願えばどんな生き方だって
100話到達!
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浴場で離れ離れだったアンバーは、湯屋からずっとジェードの腕を抱きかかえて離すまいとむくれており、アーロンには大笑いされてしまった。
それから日が沈むのに合わせて、ジェードらは昨日に引き続きジャッキーの家を訪れていた。
また会いに行くという約束を守ったアンバーに、ハンナはまた大喜びで飛びついてはきゃっきゃと嬉しそうな声を上げていた。
時間が頃合いだったこともあって、ジェードらはジャッキーの家で夕餉をご馳走になることになった。
しかし、ジャッキーの料理もアーロンに負けず劣らずの味で、ジェードもアンバーもさすがに苦笑していた。
ハーティは「もうわたしとハンナ、なれたよ」なんて言いながら食べていたが、"慣れた"なんて言葉が出るくらいだ。きっと最初は大変だったに違いない。
酷評でありながらもアーロンよりはマシだと述べるアンバーは、ジャッキーの出す料理をなんとか完食していたのだった。
「これで最後だよ」
「あいよ。ありがとねえ」
ジェードが空になった皿を食卓から運んでくると、洗い物を始めているジャッキーが礼を述べた。
それからジェードは布巾を手に取り、食卓を拭きに行くと、ふてぶてしく椅子に腰かけたアーロンから「客人だってのによく働くねえ」なんて感心されたのだった。
ハンナの席の周りだけ異様に食べこぼされているのを念入りに拭き上げると、ジェードは厨房に戻ってジャッキーが洗い終えた皿を磨いた。
「あら、そこまでしなくたっていいのに」
「夕食に呼んでくれたお礼さ。このくらいさせてくれ。それに、ジャッキーさんと話したいこともあるし」
ジェードの言葉にジャッキーは意外そうな表情を浮かべていた。
アンバーを含む妖狐三人は、居間のソファに腰かけて何やら楽しげに語らっている。
こちらの話に注意が向いていないことを確かめた後で、ジェードはジャッキーにそっと切り出したのだった。
「さっき、アーロンさんとも似たようなことを話したんだけれどね。人間と尾人が家族になるって、どんな感じなんだろう、と思って。こうしてハーティやハンナと一緒に暮らしているジャッキーさんの話が聞いてみたかったんだ」
どうやらハーティとハンナにお伽噺を語り出した様子のアンバーを厨房から遠目に眺めながら、ジェードはそう述べた。
そんなジェードの雰囲気から彼の考えていることをなんとなく察したのか、ジャッキーは皿を洗う手を止めて息をついた。
「どんな感じと言われれば、ハーティとハンナはあたしの大切な娘さ。引き取ったときからずっとそう思ってる。血の繋がりがないどころか種族も違うけど、誰に何と言われたってそれだけは絶対に譲るつもりはないね」
そう答えて再び手を動かし始めたジャッキーに、ジェードは「そう言うとは思っていたよ」と笑ってみせた。
「あたしはね、若い頃は首都に住んでたんだよ。結婚もしてたんだけど、些細なことで旦那と揉めて、離縁しちゃってね。追い出されてこのアルスアルテにやってきたのさ」
不意にジャッキーは、ジェードの問いとは的外れなことを話し始めた。
カピタラ――それはアルスアルテからも程近い場所にある首都の街だ。
距離的にはここからそれほど離れてはいないが、アルスアルテは何分山々に囲まれた街だ。交通の便もあまりよくないため、二つの街の間に交流らしい交流はほとんどないらしい。
「あたしは昔から子どもが大好きでねえ。結婚もしたし、いつかは産めるだろうと期待してたのさ。でも、子どもを作る前に追い出されたもんだから、あのときは随分へこんだよ」
「だから、ハーティとハンナを引き取ることにしたのかい?」
「うーん。それもあるけど、一番の理由はまた別だね」
皿を洗い終えたジャッキーは、ジェードと同じように皿を磨き始めた。
過去を思い出しながら語るジャッキーの表情は、懐かしさを噛み締めているようでありながらも、どこか少し切なそうにも見えた。
「旦那と離縁したきっかけは、カピタラの街にたまたま迷い込んできた魔猪の子どもをあたしが助けたことだった。カピタラの住民たちは尾人を随分目の敵にしてるからね。誰かに見つかる前に、あたしがこっそり山に返してあげたんだ。まさか旦那に見られていたとも知らずに。そのあとはお察しさ」
