙って首都へ行ったことなら、わしが代わりに詫びよう! じゃが、主様はチェルシーの行方について情報を集めに行ったのじゃ。そんなに怒らずとも、少なからず役には立つはずじゃろう?」
「そういう問題じゃねんだよ! 今あの街は、あの街はな――」
ジェードがカピタラへ向かったことについて、アーロンがどうしてそこまで憤慨するのかアンバーは理解しかねていた。
アンバーが必死に宥めようとしても、彼はまったく落ち着く様子を見せない。
そしてアーロンは額に汗を滲ませたまま、少しの溜めの後でアンバーへとこう吐き捨てたのだった。
「――あの街は"俺たち"にとっちゃあ、文字通り本物の"地獄"になっちまってるかもしれねんだよ……ッ!!」
*****
今朝未明にアルスアルテを発ったジェードがカピタラに辿り着いたのは、冬の太陽がちょうど真上に差し掛かる頃だった。
さすが首都というだけあって、街を歩いているのは高級そうな衣服や装飾品を身にまとった、いかにも富裕層といった風貌の人々だ。
質素な旅人の装いをしているジェードは、これほど華やかに着飾った人々の中では随分浮いて見えてしまうのではないかと、少し気恥ずかしくなったのだった。
「そこの兄さん、旅の人かい?」
街を歩いていると、不意に男性の声に呼び止められたジェード。見るとそこには、汚れ一つない真っ白なエプロンを着た、ジェードと同じ歳くらいの青年がちょいちょいと手招きしていた。
「あはは。やっぱりこんな格好じゃ、旅人だってばればれなんだね」
「格好っつーか、足元だな。俺がそう思った理由は」
意外な切り返しが少し気になったジェードは、「へえ」と答えながら青年に歩み寄った。
彼の背後には立派な店が構えられている。彼の服装と並んでいる商品を見たところ、どうやら靴屋であるらしい。
「その靴、もうかなり長いこと履いてるだろ? だいぶ潰れちまってるし、靴底も擦り減ってる。相当歩いてきたのが一目でわかったぜ」
「そうだね。もう何年履いているか、はっきり覚えていないよ」
「兄さんみてえに、愛着を持って長く履くのも大事なことさ。だが俺が呼び止めたのも、兄さんが立ち止まったのも何かの縁だ。この機会に靴を買い替えて、旅の新しいお供にするのはどうだい? いいもんたくさん揃ってんぜ?」
そう言うと青年は、店先に並んだ靴をあれこれジェードの前に持ってきては「コイツは脚が疲れにくいから長旅にうってつけだ」とか「コイツは装飾がイカしてて若者に人気なんだ」とか、流れるような口調で売り込みを始めた。
ふむふむと頷きながら青年の話に聞き入っていたジェードだったが、それぞれの靴についている値札を見ると青ざめて我に返ったのだった――さすがは首都。物価が非常に高い。
あいにくそれほどの贅沢ができるほど持ち合わせがなかったジェードは、まだ履けるから、と適当な理由をつけて断ることにした。
靴屋の青年は残念そうな顔をしながら「気が変わったらまた来いよ!」なんて言っているが、気分の問題ではないからもう一度訪れることはおそらくないだろう。
しかし、今の青年は随分と商売上手だったものだとジェードは感心させられていた。もし高額でなければ、のせられて買ってしまっていたかもしれない。
再び歩き出したジェードは、この街にやってくるのに少し気負いすぎていたのかもしれないと感じていた。
スーやアーロン、ジャッキーの話では、カピタラの人々は尾人に対する差別意識が非常に強いのだということが窺えたため、ジェードはなんとなく不安や警戒心のようなものを抱いていた。
しかし実際に足を踏み入れてみれば、先の靴屋の青年のように、カピタラの人々は皆活き活きとしていて街の雰囲気自体は悪くない。
もちろん尾人らしき者の姿は見えないのだが、人々が笑い合って楽しげに暮らす様子は、ジェードがこれまで訪れてきた街とそれほど変わらないように見えた。
しかし、いつまでも観光気分ではいられない。この街にやってきたのは、行方不明になったチェルシーを探す手掛かりを見つけるためだ。
深呼吸一つで気持ちを切り替えたジェードは、ひとまず目についた酒場の主人にでも話を聞いてみようと、傷一つない小綺麗な戸を押したのだった。