「……」
ジェードは返す言葉を見つけられなかった。
魔猪を逃がしたジャッキーは、おそらくカピタラで異端者のような扱いを受け、居場所を失ったのだろう。アンバーと関わっていたジェードが、故郷で妖狐憑きだと騒がれたように。
「そんで、なんやかんやこの街に流れ着いた。人間と尾人が助け合ってるなんて、最初はびっくりしたもんだよ。それと同時に、カピタラなんかよりよっぽど居心地がよさそうだとも思ったね」
「そうなのかい?」
「そうさ。芸術の街だなんて呼ばれてて特技の刺繍も活かせるし、何よりくだらない偏見が蔓延ってない。奇人みたいなのが暮らすにはもってこいの場所さ」
はっきりと言い切って見せたジャッキーの表情は、先程までと打って変わってすっきりしているように見える。
奇人と呼ばれることを引け目に感じるどころか、むしろ胸を張って誇っているアルスアルテの人々の姿は、ジェードにとっても非常に心強く感じられた。
「どっか遠くの山からハーティとハンナがこの街に迷い込んできたとき、あたしは魔猪の子を助けたときのことを思い出した。あのときあたしを追い出したカピタラの連中のことを、見返してやりたかったのか何なのかよくわからないけど、あたしは妖狐たちを目一杯愛して、妖狐たちに目一杯愛されてやろうと思った。カピタラの連中にできないことが、あたしにはできるんだって証明したかった」
そう語るジャッキーはジェードを一瞥すると「言ってしまえばただの自己満足なんだけどね」なんてはにかんでいた。
しかしジェードにとってそれは恥ずべきことであるようには思えなかった。
ジャッキーは自分を拒絶した人々を逆恨みするわけでもなく、他者へ愛情を注ぐことでこの現状を受け入れたのだ。
相手を憎み嫌うことは簡単だ。しかし敢えてそうではない生き方を選ぶことのできるジャッキーは、ジェードからすれば非常に"強い"人なのだと思えた。
「まあ、きっかけこそ自己満足だけど、今はもう違うね。今のあたしが願うのは、あの子らが幸せに生きてくことだけさ。このまま家族三人で暮らすもよし。今後結婚したい相手でもできたならそれでもよし。あの子たちはまだ若いから、願えばどんな生き方だってできるんだ。あたしはそんなあの子らの背中を押せるような"母親"でいたいだけなのさ」
「願えば……どんな生き方だってできる、か……」
ジャッキーの話に聞き入っていたジェードは、無意識に彼女の言葉を復唱していた。
それに気づいたジャッキーがにやりとジェードの顔を覗き込んできたのは、さすがに照れくさくて敵わなかった。
「どうだい。おばさんにはこんな話しかしてやれないけど、少しは答えが見えたかい」
「……正直、まだよくわからないかな。でも――」
最後の皿を磨いたジェードは、俯きながらそう答えた。
一つの家族として――親子としてジャッキーと共に生きる、ハーティとハンナ。
三人の"家族愛"を否定するつもりは毛頭ない。それでも、ジェードにとってはどうにも彼女らの生き方が自分らの求める答えに直結するようには思えなかった。
しかし、それでも彼女らのように幸せに生きていければどんなにいいだろう、とは感じていた。
きっと自分らにもあるのだ。ジャッキーらとは少し違う、自分らにしかない愛情の"かたち"が。
はっきりと疑問が晴れたようには思えなかったジェードだったが、それだけは確信することができた。
「――でも、僕の願いも本質的にはジャッキーさんと同じなのかもしれない。そう思うと、なんだか少しほっとしたよ」
「そうかいそうかい。ならきっと大丈夫さ。あんたもアンバーちゃんもまだ若いんだ。どんな生き方でも選べるんだから、しっかり悩んでしっかり選びな。大事な人を後悔させない答えをね」
「うん、ありがとう。もう少し悩んでみるよ」
ジェードの答えに、ジャッキーは満足げににっこりと笑ってみせた。
二人が食器類を片づけ終えると、それとほぼ同時にアンバーの語るお伽噺も終わったのか、ハーティとハンナがぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
まだ物語を語ることに慣れていない様子のアンバーは照れ臭そうに笑っていたが、その笑顔を見たジェードは小さな深呼吸とともに一言「よし」とつぶやいたのだった。